月夜に咲く、白と黄 1

 + + +


 長い廊下を足早に歩くたび二人分の革靴の音が響く。

 今は授業中、廊下には自分たち以外誰もいない。止血をするためなのか、イオリーの手はオルフェに強く握られたままだ。


「なぁ、オルフェ、手! 大丈夫だから、こんなところ誰かに見られたら不味(まず)いだろう」


 イオリーがその場に立ち止まっても、すぐに手を引かれてしまう。オルフェは頑なにイオリーの手を放そうとはしなかった。


「うるさい静かにしろ」


 風に吹き消されるような小さな声だったが、有無を言わせない物言いだった。


「他の教室の邪魔になる」

「ぁ、はい」


 そう言われてしまうと、こちらは大人しくするしかない。仕方なく医務室の前に到着するまでは言われた通り静かにしていたが、着くなり、すぐに口が開く。


「貴族さまが、あんな、うるさいとかさ、乱暴な言葉遣いしてもいいのかぁ?」


 イオリーの軽いからかいには溜息が返ってくると予想していたが、意外なことに振り返ったオルフェの両眉は吊り上がっていた。綺麗な顔が台無しだ。小さなことではよく怒られていたが、こんなに激しく怒っているオルフェを初めて見た気がする。


「君も同じ魔法貴族だろう!」


 オルフェの怒声が、誰もいない医務室のある旧校舎に響き渡った。周囲に誰もいなくて本当に良かった。こんな大きな声を聞いたらアルメリア様のファンが卒倒しかねない。


「そ、そう、だけど、いや同じじゃないだろう、俺の家はお前の家みたいに有名じゃ」

「いいから少し黙っていろ」


 オルフェは自身の苛立ちを抑えられないのか、さらに強くイオリーの患部を握った。


「い、いいいたいってオル!」

「黙れと言った」

「あ……はい、分かった。分かったよ。仰せのままに」


 繋がれた手が熱いのは、オルフェの手が怒りで熱くなっているからなのか、あるいは傷口が熱を持っているからなのか。本当に、顔が整っている男が怒るのは幽霊に出会うよりも恐ろしい。霊に出会ったことはないが、感覚的にはそう遠くないだろう。本当に背筋まで凍りそうだ。


 薄暗い医務室に担当の先生はいなかった。街の病院みたいな造りの部屋は天井が高く、声がよく響く。壁一面の薬棚には薬品と治療道具が所狭しと並んでいた。簡単な手術くらいはできそうだ。漂う薬草の匂いは、どこか懐かしくイオリーが長い時間を過ごした研究室を思い出す。

 オルフェはその場でイオリーの着ていたローブを剥ぎ取り、血で濡れた白いハンカチをダストボックスに投げ込んだ。その動作一つ一つに、機嫌の悪さが出ている。


「オル……ハンカチ、悪いな」

「別にいい、そこに、座っていろ」


 そう言うと、奥にあった二台のベッドの手前に押し込まれた。


「なぁオルー、そんなに怒るなよ、不可抗力だろう。俺だって、自分の正体は卒業まで隠し通すつもりだった。けど、仕方ない。勝手に体が動いたんだ」

「堪え性のない男だな」

「あぁ、その通りだけど」


 オルフェはイオリーに背を向けたまま薬棚を開ける。先生を呼んできたらいいのに、オルフェが治療してくれるのだろうか。


「オルフェに怪我して欲しくなかったんだよ。だって、顔だぞ? 火傷なんてしたら、大変だ、痛いし、程度によっては魔法を使っても痕が残るかもしれない」


 薬品棚を探すオルフェの手が止まった。


「学校で正体を隠し通すつもりだったのなら、私のことなど放っておけば良かっただろう。私は、君が教室で不名誉に罵られても何も言わなかった。――あの場で、お前は傷ついていたのに」


 イオリーは焦って、思わずベッドから立ち上がる。オルフェの中で自分はどんだけ繊細な男なんだと思った。


「いや、あんな言葉で傷ついてないって。俺がオルフェより入学試験の成績が低かったのは事実だ。遅刻して減点なのは当たり前だろ。それに俺が入学式でお前みたいに立派に挨拶できると思うか? あーあと寮督生なんて絶対無理。ああいうのは、家柄が良くて、顔が良くて、何より周囲から尊敬を集めているような人間がするべきだ」


 むしろあの場で傷ついていたのは自分じゃなくて、オルフェの方だろう。その姿を見て、友達甲斐のある男だと思ってたくらいだ。当の本人はイオリーを友達と思っていないみたいだが。


 治療道具が見つかったのか、オルフェはイオリーが立っているベッドのところまで戻ってきた。

 オルフェの手を借りなくても傷の治療くらい自分で出来る。これでも専門は魔法薬学だ。けれど、右手だったので自分で治療するのは難しそうだ。ベッドに置いた治療箱から、オルフェは包帯を取り出した。

 急に二人の間に沈黙が流れる。静かになると急に傷口に意識が向いた。痛みと出血のせいか目が霞み、左手で目を擦った。そのまま力が抜けてベッドに座り込んでしまう。

 重要な神経までは切れていないだろうが、思ったより重症だったらしい。


「喋りすぎるからだ、馬鹿が。大人しくしていろ」

「あ、まて、オルフェ、それ……紫の……魔法薬で消毒して縫うのが先じゃないか?」

「私は君と違って近代魔法を使う魔法使いだ。あり物を使うのは君より長けている」


 その包帯には治療用のコードが書かれているらしい。オルフェはその包帯をオルフェの手の上に置いた。そして杖で順番に布に触れると、たちまち包帯から手に冷たいものが流れ込んでくる。しばらくしてイオリーの血が止まったのを確認すると、新しい包帯を箱から取り出し、慣れた手つきでイオリーの手に巻いていく。

 上手いもんだな、と思った。


 傷の治療行為が全て包帯に記録されているのだろう。古代魔法のように無駄がない。過不足なく、必要な分だけ、包帯には魔力が込められている。

 オルフェはコードをその場で自分で改変し、イオリーの治療に最適な魔法に書き換えた。


「すごいな。クラスのあいつと違って、オルフェは、ちゃんと魔法が使えている。何をどう変えれば正しく動くのか分かっていないと、こうはいかない」


 ベッドに座ったまま一人感心していると、オルフェは治療道具を片付けて薬品棚の方へ行ってしまう。


「しばらく寝ていろ。君の魔力と血を私は再生できないし、傷跡も残ったままだ。……治したければ回復後に自分の魔力を使ってやればいい」

「うん、分かった」


 そう答えはしたけど、別に傷はそのままでもいい気がした。せっかくオルフェが治してくれたんだし、態々、自分の魔力を使って綺麗に治したいほど、見た目にこだわりがあるわけじゃない。オルフェくらい欠点がない美貌なら気にもするだろうが、顔でもない、たかが手だ。

 治療を終えて、そのまま教室に帰るのかと思ったら、オルフェは木の椅子を持ってきてイオリーの寝ているベッドの枕元へ座る。もしかして、お説教でもされるんだろうかと内心戦々恐々としていた。


「えっと、オルフェ、授業帰らなくていいのか」

「熱が出るかもしれない。だからここで見ておく」

「大丈夫だって、お前の治療魔法、完璧だったじゃん」

「それでも、そばにいる」


 頑固だなぁと思った。しかし、こんなに心配してくれるのに、一番の友達だとは言ってくれない。


「なぁ、学校で俺と話したくないのかと思ってたけど、こんなふうに一緒に居ていいのか?」


 これには大きなため息が返ってきた。


「分かってると思うが、私の立場は君を追い詰める。それなら最初から関わらない方が君のためだと考えた。君が、この学校に来た目的も分からなかったし」


 イオリーの怪我のせいで興奮しているのか、今日のオルフェはよく喋ってくれた。


「私は、絶対に君の目的の邪魔はしたくない。私の貴族としての矜持や立場などは君のこととは関係ない」

「俺の目的って、昨日も言ったけど学校で勉強する以外の目的なんてあるわけないだろう? 俺が村のためにここで政治活動でもすると思ってたのか?」

「いや、イオリーにそんな、面倒なことができるとは思ってないが」

「だろ? するわけがない。あぁ、でも勉強以外に、学校で友達と親交を深めるのは、もちろん大事だよな。友の存在は人生を豊かにするし」


 ベッドに寝転びながら、身振り手振りで熱弁した。しかしオルフェは暴れるイオリーをベッドに抑えつけ「そうだな」と言っただけだった。自分たちの関係が友達とは、やっぱり思ってないようだった。

 あぁ、この学校にいる間に、何がなんでも親友だとオルフェの口から言わせたい。――だが、その夢は端から叶わないかもしれない。


 自分が『ハンプニー村のオーキッド子爵の息子』だと周囲にバレてしまった。このままでは穏やかな学校生活は叶わないだろう。

 ベッドの上で高い天井を仰ぎ、クラスメイトたちの戸惑いの表情を思い出した。


(あの目は、俺のことを怖がっている目だった)


 さっきまでは、もしバレても、せいぜい今より虐めが激しくなるくらいだと楽観視していた。自分たちの村は迫害されているだけだから、と。


「傷が痛むのか?」

「いや……」


 どうやら、らしくなく眉を寄せていたらしい。オルフェは心配そうな表情を浮かべている。

 得体の知れないモノに恐怖を抱く気持ちは理解できる。まるで化け物を見るような顔をしていた。

 ハンプニーへの見方が変わってしまったのは、ここ五年くらいの間の話だろう。教師たちは古代魔法の本質を理解している。ただ子供たちは違う、大人の言葉をよく聞き、それを正しいと鵜呑みにした。

 その結果が、あれだ。


(俺の父さんは間違ってたのか)


 対立するならば、距離を置き、それぞれの道を歩めばいい。

 分かってくれる人間だけでいい。忘れられ消えてしまうのなら、古代魔法は、そういう宿命だった。ハンプニーの村の領主、イオリーの父は、そういう考えだった。欲もなく、楽観主義。居心地が悪く面倒な貴族社会から離れられて良かったとさえ言っていた。

 孤立した村でも平和にやっていけると思っていた。

 孤立したことで、逆に人々の恐怖を煽り、悪評がたつなど考えもしなかった。

 最後に中央の学会に参加したのは、オルフェと会った六年前だ。

 後ろめたいことがないのなら、居心地が悪くても、古代魔法を使う人間として、学会に参加し続けるべきだった。


 ――その存在を、に。


「イオリー大丈夫か、顔色が悪い」


 今にも泣きだしそうな顔をしていたのだろう。オルフェは小さな子供をあやすようにイオリーの頭を撫でる。


「なぁ、オルフェの言いたいこと分かったよ。俺がどういう立場か、ね。うん分かった」

「怒らないのか?」

「お前が、何かしたわけじゃないだろう。怒ったりしない。それに、大丈夫だよ、オルフェ。退学になったら、ちょっと悲しいなって思っただけ。だって、お前との楽しい学校生活が一日で終わりなんて、ショックじゃん」

「そう、か」


 そう一気に伝えたが、次に息を吸ったとき、抑えていた言葉が溢れてしまった。


「――なぁ、お前も、俺が怖いのか? せっかく会えたのに、俺のこと友達って言ってくれないもんな」


 こんなことオルフェに言うつもりはなかったのに、口が勝手に恨み言を言ってしまう。


「イオリー、私は君を怖いと思っていない。昨日言っただろう、私は君が大切だと」

「なんだよ。じゃあ、俺のこと、ちゃんと友達だと思ってるの?」


 このままだと泣きそうだったから、甘えたな声で、オルフェにねだるように言ってしまう。怒られるかなと思ったが、オルフェは表情を変えなかった。


「……友達よりもっと、大事、特別だと思っている」

「え」


 そう言って頬に触れられ、涙が一気に引っ込んでしまう。こんなに自分は物分かりのいい、お調子者の男だっただろうか。


「お前が一番大切だ、イオリー」


 そう言ったオルフェに、そっと顔を寄せられて、額に口付けられた。それは、なんだか傷心のイオリーを慰めるようなキスだった。


「え、本当に、クラスメイトの誰よりも?」


 オルフェの艶やかな黒髪が頬を流れ、薄いピンクの唇が緩やかな弧を描いた。嘘偽りない澄んだ海の色の瞳に見つめられる。


「あぁ、そうだ」

「そ……そっか」


 自分の額の近くから離れていったオルフェの表情を見ると、なんだか不敵に笑っている。そんなに自分との友達宣言は勇気がいることだったのだろうか。


「つまり、俺とお前は親友ってことだな」

「は?」

「だって、友達より上なんだろ」


 オルフェの口から友達よりも大切だと言われて、飛び上がるくらいに嬉しかった。これから先の学校生活を思うと気が重いのに、その言葉だけで心の暗闇を全て消し飛ばせる。オルフェが友達でいてくれるなら、クラスメイト全員に嫌われたって、自分のことをどんなに周囲に誤解されたっていい。

 もしかして、自分の両親もそんな気持ちだったのだろうか。家族のように大切な村の人たちだけが理解してくれていたらそれでいい、と。

 ベッドから起き上がり、膝を抱えて一人でにこにこしていたら、なぜか隣に座っているオルフェは呆れた顔をしていた。


「君は、馬鹿なのかな?」

「え? 友達って言葉に照れてるのか? オルフェも可愛いところあるじゃん」

「違う」

「照れなくていいのに。俺とお前は親友なんだろう。クラスメイトに嫌われてもどうでもいいけど、俺、お前に嫌われたら生きていけないよ。俺もお前が一番大切だよ、オルフェ、ありがとうな」


「……そう」


 何か怒っていたようだが、イオリーの「一番大切」って言葉には、どうやら満足したようだった。

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