アルメリアの花嫁

 *


 いつの間にか医務室のベッドで深く眠っていたらしい。

 ドンという荷物を床に置く音に驚いて、イオリーは目を見開いた。起きた拍子に口元をさわると自分の涎で濡れている。間抜けな寝顔を親友に晒していたのだと思うと少し恥ずかしかった。そんなイオリーの顔を冷めた目で見ていたであろう本人を探したが、もう部屋にはいないようだった。

 眠る直前までオルフェが見つめていた窓からは、今、赤い夕日が差し込んでいる。


「おー悪いな、起こしたか? ひどい怪我したんだって?」


 オルフェの代わりに医務室にいたのは校医のようだ。イオリーはベッドに腰掛けたまま、この部屋の主の顔を見た。


「えーっと、先生?」

「あぁ、この部屋を任されている校医のレイモンドだ。熱は?」


 白衣の上からでも体つきが良く分かる。筋肉隆々で溌剌とした雰囲気の中年男性だ。静かで薄暗い医務室よりは青空の下で豪快に笑っている方が似合う。レイモンド先生は自身の髭面を手で撫でたあと、イオリーの額に乱暴に手を当てた。


「まだ熱いな。手の傷は治ってるし、魔力を極端に放出した反動かな? 職員室で聞いたよ、イオリー・オーキッド、古代魔法を使うんだって? 止めはしないが、ほどほどにしないと体が先に壊れるぞ?」

「あー……はい。古代魔法の件は秘密にしておくつもりだったんですけど。不可抗力というか、バレちゃって」

「ははは、そりゃ大変だ。君のご主人様も心配してたな」

「ご主人さま?」


 イオリーは首を横に傾げた。レイモンド先生は太い人差し指でイオリーの首を指差した。


「その首の輪っか、あの子が付けたんだろう。見かけに寄らず気性の激しい男なんだなオルフェ・アルメリアは。綺麗な顔してんのに」

「それで、先生、オルフェは?」

「ん、俺が来たときに授業に戻るように言ったよ。学生は一番に勉強をせにゃならんからな。サボりは許さん」


 授業と言われて、何もせずに今日一日が終わってしまったと気づく。窓から見える空の色で、分かっていたがイオリーはレイモンド先生に尋ねた。


「先生、授業って、もう終わってるよね」

「あぁ、とっくの昔にな。だから、お前は今日のところは、早く寮に帰って寝ることだ! 分かったな」

「はーい」


 イオリーはベッドから降りて靴を履くと、椅子に畳んで置いてあったローブを羽織る。オルフェが置いてくれたのだろうか。


「よっし、いい子だな」

「――先生、いい子、なのかな。俺」


 イオリーは、レイモンド先生の言葉を聞いて、胸に引っかかりを覚えた。


「ん?」

「古代魔法使いだよ俺、先生たちは何も思わないの?」


 イオリーはレイモンド先生の態度が不思議だった。それはレイモンドに限ったことじゃない。生徒たちは古代魔法を恐ろしいと思っているが、ここの学校の先生たちは、どうやらイオリーを特別視せずに、一生徒として学校に迎え入れてくれているようだった。

 レイモンドは口を大きくあけてガハハと豪快に笑った。


「外は外、学内には学内のルールがある。神聖な学びの場を、君が尊重したいと考えている限り、先生は君の見方だ。もちろん、面倒な生徒であることにはかわりないよ、大人しくしていて欲しいのが学校側の本音だが」

「そっか。俺、この学校に入学してよかったな」

「ほら、寮に戻るなら、これ魔法薬、寝る前にちゃんと飲むんだぞ?」


 イオリーはレイモンドから薬を受け取ると、医務室を後にした。



 *


 

 医務室でレイモンド先生に熱があると言われたが、自分では分からなかった。寝過ぎたせいか体のあちこちが痛い。このままだと夜眠れない気がした。

 まだ寮に戻る時間の鐘が鳴っていない。イオリーは、その足で昨日、休館日で入れなかった図書館に向かった。

 昨日から、ずっと中に入りたくて、うずうずしていたのだ。今日こそは、とイオリーは図書館の扉の前に立った。閉館のプレートはかかっていない。

 重い木扉を押し開けると、館内は天井高くまで本で埋め尽くされていて、整然と整った美しい空間が広がっていた。田舎の図書館とは比べ物にならない。イオリーの期待通りだった。


「……あぁ、毎日来たって死ぬまでに読み切れないだろうなぁ、すごいなぁ、最高だ! 生きててよかった!」 


 思わず感嘆の声を漏らして、胸の前で祈るように手を組んだ。

 今すぐ本棚に向かって走り出したい気分だったが、貸し出しカウンターの向こうにいたトレニア先生に引き止められる。


「なんで居るんですか、イオリー・オーキッド」

「えっ、なんでって、本が読みたいから?」


 入り口の近くの図書カウンターでトレニア先生は、目を丸くしてイオリーをまじまじと見つめる。怒っているというよりは心底呆れているように見えた。

 イオリーは館内の座席を見渡した。テスト期間でもない新学期早々に図書館にくるような生徒はいないらしい。入り口の掲示板には「静かに」と書かれているが、トレニア先生と話していても、二人を注意する生徒は誰もいなかった。普段からこれほど無人なのだろうか。


「職員室では、君の話題で持ちきりでしたよ」

「あーそれ、あんまりいい噂じゃなさそうだね」

「明日にでも退学だと思ってたのですが、その首のは……なるほどアルメリアですか」

「うん。俺、今日から古代魔法を使わないって、オルフェに誓った。だから、学校も辞めない」

「――君は、おそらく頭がいい側の人間だと思いますが、ある方向から見ると、とてつもなくバカなんでしょうね」


 トレニア先生はオルフェと同じようなことをイオリーに言った。魔法の勉強に関しては誰にも負けないと自負している。知識の偏りについては自覚しているので否定するつもりもなかった。

 トレニア先生は、ため息をつくと、図書カウンターの上にあるコードに手で触れた。それは入学式の日にイオリーのボストンバッグを寮の部屋へ送ったのと同じ転移魔法だった。

 瞬きをするほどの時間で、三冊の本がトレニア先生の手の上に現れる。

 欲しい本が瞬時に手元に届くのは便利そうに見えたが、イオリーは自分で書棚を歩きながら探す方が好きなので、あまりその魔法を使いたいと感じなかった。


「君が、今、読むべき本は、これですよ」


 イオリーの前に並べられたのは、近代魔法史学の本が二冊と、リサーヌ国、王宮の成り立ちの本だった。


「一番興味がない、分野ですね」

「君が、学校で上手くやっていくのに、必要な本ですがね」

「先生が、まとめて中身を教えてよ」


 トレニア先生の目は甘えるなって言ってたけど、司書としての仕事はしてくれるらしい。トレニアは目次を開いた後、ページをめくってくれた。彼は、とてもいい先生だと思う。


「まず、君が、学校に残るためにアルメリアに付けてもらった、首の痕ですが」


 そう言ってトレニアは開いたページをイオリーに向けて置く。そこにはイオリーと同じ誓約の魔法の痕が描かれていた。同じページには罪人らしき男の挿絵も載っている。みすぼらしい布切れを身に纏った挿絵の男は、後ろで手を組み、騎士の前で膝をついている。オルフェに対して自分がした格好だった。


「――誓約の魔法とは名ばかりで、それは、ここリサーヌ国では、罪人に付けられる烙印。魔法騎士が拷問をするときに使うものです」

「それは、まぁ……知ってる、けど」

「では、そこから導き出されることの本質とは? 点の理解で終わり、自分に都合よく表面的な事象をなどるのは、バカな人間がすることですよ、オーキッド」


 トレニア先生のいうことは正しい。イオリーも古代魔法と近代魔法は切っても切れない関係だと思っている。そして片方の魔法だけ理解して終わるのが勿体無いと常々感じていた。だからこそ古代魔法使いでありながら、セラフェンの魔法学校で学ぶことを決めた。知識は繋がることで、よりよく発展させられる。

 だから政治や社会、魔法貴族の歴史を知ることも大事。分かっていても、イオリーはやっぱり好きじゃなかった。



「アルメリアはね、誓約の魔法を使って、君を奴隷にしたんですよ」

「奴隷って」

「明日、首の痕を見た生徒たちは、君が周囲に脅威を与えない人間だと納得はする。同時に、アルメリア家にオーキッド家が従ったのだと理解する。その痕はそういうものだ」

「でも、俺は別にそれでいいって思ってるよ。オルフェも、この誓約の魔法は、学校にいる間だけだって」


 イオリーの言葉にトレニア先生は頭を抱えた。


「誓約の魔法はね、行使者の思うままです。生かすも殺すも。君が嫌になっても自分では解けない、まぁ……方法がないわけでもないが、普通は無理ですね」

「で、でもさ、奴隷って、オルフェは、そんなこと思ってない」


 イオリーは自分に言い聞かせるように続けた。


「近代魔法使い、特に魔法貴族の心の底にある妬みの感情は、そう簡単には拭えないものです。そもそもこの国で近代魔法が生まれたのは、持たない者が持つ者への憧れを抱いたことが理由です。もちろん決して誰も口にはしませんが、歴史がそうだ、と教えてくれる」

「オルフェと俺は親友なんだ、そんな妬むとか……」


 トレニア先生の言葉を否定しながらも、イオリーは、ふと思い当たる。オルフェは昨夜――私は、時々、古代魔法使いが羨ましい。と言っていた。

 イオリーが羨ましい、と。イオリーからみれば、オルフェの方がたくさんの素晴らしい素質と才能を持っているのに。


「魔力がないと、魔法は使えない。どんな魔法大家でも、魔力を無尽蔵に生み出して自由に扱える古代魔法使いに劣等感を感じるものですよ」

「そうかなぁ」


 イオリーは頭の後ろをかいた。

 

「まぁ、アルメリアが必ずしも、そうだとは言いませんよ。だが、君は、もう少し人を疑うことを覚えた方がいい。ここは、魔法貴族の子供たちが通う、セラフェン魔法学校なのだから」

「友達を信じるのは、当たり前じゃん。トレニア先生」

「立場が違っても友達でいられるのは、子供のあいだだけですよ」

「――俺、大人のそういう冷たいの、嫌いだな」


 不貞腐れたような声を出してしまう。


「君は、大きな子供ですね。アルメリアはね、この学校を卒業したら、王宮で魔法騎士になるのですよ」

「え、魔法騎士って、オルフェ、王宮に入るってこと? なんで?」


 イオリーは、オルフェから、そんな話は聞いてなかった。


「そういうふうに家から決められています。そして、君は、それを知らなかった。長年貴族社会に馴染んできたクラスの生徒たちは当たり前のように知っていますがね。ほら、そこから窓の外を見てみなさい」


 言われて窓の外を見ると、オルフェが女生徒たちに囲まれていた。オルフェの手には魔法学の教科書があったので、おそらくクラスメイトたちに勉強を教えているのだろう。


「今、彼のそばにいるのはアルメリアと同じ高位の貴族の御令嬢たちですね。ある程度の申し分ない魔力を持っている家ですよ」

「ある程度の……魔力」

「もちろん、君の持つ魔力量に比べたら微微たるものですが。――まぁ、アルメリア家なら、無難に、あの長い銀髪の子を選ぶんじゃないですかね」

「選ぶって何を?」


 イオリーはトレニア先生の言いたいことが分からず問い返していた。


「アルメリアは卒業後、伴侶を連れて王宮に入ることになります」

「は、伴侶? けっこん……?」

「えぇ、ひらたく言えば、政略結婚ですね」

「へー……政略、結婚!?」


 トレニア先生は大きなため息をこぼす。


「やっぱり知らなかったんですか。アルメリア家が、彼女の家と繋がれば、政治上有利な基盤が手に入りますから、ご両親も当然望むでしょうし、学校の皆が知ってることです。君以外のね」


 オルフェはイオリーには見せたことのない静かな笑みを浮かべていた。仮面を貼り付けたような、美しく高貴な人間がする微笑み。

 イオリーは、もっと笑っているオルフェを見たいと思っていた。でも、今は少しも嬉しくない。


(はぁ、さすが、アルメリア様、おモテになること)


 三年後も、きっとイオリーは、研究を続けているし、卒業後は、ハンプニーの村に戻って先生にでもなろうかと考えている。

 図書館のガラス窓に映る自分の姿を凝視した。

 数年先、それほど顔も姿も変わっていないだろう。自分の細い茶色の猫っ毛をくしゃりと手で掴む。情けなく口が歪み瞳が揺れた。

 イオリーは、この感情の正体を知らない。

 自分よりも、もっと先を見据えて、大人になっているオルフェが眩しく見えた。

 胸が、ちくりと痛む。


 ――そっか、オルフェって、卒業したら……結婚するんだ。


 親友で、誰よりも、一番だと言ってくれたのに、卒業すれば、彼にとって、イオリーが一番じゃなくなる。そう、決まっている未来。

 何だか、急に寂しく感じた。

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