■■■■■■■■ 星読と死霊術師


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 アルメリア家は、代々王家に仕える魔法貴族として周囲から厚い信頼を集めていた。祖父も父も若い頃は王家の騎士団に所属していたが、その評価は過分なものだった。騎士として無能だった事実を恥ずかしげもなく息子に語る、貴族のプライドだけが高い父親が好きではなかった。

 公爵家アルメリアだから。

 オルフェは、それだけを理由に騎士の道を歩みたくなかった。だから、周囲から騎士の名折れと言われないように、小さな頃から剣術の稽古は欠かさなかったし、魔法学の勉強も真面目に取り組んできた。


 しかし最近は修練に身が入らず、おざなりになっていた。

 十五歳になってからというもの、ほぼ毎晩といっていいほど父に社交の場へ連れ出されている。騎士としては尊敬できなくとも、オールトンの領主の命令には息子である以上、従うほかなかった。パーティーへ顔を出せば、もう子供ではないのだからと、アルメリア家に釣り合う良家の娘と付き合うよう勧められる。オルフェに媚を売ろうと必死な女性に、日々、嫌悪感は募っていた。


 この日は、父より先にパーティー会場から馬車で自宅に戻ると、オールトンの浜辺で剣の稽古をしていた。

 街の灯りが波際まで届き、視界は薄闇程度で夜でも剣の修練には不都合なかった。

 いつまで経っても女性の香の匂いがまとわりついて腹立たしかった。何より許せないのは、その魔力の誘惑に逆らえなかった己の未熟さだった。


(心から、大切に思っている、守りたい人いるのに)


 オルフェは欲を振り払うように剣を薙いだ。ほんの一瞬でも、彼女をイオリーの代わりにした自分を腹立たしく思う。

 浜辺から黄色の月見草が風に揺れているのが視界に入った。その優しい色に胸が苦しくなる。手紙だけの交流じゃなく、会いたい、でも、会えない。会いたい、会いたくない。会えば、嫌われてしまうから。


 イオリー・オーキッドという男は、初めて出会った頃から、魔法貴族なのに、どこまでも自由だった。勉学に対する己の欲に忠実で、けれど自身の正義は決して曲げない彼が羨ましくて、眩しくて、気付いたときには惹かれていた。

 中央魔法学会は、様式美の世界だ。自由に学説を発表する場でありながら、そこに自由はない。貴族社会で力を持っている人間の学説以外は、ないものとして扱われる。学会では地位の低い人の発表に拍手をしないのが通例だった。オルフェは、それを敬意のない貴族として恥ずべき行為だと感じていた。けれど、アルメリア家の子である以上、オルフェは、いつだって、その場に黙って座っているしかなかった。


 学会会場で出会ったイオリーは、子供であることを差し引いたとしても、とにかく目立っていた。

 オルフェの隣の席に座っていたイオリーは、古代近代、学派、異国の区別なく熱心にノートを取っていた。それだけでなく、発表が終わると、全員に一生懸命拍手を送り、その亜麻色の瞳をキラキラさせていた。そして発表が終わるたび、隣に座っていたオルフェに魔法の未来を熱く語って聞かせてくれた。

 善悪のどちらか一方しか選べなかったオルフェに、イオリーは新しい世界と選択肢をくれた。

 貴族のしがらみに囚われず、面白い、楽しいってだけで、前に進める強さ。

 オルフェにとって、彼が、理想の強く美しい『騎士』だと感じた。

 そんな彼を支え、隣に立っても恥ずかしくない人間になりたいと思った。


「――坊ちゃん、お久しぶりでございます」


 急に背後から聞こえた低い声に驚き、剣が砂浜に落ちた。


「ッ、驚いた、ベリクか」


 後ろに立っていたのは、数年前まで頻繁にアルメリア家を出入りしていた星読みの男、ベリク・オーデリアだった。口髭を蓄えた父と同じくらいの年齢で、やせぎすで、健康的には見えない顔色と体つきなのは変わっていなかった。

 オルフェが物心ついた頃から見知っている。アルメリア家に訪ねてくるときは丈の長い黒のローブを着ていたが、今日はパーティーにでも行っていたのか深緑のドレスコートを着ていた。


「坊ちゃん、藍色のドレスコートが、よくお似合いです。少し会わない間に本当に立派になられて。お父様も、さぞお喜びでしょう」


 オルフェは、決まりきった笑顔の挨拶を返した。

 古代魔法と近代魔法が、ぎりぎり共存していた頃は、アルメリア家にも星読みが出入りしていた。古代魔法と近代魔法は切っても切れないと頭では理解しているからこそ、昔は父も星読みを頼りにしていた。

 今ではオーキッド家に対する、敵対心から古代魔法の流れを汲む派閥を全て中央学会から遠ざけている。

 オルフェも、昔はべリクを祖父のように慕っていた。


 無心で剣を振るい上がっていた息を整えていると、ベリクの後ろに、もう一人男がいるのに気付いた。全身黒づくめの美丈夫は、どこかで見た顔のような気がした。長髪の男はベリクの前に出ると、砂浜に膝をつきオルフェが落とした剣を拾い上げた。海風に煽られて、男の黒髪がさらさらと靡く。


「レイピアのような細い剣でも、重いでしょう。遠くから見ていましたが、無駄のない美しい剣技でした。長い間修練してきたのでしょうね」


 漆黒の男は拾った剣をオルフェに差し出す。


「ありがとう、ございます」

「あぁ、ご紹介が遅れました。今日、坊ちゃんにご紹介しようとパーティーに向かったのですが、先に戻られたと伺ったので、こちらまで参った次第でございます」

「私に、紹介?」

「初めまして、北のバーサイトで死霊術師をしている、バルト・ザイードと申します」


 挨拶に差し出された右手を、オルフェは流れで握り返していた。なんだか無理やり体を操られているように感じた。

 そして名前を聞いて、オルフェは、やっと記憶と顔が一致した。イオリーと一緒だった回の、学会で発表していた男だった。

 ベリクと並んでいるせいか余計に凛々しく精力的に見える。歳は四十を過ぎているはずなのに、昔と変わらず年齢を感じさせなかった。学会では、死霊術という異端の説を唱えていたが、周囲の反応など彼は物ともしなかった。無論、隣にいたイオリーは面白いと大興奮して聞いていた。

 そんな学会の異端の有名人が、星読みのべリクと一緒にいる。あまりいい状況とは思えなかった。


「えぇ、存じています。以前、セラフェンの中央魔法学会で」

「近代魔法使いの大家であるアルメリア様にとっては、楽しいお話ではなかったでしょう」

「いえ、とても興味深い学説で、今でも覚えています」

「おや、貴方は、古い魔法だとは言わないのですね」

「えぇ、私は、学問と政治は別だと考えています」

「お若いのに、立派なことだ。貴方の立場でそれを貫くのは難しいでしょうに」

「そう、ですね」


「貴方が私の話を聞いたのは、きっと六年ほど前だから『死霊と魔力の関係について』ですね。あまりに刺激的だったせいか、その年に、うちは学会から追放されてしまいましたよ」


 バルトの声は、波音がする広い砂浜でも良く通って聞こえた。


「それで、私にどういったお話が?」


 ベリクとバルトは顔を見合わせた。


「最近、坊ちゃんの近くで死の兆しを表す星が見えました。以前、お世話になった方の一大事、お伝えせねば、と」


 オルフェはべリクの言葉を聞いて、自分の中で感じていた違和感が正しかったと確信していた。おそらく彼らが何か企んでいるのだろう、と。

 何より死の兆しと言われても、あまり自分ごととは感じなかった。将来魔法騎士となり、王家で仕えるようになれば不幸に見舞われることもあるかも知れない。だが、オルフェは来月から王都で学生生活を始める。向こう三年くらいは、危険とは縁のない生活を送る予定だった。


「――べリク。私は星読みに詳しくないが、星の定めなら、抗いようがないのだろう。以前べリクが私に教えてくれたことだ。なぜ私にそれを?」

「坊ちゃんは達観していらっしゃいますね。もっと驚かれると思っていました」

「いや、十分驚いているよ」

「もちろん、死の兆しと言っても、直接、坊ちゃんの死を表す訳ではありません。身の回りのできごとが動き出す、そういった予言にございます。もちろん可能性もゼロではありませんが」

「……そうか」

「それに星の動きは変えられないとしても、その過程は変えられます。私は、どうしても坊ちゃんに楽しい学校生活を送っていただきたく、友人のバルト様にも、坊ちゃんを視ていただこうかと」

「なるほど、そういうことだったのか、しかし、私などのために、遠路はるばる起こしいただいて、申し訳ない。ザイード様」


 オルフェはバルトに向き直り、慎重に彼らの思惑を探ろうとした。


「いえ、アルメリア様。私も是非、貴方様をこの目で視てみたかったのです」


 そう言ってバルトは自身の左目を指差した。


「目、ですか」

「私のこの目は、貴方様の死にまつわる未来を視ます」


 バルトの漆黒の瞳は、姿を映されるだけで、全てを見透かされているような気持ちになる。決して誰にも見られたくない、後ろ暗い部分を見通すような瞳。

 どこまでも魔力を欲する、卑しいアルメリアの血までも、見通されている気がした。


「この先、リサーヌ国が混乱に陥るのは決まっていることですが。アルメリア様は、そのとき、中心にいますね」

「混乱の中心、ですか」

「おや、とぼけるのですね。自分でも分かっているんじゃないですか? なぜ、混乱に陥ったときに貴方が中心にいるのか」

「何のことでしょうね、私には未来のことなど、まだ」


「では、一つ。お父様の近くにいるならば、お気づきではないですか? 古代魔法使いに対しての弾圧は年々強くなっている。――そして、私たち星見や死霊術は古代魔法の流れが強い派閥だが、今のところ近代魔法使いの下にいるから許されているに過ぎない。そして、この均衡は近い将来、必ず崩れます」


 バルトは、オルフェに向けて、そう言い切った。


「えぇ、そう、ですね」


 国の均衡が崩れるというなら、そのときを出来るだけ先延ばしにしたい。自分が王宮で騎士になるその時まで。

 オルフェは、イオリーがハンプニーの村で幸せに笑っていられるような、優しい世界を作りたいと考えていた。

 そして、そのためにアルメリア家の全ての力を使うつもりでいた。

 誰にも褒められなくていい、批判されてもいい。自分が正しいと考える世界をこの手で掴み取る。

 学校を卒業し、将来、王家に仕える魔法騎士になれば、一人の大人として発言権を得られる。オルフェは、セラフェンで学生生活を送る間、将来に向けて自身の立場を盤石なものにするつもりでいた。

セラフェン魔法学校は、外と変わらない、小さな魔法貴族社会だから。


「それで、ザイード様、私は、どうすれば? その死の兆しを正しく乗り越えられるのでしょうか」

「簡単なことです。貴族として正しい振る舞いをすれば、多くの人から称賛される未来を手に入れることができる。――ただ、代わりに貴方は大切な人を、目の前から永遠に失うことになる。これが、貴方にとっての死の兆しだ」


「わかりました。――それで、その予言は、隣のベリクに言わされているのですか?」


 オルフェの指摘にべリクは目を見張る。それに対してバルトは手を叩いて喜んでいた。


「ほぉ、さすが、アルメリア家の御子息だ。簡単過ぎましたか? そうですよ。私は、彼に雇われている。そして、見返りは、寿命を三年ほどいただきました」

「ザイード様、お話が違います!」


 オルフェの前で、いつも穏やかな口調で話していたべリクは声を張り上げた。そんな大きな声が出せる男だったのだと、オルフェは初めて知った。


「ベリク・オーデリア。死霊術師という生き物はとてもデリケートなんだ。死にまつわる嘘をつけば、私がその身に死の呪いを纏ってしまうだろう。死は私が操る物だ、死に操られるのは死霊術師の一族として業腹だ。どの道、この聡明な方はオーデリアの思惑に気付きますよ」


 バルトは、その場で腹を抱えて笑っている。よほど、オルフェの言葉が意にそうものだったらしい。イオリーも同じだが、学者肌の人間の笑いのポイントは、いつも、どこかずれている気がした。


「アルメリア様は、お優しい方なので、こう言えば、古代魔法使いのご友人の側につくだろう、という話です」

「それで、わざわざ嘘の予言を伝えに?」

「いえ、私が伝えに来たのは、真実ですよ」


 オルフェは続くバルトの言葉をその場で待つ。


「オルフェ・アルメリアは、どの道を選んでも、この死の運命からは逃れられない」 

「……人間、いずれ死にますよ」


 オルフェは冷静な言葉を返す。彼の言葉に振り回されるつもりはなかった。


「ははは、えぇ、そうです。だから、人はより良く生きようと努力する。私は、死が好きですよ。純粋で、いつだって死は愛に溢れていますから」


 バルトのその恍惚とした表情は、数年前の学会の場を思い出させた。彼自身の言葉は熱を纏っている。その言葉に多くの人間が魅せられ引き寄せられる。


「良い知らせ、感謝しますよ。ザイード様」

「おや、どうして? 裏で君をこちら側に入れようと手引きしてたんですよ?」

「――そのとき、最善を選べるから」

「最善、ね。けれど、アルメリア様は最初から、自分を曲げる気などない。私たちが何を言っても、ね。私には、貴方様が、そういう人間に視えます」


 最初からバルトは、オルフェの考えなど見通していたらしい。


「えぇ、その通りです。私は、どちら側も選ぶつもりはない」

「それは、例え『彼』が、地に堕ちたとしても、ですか?」

「それは、に対しての予言ですか?」

「さぁ、どうでしょう、ね。見返りをいただけるなら、教えますが。貴方は、三年を貰うと、この場で死んでしまいそうなのでねぇ、調べましょうか?」


 バルトは、口元を抑えいやらしく微笑んだ。


「……いえ、結構です。もし、彼が落ちるならば、私が手を差し伸べればいい。私は、古代魔法使いが怖いなどと思ったことがない」

「貴族の傲慢ですね。命さえ救えれば、それでいいと? 彼にも心はあるでしょう。どんなときでも、同じ側にいるのが、友ではないのですか?」

「理解されなくてもいい」

「なるほど、そうですか。では、私から伝えることは、もう何もありません。楽しい学校生活を、遠い北からお祈りしております」


 バルトはそう伝えて頭を下げると、放心状態のべリクの肩を押して砂浜から立ち去った。その場に残されたオルフェは地面に膝をついた。


 べリクを祖父のように慕っていたのは事実だ。いつから、自分たちの側に取り込めると考えていたのか。

 ――お友達は大切にした方がいい。

 そう言って会えないイオリーに手紙を勧めてきたのはべリクだった。父が心配するからと宛先と差出人を工夫するように、教えてくれたのも。

 その全てが、今日につながっていたのかと思うとやり切れなかった。


「何が、死の兆しだ……ッ」


 オルフェは悔しい気持ちのまま、砂を両手で掴んでいた。


 *


 修練を終えて自室に戻ると、イオリーから手紙が届いていた。

 差出人の名前は、いつも偽名で高名な魔法使いの名前だった。

 今回の名前が『バルト・ザイード』だったので、一瞬身構えたが、筆跡はイオリーのものだった。


 中身は相変わらず、こちらの様子を尋ねる内容ばかりだった。もっと、イオリーの話を知りたいのに。


 そう思って読み進めると、手紙の下の方に重大なことが書いてあった。


 ――俺、王都にあるセラフェンの魔法学校に入学するんだ。


 椅子から立ち上がると、窓の風に煽られて手紙が床に落ちた。それを拾い上げる。

 一番先に伝えるべき内容だった。


「……イオリー、どうして、セラフェン魔法学校に?」


 どの道を選んでも、この死の運命からは逃れられない。

 バルトの声が耳元で聞こえた。


 イオリーは、セラフェンの魔法学校について何も知らないので、どんなに試験の成績が良くても、彼の入学は叶わないだろう。

 分かってはいても胸がざわついた。


 学校で貴族として正しい振る舞いをしている自分を、イオリーに見られたくない。昔のまま友達でいたい。


 友達のままじゃ嫌だ。

 もっと、そばにいたい。

 君が、一番大切。

 愛している。


 手紙で伝えられない気持ちは募るばかりだった。


 君の隣に立っても、恥ずかしくない自分でいたい。

 オルフェは手紙の上に頭を伏せた。


 いつか、自由奔放に、君が笑って生きられる、幸せな世界を贈りたい。

 きっと、そこには、海辺の月見草のような優しい花が咲いている気がした。

 たとえ、そのとき、そばにオルフェ・アルメリアがいなくとも。


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