綿毛の行方 〜日向山〜

早里 懐

第1話

冷え込みの厳しい朝だった。


私は酸素を全身に取り込み、白い息とともに二酸化炭素を吐き出すという規則的な作業を繰り返しながら、いつものジョギングコースを走っていた。



気温というのは肌で感じるものだが、不思議と視覚からも伝わってくる。


春は色とりどりの花が咲き乱れ華やかな世界を演出し暖かさを感じる。


夏になるにつれ真っ青な空を背景に新緑が自己を主張し暑さを感じる。


秋になると青を蚊帳の外にした三原色が輝き出し涼しさを感じる。


そんな色とりどりの世界も冬を迎えるとモノトーンに限りなく近くなり寒さを感じる。



気付くと道端に綿毛が咲いていた。


この時期だ。

アザミの綿毛だろう。



綿毛というのは輪郭がほぼ正確な球体を形取っている。


自然界の中に存在する理想的な真球に限りなく近い球体の一つである。


しかし、その道端に咲いていた綿毛はいびつな形をしていた。


何故ならば、いくつかの冠毛がすでに飛び立っていたからだ。








後日、私は妻と長男と3人で神奈川県を訪れた。


この地を訪れるのは今年に入って3回目だ。


無事に長男が大学に合格したため、来年の春から長男が一人暮らしを始める。


よって、今回は長男が住む家を決めるためにやってきたのだ。



18年間一緒に過ごしてきた息子が巣立っていく。


立派に成長した事に対する喜びと、家を出ていく寂しさが重なり、なんとも言えない感情だ。



とは言え、おめでたい事に変わりはない。


将来を見据えて勉強に専念しながらも、楽しい学生生活を送れるような家を探す事にした。



事前にインターネットで色々と物件の情報を調べた。


その結果、ある不動産会社で6つの物件を案内してもらう事になった。



私たちが住む地から神奈川は遠く離れているため何度も足を運ぶわけにはいかない。


また、早目に物件を決めないと4月に向けて良い物件がなくなっていくらしい。


よって、私たちは本日中に物件を決める事を目標にした。



しかし、立地や間取り、家賃など私たちの選定の基準に対して全て満たしている物件が見つかることはなかった。


実際に現物を見てみると、それぞれの物件に何かしら私たちが求める基準を満たさない箇所が存在しているのだ。


決定打がないため、妥協をして今日中に決めるのか、若しくは物件選びを先延ばしにするかの決断に迫られていた。


そんなことを話しながら歩いていると通り沿いに別の不動産会社を発見した。


駄目で元々との思いで、その不動産会社に入った。


案内してくれたのは、ハキハキとした爽やかな青年だった。


私たちの理想とする条件を提示したところ、少しばかり駅からは離れているが条件に見合う物件を紹介してくれた。


早速内見に向かった。


築浅で外観はとても綺麗だった。


中に入ると長男が理想としていた家に近かったようで真剣になって家の隅々まで確認していた。



「ここが良いな」

嬉しそうな顔をして長男が言った。


私と妻もその言葉に同意した。


諦めずに探し回った結果、駅からは少し離れてはいるが理想の新居を見つけることができた。



契約をした後に少しばかり駅の近くを散策する事にした。


私と妻は長男が4月から新生活を始める土地を見て回りたかったのだ。


普段は面倒くさがりな長男もこの時ばかりは快く引き受けてくれた。




歩いてみて感じたことは、ここの土地は急な坂道がとても多いということだ。



登山で言うところの急登だ。


そう。

妻にとっての天敵だ。


普段の登山で妻は急登に差し掛かると言葉を一切発しなくなる。

また、たまに言葉を発したと思うと口をついて出てくるのは自然に対する冒涜の言葉だ。


しかし、今日は長男も一緒だ。


急な坂道でも妻の表情は緩んでいる。


最近はあまり一緒に行動をしなくなった長男と一緒に歩いているのが嬉しいのだろう。


そんな2人を見ていた私は、妻と長男と3人で山に登っている感覚になった。


その時だ。


突然私の頭の中にある考えが浮かんだ。


私はある期待を持って普段使用している山登りのアプリで登山が可能な山を探す機能を使った。


すると期待通りの結果が得られた。


今歩いているのは住宅地である。

しかし、その住宅地の中に山頂を表すマークがあったのだ。


日向山だ。



私たちはその山頂に向かった。


三角点らしきものは見当たらなかったが立派な山頂だ。


"いつかは次男も含めて家族全員で山登りをしたいな"などと子供たちにとっては迷惑なことを考えつつも、長男が楽しい新生活を送れるようにその山頂で願いを込めた。



楽しい時間というのはあっという間だ。


辺りはいつの間にか陽が傾き、冷たい風が吹き始めた。



ふいに空を見上げた妻が「あれ、雪?」と言った。


よくみると風に乗って飛んでいる綿毛だった。


寒空の下でも家族で共有している空間はとても暖かく充実していた。





あの日、風の力を借りて遠くに飛び立ったアザミの綿毛は見知らぬ地で力強く成長し、自らコミュニティを形成していくのだろう。


そんな綿毛に長男の未来が重なった。


私は子供たちの更なる成長を期待して見知らぬ地のピークを踏み締め2023年の山登りを締めくくった。

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