第二章 再会
第5話
オリバーの1日は忙しい。
朝起きるとすぐに身支度を整える。
執務時の制服である、白いワイシャツに黒のスラックスを身に付け、首元には細身の黒のタイを締める。
本来使用人を束ねる立場である者は、更に黒のベストを身に付けている。オリバーの父親もベストを着用していた
だが、オリバーはまだ自分の能力はその地位にまで届いていないと、ベストの着用を固辞しているため、白いワイシャツのままだ。
軽めの朝食を取り、剣とギヌーフを手に持ってシリウス邸へと向かう。
シリウス邸は歩いてすぐの場所。ギヌーフを羽織るまでもない距離だが、執務での外出もあるため、ギヌーフは必ず持って行く。剣は、屋内での執務中は邪魔になるだけなので、こちらも手持ちでシリウス邸へと向かう。身に付けているのは、短剣のみ。
朝一で、前夜に確認をしておいた当日のスケジュールをシリウス伯に伝え、シリウス伯が朝食を終えると身支度を整える手伝いをし、国境警備へと出かけるシリウス伯のお供として共に出かける。この際、ギヌーフと剣を身に付けることは言うまでもないことだ。
今、アズール王国は周辺国との関係も良好で、国境を脅かすような争いごとが起きる心配は無いのだが、国境警備は辺境伯としての大切な任務。
と共に、隣国との友好を深める重要な役割も果たしている。とはシリウス伯の言い訳とも言える口癖のようなもので――
「やぁやぁ、シン殿!」
白いギヌーフに身を包み、颯爽と馬にまたがるシン・シドラ閣下の勇ましい姿は、できれば一生剣を合わせたくはないと思ってしまうほどの迫力がある。
だが、そのシン閣下を見つけると、シリウス伯は嬉しそうに目尻に皺を刻んで破顔し、馬を走らせて近づいていく。そんなシリウス伯にはお手上げと、同行しているシリウス伯の右腕であるイプシロン卿はその場で馬を止めたまま。オリバーだけが慌てて、馬を急がせて追いかける。
アクタル辺境地と国境を接しているのは、ソシアナ辺境地。アズール王国の隣国、ソルイマール王国の辺境地だ。
そして現在そのソシアナ辺境地を統治しているのが、シン・シドラ閣下。ソシアナ辺境地は、代々シドラ家により統治されている。
ソシアナ辺境地では、ギヌーフの色は白が一般的だ。それは、シドラ家の色が白だからだろう。
アクタル辺境地の人々がラオホ家の色である黒のギヌーフを身に付けるのと同じ理由で、ソシアナ辺境地の人々は皆、白のギヌーフを身に付けているのだ。
「おぉ、これはシリウス殿」
出迎えるシン閣下も、白いギヌーフのフードの下からのぞく顔は破顔している。
褐色の肌に短く刈り上げたウェーブがかった黒髪。口元の髭や濃い茶色の鋭い眼光から威厳は感じられるものの、破顔してしまえばただの優しい壮年男性。
そしてそれは、シリウス伯も同じこと。
褐色の肌に肩まで伸びた黒髪を後ろでひとつに結わえ、普段であれば濃い茶色の瞳で眼光鋭くあたりに気を配っているが、破顔してしまえばこちらもただの優しい壮年男性。
そこがまた、それぞれの統治する人々を惹き付けて止まない魅力のひとつでもあるのだろう。
「本日は我が王都フィアナで今一番人気の酒をお持ちしましたぞ」
「それは好都合! こちらは我が王都ラナンで人気の魚の干物をお持ちしましたぞ」
「なんと!」
(またか……)
溜息を吐きながらも、顔に笑顔を貼り付けて、オリバーは即席の酒宴の準備を粛々と進める。
共に準備を進めるのは、やはり嘘の笑顔を顔に貼り付けた、シン閣下の付き人。
「いつも我が主人が申し訳ございません」
「いえ、こちらこそ」
「まぁ、でもこれはこれで、両国が友好関係にないと見られない光景ということで」
「そうですね」
ガハハワハハと豪快に酒を酌み交わす辺境地の統治者の2人を生温かい目で見守る事小一時間ほど。
「そろそろ、終いにいたしますか」
「はい、そういたしましょう」
シン閣下の付き人とそう言葉を交わすと、オリバーは粛々と酒宴の片付けに入る。
「これ、オリバー! 何をす」
「シリアス様。ご予定は朝申し上げたはずです。本日はピルスナー社の社長キュリオス様がお見えになるとお伝えしたはずですが」
抗議の声を上げる主人をピシャリと制すオリバーを見て、シン閣下が豪快に笑う。
「シリウス殿。よい付き人をお持ちですなぁ」
「まことに。年の割に厳しい奴でして」
「我が娘の婿殿に迎えたいくらいですな」
「それは困りますなぁ、シン殿。私の優秀な付き人を奪わないでいただきたい」
(おじさん2人に取り合いされても、俺は嬉しくないぞ)
笑顔を貼り付けたまま、オリバーはシン閣下へ恭しく頭を下げる。
「それではこれにて失礼仕ります。さぁ、シリウス様、参りますよ」
「わかったわかった。ではシン殿。宴の続きは改めて」
「お待ちしておりますぞ、シリウス殿!」
(ていうか、いいのか飲酒とか。一応これ、国境警備の任務の途中だぞ……)
待機していたイプシロン卿と合流し、シリウス邸に戻る。本日の国境警備の任務はこれにて終了。
オリバーは急いで邸の使用人たちに指示を出す。
ラオホ家の使用人はそう多くはなく、オリバーを入れても4人だけだ。
ミズリーはオリバーの父よりも古くからいる使用人で、主に料理、洗濯などを担当している。本人曰く年齢非公表とのことだが、オリバーにとっては祖母のような存在。
カムチャはオリバーより少し年上の使用人で、掃除や日用品、食料品の補充などを主に担当している。王立学院へは行かず、少年の頃よりラオホ家の使用人として働いているため、使用人歴はオリバーよりもずっと長く、オリバーにとっては兄のように頼りになる存在だ。
フラットはオリバーの父と仲の良かった使用人で、主に執事補佐を担当している。オリバーの父が健在の頃はオリバーの父の補佐を、今ではオリバーにラオホ家執事としての色々な事を叩きこんでくれる、オリバーにとっては父替わりのような人だ。
「あっはっはっは! なんだ砂まみれだなオリバー! 砂遊びでもしてたのか?」
「客間の準備はしておくから、お前はさっさとシャワーを浴びてこい」
「シリウス様の御支度は、私がやっておくから。さ、早く」
カムチャに笑われ、フラットとミズリーに急かされて、オリバーは急ぎ邸へと戻った。
国境沿いは風も強く砂埃も舞っている。黒いギヌーフが灰色に見えるくらいに、オリバーは体中が砂まみれになっている。
「あんな砂の中で酒宴など、本当にありえない……」
ギヌーフを脱ぐと、オリバーは庭先で何度も大きく砂を払う。ようやく大方の砂が落ちてギヌーフの色が黒くなったところで壁のフックに戻し、軽くシャワーを浴びて身支度を整えると、オリバーは再びシリウス邸へと向かった。
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