奇獣流転譚シリーズの世界がさらによく分かる(かもしれない)日本史豆知識

里内和也

第1話 「だて」? 「いだて」?

 戦国時代の公家衆くげしゅう山科やましな言継ときつぐについて興味を引かれ、文献ぶんけんを読んでいた時のこと。

 時代背景もふくめて幅広はばひろく取り上げられている中に、戦国武将・伊達氏だてしの項目があり、その一節に、

慶長頃けいちょうごろまでも『いだて』と呼んでゐたが、いつしか『だて』とふやうになつた」

 と、さらりと記述されておりました。


 私は思わず、

「………………………………………………………………………………………………」

 と、はとが豆鉄砲を食ったようにぽかんとし、その箇所かしょを読みなおしましたが、どう読んでも「伊達だて政宗まさむねで有名な伊達氏は、元々は『だて』ではなく『いだて』と呼ばれていた」という意味です。

 伊達政宗はドラマなどでもよく取り上げられますが、これは聞いたことのない話でした。


 書かれていた文献が、奥野高広氏の「言継ときつぐ卿記きょうき―転換期の貴族生活―」という、1947年に出版された古い物だったこともあり、私は最初、「本当かな?」と半信半疑で受け止めました。

 単なる俗説だったらすぐに分かるだろうと思い、調べてみたところ――。

 結論から言ってしまえば、本当でした。


 伊達という名字は、領地だった伊達郡に由来するものです。この地名自体が漢字の表記の通りに「いだてぐん」と呼称されていたので、当然ながら名字のほうも「いだて」でした。

 政宗は慶長けいちょう遣欧けんおう使節しせつをローマへ派遣はけんしていますが、その時のローマ教皇きょうこうての書簡にも名前が「Idate Masamune」と表記されているので、これはもはや動かしがたい事実です。

 最上もがみ義光よしあきが政宗の母親に宛てた書簡でも「いだて」と書かれています。こういった事例からして、伊達氏以外の人間からも「いだて」と呼ばれることがそれなりにあったのも確実です。

 現在の福島県の伊達市などは当然ながら読みは「だてし」ですが、宮城県にある伊達神社は今も「いだてじんじゃ」という読みのままです。元々の読み方すべてが変化したわけではなく、こういったところに名残なごりを留めてます。


 では、なぜ読み方が変わったのかと言えば、何とも単純で「発音しやすいから」でした。

 いつの頃からか、この「いだて」をより発音しやすく「だて」と呼ぶ人が現れたのです。政宗の時代にはすでに「いだて」と「だて」が混在していました。

 それがやがて、完全に「だて」に統一され(「いだて」が駆逐くちくされたと見ることも出来ますが)、現代にいたってます。


 このように、言葉が自然と発音しやすいほうに変化する事例は、他にも様々さまざまなところで見受けられます。

 名詞の事例を一つあげると、果物のみかんは、元々は「蜜柑」という漢字の表記の通り「みっかん」と発音されていました。史料上で仮名かなで表記される場合は「みつかん」です。

 それがいつしか、促音そくおんの「っ」が抜け落ち、今では誰もが「みかん」と呼んでいます。漢字の表記とずれがあることに疑問を抱く人は、あまり見かけません。


 しかし、物の名前ならまだしも、人名をこんな風にちぢめて呼んでしまう感覚は、やはり現代のそれとは異なっているように思われます。あだ名とはまた違っていたはずですが、当時の伊達氏は気にしていなかったのか……疑問はきません。




参照 コトバンク(https://kotobank.jp/)

   「伊達政宗グラフティー」白井孝昌

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