秘められた恋心

 二年生に進級する頃になっても、学外では古代魔法使いに対する弾圧が続いていた。イオリーの家族から届いていた手紙も次第に間隔が開き、年が明けた頃には届かなくなる。

 それでも便りがないのは良い知らせだと、イオリーは深く考えていなかった。きっと村の人たちも変わらず元気にやっているだろう、と。


 ただ、そんな外の不穏な空気も学内では少しも感じられない。

 入学してすぐに、オルフェがイオリーを誓約の魔法で従えたことが結果的に良かったらしい。

 目に見える形で古代魔法使いが近代魔法使いに反目していないと分かる状況は、生徒たちに日々、安心を与えていた。


 そんなふうに表面上は平穏な学校生活が続き、寮生活が一年を過ぎようとしていた頃だった。

 あいかわらず試験期間以外は、人のいない図書館で、この日もイオリーは自身の研究に勤しんでいた。背の高い本棚と本棚の間、窓に向かって机の置いてある席は、イオリーのお気に入りの隠れ家だ。


 ここからは学校の校舎とグラウンドが見えるし、何より薄暗い図書館でも、外の光がちょうど良く手元を照らしてくれて快適だった。


「……うーん、えーっと、魔法使いの血を媒介にして、意中の相手を陶酔させる……いや俺の血だとバレるな。駄目だ」

「何を真剣に読んでいるのですか、オーキッド」

「ッ、うわっ!」


 イオリーは思わず持っていた本を上に放り投げてしまった。


「ここは、あなたの私室でも研究室でもないのですが。あと本は、大事に扱ってください」

「ご、ごめんなさい。トレニア先生」


 イオリーが投げた本は、頭の上でトレニア先生が浮遊魔法を使い受け止めていた。

 いつの間にか背後に立っていたトレニア先生は、机の上に散らばる、魔法薬や書きかけのコードが書かれた羊皮紙を呆れた目で見下ろしている。

 確かに誰も来ないのを良いことに、イオリーはこの場所を自分の研究室のように使っていた。禁帯出の本が多いなら図書館内を使えばいいと思いついたのは、入学してすぐだ。あまり来る人がいないので黙認されているが、眉を顰められても仕方ないくらいに散らかし放題だった。


 放課後、イオリーが、ここに引きこもっているのは、学内でオルフェを一人にしたいからだ。オルフェはイオリーの研究の邪魔はしないので、図書館に行く時だけは、そばを離れてくれる。

 オルフェは、学校を卒業したらクラスの誰かと結婚し魔法騎士として王宮入りする。それはアルメリア家に生まれた以上、決定事項だ。だが彼は、人当たりはいいのに特定の恋人を作る気配が一切ない。


 入学する前は、社交界での付き合いもそつなくこなしていたはずなので、イオリーがオルフェの交際の邪魔をしているとしか思えなかった。

 一度きりの交わりでも、オルフェが普段、どんなことを女性としていたのか簡単に想像できた。


 ――だって、あんなに、すごい……こと、したし。


 思い出すたび、勝手に顔が赤くなってしまう。健康な男なら性欲だってあるはずなのに、オルフェは少しもそんなそぶりを見せない。だったら彼に媚薬でもと思ったが、魔法薬の調合なんて、イオリーが犯人だと言っているようなものだ。


「君は、いつも赤くなったり青くなったり、忙しいですね」

「え、俺、そんな顔してましたか?」


 トレニア先生は、イオリーが投げた本を机の上に置き腕を組む。


「それで、何を悩んでいるのかと思えば、恋煩いですか?」

「ち、違いますよ」

「こんなもの読んでいるのに? 薬学は君の得意分野じゃないですか? 君なら惚れ薬なんて片手間にでも作れる。暗い図書館で悩んでいるくらいなら、さっさと意中の相手に飲ませたらどうですか?」


「先生とは思えない言葉ですね」

「ここは魔法を教える学校ですから。お遊びの惚れ薬くらいで目くじらを立てたりしませんよ。ただ、ね……君の場合は、別の問題で罰を与えないといけなくなる」

「別の問題って?」


 イオリーは首を横に傾げた。


「普通の惚れ薬なら好きにすればいい。しかし、この方法はダメです。禁帯出になっている理由は、永遠に囚われてしまうから。難しくて試す生徒がいなかったのですが、君はやりそうなので」

「や、やらないですよ」

「本当に?」


 トレニア先生は疑うような顔をしてイオリーの顔を覗き込む。


「本当です。だって……別に、俺に惚れて欲しいわけじゃない、から」


 そう言ってトレニア先生から視線をそらし窓の外を見た。窓の向こうには一年前と同じ、オルフェがクラスメイトに囲まれている光景が広がっていた。

 イオリーが想像した通りだ。自分が隣にいなければ、オルフェは高位貴族の息子として、ちゃんと女の子たちの相手をしている。

 良かった、そう思えた。


「……私は、初めて君がこの図書館に来た時、魔法貴族としての正しい振る舞いを教えました。それも最近は板についてきましたね。立派ですよ」

「そう? えへへ、頑張ったからね、俺」

「けれど、今は少し反省しています」

「どういう意味ですか」


 イオリーは後ろに立つトレニア先生を振り返る。


「学校にいる間だけなら、誰もあなたの好意を咎めたりしませんよ」


 トレニア先生は窓の外を先を指差し、肩をすくめた。イオリーはトレニア先生が言いたいことをすぐに理解した。


「え……ち、違う、誤解してるよ。トレニア先生」

「入学してから、ここで君はアルメリアしか見ていませんでしたから」


 この一年ひた隠していた恋心を言い当てられて、思わず顔が赤くなった。


「そ、そんなに……俺ってわかりやすい?」

「少なくとも私はね。毎日、毎日、そこのカウンターから君を見ていたので」

「けど、本当……違うから先生。俺のは、多分、そういうのじゃない、し」

「そういうの、とは」

「将来とか、永遠とか。俺にはないから、だから、そういうのは望んでいない」

「では、対極の即物的ですか? 君もなかなか過激ですね」

「…ッ、もっと綺麗なのだよ! 友愛とか!」

「打算的な恋も期間限定なら、ありでは」

「もう唆さないでよトレニア先生。俺、冗談が通じないお年頃なんだから。簡単にグラついちゃうよ」

「おやまぁ、それも青春ですね」


 溢れた魔力に酔い乱された感情の中、オルフェが求めるなら一度は、それでもいいと思った。けれど、彼の将来を思えば思うほど、親友でいる方が傷が浅くて済むと感じた。

 オルフェの気持ちに気づかないふりをして、綺麗なままで終わる方が、お互いに幸せだ。


 オルフェと過ごす中で、魔法貴族社会で生きる術を学んだ。

 腹の中で何を思っていても上手くやっていく方法。イオリーが田舎でノー天気に好きな研究をして過ごしていた間も、オルフェは同年代の誰よりも社会のありようについて考え、自身を律して生きていた。貴族の打算や駆け引きをイオリーは、好きになれなかったが、彼のように上手く本音を隠すことで、オルフェの隣にいられるのならと、彼の振る舞いを見習った。


 素直なのがイオリーのいいところだし、隠し事は得意じゃない。けれど、この一年努力した。好きな人が幸せになれるのなら、自分の気持ちなんて胸の奥にしまっておいた方がいい。


「そういえば、新しい魔法を作るのは、順調ですか? 君はそのために、この学校に来たのでしょう」

「うん、まぁ理論上は、上手くいきそう。プロトタイプが完成したよ」

「すごいじゃないですか、ミーリア先生も喜んでいたでしょう」

「腰抜かしてた。大袈裟だよね」


 一年間、遊んでいた訳じゃない。自分の研究ができる最高の環境を手に入れた。

 学校で新しい近代魔法を学んだことで、違う視点で考えられるようになった。

 古代魔法使いの長所は、潤沢な魔力が使える点だが、オルフェと誓約を結び、魔力の使用を制限したことで血に対する甘えがなくなった。イオリーが常々考えていた、古代近代で分けて考えないアプローチが正しかったのだろう。


「ただ、足りないものが多くて、結局、記憶を再現する魔法を近代魔法に置き換える……今の俺には、これが限界かなぁ……ま、今はね」


 記憶を再現する魔法は、昔、曽祖母が見せてくれたものだ。それを、イオリーは近代魔法に置き換え、夜に咲く花を再現した。実物ではないものの、その美しい記憶の映像は、初めの一歩としては上出来だった。


「そんな簡単に作れたら、どこかの国で宮廷魔法使いとして働けますよ。まぁ、頑張ってください。先生たちも君には期待していますから。教職の資格は、もう取ったのでしょう?」

「うん、専門の魔法薬学だけ。これで、田舎に帰っても仕事には困らないかなぁ」


 外から下校時間を知らせる鐘が聞こえた。イオリーはトレニア先生と話しながら、机の上を片付けて寮に帰る支度を始める。


「いつもはギリギリまで図書館で粘るのに、君も前夜祭へ行くのですか? めずらしいですね。貴族の社交の場なんて一番嫌いそうなのに」

「え、前夜祭? 何ですかそれ」


 早く切り上げたのは、魔法のプロトタイプが完成したからだ。月見草の花を、オルフェに一番に見せたかった。


「あぁ、そうか、君は、去年行かなかったのか。熱心に媚薬の調合なんて読んでいるから、てっきり今夜パーティーで意中の相手に盛るのかと思ってましたが」

「だから、しないですよ。それで、前夜祭ってなんですか?」

「新入生の歓迎パーティーですよ。寮である生徒たち主体のものではなく、講堂で行われるものですね。立食とダンスパーティーが行われます」

「へぇ、去年そんなのがあったんだ」


 去年は入学もギリギリで、そんな催しがあるのも知らなかった。


「私も準備があるので、君が早く図書館を出てくれて助かります」

「まぁ、俺は行かないよ。先生が言う通りダンスパーティーとか苦手だもん」


 貴族の社交の場、きっとオルフェはパーティーに参加するのだろう。

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