第7話

(確かこのあたりだったよな)


 王都フィアナに着いたオリバーが向かったのは、盛り場。

 活気のある通りの一角。

 そこだけなぜか、他の店のように煌びやかなネオンがあるわけでもなくひっそりと目立たたず呼び込みの店員の姿も無い、まるで「このまま通り過ぎてください」とでも言っているかのような店。


(ここ、か?)


 辿り着いた扉の前で立ち止まったオリバーに、突然声がかけられた。


「あ、あんた」

「……あっ」


 声の主は、クラブでオリバーをナンパしてきたあの男、ダン。

 短めの茶色の髪は相変わらず中央に向かって立ち上げられていて、左耳のピアスは光を跳ね返して輝いている。

 思わず身構えるオリバーだったが、


「いくら俺でも、ジャックさんの連れに手は出さねぇよ。安心しな」


 ダンは両手を上げて手出しをしないという意思表示をしながら苦笑を漏らした。


「これでも俺、ジャックさんには感謝してるし、尊敬してるからな」

「感謝?」

「あぁ。あの人がいてくれるから、俺たちも胸張って、自分の好きな人を好きだって言えるんだ。それが同性であっても」


 ダンの言葉に、オリバーは首を傾げる。


王都フィアナでは同性間の恋愛も受け入れられているんじゃ」

「建前はな」

「え?」

「俺はジャックさんと会うまではずっと、人の目を気にして生きてきた。好きな人がいたって、好きだっていう事さえできなかった。自分に嘘を吐いて、好きでもない人を好きだって言ってた事もあったよ。だけど、人の目なんて気にするなって、好きな人を好きだと言って何が悪いんだって、ジャックさんは言ってくれたんだ。ジャックさんは、俺を解放してくれた。俺だけじゃない、ここに集まるみんなを解放してくれた。だから、ここに来る奴らはみんなジャックさんに感謝しているし尊敬してるんだ」

「へぇ……」

「あんたも同じじゃないのか?」

「えっ?」


(別に俺は……)


 言葉に詰まるオリバーをどう解釈したのか、小さく笑ってダンは軽く肩を竦める。


「で? 今日はジャックさんは?」

「何故俺に聞く?」

「だって、あんたジャックさんのコレだろ?」


 小指を立て、ニヤニヤと笑うダンにオリバーは一瞬顔を顰めたが、思い直して笑顔を貼り付ける。


「まぁな。だが別に四六時中一緒、って訳ではない」

「ふぅん……案外冷たいんだな。もしかしてそこがまた堪らない、ってやつか?」


 一瞬下卑た笑いを見せたが、ダンはすぐに真顔になって言った。


「まぁいいや。ジャックさんもやっと……」

「ん? なんだ?」

「いや、こっちの話だ。でも、たまには店にも顔出すように言っておいてくれよ。じゃあな」


 言うだけ言うと、ダンはさっさとクラブへと続く扉の中へ入って行く。


(どういう事だ? あいつ、しばらくここには来ていないってことか?)


 訳が分からず立ちすくむオリバーに、再び声がかけられた。


「へぇ、君が自ら認めるなんてねぇ? 俺のもの、だって」


 振り返ると、ジャックがそこに立っていた。

 身に付けているのはやはり、光沢のある紫のブラウスにゆったりとした黒いパンツ。腰には巻き付いているのは、シアー素材の透け感のある赤い布。

 肩下まである薄茶色の髪が、微かな風に揺られてフワフワと動いている。そして、顔には濃い紫のサングラス。


「……っ! お前っ、いつからそこにっ」

「結構前から、だけど。 気づかなかった?」

「いるなら声くらい掛けろ! あいつ、お前の話してただろっ!」

「そうだったっけ?」


 オリバーの言葉を軽く受け流し、ジャックはニヤリと笑う。


「ところで。またここに来たってことは、ソノ気になったって思っていいのかな?」

「バカを言うな。俺はただ」

「それとも」


 サングラスを外しながらゆっくりと歩み寄り、ジャックはオリバーを壁際まで追いつめ、目の前で止まる。


「俺のキスが恋しくなって、俺に逢いに来た……とか?」


 そして、オリバーの顎先に指を掛けて顔を持ち上げ、双眸を覗き込む。


「もしかして。あの時のキスで、一発で俺に惚れちゃってたりして?」


 ドクンとオリバーの胸が大きく打つ。


 馬鹿を言うな。


 その言葉はキスで遮られた。

 唇を押し当てられるだけの、軽いキス。

 抵抗しようと思えば、オリバーの力を持ってしてならば、簡単に抵抗できたはずだった。

 実際、オリバーは、形の上では抵抗をしたつもりだった。

 だが、ジャックの唇が離れた瞬間に感じたのは、安堵よりも物足りなさだった。


「ふふっ……まだし足りないって顔、してるよ?」

「なっ……!」


 内心を言い当てられ、オリバーの頬がカッと熱を持つ。


「まぁ、こんなキス程度で満足できるなら、いつでもしてあげるけどね。俺も君の唇の感触、割と気に入ってるし」


 唾液で濡れた唇を片手で拭いながら、ジャックはオリバーに笑いかける。


「でもね。キス以上を求めていないんだったら、もうここへは来るな。俺だって、いつまでもキスだけで終わらせてあげられるとは限らないからね? それにもう、今じゃわざわざこんな所にまで来て貰わなくたって、定期的に会えるようになったんだから……ね?」

「……定期的に?」

「じゃ、気を付けてアクタルに帰るんだよ……オリバー様」

「……っ!!」


 ウィンクを飛ばし、ジャックもまた扉の中へと姿を消した。

 取り残されたオリバーは、1人、扉の前に立ちすくむ。


(あいつ……)


 ジャックという男に底知れぬ恐ろしさを感じ、オリバーは思わず我が身を抱きしめたのだった。

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