救済者は誰?
みにぱぷる
1:被害者
六月十六日
「真実は我々と共に!」
真っ黄色の線香が飛び散り、フランマが必殺爆発の弓をラストゴーストに当てる。ラストゴーストの急所に攻撃が当たりラストゴーストは気絶状態になる。
この好機を逃さずフランマは炎の矢を連射。そして、今度はグラスが
「氷の白馬は誰にも止められない!」
と高々に叫び、馬に乗ってラストゴーストに突撃。
その後も攻撃を与え続けていると、ついにラストゴーストが目を覚ます。
ギェェェェェェェェェェェェェェェェェェェン
物凄い叫び声と共にラストゴーストが何処からか数匹の骸骨戦士を召喚する。数匹の骸骨戦士の攻撃でグラスは一気にダメージを受ける。
ここで医者・クラテの回復スキルが発動。ダメージを受けたグラスの体力が回復。
そして、再び、グラスが攻撃を打ち...。
ラストゴーストの体力が減ってきた頃、突然、ラストゴーストの姿に変化が。まるで、その内側で他なる生物を飼っていたかのように、ラストゴーストの内側から全く異なる見た目の怪物が現れたのだ。
「なんですか、あれは」
グラスが唖然して一歩後ろに下がる。
「この国で起こっている異常現象の発端だ。ラストゴーストの中に潜んでやがったとは」
フランマが溜息をつく。顔には半分諦めが見られた。
「あの、怪獣は」
「数百年前に封印されたと言われていたが、その話はどうやら偽りだったようだ」
「え?」
グラスが切羽詰まった様子でたずねる。
「あれは、グライダー。伝説の巨龍だ」
「巨龍...」
グラスはぼんやりとその姿を見つめる。言われてみれば龍にも見えるが、あれはもっと醜くおどろおどろしい...モンスターだ。
「諦めずに行くぞ!」
クラテが力強く言った。
「でも、あれじゃあ」
グラスが思わず弱音を吐いた時。
だっだっだっだ、というような音が聞こえた。三人は音の正体を探ろうと周りを見渡し、あ、と声を上げた。
「あれは...」
彼らの視界が捉えたのは軍隊だった。グライダーを取り囲むようにして軍隊が配列している。そして、その軍隊の中から一人が出てきて、三人のもとに歩み寄ってきた。
「困ったときはお互い様、だからね」
「トループ!」
トループはキザに前髪を掻き上げた。ここ、リブラ国の軍隊長、トループが助けに来たのだ。
「まさか来てくれるとは」
「そんな感動の再会みたいなセリフ吐かないで。ぼくがいなくて寂しかったんだろう? ただ、喜びのハグはまたにしてくれ。だって今から一戦交えるんだからね」
トループはそう言うと手を上に高く振り上げた。
「全員、敵はあの怪物」
そして、勢いよくその手で、グライダーを指す。
「かかれ!」
その指示と共に一斉に大砲からビームが放たれる。そして、兵隊たちが武器を片手にグライダーに襲いかかっていく。
「俺らもいくぞ」
フランマが叫ぶ。
グライダーは呆気なく倒された。フランマたちが苦労したのにも関わらずだ。トループ率いる軍隊は凄まじく強かったのだ。
「ありがとう」
フランマはそう言ってトループの元に歩み寄ろうとしたとき。トループはニコニコと笑いながらフランマの胸を撃った。フランマは胸に防具を当てていたが激しい衝撃に、その場に倒れた。
「フランマ!!!」
クラテが駆け寄る。クラテは肩に下げていたポーチから救急箱を取り出した。呆気に取られていたグラスも我に返ってフランマに駆け寄る。
「大丈夫、だ」
フランマは弱々しくそう言った。
「なぜ、こんなことを」
グラスが強い口調で言った。トループはそれを一瞥して
「誰がいつ君たちの味方になった?」
と笑った。
僕はここでゲームをセーブした。ここから、リブラ国のボス戦が始まりそうだからだ。
『MWS』のゲームタブを閉じて、ブラウザにアクセスし、「According」というコミュニケーションツールを開く。
そして、とあるサーバーにアクセスし、通話に参加する。
「また、漆原か! あいつ、やっぱうざい」
早速、西藤高貴が大声で怒鳴る。
「うるさい」
僕が咎める。
「それなぁ!」
と参戦したのは志茂郷。
「漆原みたいな人間のことを気にするのは時間の無駄だが。でも俺も嫌いだ」
西藤側に森木久が参戦する。
「戦争だー」
志茂が勢いよく(うるさいなどと言っている割に大声で)言ったが
「いや、戦争は起こらない。僕も漆原嫌いだから」
僕がそう説明した。志茂が溜息をついて、
「まあ俺もだけど」
と結局戦争は起こらない。
ここは『サンシャイン同盟』というチャットサーバーである。このチャットサーバーではチャットの会話だけでなく、通話機能もあるため、通話での会話も可能である。また、このチャットサーバーには招待された人物しか入ることができないため、情報が外部に漏れたり、赤の他人がサーバーに入ってきたり、とトラブルの原因になるようなことはない。
『サンシャイン同盟』というサーバー名通り、このサーバーにいる人は皆、いじめられている。そして、全員、同じ三丙高校に通っている高校一年生である。このサーバーの目的はいじめられたもの同士で、情報を共有し、愚痴を言ってストレスを解消することだ。ちなみにこのサーバーの創設者は西藤高貴。ここでは今のように、いじめっ子の愚痴や教員の愚痴などなどで会話が展開される。
「漆原ってうざくね?」
西藤が言う。
「お前は漆原にいじめられてないだろ」
志茂がそう言うと、西藤が
「自分がいじめられてるかとか関係ない! うざいうざくないかは第三者でもわかる」
と言い返す。
「それな」
と叫ぶのはいじめられている張本人、森木。イヤホンをつけて通話に参加している僕は顔を顰める。
「お前はいじめられてるだろ」
志茂が言うとと、森木は
「向こうが俺のことを理解してないだけ」
とよくわからない理屈を唱える。
「うるせえええええ!」
そして、静かになってきたのに志茂が叫ぶ。すると、西藤が
「お前だよ」
と志茂を攻める。ここにいる人は皆、現実での苦労を忘れるためか、結構何も考えずに会話をする。
「知らねえよぉ」
調子に乗った志茂が返し
「何歳のガキですか?」
「BANするぞ!」
という具合で低レベルな言い合いが発展してきたところで、小さな声がぼそっと聞こえた。
「やあ」
「うわああああ、喋ったあああ」
僕は大袈裟に驚いてみせた。
「ごめん。口を挟むタイミングがわからなかった...」
「全然いいよ」
この小声の人物は坂田征四郎。この鯖にいる人は多分、誰も彼と喋ったことがないだろう。しかし、いじめられているという共通点から知り合った。
「坂田の声は聞くたび新鮮味がある」
と森木は妙に感心する。
「学校で喋ってるところ見たことないからな」
と西藤。
「一人で本読む以外しないから。いつも一人で帰るし...」
「おい、話戻すぞ! 漆原死ね!」
威勢よく森木が叫ぶ。ナルシストな彼がこんな大声を上げるなんて本当に珍しい
「いじめる奴は一番弱いんだよ、な、よく言うだろ」
「とりあえず落ち着いて。何があった」
そういえば、なぜ彼が死ね死ね叫んでいるのか聞いていなかったので、そう訊ねると、意外にもすんなりと森木は事情を説明してくれた。
「漆原あたりの人間が毎休み時間、俺のとこ来て、ノートをぐちゃぐちゃに荒らして去っていく。毎回休み時間はそれ。最近はノートを取る意味がないから取ってないけど、取ってなかったらノート取ってないことを先生にチクる」
「ちょいまち」
志茂が口を挟む。
「何」
「物を取る、の意味の取ると板書を取る、の意味の取るが入り混じっていて何が何だかわからないんだが」
「激しく同意」
「ま、とりあえず理不尽なことされてるって解釈でいいか?」
「そうなんだよ! だけど、漆原は先生から好かれてるから結局俺が、怒られる。漆原FUCK」
「なるほど。まあ、それを毎日は、辛いな。でも、なぜ?」
「なんか顔面が気に食わないらしい。彼女いるからって調子乗ってんだよ。俺はまだ彼女を作ってないだけだ」
「...ノーコメント」
と僕が失礼なコメントをすると森木が
「コメントできないほどかっこいいって意味か?」
などと本気で言ってるのかわからないことを返してくる。僕は面倒になったので話題を変えた。
「『MWS』しよ、志茂」
「はいよ」
『MWS』は今世界で大ヒットしているオンラインゲーム。『Monster World Story』の略。
「あ、やっぱ無理だ。飯食ってくる」
「わかった、僕も飯にするわ」
僕はそう言うと、通話から抜けた。それに続くように志茂も通話を終えた。
一息つくと、PCの電源を切り、自分の部屋を出る。
ちょうど部屋を出たところで、幸太と鉢合わせになった。
幸太は僕の弟で僕が通う中高一貫校に通っている年齢差3才の中一。たまに宿題を見てやったりしていたが、最近は僕が帰宅後部屋に篭ってしまう生活をしているので会話を交わすことも少ない。
「ご飯まだ?」
僕がそう訊ねると幸太は
「今何時だと思ってるの?」
と呆れ気味に訊ねてきた。
「午後七時ぐらい?」
「正解。ご飯は七時半からってお母さんが言ってたじゃん」
「ああ、そうだっけ」
僕はそう誤魔化すと、少し罰が悪くなって自室に引っ込んだ。
雑然と物が散らばり、机の上は学校で配られた紙でぐちゃぐちゃ、本棚は大量の本が散乱している。その本の中には、数学や化学を扱った本もあれば、政治や経済、株価を扱った本もあり、小説もたくさんある。窓はずっと閉まっている。この窓を開けたのは何ヶ月前のことだろうか。そして、カーテンは閉まっており真っ暗だ。僕は机の脇にあるベッドに寝転がった。
「あと三十分もなにして過ごせと」
とりあえずスマートフォンを取り出したがバッテリーがギリギリで、画面は低電力モードにするかどうかを訊ねている。僕はどちらも選択せず、スマートフォンの電源を切った。
憂鬱。まさにそんな言葉がぴったりの心境。ただひたすらに、時計の音だけが聞こえる。意味もなく、部屋に置いてあるテレビをつけたがどのチャンネルも面白そうな番組をやっていない。やらせのバラエティや、既視感あふれる刑事ドラマ。あとは、二対十二で阪神がボロ負けし、解説者が溜息をつく阪神と巨人のナイターやら、数年前にヒットした映画の再放送やら。さらに憂鬱になり、自然と溜息が出てくる。
何だか無性に苛立ってきて、テレビのコンセントを引っこ抜く。
宿題でもしようか。期末考査の勉強でもしようか。成績が上がれば気も晴れるだろう。そう思って、僕は机に向かった。机の上に散乱する紙を雑に床に払い、学校の鞄から数学の問題集とノートを取り出す。サイン? コサイン? タンジェント? 三角形の面積? 三角形の面積なんて底辺×高さ÷2しか知らないぞ。教科書も取り出して、説明を読んでいると段々意味がわかってきて、僕は問題を解き始めた。なるほど、角度がわかるだけでこれだけわかるのか。
「ご飯できたよー」
母の声が聞こえた。まだ、七時十五分だろうが! なんていうタイミングの悪さだ。もう勉強なんてしないね。僕は教科書類を乱暴にゴミ箱の方に投げた。が、狙いが悪く、全く違う方向に飛んでいった。
「ダメなやつだ」
怒る気力もなく、僕は落胆して呟くと、部屋を出た。
僕はいじめられている。僕はなぜいじめられているのだろうか。
小学生の頃は比較的上手くやれていた。読書が好きではあったものの結構友達も多く、充実していた。だが、僕はそれよりさらに楽しい生活を望んだ。小学校の友人は皆純粋でいい奴だ。だけれど、僕は物足りない部分も感じていた。もっと賢い人と話したい、仲良くなりたい。僕はその思いで中学受験することに決めた。折角勉強するんだから中高一貫校に行きたい。そういうことで中高一貫校を受験した。中学受験をする人は親の意思であることが多いが、僕は珍しくも自主的に受験したいと望んだ。あの頃は自分に過剰なほどの自信があったのだ。
しかし、そんな都合よく行くはずもなかった。中一の頃はなんだかんだで上手くやれてたと思う。部活は卓球部に入ったが長く続かず入って数ヶ月でやめた。だからといって卓球部の同級生からヘイトを買ったりしたわけではなかった。
しかし、中二でクラスが変わり、大滝と同じクラスになった時全てがマイナス方向に歪み始めた。
中二になり何をきっかけにかは覚えていないが僕はSNSにハマった。匿名で匿名の人と関わり、繋がることが楽しかった。それをきっかけに僕は内気な人間になった。両親との関係も希薄になっていった。
両親との関係が希薄になっていったのは当然反抗期や思春期的要因もあるのだろう。また、父は仕事で忙しくしていて、休日も家を空けることが多いというのも原因の一つかもしれない。
そして、内気になっていった僕におもちゃとして目をつけてきたのが大滝だ。最初はからかってくる程度だった。しかし、からかってくることは中一の頃もあったので特に気にはならなかった。が、そこからどんどんエスカレートしていった。気がつけば僕は毎日のようにあざを作り、定期的に金を取られるようになっていた。物を壊されたことも多々ある。
大滝を恐れてか、僕が中一の頃親しくしていた友人は僕の元を離れて行った。卓球部を辞めてしまっていたせいで僕は部活という繋がりがない。これも原因で、僕を守ってくれる、親しくしてくれる人は一人もいなかった。
そして、僕は万引きにも手を出した。それも一度だけではない。二度、三度と。全て大滝の命令で、実行を渋れば僕の物が壊されたり、弁当箱をゴミ箱に捨てられたり、股間を目一杯殴られたりと散々なことをされた。だから逆らえなかった。僕がもし、それでも尚抵抗していればもしかしたら何かが変わっていたかもしれない。しかし、それは今更考えても無駄だ。
こうして僕が心身共に疲れてきていた時、西藤から『サンシャイン同盟』の誘いを受けた。今まで喋ったこともない西藤に突然誘われて驚いたが、誘いの内容を聞いてなるほど、と頷いた。僕はそれを断るはずもなかった。そうして、今に至る。
いつの間にかいつものことのようになってしまっている無言の夕飯を終えて僕は部屋に戻るとPCを起動した。『MWS』の公式サイトにて最新情報を確認してから『サンシャイン同盟』に入る。
「今、小木の話してたとこ」
と森木が説明してくれる。小木とは、学年で最も力のある人物で、隠キャを目の敵にしている隠キャ最大の敵。いじめをしている点を除けば、容姿、成績、運動神経、カリスマ性など全てにおいて完璧である。
「小木か。あいつは顔が嫌いだな」
と僕が言うと、森木が
「まあ確かにお前が見たらあいつの顔に嫉妬してしまうだろうな」
などとまるで森木は小木よりも格好良いかのようなことを言ってくる。
「どーでもいい。とりあえず、あのうざったらしい顔が嫌い」
「わからないでもない」
と西藤。
「ちな、小木の被害者誰?」
僕が訊ねると、僕を含めて通話にいる三人全員がはい、と反応する。
「全員かよ。俺、森木、浜辺。今は通話にいないが志茂もか。坂田はいじめられてないらしいからな」
と西藤がまとめる。それに妙に森木が反応する。
「志茂はいじめられてなくね」
「いや、いじめられてる。森木でも気づかないぐらい、巧妙なんだよ」
「うむぅぅ」
森木が唸る。
「お前の目は節穴みたいだな」
西藤が煽ると、ここは流石森木。自分に都合の悪い発言は無視して
「おやすみー」
と本日二度目のおやすみの挨拶をして森木は通話を抜けた。
「俺も寝ようかな」
「いや、まだ九時だよ」
時計を確認して僕が言うと、西藤はわざとらしい欠伸をして
「九時寝七時起き。これぞ早寝遅起。睡眠時間、十一時間」
とテンポ良く言うと通話を抜けていった。それとほぼ入れ替わりに、志茂が夕飯から帰ってくる。
「はい、おかえり。『MWS』しようか」
「おっけい」
今僕はゲームを起動して、ゲームをしようとしている。ゲームは最高の娯楽だ。
だが、僕は最近ゲームをすることが楽しくなくなってきた。友人とのコミュニケーションツールにはなるけれど、刺激を求めるには欠ける点があるからだ。いじめられる前までは、もっと楽しかった。明日もまた、嫌な刺激を与えられるのだろう。そう思うと、やっぱりゲームがしたくなり、ゲームに依存していく。これの繰り返しだ。
六月十七日
学校。この世から消えて無くなって欲しいものの一つ。小学校低学年の頃よく学校でテロが起こって休みにならないかな、とありもしない願望を確かに抱いていたが、あれは今、さらに強い願望として僕の中に残っている。
朝礼が終わるとすぐに僕は辞書を枕にして、一時間目が始まるまで体を横にした。別に眠いわけでも、体調が悪いわけでも、何でもない。ただ、休み時間に喋る相手がいないから寝る姿勢になって、妄想に耽るだけだ。
しかし、それを体調不良だと勘違いする先生もいる。今日もそうだった。
「浜辺?大丈夫か」
話しかけてきたのは体育の大石先生だった。授業に関する連絡をしに教室に来ていた。
「大丈夫ですけど」
妄想を邪魔されて僕が不躾な態度で応じても、大石先生は嫌そうな顔ひとつしない。
「だるそうにしてたけど」
「いや、本当に。ちょっと眠かっただけで」
これはあながち嘘ではない。毎晩遅くまでゲームをしているので眠い。
「そうか。ま、何かあったら言ってくれ」
大石先生はそう言うと、にこりと笑って教室を出て行った。まさに、体育の熱血教師だ。
大石先生が去っていくのを見計らってか、三人組が僕の方に近寄ってくる。一人は痩せ気味で小柄、一人は特に特徴もない平凡な見た目、そして、その二人の一歩前に立っている男子は肩幅が広く、背丈は二メートル近い巨人。
「おい、なにボケーっとしてんだ」
巨人が僕の肩をどつく。
「大滝君...」
その巨人の名前は大滝勇。僕をいじめている集団の中心。僕がこの世で最も会いたくない人間だ。
「ついてこい」
「でも、もう少しで授業始まるよ」
あと五分程で一時間目が始まる。
「ついてくるかトイレの水飲むか。どっちがいい」
ついていっても碌なことない。それはこれまでの経験でわかっている。だが、僕は一厘の可能性を信じて彼についていくことにした。
大滝の連れられてきたのは、学校の前庭だった。前庭といっても、地面はコンクリートで固められおり、小さな花壇に花が植わっているだけの簡素なものである。
「はい、これ」
小柄の男子、井伊直人が僕に石ころを渡してきた。何を言いたいのか全くわからず、僕は首を傾げる。
「これを、投げろ」
と今度は平凡な見た目の男子、本田勝が命令してくる。
「どこに」
「決まってんだろ、職員室だよ」
「そんなこと...できるわけ」
「やれ。やらずに帰ってきたら後でわかってんな」
大滝がニヤニヤしながら言う。
「そんな...」
僕が溜息をついていると一時間目の始まりを告げるチャイムの音が聞こえてきた。
「じゃあな」
三人は口々にそう言うと足早に校舎内へと駆けて行った。
どうしようか。授業に遅れるのは避けられないだろう。しかし、投げずに教室に帰れば後でどんな目に遭うか知れない。どうしようか。もういっそのこと投げてしまって早く教室に戻るのも手だ。いや、でも。
結局、僕が迷っていると、担任の山﨑先生が通りかかり説教を受け、石は投げ入れずに教室に戻った。
説教をされている間、僕はいじめの事実について先生に言うべきか、言うべきでないかずっと迷ったが、結局言い出せずじまいに終わった。これで何度目だろうか。言い出そうとして言い出せずじまいになるという経験は。
その日の昼休み、大滝に思いっきり背中に平手打ちを食らった。真っ白だった僕の背中に異常なほど真っ赤な手形が残った。
『サンシャイン同盟』ではまだ通話が始まっていなかった。とりあえず、ゲームでもしながら誰か来るのを待とうか、と通話に入る。少し『MWS』をしていたら、志茂と森木が通話に入ってきた。
「今日は早いね、浜辺。大滝から見捨てられた?」
志茂が尋ねる。が、僕は否定して
「だとよかったんだけど。今日は大滝は部活」
と言った。
「他の連中は?」
「大滝がいなかったら僕を監禁したりしてこない。気の弱いやつばっか」
「お前、今日、山﨑に叱られてたろ」
と森木。彼は窓側の席だから、前庭が見えたのだろう。
「まあね」
「授業遅れたからだろ」
「そりゃあまあ」
「大滝のせいだろ」
「そうだよ」
「やっぱりな。ふん、俺の観察眼は完璧だ。というか、もっと怒れよ。そんなクールぶらなくても」
別にクールぶってるつもりはない。だが、そう言い返して森木と口論するのも面倒なので
「慣れるっておそろしいな」
と言った。
「まあ俺も課金に慣れてしまったからなぁ」
と志茂。すると、森木がそれに突っかかって
「ちな、課金額は志茂より俺の方が多いです」
と喧嘩腰に言う。
「課金額は関係ない」
志茂も返す。
「課金額が命じゃ」
「いいや、課金したかしてないかが命!」
「課金した人って沢山いるんだから、その額が大事でしょうが」
「してたら課金勢の気持ちはわかるわ」
「俺の気持ちわかるんですねーすごーい!!!」
低レベルな争いが始まったので、僕はひっそりと通話を抜けた。
六月十八日
「元気そうじゃないか、浜辺くーん」
にやにやしながらいつもの三人が僕を取り囲む。昼休みになり、すぐ、図書室に逃げようとしたが一歩遅れて彼らに捕まった。
「逃げないでよ、浜辺くーん」
大滝が気持ち悪い声を出す。
「大滝君...」
「一緒に遊ぼーよー」
と井伊も気持ち悪い声を出す。声だけで嫌な予感がする。
「どうしたの」
僕は出来るだけ平静を装って尋ねた。すると、大滝がにやりと笑って、大声で言った。
「今まで俺らは金のために万引き、窃盗を繰り返してきただろ。しかし、それで止まってちゃあ意味はない。まず、万引きも窃盗もそこまでまとまって金が手に入らないしな。そこでだ。窃盗する相手を生徒から先生へと移すことにしたんだ」
「先生の財布を盗むのぉ。そんなの無理だよぉ」
盗むのは絶対僕がやらされる。大滝ら三人は見張り役。今のところ、運良くバレたことはないが、バレれば僕だけのせいにされるのは確定だろう。さらに、毎回取り分は、僕は一割、大滝五割、他二人二割とかいう不公平な配分。
「違う違う。先生の財布は盗まねえ。リスクも高いしな」
と本田。
「じゃあどうするの?」
「試験の模範解答を盗むんだよ」
「どういうこと?」
「馬鹿は勘が鈍いな。試験の模範解答を盗んで、クラスのいろんなやつに売りつければ、儲かるだろ。そっちの方が金は入るはずだ」
「でも、一学期期末考査は終わったばっかりで、まだ二学期中間考査の模範解答は流石に」
「とことん馬鹿だな。ジジイの教師は先に作ってんだよ。例えば、歴史の古岡先生」
なるほど。とその瞬間は大滝の作戦に感心してしまった。いじめられているうちに思考があいつのようになってしまっているようだ。
「でも、バレたら怒られるどころじゃ済まないよ。いろんな人に売りつけたら、その分いろんな人に知れ渡っちゃうし」
「逃げるのか?」
「いや、でも...」
「今回はお前に四割やる。そのかわり、バレたらお前一人の責任だ」
無茶苦茶だ。だが、バレないようにうまくやれば得するし、ここで拒否すれば何発殴られるかわからない。仕方なく、僕は頷いた。すると、大滝たちは僕の肩を強く何度も叩いて
「じゃあよろしくな!」
と言ってどこかへ行ってしまった。
試験の解答を盗む。そんなことしていいのか? まずできるのか? 前者の疑問にはもう答えは出ている。当然、してはいけない。だが、従わなかった時の報復は恐ろしい。後者には未だに迷いが伴っている。そう簡単に盗める訳がない。盗める機会があるとしたらいつだろうか。教師が皆帰った後、こっそり学校に残って、こっそり職員室に入って盗む。しかし、職員室には鍵がかかっているだろうし、夜は警備員の人が巡回を行っている。だから、昼よりは減るものの夜もリスクは十分すぎるほどあるのだ。
では、どうしたものか。そう考えるうちにいつの間にか自分が盗むことを前提に考えていることに気が付き、僕は身震いした。しかし、盗まなければならないのだ。盗まなければ、後で大滝に酷い目に遭わされる。僕は盗むしかない。
まず、一つ手としてあるのが、警備員が巡回を終えたタイミングで校内に侵入するという作戦だ。職員室の鍵は警備員が巡回のため、警備員用の小屋を留守にしている間に、小屋から盗めばいい。そこに鍵が無ければ、諦めて急いで逃げればいい話だ。いや、しかし、これをするには教師がいなくなるのを待たなければならない。そうなると、決行する時間は夜の九時、十時あたりになるだろう。そうなると、親にはどう言い訳すればいい。心配性の母親のことだから(いや、普通の親でも)九時の時点で家に子供が帰ってきてなければ警察に知らせたりしかねない。
では、昼間に職員室に侵入? いやいや、それは不可能だろう。常時、職員室には教師が一人は残るように決められている。ただ、そう決められているだけで実際は、少なくとも二、三人の教師は職員室にいるため、昼間は無理だ。なら結局夜に行うしかない。
友達の家に泊まるから、と言い訳するのは可能だろう。大滝の家に泊まるから、などと。大滝もこの作戦を話せば流石にこれぐらいは了承してくれるはずだ。ただ、実際に泊まらせてくれる訳がないので、作戦を決行し、無事模範解答を盗み出し、学校から逃げることができたとしても、その後朝までどこで過ごせばいいのだろうか。真夜中に高校生が一人でいたら警察に補導されてしまう。大滝に家に泊めてくれるように頼もうか。いや、大滝はあくまで僕がバレてもそれはそれで面白いと思ってやっているのだ。そこまで協力してくれるわけはないだろうし、まず、あいつの我儘のためにこっちからあいつに頭下げるなんてできるわけない。
ネットカフェや、公園のベンチ、教室の掃除用具入れの中に隠れる、などなど様々な作戦が思い付いては欠点だらけで消えていった。結局、残ったのは友達と喧嘩した、と言って真夜中に自分の家に帰るという強引なものだけだった。
ここまで考え、作戦を軽く紙に記すと僕は達成感で眠くなってしまい、夕飯も食べていないのに、意識を夢に吸い取られていった。
六月二十日
「おはよう、浜辺。元気ないな」
通学路に立って挨拶をしていた大石先生に声をかけられた。元気なんか出るはずもないだろ、と言いそうになったが何も知らない先生にそれを言うのは失礼だし先生を困らすだけだ。
「昨晩ゲームし過ぎたんです。ボスが強くて、とりゃ、とりゃ、って」
僕はモンスターを攻撃する剣士のように腕を剣のようにして振った。後から考えれば明らかな空元気だ。
しかし、大石先生の目はその程度で誤魔化せた。
「ゲームはほどほどにしろよ。今晩はしっかり寝るんだぞ」
「はーい」
僕はおどけてみせた。空元気を演じた後の虚しさは相当きつい。
学校に着くや否や、席の周りで僕を待ち伏せしていた大滝たちが
「例の計画、作戦立てましたかぁ〜」
と気持ちの悪い猫撫で声で言ってきた。僕は無言で頷く。
「じゃあ、その計画を話してくださいなー」
大滝はいつもの気持ちの悪い声を出すと、僕の右手を乱暴に引っ張って、僕を学校の中庭へと連れ出した。大滝の後ろでいつも通り本田と井伊が意地の悪い笑顔を浮かべて笑っている。
「計画を話せ」
「まず、大滝君に、頼みがあるんだけど」
「なんだよ、お前自力で出来ないんかよ。やっぱカスだな。エンくんは」
と大滝が言い、汚い笑い声を出す。それを見て、本田と井伊も笑い出す。所詮、大滝の尻尾にくっつくことしか出来ないカスが、と言いたいのを堪えて僕は作戦を話す。
「夜に学校に侵入する。職員室の鍵は警備員の人が巡回中にこっそり警備員の人のいる小屋から盗む。それで警備員が巡回を終えて帰ってきたら入れ替わりに僕が校舎に侵入し、職員室に入り、模範解答の紙を盗む。でも、夜に家に僕がいないと親が怒るかもしれないから、そこは大滝の家にいるって体で行きたいんだけれどいいよね?」
「大滝? 呼び捨てか。偉くなったなぁ」
大滝が僕の脇腹に思いっきりパンチを入れる。僕の体は勢いよく飛ばされて数メートル先の地面に倒れた。ああ、思わず呼び捨てで呼んでしまった。僕は痛みに耐えられず、うぐぅと声を漏らした。口からは無様に唾液が出てきている。
「その作戦でいいだろう。実行は明日な。最高の作戦を考えたご褒美として、お前はゆっくりそこで這いつくばっとけ。似合ってるぞ」
大滝ははっはっはと高笑いすると、付きそいの二人と校舎内に入っていった。実行は明日? そんな...無茶苦茶だ。
不恰好な体勢で倒れている僕の横を数人の女子が汚いものを見るような目で僕の方を見ながら通りかかった。人が倒れているのにそんな目で見て、助けようともしないとは。結局、あの女子も心のうちは大滝と変わらない。みーんなみーんな僕の敵なんだ。味方なんて一人もいない。
大滝は朝の一発で満足したようでその後は殴ってくることもちょっかいを出してくることもなかった。他の二人は大滝が何もしなければ何もしないおまけものなので、彼らも何もしてこなかった。
「放課後になるや否や、小木たちがやってきて俺を体育館裏に連れ出すのよ。お?告白か、と俺は思ったね...誰か突っ込んでくれ。まあ、それはさておき、体育館裏に連れ出されて何しろって言われるかと思ったら、多目的トイレに連れてかれて、トイレの大便器の水飲めって。俺は当然無茶苦茶抵抗した。俺が紙を引っ張ったせいで小木や古岩井のムカつくセンター分けはボサボサに、小木はワックスつけてたはずだから、俺相当暴れたんだな。で、阿波島の本人ご自慢の端正な顔立ちも引っ掻き回してあいつの顔に引っ掻き傷入れまくったぜ。あいつ顔面包帯して学校来たら面白いな。ま、そんなことはないだろうけどな。後その場にいた、下村とか、城井とか運動自慢の方々の足も蹴っ飛ばして、青タンつけてやったぜ。あの時のあいつらの反応と言ったらもう。小木、古岩井、阿波島がトイレの一個だけしかない鏡の前に集まってさ。鏡の取り合いさ。下村と城井はマネージャーに嫌われるとか落ち込んでたっけ。まじ最高。でも、やり過ぎたみたいでな。相当怒ったあいつらが俺を本気で拘束してきて。両手両足を下村、城井の運動コンビに抑えられて、古岩井と阿波島が俺の頭を固定して、便器の方に持っていったんだ。小木はそれを高みの見物。ずっと前髪触ってたっけ。まじ笑える」
「で、西藤は結局飲んだの飲んでないの? どっち。前置きが長い」
森木が白けた様子で言った。
「飲んでたら恥ずかしくて流石に言えねえよ。古岩井が俺の頭を固定、阿波島が強引に俺の口を開けさせて、もう、顎にはトイレの水が当たりそうだった。そのスレスレで俺は苦肉の策に出た。屁をこいたんだよ。多目的トイレで、鍵かけてたから密閉空間に匂い充満して、すごかった。あいつら慌てて鍵開けに行こうとしたんだけど、自己中の集まりだから、俺が先に出る俺が先に出るって押し合いしてさ、で全員その場ですってんころりん。鼻を抑えていた指が鼻の中に入って粘膜傷つけて鼻血流してたやつも何人かいたな。で、俺はこけてるあいつらの横をにやにやして見つめながらさようなら」
西藤は気持ちよさそうだ。まあそんなにスカッとする経験したら誰でも気持ち良くなるだろう。
「それはまじの話か」
志茂が疑わしげに言う。
「まじ」
「まじだったらお前後で何十倍返しされるかわかってるか?」
と森木は心配げ。自分の心配ばかりで、人を心配することは滅多にない彼だからこれは相当だ。
「お前死ぬね」
僕も衝撃エピソードに圧倒されながら言った。
「本当にあったんだったら、スカッとした経験を集めてる番組探してすぐに送れ。最高視聴率取れるぞ」
と取らぬ狸の皮算用の志茂。
「あの手の番組に経験談送ってる人って大体全部創作だぞ」
「初耳。森木、お前もしかして、その手の番組詳しいのか」
「自分自身創作で応募したことが何度かあるのでね」
「なるほど。ちな、番組には使われた?」
「ま、まあ一個だけな」
「その一個気になるな」
「その一個は実体験」
「じゃあ番組に使われてる中には実体験もあるじゃねえか!」
と西藤森木の二人が漫才を始めたので、僕は口を挟んだ。
「まあ大体わかった。西藤奮闘お疲れ様」
「相手が小木軍団じゃなくて女子軍団だったら良かったのになぁ」
僕は、お前を犯したいと思う女子なんていないわ、と突っ込みたくなるのを抑えて
「Mなんだ」
と言っておいた。Mとはマゾヒストの略である。
「まあな」
なぜか西藤は誇らしげ。
「じゃあ、廊下歩いてていきなり女子に捕まって、トイレに監禁されて色々されたら無茶興奮なんだ」
と志茂は興味津々だ。高校一年生といえばそういった性癖などに興味を持ってくる年齢だろう、と高校一年生の僕は分析する。
「いいや、俺はただ犯されるんじゃあ嫌だな」
「というと?」
「まずはこっちから、向こうを犯そうと仕掛けるんだよ。で、向こうに抵抗されて逆転されて犯されたい」
西藤の声も、もうやばい世界に行っていた。
「意味不明」
坂田が溜息を漏らして言った。S(サディズムの略)とMを融合させたいということなのか? それとも、先にSをして、次にMに走ることで落差を作ってより高度なMを体験したいということなのか? そんな風に真面目に考えてしまった自分が阿呆らしくなって僕はクスッと笑った。
「じ、じゃあ、お前ら自分の性癖暴露しろよ」
「僕は断固無理」
と坂田が真っ先に断る。
「俺も」
と志茂。僕も遅れをとらないように
「METOO」
と続けた。
「俺は六歳〜十歳が守備範囲だな」
突然、森木が自信たっぷりに言い、僕は吹き出した。
「なんか変な奴出てきたから今日はお開きで」
西藤が爆笑しながら言う。森木はもっと自分の性癖を語りたかったのか、悔しげだったが、通話を抜けていった。僕もその次に通話を抜けた。
こんなしょうもない性癖暴露大会のせいで忘れていたが、僕は今大問題に直面している。これは忘れてはならない。とりあえず、明日に向けて僕は計画を練り、紙に記していく。
1、終礼が終わるなりすぐに、学校の中庭に隠れる。
中庭に、葉が生い茂り、かくれんぼする時によく使われる”隠れ家”があるので、まずそこに隠れる。
2、中庭から職員室の明かりが消えるのを待つ。
職員室の明かりが消えたら多分、先生は全員帰ったということだろう。
3、警備員用の小屋の裏手の柱の裏に隠れる。
ここが最難関でバレる可能性が一番高い。
4、警備員が見回りのため小屋を離れたらすぐに、小屋から合鍵を盗む
小屋に合鍵がなければ諦めて、大滝に殴られよう。
5、警備員が見回りから帰ってきたらこっそり柱の裏を離れて、職員室に向かう
ここも難しいがスムーズに動ければ多分バレない。
6、明かりはつけられないので暗い状態でなんとか模範解答を見つける
多分、二度目の巡回までに時間はあると思うので、ここもゆっくり探せるはずだ。
7、見つけたら逃げる。正門からだと小屋から見えるので、裏門から。合鍵は小屋近辺に落としておく。
書いてみると案外成功しそうな作戦である。
しかし、一番の問題はやはり自分の決心であった。盗むというのは言うまでもなく犯罪者の行いだ。そんなことして点を取っても気持ち良くないし、僕だけが点を取るのではなく、大滝が売り捌いた相手全員が点を取るので結局平均点が上がるだけだ。
さらに、やらなければ大滝に酷い目に遭わされるのは目に見えている。さっき西藤が通話にて言っていたようなことでは済まない。どのようなことをされるか想像もつかないが、トイレの水よりもっと酷いものを飲まされたり、酷いものを食べさせられたり、あるいは、瀕死の重傷を負わされたり、数百万の金を出せと脅してきたり。
やるしかない。やらないという選択肢が行方不明になっている。やる一択。自分の胸はやりたくないと必死の叫びを上げている。その声に耳を傾けると苦しくなるので、僕はその声を無視して、押し黙らせて、決行を決めた。僕は自分の胸からも、やらないという選択肢を奪った。やっていることは大滝と似ているのではないかと一瞬考えてしまったが、そんなことどうでもいい。どうでもいいのだ。
六月二十一日
ついに決行。休み時間になるたび、大滝ら三人がやってきて、僕の肩を叩いて「頑張れよ〜」と煽ってきた。死ね。死ね死ね死ね。でも僕はもうあいつに支配されている。抵抗もできないし、撤退もできない。
終礼が終わるなり、すぐに計画番号1を実行する。生い茂った低木の間にかがみ込んで体を入れる。バキバキと音を立てて低木の枝が何本も折れたが、僕の体は低木の中に完全に隠れた。よくかくれんぼで使われる場所だったからか、いい具合に枝葉が少ない場所があったのも好都合だった。
しかし、ここに身を潜めるだけでは、周囲からバレる可能性もあるので、僕はポケットからもう一つ武器を取り出す。その武器とは迷彩柄の大きい布である。この布を被ってしまえば正直外から見ると、ここに人が隠れていることはわからない。 先にそれを被ってから体を低木の中に入れるべきだったと少し後悔したが、今からここから出ると、誰かと鉢合わせになるかもしれないので、仕方なく、腕に低木の枝で切り傷を作りながら、なんとか体をよじり、布で覆った。後はしばらく待つだけ。計画番号2だ。かといって眠ってしまい明日になってはいけないので眠ることは許されない。こんなことをしていると昔の軍人の気持ちがほんの少しだけわかるような気がした。とりあえず、足元にあったアリの巣でも眺めながら時間を過ごそうかな。
数時間経って、空が暗くなった。体を捻って腕時計を確認すると短針は八を指していた。八時か。職員室を見るとまだ人は残っているようで明かりはついている。しかし、職員室以外の部屋は、ここから見える限り明かりは消えている。あと一時間もしたら誰もいなくなるだろう。
そして、それから三十分ほどして、職員室の電気が消え、教頭先生の高級車が学校を出て行った。僕はそれを確認すると立ち上がり、布をポケットにしまうと計画番号3を実行すべく、校舎を大きく回って、裏から小屋の方に近づいた。両腕に切り傷があり、立ち上がった時に体に大量の草がついたので、まるでジャングルの奥地から帰ってきた探検家のようになってしまった。流石にこれだけ草が体についていると目立つかもしれないので、僕は静かにそれを払い落とし、大体払い終えると、柱の裏に隠れた。当初の算段では、すぐに警備員が動き出すと思っていたがそう都合よく行かず、柱の裏で軽く一時間は待たされた。時刻は午後九時四十分、ついに小屋の扉が開き、小太りの警備員の人がのっそりと姿を現した。もし、僕が家にいれば、『サンシャイン同盟』で通話しているか、志茂と『MWS』をしている時刻だ。ああ、だめだ、雑念は取り払おう。そんなこと考えて何になる。
ここが最難関である。向こうから見えないように少しずつ、向こうの進行に合わせて柱を回る。酒でも飲んだのか、警備員はふらふらとした足取りだったので、難易度は想像の数倍難しかった。しかし、僕が『MWS』で鍛えた立ち回りをうまく生かして無事バレずにやり過ごした。
そして、計画番号4。警備員が校舎に入って行ったので、僕は急いで小屋の中に入る。今思えば、もし、小屋に鍵がかかっていればどうすれば良かったのだろうか。とりあえず今回はうまく小屋に侵入。ここもうまく、合鍵が見つかり、僕はそれを盗むとまた柱の影に隠れた。
ここまでは全てが順調だ。後は、警備員が戻ってくるのを待って、校舎に入り、職員室から盗み出すだけ。僕はそう思って少し肩の力を緩めた。
それから三十分程度が経過して、警備員が帰ってきた。よし、計画番号5を実行だ。僕は鉢合わせにならないように裏口の方へと移動して、校舎に入った。時刻は午後十時半になろうとしていて、校舎は真っ暗だった。夜の校舎内の様子を見ると、嫌でも幼い頃に絵本で読んだ学校の怪談のことを思い出してしまう。
真っ暗な中階段を登るのはなかなか危険で、神経も相当すり減ったが、無事、職員室のある二階へと辿り着くことが出来た。真っ暗闇。何か障害物が落ちていたら避けることは不可能だ。職員室もこの程度の暗さであることが予想される。しかし、僕は一応こういう時のためにあえて電池が切れかけている懐中電灯を持ってきていた。電池が切れかけなので、明かりも弱い。これなら、点けてもバレにくいだろう。
僕は盗んだ合鍵を使って職員室の鍵を開け、扉を横に開き、ついに職員室内に侵入した。しかし、まだ、懐中電灯の明かりは点けない。電池が少ないためむやみに使えないのだ。慎重に歴史の古岡先生の机まで移動した。途中、他の先生の椅子を蹴飛ばしてしまったりはしたが、幸いそこまで大きい音は出なかった。警備員の人も仮眠しているはずだから、多分大丈夫だろう。
古岡先生は相当な将棋好きで、机の上に手のひらサイズの大きい将棋の駒のストラップ(?)がある。僕は、それがあることを手探りでしっかり確認してから、懐中電灯の明かりをつけた。明かりは弱かったが、手元を照らすには十分で、大きい将棋の駒の”王将”の字もしっかり読み取れた。
ここからはスピードが命だ。僕は、古岡先生の机の引き出しをどんどん開けて、中を探っていく。しかし、ない。ない。ない。全ての引き出しを確認したが、なかった。机の上にあるプリントファイルも調べていく。しかし、ない。もう調べる場所がない。僕はその場で意識を失いそうになった。ここまで努力したのに、盗み出すどころか、盗み出す対象すら見つけられずに終わるのか? こんな恥ずかしいルパンで終わるわけにはいかない。
僕は別の老教師の机に移動した。別に古岡先生じゃなくてもいいのだ。年寄りの先生は大体、定期考査の問題を作るのが早い上に、パソコンで作りはするものの、パソコンにデータとして置いておかずすぐコピー機で擦ってしまう。そういう傾向がある(はず)。
僕の勘は当たった。もう一人の世界史を教える、定年も近い老教師、石井先生の引き出しの一番上に模範解答があった。その解答のタイトルには、二学期高校一年生中間考査世界史模範解答、とある。ビンゴ! 僕はそれを折り畳み、ポケットに入れると引き出しを閉めた。その時、ずっと消えそうになりながら必死で明かりを照らしてくれていた懐中電灯がついに息絶えた。僕は懐中電灯を何度か叩いたが、明かりは戻らなかった。仕方ない。しかし、模範解答を見つけるまで持ったのは今考えれば運のいいことだ。僕は今すぐ駆け出したくなる気分を抑えて、慎重に慎重に職員室を出た。しっかり忘れず鍵も閉める。こうして、計画番号6も難なくクリア。
しかし、焦ってはならない。この合鍵をうまい具合に小屋に前の捨てるのも大事な仕事だ。警備員が落とした、と勘違いさせなければならないのだ。
音が立たないように、尚且つ無造作に合鍵を捨てた。これで成功。裏門から僕は脱出し、計画番号7もクリアで、ノーミスでミッションを成功させた。僕は悦びに浸りながら学校から家までの道を駆け抜けた。日付は翌日に変わろうとしていたが、特に気にもならなかった。真っ暗な中を駆け抜けて、僕は家の扉を開けた。
「ただいま」
ぜえぜえと息を切らしながら僕がリビングルームに入ると、父がテレビを見ていた。母と弟はもう寝てしまっているようだ。
「お前こんな時間まで何してたんだ」
父がギロリと僕を睨んだ。
「お母さんから聞いてないの。友達の家行ってた」
「それは知っている。だが、泊まってくるんじゃなかったのか」
父はテレビの電源を切って、立ち上がり僕の方に近寄っていく。
「その、友達と、喧嘩して...」
「喧嘩? こんな夜にか」
「そう。ゲームしてたら喧嘩しちゃって、その」
「友達の家に迷惑かけてるじゃないか。明日謝りに行くぞ」
大滝の家に謝りに行く? 冗談じゃない。というかまず、この嘘を大滝は知っているけれど、大滝の親は知らないだろう。まずい。ここまで順調だったのに、ここに来てピンチになる。
「嫌に決まってるでしょ。なんで僕が謝らないといけないの。向こうが悪いのに」
「これは礼儀だ。俺と明日謝りに行くぞ。ふん、幸太にしろ、最近は夜に家の外を出歩くようになって」
「謝りに行くのは断固嫌だ。じゃあ、父さん一人で行って来ればいい」
僕はわざと幼い子供のような態度をとった。父を諦めさせるためだ。すると、効果があったようで父はもういい、と言うとテレビをつけてまた、そちらの方に意識が移った。
勝利。完全勝利。僕は自分がどれだけ悪いことをしたかなど忘れて心の中でガッツポーズをした。ゲームをクリアした時の数十倍嬉しかった。
流石に眠たくて、『サンシャイン同盟』の方に行って通話をすることはできなかった。
六月二十二日
「おう、お疲れ様。成功したか」
夜になって罪悪感が芽生えてきて、昨晩は全く眠れなかったため、朝休みに辞書を枕に仮眠していると、大滝ら三人組がニヤニヤしながらやってきた。漫画のようにムカつくニヤニヤだ。
「うん」
僕が眠そうにしながらそう答えると大滝が
「嘘じゃないだろうな」
と尋ねてきた。僕は制鞄からプリントファイルを取り出し、そこに入っている模範解答を見せる。すると、大滝はうおぉぉぉ、と野獣の咆哮のような遠吠えを上げた。その様子を見て本田井伊の二人もよっしゃあとまるで自分でやったかのように拳を高く突き上げる。
「よし、よくやった。後はこれを売り捌け。大量にコピーして売りつけろ」
「コピー? それじゃあバレちゃうかもしれないよ。ネットでやった方がいいって」
「ネットでやればお前が儲けを偽っててもわからないだろ。お前が誰かに売りつける時は俺を呼んでからやるんだ。俺の前でやれ。わかったな」
そんな...。実は昨晩眠れなかったのは罪悪感からだけではない。ここまでリスクを冒したのだ、それに見合った得をしなかったら頑張った意味がない。そうだ、いくらか儲けを偽ればいいんだ、そうして私腹を肥やす。これぐらいする権利はあるはずだ。というようなことを計画していたのだ。
しかし、今の大滝の一言で完全に状況は変わった。
「わかりました」
従わないわけにもいかないので僕は従うことにした。悔しすぎる。
「いや、もっといい手が思いついたぞ。それ、俺に貸せ。俺がそれを売ってやる。そうしたら、お前は偽ることはできないし、俺の方がお前よりバレないようにするのが得意だ。これでいいだろう」
全く良くない。お前が自分の私腹を肥やすんだろう。などと言えるわけがない。しかも、よくよく考えるとあいつが売るのを担当してくれるなら、バレた時もあいつの責任にできる。意外とこれは得なのではないか?
「おいおい、お前度胸あるな」
『サンシャイン同盟』にて、既に僕以外は全員揃っており、遅れてきた僕に西藤が言った。
「うん? 何が?」
「模範解答だよ模範解答」
「あ?」
「石井先生。世界史」
「え?」
「大滝から四千円で売りつけられた」
「え、でも」
「浜辺が昨晩学校に忍び込んで盗んできてくれたんだよ、あいつに感謝しないとな、と」
ああ、やはり、僕の読みが甘かった。あいつはあくまで僕が盗んできたという状況を前提に置いた上で売り捌いているのだ。これじゃあバレたら僕が主犯になってしまう。
「あいつ...」
「浜辺君が大滝君の指示でやったの?」
坂田が不安そうに尋ねた。
「そう。あいつは本当にクソ野郎だ」
「いや、それはそうだ。あいつはゴミ。けど、それは置いといて。お前度胸あるな」
西藤は僕の度胸に心から驚いているようだった。
「その怪盗ハマベーンの解答盗難大作戦を話して聞かせてよ」
森木が親父ギャグを挟んできて、すかさず西藤がそれに応じる。
「おもんな」
「は? 無茶苦茶面白いのに笑えないお前の感性が終わってるぞ」
毎度、どこからその自信は来るのだろうか。
「でも、俺も聞きたいな」
と志茂。
「それな」
と西藤。
「お願いします」
と坂田も。全員から頼まれたら流石に拒否するわけにはいかず、僕は昨晩のハラハラドキドキの出来事を彼らに語った。思い出すだけで僕の脳内にあの時の恐怖やら何やらが全て蘇ってきて、結構僕は辛かった。
彼らははえーやらほげーやら驚きの声(のようなもの)を発しながら僕の話に聞き入った。
「すげえなぁ、お前」
僕が語り終えると真っ先に西藤が言った。
「それな。俺もやってみてー」
と森木も同調。
「お前現実でそんなこと出来るんだからもっとゲームでもかっこいい技決めて来れよ」
と『MWS』友達の志茂がいじってくる。本当に、なぜ僕はゲームになるとすぐ弱気になってしまうのか。いやまあ、単純にプレイヤースキルが皆無だからだけど。
「いやー本当に怖かったよー」
「度胸ある奴マジで尊敬だわ。俺そんな度胸ねえし、もし、誰かから強制的にやれって言われてもな」
「そもそも、俺の場合はプライドが許さないけれどね。でも、浜辺は普通にすごい」
「ま、でも、もう一、二度ぐらいならやってもいいけどねー」
彼らに褒められて僕は完全に調子に乗ってしまった。そこをしっかり坂田が制御してくれる。
「まあまあ、危ないことはこれぐらいにしといた方がいいよ」
坂田は最近ではこのサーバーのストッパー役になってくれていて、普通に言われたら親の説教みたいで鬱陶しいことも彼に言われると素直に従いたくなる、そんな不思議な力によってこのサーバーの治安を維持してくれていると言っていいだろう。ここには結構中身がやばい人間が多く集まっているので彼がいなかったら、下手をすればいじめてきた奴らとの全面戦争が起こっていたかもしれない。
「後はバレないことを祈るのみ」
「だな」
「なんでお前も怪盗ハマベーンの解答盗難大作戦に協力したみたいなノリなんだよ」
森木にはこのダサい親父ギャグが面白いのだろうか。
「怪盗ハマベーンは黙っとけ」
西藤が言い返す。
「怪盗ハマベーンは森木じゃなくて浜辺な」
と志茂が言うと、森木がすかさず
「マジレス乙」
と返す。このサーバーはほっとくとすぐ言い合いが始まる。いつこんなテンポ良い会話を学んだのか...。
「バレてないかなぁ」
それにしても、不安だ。これから暫くはずっとバレているかバレていないかの恐怖と隣り合わせなのだ。
「多分、今のところはバレてないと思うよ」
坂田はそう励ましてくれたが、やはり不安だ。例えば百人に大滝が売りつけたとしよう。そうすれば、その中に少なくとも一人は教師にチクる人間がいるのではないか。教師にチクる人間は最低百分の一ぐらいの割合でいると思う(僕調べ)。
「安心しなさい、俺らがついてる」
西藤が冗談っぽく言った。でも、その言葉は不安で仕方がない僕を落ち着かせてくれた。友達とはいいものだ。こんな人間同士の集まりだけれど、同じ境遇の者同士分かり合える。これがここの魅力だ
六月二十三日
盗みを成功させたししばらく(数日間ぐらい)は大滝からちょっかいをだされることはないのではないか、と期待していたが、そんなことはなかった。
「おい、浜辺。お前何ヘマしてんだ」
大滝が一人で僕の机へやってきて言った。大滝が一人で来る時は大抵大滝が本気でキレている時だ。だが、そう言われた時、僕は何か僕が盗んだことを特定するに至る重要な証拠を残してきてしまったのかと焦って、手に持っていた本を取り落としてしまった。しかし、よく考えるとその場合損するのは僕だけだ。まさか、大滝が僕の心配をしてくれるはずがないし、大滝がキレる話でもない。では、何だろうと思い尋ねてみると
「お前これ何だよ」
「世界史の期末考査の模範解答だけど...」
「俺は日本史の模範解答を持ってこいと言ったよな」
「そんな...」
約束した覚えはない、と続けようとしたが続かなかった。
「ルール違反だバカ」
殴られる、僕は経験から咄嗟にそう判断して手を盾にするように前に出した。しかし、大滝は殴ってはこなかった。
「俺は殴りはしない。暴力で解決は良くないだろう。今の世の中、平和第一だ。戦争してる国もあるけどな、俺は平和がいいんだ。お前もそうだろう。暴力で何でも解決は一昔前の話だ。今は、体罰も許されてないし、死刑制度が廃止されている国もあるしな。俺はその世界情勢をしっかりと理解している。お前なんかよりしっかりとな。だから、俺はグローバルでダイバーシティでサスティナブルな解決をしたい。これは俺のためでもお前のためでもある。それでな、俺は昨晩必死で考えた。相互が平和的に得をするにはどうすればいいのか。それを必死で必死で考えた末にやっとのことで見つけた最高の方法。それを使えば最高の円満な解決が図られるだろう」
突然、大滝がスピーチを始めて(しかも色々間違えている)、僕は驚き、何かの奇跡が起こって、許しを得たのではないか、と思ったがそんなことはなかった。
「なので、こうしよう。今回の模範解答の売上の四割をお前に上げるなんていう約束を無しにしよう」
ふざけてる。売上の四割がなくなるのとあいつの拳だったらあいつの拳の方が断然マシだ。百発でも受けてやる。
「それじゃーな。喜べよ」
誰が喜ぶか! 二度とお前の言う通りになんてならないからな! 死ね! もう僕が死んでやる!
本当に死にたい。僕が死んで、遺書にこのいじめのことを書き記したい。それで、大滝らに罰を与えてほしい。牢屋に放り込んで、絞首刑にしてやりたい。いや、そこまでのことはできなくても、社会的にあいつらを孤立させたい。
しかし、多分、そううまくはいかないのだろう。もし、遺書にそういう記述があっても大滝たちが言い訳すれば言い逃れできるだろう。僕は死んでるから言い返せない。これにて敗北が決定。なら、不登校になってやろうか。いや、それもできない。どうせ、親父に文句言われる。どんだけ僕は運悪いんだ。不幸すぎる。
「ということで、最悪」
怒りに任せて、僕は『サンシャイン同盟』にて昼間にあった出来事を全て語った。
「それはひどいな」
と西藤。
「理不尽極まりない。日本史と世界史? そんなの、どっちでもいい。日本史と世界史で違うのは日本か世界かだけだろ!」
志茂もそう言ってくれたが、相変わらず声がデカく、同調してくれたのは嬉しかったけれど、僕は顔を顰めた。
「うるさい」
「それは俺のアイデンティティなんで」
「あと、もう一つ報告」
「何だ何だ」
「西藤には関係ない」
「呼んだ?」
「志茂も」
「じゃあ俺かー。いやーありがとうありがとう。ごめんねー」
「森木でもない」
「じゃあ誰だよ」
「坂田に」
「え?」
唐突に指名されて坂田は驚いているようだった。
「実は、今日帰り道にコンビニで一番くじ二回引いてきたんだけど、それがダブっちゃって。確か、坂田が「デイズおん」知ってるでしょ。だから、上げる」
「デイズおん」とはマイナーなアニメのことで坂田がよく「デイズおん」のキャラクターがデザインされた下敷きを使っているのでプレゼントすることにした。折角このような形で知り合えたのだ。現実では喋ったことないけれど、知り合えた記念ということで。
「ええと、ありがとう」
「じゃあ、明日坂田の机のほうに置いとく」
「ああ、いや、えっと、それ以外で」
「それ以外? なら、坂田の家に郵送する?」
「あ、じゃあ、えっと、それで、お願い。ありがとう」
「そんなにリアルで浜辺と話したくないか。いや、まあ話したくないわなー。こいつキモいもんなー」
西藤が茶化してくる。
「ああ、いや、そんなつもりじゃ。単純に、その、リアルはあんまり」
「わかってるよ。おっけい」
「ごめん」
「お前らが煽るから、坂田困ってるじゃんか」
さっき茶化した仕返しだ、と僕が言うと
「煽ったの俺らじゃなくて西藤だけな」
と森木から真っ当な指摘を受けて僕はチェッと舌打ちした。
六月二十四日
気がついたら期末考査十日前。時が経つのは本当にあっという間だ。
普段は一週間前から勉強を始める僕だが、前回の中間考査で非常にやばい成績を取ってしまったため、休み時間も勉強に費やす。しかし、今日も大滝がやってきた。今日は後ろにおまけの二人もセットだ。
「おい、浜辺、いいこと教えてやろう」
「何」
もう期待はしない。
「現在売上は八万円だ、八万円」
大滝は耳元で言った。汚い息が耳の中一杯に充満し、僕は押し寄せる吐き気を堪える。
やっぱり煽りに来ただけだ。一人四千円で八万円だから二十人か。まだまだ収益が伸びるだろうな、ああ、そんなこと考えるのはよそう。虚しくなるだけだ。
「ありがとーなー」
大滝は僕の肩を乱暴に叩き、去っていった。殴られなかっただけまだマシか? 肩パンも十分痛いけど。いや、そんなわけない。全く不釣り合いだ。しかも、あいつはこういう話だけちゃんと小声でやってくる。だから、他のクラスメートは気付かない。クソ。ゴミ。クズ。死ね。
イライラする気持ちを抑えながら放課後、一時間ほど図書館で時間を潰していると、ひそひそとした女子の話し声が耳に入ってきた。僕は本棚の陰に隠れてその話に耳を傾ける。
「...解答買った?」
「実は、買っちゃった」
「私も。世界史苦手だから、つい」
ああ、二人はまさに僕の盗んだ解答について話している。
「バレたらまずいかな」
「バレたら、退学?」
「まさか、バレないよね?」
「大滝君はしっかりしてるから、大丈夫じゃ...」
「でもさ、あの解答盗んだのって」
「ああ、浜辺君」
やっぱり、大滝は全員に言って回っているようだ、僕が盗んだということを。
「いつもクラスの端の方でうじうじしてるのに」
「こんな行動力あったんだ」
「いや、そんなことより。浜辺君、大丈夫かな」
「どうしたの?」
「だってあんなゴボウみたいにヒョロ長くて、ネズミみたいに気持ちの悪い不細工な顔なのに...盗みなんか。失敗してないかな」
盗み聞きで聞いてしまった悪口が一番傷つく。不細工なゴボウネズミで悪かったな!
「確かに、何か証拠を残してしまっていたら...」
「不安ね」
「そもそも、私、あの汚らしいドブネズミみたいな雰囲気嫌いなのよ」
ああ、うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい。
僕は流石に耐えきれず、駆け足で図書館を出た。お前らの方はドブネズミだ、陰口女が。
僕は家に帰るとあの陰口女への怒りを堪えながら『サンシャイン同盟』のサーバーにアクセスした。通話には坂田、森木、志茂の三人がいる。
「ねえ、三人は大滝から解答を売りつけられた?」
通話に入るなり僕はそう尋ねた。西藤が売りつけられているのは昨日確認したので事実だろうが、他三人がどうなのかはわからない。西藤が通話にいるのがベストだったのだが、まあ仕方ない。
「昨日話してた奴?」
「そう」
「俺はもらってないな」
と志茂。
「僕ももらってない」
と坂田。
「俺は当然、買ってるぜ」
「当然って何だよ」
「貰ってないお前にはわからないだろうな」
「まあまあ。で、その買った時に、大滝から何か言われた?」
大滝がどのような文面で、僕が盗んだということを言いふらしているかわかれば、もしかしたら、もしかしたら、何かの誤解を上手く解けるかもしれない。
「うーん。まず、浜辺の指示で俺は売ってるんだ、こんな下劣なことやりたくないみたいなことは言ってたな」
なるほど。しかし、そのような文面ではどうしようもなさそうだ。
「どうせ、あいつは自分がいじめていないってのを見せようとしただけだろ」
「今日は冴えてるな森木の観察眼」
僕が褒めると
「今日も、な」
すかさず訂正が入った。そんな性格だからいじめの標的に選ばれてしまうのだ。
「はいはい、今日も」
「俺の観察眼はシャーロックホームズにもエルキュールポアロにも、ナポレオンにも勝るからな。ということで、今日は外食なのでここらで」
「ああ、お疲れ様、ありがとう」
ナポレオンが何処から出てきたのかわからないがとりあえず、彼のおかげで大滝がどのような風に嘘をついているのかが具体的にわかったので感謝を述べた。森木はどういたしまして、ときざに言って通話を去った。
「僕も、宿題あるから」
と坂田もそれに続いて通話を抜けて行った。そして、僕と志茂の二人が通話に残された。思えば、通話で志茂と二人きりになるのは久々だ。大抵、僕と志茂は『MWS』のために早めに通話を抜けるからだろう。
「『MWS』する?」
僕がいつも通りそう尋ねると、志茂は返事をせずに黙ってしまった。何か考えているのだろうか。
「どうした?」
「いや、実は...。言いたいことが」
言いたいこと? 志茂にしては珍しいな。でも、なんだろう。
「うん?」
「いや、でも、言ったら...その」
「悩み事? なら、聞くよ」
「いいや、そうじゃなくて。うーん、でも、やめとく。うん、やっぱりやめとく」
いつものような底抜けた明るさとは真反対の様子だ。何か僕に伝えるべきか伝えるべきでないか、真剣に悩んでいるようだ。
「気になるなぁ。土下座しても教えてくれない?」
「俺は、それに関して...いや、でも、教えるのはやっぱり...、俺には、やっぱり言えない。まじで、ごめん」
そんなに言われたら気になるじゃないか...。
「いや、いいけど。でも」
「『MWS』やるか」
「おう、そうだな」
気になる。気になる。ここまで改まった様子の志茂など見たことがない。だけれど、深入りするのはやめておくことにした。現実では全く無縁だが、ネット上ではこうして、虐められているという繋がりから親しくなれたのだ。親しき仲にも礼儀あり、と言うように、彼が言わないと決断したのだから聞くべきではない。僕はそう自分を納得させた。普段の僕ならそれで納得していなかったかもしれないが、今の僕は様々な面倒なことを抱えているからそれで納得できた。
六月二十五日
視線を感じる。やはり、大滝が、皆を洗脳して行っているからだろう。かと言って有効な対策も思い浮かばない。とりあえずは気にしないでおこう。どうせ、一人ぼっちの人間なのだ。周りからどんな風に見られようが気にしないでいい。そう気楽に考えれば済む話だ。
それより、大滝が今日は一切僕のところにやってこなかった。やはり、彼は模範解答を売って得た収益で満足しているようだ。束の間の幸せだ。満喫してゆっくり勉強でもしよう。
しっかり休み時間フルで勉強したおかげか、何となく今日はもう勉強しなくても大丈夫という自信が湧いてきたので、僕は『サンシャイン同盟』の通話に清々しい気分で参加する。
「ういーっす」
僕が入って数分して、西藤がだるそうに入ってきた。
「どうした、なんか疲れてそうだけど」
「人生ってのは疲れるもんだ」
「は?」
「いってえな」
「今の発言が?」
「ちげえよ。殴られた」
「小木たちに?」
いつぞやのトイレでの件の仕返しを今晒されたのだろうか。
「あのトイレでのやつの仕返しじゃねえぞ。また別の件」
西藤は僕の考えていたことを見透かしたようで言った。
「ちなみにトイレでの件はどうなったの?」
「ノーコメント」
「Mの西藤でも言いたくないような酷いことをされたのか、可哀想に」
僕はちょっと煽りを混ぜた口調で言った。
「Mだからって自分のM経験を他者に嬉々として語ると思うなよ」
「え、でも、M経験を語ることで更に自分を恥ずかしくさせるっていうM効果があるんじゃないの?」
「俺は別に自分に恥ずかしい思いをさせたいんじゃないんだよ。なんていうか、こう」
「まあ性癖は人それぞれだ。うん。話を戻そう」
「お前が脱線させたんだよ」
「で、なんで殴られたの」
「まあ、言うほど大した理由じゃないんだがな。なんか口喧嘩吹っ掛けられたから上手く言い返して、論破したら思いっきり足蹴られた。多分アザになってる。ちょっと確認してみる」
ガサゴソと音が聞こえる。
「うわー、ガチで黒っぽくなってる。内出血だ最悪」
「まじで?」
「そんな目を疑うようなことじゃないけどな。ほれ」
西藤から足のドアップの写真が送られてきた。確かに中央が結構激しく内出血している。気持ちの悪い赤黒い斑点が見えるあたり多分内出血なのだろう。
僕は足とか手とかにはあまり攻撃されないので、大滝のせいで内出血したことは少ない。
「湿布とかなんかそういう系のもの貼った方がいいかなぁ」
「サロンパス?」
「あれは匂いキツイ。妹から文句言われそう。しゃーないし、普通に放置しとこうかな」
「お大事に」
僕がそう言ったのと同時に僕のスマートフォンから『ティロン♪ 』という音が鳴った。何の通知だろうか、と確認すると志茂から、喉壊したんで通話行けないけど『MWS』しよ、とメールが来ていた。僕は、おk、と返信して
「ゲーム落ち」
と西藤に伝えて、通話を抜けた。いつも馬鹿でかい声で無茶苦茶喋るから、そりゃ喉も痛めるよ。
六月二十六日
日曜日は皆忙しいようで『サンシャイン同盟』で通話はしなかった。そのため、僕は一日中『MWS』をするという正気の沙汰ではないことをすることになった。
ゲームや休日は束の間の快楽だ。少なくとも、今の僕にとってはそうだ。明日になればまた、学校が始まり、視線、罵声、愚痴、暴力を受ける日々が始まる。それの繰り返しである今の毎日に意味はあるのだろうか。そして、救いはあるのだろうか。
六月二十七日
喜ばしいことに、大滝は今日も僕の席のところに来なかった。しかし、代わりに顔見知りではない丸眼鏡の女子生徒が話しかけてきた。
「昨日は大滝君はあなたのところに姿を現さなかったわね。どうせ裏でいじめてるんでしょ。大滝君の方があなたより大きいし本田君とか井伊君とかを引き連れてるし、大滝君の方があなたより立場は上だと思ってたんだけどまさか。それも全部あなたがいじめを隠すためにやっていたことだったのね」
と早口で捲し立てるとまた、女子たちの集団へと戻って行った。まさか、そこまで誤解する生徒まで現れるとは。あまりにも強引だ。大滝は催眠術でも使っているのか?
大滝の洗脳は大滝が悪いが彼女のこじつけもあまりにも酷い。正直、少し彼女にも怒りを覚える。だが、多分、これでは済まない。今後ももっと大滝に洗脳された人が増えるだろう。今僕がされていることはいじめなのか? それとも、新しいいじめでもない何かなのか? とりあえず、それまでの束の間の幸せをゆっくり満喫しよう。
何も解決していないのに清々しい気分でいたのだが、それも長くは続かなかった。終礼で恐ろしいプリントが配布されたのだ。
『理科研究宿泊』。これは多分うちの学校だけの特別な合宿で、希望する生徒のみで行われる。幾つかプログラムは定められているものの、本質的にはただの理科の有志補修である。そんなものに理科が好きでも何でもない僕が参加しているのか。
理由一、プログラムの一つの『化石発掘体験』。実は、僕は古生物学に関心がある。
理由二、親の圧力。こっちが大きい。理科が苦手なんだったら、補修行ってこいと両親から圧力をかけられたのだ。
この二つの理由で僕はこれに参加することにした。しかし、応募用紙を出してから後悔が襲ってきた。
実は、『理科研究宿泊』こと『理研宿』は三日間の合宿なのだが、その間、授業進度にずれが生じないように高校一年生は休みになるのだ。最初は化石発掘とか行くしかないだろ、と思っていたが、今はその三日間で自分でまた別の化石発掘プログラムを予約して行ったら良かったのではないかと思っている。しかし、運良く大滝は『理研宿』に参加しないので、彼から逃れることはできそうだ。
だが、今僕の周囲は今まで以上に敵だらけだ。あの陰口女子もしかり。どうすればいいのだろう。僕にはわからない。もう全て放棄してしまいたい。
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