第3話

 自分には用の無い店だと店を出ようとしたオリバーは、ふと視線を感じ振り返った。

 本能的に肌の上を走る寒気に、思わず一歩後ずさりながら軽く身構える。


「よぅ、見ない顔だな。人待ちか? それともパートナー探しか? 何なら俺が相手するぜ?」

「いや、俺は……」


 声を掛けて来たのは、背はオリバーと同じくらいの体格のいい男。短めの茶色の髪は、中央に向かって立ち上げられていて、左耳には小さいながらも強い輝きを放つピアスが付けられている。おそらくクリスタルのピアスだろう。

 とっさに辺りに視線を巡らせるが、背後は壁。左右は人混み。

 アクタル辺境地では自衛や護衛のために常に帯剣しているが、外部から王都に入った者の王都での帯剣はご法度。王都に入った際、オリバーの剣は王都の入出管理局に預けてしまっている。

 剣が無くともそれなりの体術は身に付けてはいるが、相手は丸腰で攻撃態勢を取っている訳ではないため、不用意に手を出すこともできない。


(参ったな……)


「遠慮するなよ、ここ初めてなんだろ? 俺がゆっくり案内してやるからさ」


 男の微笑みには下心は感じられるものの、悪意は感じられない。むしろ、感じられるのは好意だ。

 無下に振り払うことも出来ずに表情を強ばらせるオリバーの肩が、その時軽くポンと叩かれた。


「ごめん、待たせたね」

「あっ」


 瞬間的に小さな声を上げ、男はオリバーに向けて差し伸べた手をさっと引いた。


「なんだ、あんたジャックさんの」


(ジャック?)


 振り返ったオリバーのすぐ側に立っていた、ジャックと呼ばれた男。

 身に付けているのは、光沢のある紫のブラウスにゆったりとした黒いパンツ。腰にはベルトの代わりだろうか、シアー素材の透け感のある赤い布を巻きつけている。

 紫色のサングラスを掛けたその男の髪は、光の加減によっては金色にも見える薄茶色。肩下まで伸びた髪は、天然なのかパーマでも掛けているのか、緩いウェーブが掛かっていて、男の色白の輪郭を柔らかく包み込んでいる。

 すぐには理解のできないその出で立ちに、オリバーは一瞬ポカンと男を見つめてしまったのだったが、割に整った顔立ちのその男は口元に優しげな微笑みを浮かべると、男とオリバーの間に体を割り込ませてきた。


「悪いな、ダン。これは俺の連れなんだ。だから、手は出してくれるなよ? なぁ、エース?」


 サングラスを片手で外しがてら、ジャックと呼ばれた男はオリバーに向けてウィンクを飛ばす。


(エース? ……あぁ、助け船、か?)


 サングラスの下から現れた飴色の瞳に、オリバーは小さく頷いた。


「あ、あぁ、そうだ」


 ホッとしたのも束の間、ダンと呼ばれた男は訝しげな視線をオリバーへと投げかける。


「ジャックさんを疑う訳じゃないですけど、俺には彼はノン気に見えますけど? ほんとにジャックさんのお連れさんなんですかい?」


(……案外鋭いもんだな)


 背を伝い降りる冷や汗を感じ、オリバーは傍らに立つ怪しい出で立ちの男を見たが、オリバーとは対照的に、ジャックは余裕の笑みさえ浮かべている。


「それはそうだろうね。エースはついこの間までノン気だったんだから。つまり、俺が初めての“男”ってこと。な~?」

「あぁ。そういうことだ」


(……不本意だが、今は合わせるしかあるまい)


「へぇ……」


 尚も疑わしげな視線を向けるダンに、ジャックは苦笑を浮かべて口を開いた。


「あれ、まだ信じられないのかな? まぁ無理も無いか。こんなイイ男滅多にいないからね。しょうがない、特別に証拠を見せてあげるよ。……ほんとはエースは、人前での行為は好まないんだけど……今回だけは許して、ね?」


 最後の一言をオリバーに向けて言うと、オリバーが疑問に思う間もなく、ジャックは素早くオリバーの後頭部に手を回し、強く引き寄せた。

 息が掛かるほどの距離で、ジャックはオリバーの瞳を覗き込みながら小さな笑いを漏らす。


「きれいな瞳だね……真っ黒で」


(なっ……)


 直後に触れあったのは、お互いの唇。

 情熱的。

 と表現してもまだ足りない程に、ジャックのキスは深く熱く、オリバーは軽い目眩さえ感じて強く目を閉じた。

 と同時に、唐突に唇が離れ、体が解放される。


「やれやれ、やっと諦めたか」


 気づけば、先ほどの男、ダンの姿はもうどこにもない。


(いつの間に……)


「君、本当にノン気なんでしょ? ダメだよ? 君みたいなイイ男がこんな店に迷い混んだら。俺だって、いつでも助けてあげられるとは限らないからね」


 傍らを見れば、ジャックは何事も無かったような涼しい顔を見せている。


「あ、あぁ。すまない」

「ま、俺は『役得』だったけど、ね」


 ニヤリと笑い、ジャックは言った。


「まだ時間はあるよね? ちょっと付き合ってくれないかな?」


 本能的に、嫌悪感が顔に出ていたのだろう。

 オリバーの顔を見たジャックが小さく吹き出す。


「安心していいよ。ノン気の男を無理矢理モノにする趣味は俺にはないから。ほら、このまま帰したら、また彼に怪しまれるかもしれないよ? だから、ね?」


 言葉は柔らかいが、有無を言わせぬ雰囲気をジャックに感じ、オリバーは小さく頷く。それに、言っている事ももっともに感じられた。

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