第31話

「やっぱりこっちの方がしっくり来るなぁ」


 大荷物を抱えたままオリバーと共にシリウス邸を後にしたルークは、当然のようにオリバーの邸へとやってきた。

 そして、早速取り出した服に着替えたルークの姿は、光沢のある紫のブラウスにゆったりとした黒いパンツ。腰には赤い布を巻きつけている、ジャックの姿。


「もしかしてそれ……」

「うん。こっちが俺の私服」

「……なるほど」

「ん?」

「頼むからその姿で出歩くなよ?」

「なんで?」

「外を出歩くなら、必ず俺のギヌーフを羽織ってくれ」

「だから、なんで?」


 ルークの問いには答えず、オリバーは深いため息を吐く。

 当面の間、ルークはオリバーの邸に住む事になった。ピルスナー社の副社長としての仕事は、在宅で対応するという。

 当初、ルークの育ての父親であるキュリオス・ピルスナーとシリウス伯との間では、シリウス伯の邸で一時的にルークを預かる事で話がまとまったとのことだったが、ルークがどうしてもオリバーの邸がいいと譲らず、オリバーもそれに賛同したのだ。


(早まった、か?)


 早くも自分の判断に迷いが生じ始めたオリバーの体を、背後からルークが抱きしめる。


「ねぇ、な・ん・で?」


 耳元での囁きにゾクリと刺激が走り、オリバーは反射的にルークから逃れて距離を取る。


「お前のその格好は、俺には理解できん」

「えぇっ? ラクだし、カッコイイと思わない?」

「全く思わない」

「何その全否定……」

「だいたいお前、自分で『見るからにこんなに怪しい』って言っていたじゃないか」

「え? あ~……違う違う、あれは雰囲気の事だよ。あの時俺はわざと怪しい雰囲気を纏っていたからね」

「わざわざ纏わなくてもしっかり怪しいけどな」

「ひどっ」


 ガックリと肩を落とすルークに小さく笑うと、オリバーは棚からワイングラスを2つ取り出し、テーブルの上に置く。


「ワイン持って来たって言ってたよな?」

「うん。取っておきのやつ持って来た。はい、これ。親父の隠しワイン。バレたら俺、親父に殺されるかも」

「じゃあ、是非それを飲もう。墓参りくらいは行ってやる」

「ひどっ! 一緒に飲むなら君も同罪だろっ!」

「準備しておくから、さっさと荷物を向こうの部屋に持っていけ」

「あーい」


 不貞腐れたように、広げた荷物をまとめて部屋へと運ぶルークを見送ると、オリバーは引き出しから小さな小瓶を取り出し、ワイングラスのひとつに中の粉末を少量落とした。

 ルークがオーナーをしているクラブのVIPルームから拝借してきた、あの自白剤だ。

 そして、ルークから受け取ったワインを2つのグラスへ注ぎ、粉末の入っていない方のワイングラスを手に持つ。

 口元に近づけると、豊な香りがふわりと立ち上って来て、オリバーは誘われるように思わずグラスに口を付けていた。


「お待たせ……って! 待ってないしっ! 先に飲んでるしっ!」

「まだ飲んでは」

「飲もうとしてたよねっ!」

「うるさいな」


 ルークが手に持ったもうひとつのグラスと軽くグラスの縁を合わせて乾杯をし、立ち上る香りを再び堪能した後、オリバーはワインを口に含んだ。


「旨いな」

「でしょ?」


 ルークのグラスの中のワインも、確実に先ほど注いだ時よりも減っている。


「なぁルーク」

「ん?」

「この半年近く、王都フィアナで何をしていたんだ?」

「ん~? まぁ、色々、ね」

「色々とは?」

「う~ん……」


 言葉を濁しつつ、ルークは再びグラスの中のワインを口に含み、ゴクリと飲み込む。


「なぁ、ルーク。何を、していたんだ?」

「はぁ……」


 深いため息を吐き、ルークはグラスを持ったまま深く項垂れた。

 だが、直後に下から見上げるようにニヤリと笑ってオリバーを見る。


「やってくれたな、オリバー」

「えっ」

「また入れたでしょ。クスリ」

「……っ!」

「これじゃあフェアとは言えないよねぇ?」


 言うなりオリバーの顎先を捉えると、ルークはワインを口に含んでオリバーに口づけた。

 仄かな苦みを伴った液体が、オリバーの口の中へと流れ込む。


「じゃあ、これもついでに、使っちゃう?」


 言いながらルークがパンツのポケットから取り出したのは、透明な液体の入った小さな瓶。


「それはっ」

「ほら、これから俺たち毎晩一緒でしょ? だから、お楽しみに使おうと思って、ね」

「ちょっと待て! 俺はお前に聞きたいことがっ」

「分かってる。ちゃんと答えるから」

「だから待てって!」

「待たないよ。ほら、オリバー。口、開けて?」


 ニヤニヤと笑いながら、ルークは蓋に付いているスポイトをオリバーの口元へと近づける。

 オリバーはルークを睨みながら固くなに口を閉ざす。


「あれ? 俺に聞きたい事があるんじゃないの? そんなに口閉じてたら、何も聞けないよ?」

「……っ」

「ほんと、困った人だねぇ、君は」


 クスクスと笑うと、ルークは自分の口の中に液体を一滴垂らした。

 そして素早く、オリバーと唇を重ね合わせる。


「うっ……」


 思わず開いてしまった口の中に差し入れられる、ルークの舌。

 万遍なくオリバーの口の中をなぞると、満足したように唇は離れた。


「お、前っ」

「これでフェアだね、オリバー。いいよ? 何でも聞いて」

「くっ」


 楽しそうに耳元で囁きながら、ルークはオリバーの首からタイを外し、首元からシャツのボタンをひとつずつゆっくりと外していく。

 体の芯に生じた疼く様な熱が、徐々に体中に広がるのを感じながら、オリバーは必死で頭を回転させて言葉を吐き出す。


王都フィアナで、何を」

「ああ、そうだったね。実はアズール王と王位継承権の放棄の交渉をしていたんだ」

「王位継承権の?」

「そうだよ。王族じゃなければ、同性間の恋愛だってアズールでは自由なはずだからね」

「なんで、アクタル、に?」

「ん? 今、ってこと? だってここは王家が介入できない場所だから」

「……え? あっ」


 シャツをはだけさせたルークの手が、オリバーの褐色の肌の上を滑る。

 触れるか触れないかのその感触に、オリバーの体にゾクリと刺激が走る。

 そんなオリバーの反応を楽しみながら、オリバーはルークの耳元で囁く。


「アズール王国にはね、2か所だけ、王家が介入できない場所があるんだよ。そのひとつがここ、アクタル辺境地。そしてもうひとつは、王都フィアナの盛り場。ラオホ家とピルスナー家は、王家とは色々な歴史があるみたいでね。知らなかった?」

「そんなこと、王立学院ソラリスでは」

「教える訳ないでしょ、王家直轄の王立学院ソラリスが」


 ルークにはまだ聞きたい事がたくさんあった。だが、オリバーはもう、身も心もたったひとつの欲に支配されていた。


「ねぇオリバー。もし俺が」

「なん、だ?」

「いや」


 ルークの手が、汗で額に張り付いたオリバーの前髪を優しくかきあげる。


「ねぇ、オリバー。どうして欲しい?」


 飴色の瞳が、オリバーの両の瞳を捉える。その瞳は何故だか不安で揺れているように見えた。まるで、「俺のこと本当に好き?」と縋っているかのように。

 胸が締め付けられるようだった。それは、オリバーが初めて感じた感覚。

 オリバーは腕を伸ばしてルークの頭を抱きしめ、言った。


「俺は、お前が、堪らなく愛おしい」


 ルークに飲まされた自白剤のせいだと言い訳をすれば、想いは言葉となって自然と口から零れていた。


「この先もずっと、お前と」


 共に居たい、の言葉がルークのキスに飲み込まれる。


「続きはクスリ無しの時に、聞かせて。ね?」


 ルークの唇が、舌が、指が、オリバーの肌の上をなぞるように動き回る。


「明日も明後日も、その次もその次も、時間はたっぷりあるんだから」


(やっぱり、こいつはシリウス様に預かっていただいた方が良かったかもしれないな……)


 ルークの甘い囁きが、オリバーの思考を停止させる。

 オリバーは、ルークの与える心地の良い熱に、全てを預けて目を閉じた。


【第一部・完】

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