第15話 仁・白兵戦②



「止まれ」


 廊下を駆け抜けていると、不意に桐島が叫んだ。普段の訓練でしごかれていた仁は、頭で考えるより反射で止まる。すると突然、廊下の天井にある電灯がすべて砕けた。雨のように破片が床に突き刺さる。止まっていなければ今頃、血みどろだろう。


「なんで気づいたんですか」


 思わず尋ねると、桐島は「音だ」と言った。


「天井から、ガラスが軋むような音がした」


 いったい、どんな耳をしているんだろう。モスキート音さえそろそろ怪しい年齢だと思うのに。仁は失礼なことを考えながら、それでも桐島の獣のような勘の良さに舌を巻いた。桐島が険しい表情でぼやく。


「連中、リミッターが外れてやがる」

「リミッター?」

「本来、念力PK能力者は触れてるものにしか力を与えられない」


 仁は、破片の散らばった誰もいない薄暗い廊下を眺めた。


「……触れるどころか、姿すら見えませんけど」

「だから異常事態なんだ。隠れて遠距離から念力を当てるなんて、普通はできない。人間は体が壊れないように二、三割しか稼働しないよう脳が制御をかけているが、伊原春花の洗脳下にあるせいでそのリミッターが外れているんだ。……宍倉。話しかけてみろ」

「え、誰に……ですか」

「そこに隠れてる奴でも、伊原春花にでも構わん。お前が来たことが彼女に伝われば、おとなしくなるかもしれない。物は試しだ」


 物は試し……。確かに、それで死ぬような目に遭わなくて済むなら、安い話だった。仁は唇を舌で湿らせ、敵がいるだろう方向に向かって声を上げる。


「…っ…勇、俺だ。仁だ! もうこんな真似はやめ」


 言い終わらないうちに、床にベキベキとヒビが入った。仁は桐島と共に、慌ててその場から飛び退く。さっきまで立っていた床が、まるでハサミでくりぬいたように円形に抜けた。下の階にドオンと音を立てて落ち、塵埃が舞い上がる。


「話が通じないという報告は、正しいみたいだな」


 桐島は、落ち着いた様子で言った。物は試しと言いつつ、うまくいくなんて微塵も思っていなかった顔だ。

 床の電灯の破片がふわりと浮き上がる。まさか、と思えばそれは、勢いよくこちら目がけて飛んできた。逃げる余裕なんてなかった。仁は咄嗟に、波動を前方に向かって放つ。ほとんどの破片は床に落ちたが、いくつかは網の目を抜けるように仁の頬や脛を掠った。


「まだまだだな」


 桐島が嘲るように言う。悔しかったが、言い返せなかった。


「ま、別に姿が見えなくとも関係ない」


 桐島が広範囲に波動を撃った。柱の隅で「う…」と小さく呻く声がして、眼鏡をかけた男子生徒が廊下に倒れる。また強引に洗脳を解いたらしい。

 仁は頬から垂れる血を拭いながら言った。


「……それを最初からやっておけば、簡単だったんじゃ」

「自分の無能さを把握しておいたほうが、明日から訓練に身が入るだろう。……来い。この先に強いエネルギー反応がある」

「だけど、勇がいるのはそっちじゃない」

「なぜ言い切れる」

「勘です」


 きっぱりと言い放った仁に、桐島は怪訝そうな顔をした。


「……確認は必要だ。来い」


 桐島に続いて、仁は奥まで走った。『生徒会室』の表札が見える。お互いに壁に貼り付き、警戒しながらドアを開ける。しかし、そこには倒れた知らない女子生徒がいるだけだった。


「伊原春花……じゃないな」


 写真と違うと思ったのか、桐島が小さくため息をつく。周囲を見回すが、他には誰もいない。


「で、お前の勘ではどこなんだ」

「……たぶん、下の階」

「下?」


 仁は学園マップを取り出した。この下には、教室が並んでいる。だとしたら……。


「教室の……自分の席にいるんじゃないかと」

「そんな場所なら、先遣部隊が真っ先に確認しているはずだがな……」


 桐島は「少し待て」と呟いて、無線を口元に当てた。何事か話した後で「何?」と声を荒げた。


「誰も確認してないのか」

『そこには、濃いエネルギー反応は見られませんでしたので……』

「だからといって、そこに誰もいないという理由にはならん。伊原春花の生命エネルギーは学園全体を包みこむほど放出されている。本人自身の生命エネルギー反応が、微弱になっていても不思議じゃない。――いや、もういい。こっちで確認する」


 桐島は苛立ったように通信を切った。懐から小型のタブレットを取り出し、ディスプレイを開いてマップを確認している。仁は狼狽えた。


「それって、反応が確認できないほど……あいつが弱ってるってことですか?」

「これだけ力を使っているんだ。衰弱していて当然だろう」

「死んだりしないですよね」

「限界を超えて全力疾走し続けたら、いずれそいつは死ぬだろう。それと同じだ。……一階の北から二番目の教室だな。行くぞ」


 何が起こっているのか、どうしてこうなったのか。全然わからないけど、勇が死ぬかもしれないなんて――そんな馬鹿なことがあってたまるか。

 あいつがいない世界なんて、意味ないのに。

 仁は桐島と共に廊下を引き返して、階段を一階まで降りていく。そして、廊下に降り立った瞬間だった。

 一瞬、熱気を感じた。


「伏せろ!」

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