平穏が崩れるのは、いつも突然
彼女を見て、一番最初に胸を満たしたのは、好意だった。
それが、とても恐ろしかった。私は、人間が大嫌いだ。いまだにパーティメンバーでさえ、好きになれない……
そんな私が、一目見ただけで好意を抱いたことが、あまりにも信じられなかったのだ。
だから、不躾にもじろじろと見続けてしまった。彼女が話に聞いていたアモールという少女だということはすぐにわかった。ラーミナが連れてきた少女であり、聞いていた外見とも一致したからだ。
視線が気になるのか、キョロキョロとあたりを見回す彼女。そして、こちらを向いた彼女と視線が交差する。
──瞬間。心臓が、強く脈打った。
目を、逸らせなかった。その紅い目から。その目を見ているだけで、不思議と恐怖心が和らいでいった。
安心して、力が抜けてしまう感じ。感じたこともない、温かい何かが胸を満たす。
やはりおかしい、何だこれは。一体何が起きているんだ。
そんな不信感も、不自然に消えていく。彼女に不信感を抱くことを本能が邪魔してくる。
そんな中、この見つめ合いに痺れを切らしたのか、桃髪の少女が手を振ってきた。
それでようやく我に返り、混乱して思わず立ち上がってしまった。さすがにそのまま去るわけにもいかず、彼女の元へ歩いていく。
そして彼女の声を聞いた瞬間、またしても心の中が温かい何かで満たされる。
あぁ、怖い。怖いのに怖いと思えないのが怖い。自分でもだんだんと何に恐怖しているのかがわからなくなってくる。
頭の中が訳のわからないことになり、結局まともな挨拶もできずに逃げ帰ることしかできなかった。
混乱して思考が乱される。それほどまでに、私にとって好意とは未知のものであった。
まぁでも、彼女のこちらを見る目は心配の色が強かった。きっと悪い子じゃないのだろう。そんな彼女にこんなよくわからない感情を向けてしまったことに、ほんのりと罪悪感を覚える。
あぁ、きっと彼女はパーティに大きな変化を齎すのだろうな、とたった一言話しただけなのに不思議な確信があった。
彼女が齎すものが良いものなのか、悪いものなのか、それはわからないが。
──────────────────────────
ラーミナさんの元で生活を始めて1週間が経った。掃除や洗濯その他の雑用を請け負いながらの生活だ。どれも孤児院にいた頃からしていたため正直とても楽だった。魔術のおかげもあってそういった仕事は一瞬で終わるため、自由時間はかなりある。
この一週間で周辺を散策しまくった。それなりに地理を把握することができて満足である。ちなみに慣れてない人が一人で出歩くのは危ないからやめろと怒られ、途中からルピウスさんの付き添いが加わるようになっていた。
そうして外出しつつ、冒険者証は手続きをしてから3日後に受け取りに行った。名前などの情報が彫られた木のカードである。冒険者ランクが上がっていくとカードの材質が変わっていくらしい。
カードには魔術刻印がされており、これによって偽造が難しくなっているのだとか。相当に高度な魔道具が使われたものだ。この刻印ができる魔道具が高価なものであるからか、カードを発行できるギルドは少なく、ランクが上がった時は大きなギルドに出向く必要があるらしい。
そんな冒険者証を懐に仕舞い、革の鎧を身に纏っていく。よくRPGなどで見る、戦士の初期装備といった見た目だ。
実は防具などをどうするかという話になった時、ラーミナさんのお古をもらえることになったのだ。僕に合うサイズのものは流石になかったので少し加工しには行ったが、それでも新しく買うよりはだいぶ安くなった。本当に、何から何までしてもらって申し訳なくなる。
よくファンタジー作品で見かける魔術士のローブは、魔物と戦うことになる冒険者はほとんど着ないらしい。後衛だろうと出来るだけ防御力があった方がいいのは間違いないので、基本的にはこういった鎧を身につけるようだ。魔道具としての価値が高いローブを持っていれば別なようだが……
そしてそんな革の鎧を纏った僕はついに今日、初めての依頼を受けるのである。
既に戦力過剰、かつ僕は後衛だから比較的安全だということで、最初から討伐依頼である。まぁ、遅かれ早かれ経験は積まないといけないのだ。こんな安全に経験が積めるのはかなり恵まれているだろう。
パーティメンバー全員で行くわけではないらしく、僕を含めて四人で依頼を受けることになった。
受ける依頼は二つ。一つ目はフォレストウルフの討伐、二つ目は森の奥に生えている植物の採集だ。
フォレストウルフはまさに初心者御用達の魔獣だ。身体能力も通常の狼よりは強いという程度で、特に魔術を使ってきたり魔術に耐性があったりなどもない。
とは言っても普通の狼よりは強い。本当の一般人には相当荷が重いだろう。ルピウスさんみたいな化け物が普通という世界でもないのだ。魔物の討伐をメインにしていくなら初めに超えるべき相手というだけだ。
まぁ、後衛の僕でも正直狼より多少強い程度の存在には負ける気がしない。いくらでも魔術で対策できるし、なんなら剣を使っても勝てると思う。
「……冒険者は油断、慢心が一番の敵だよ。それは忘れないようにね」
と、そんなことを考えながらルンルンで部屋を出ると、外で待っていたラーミナさんに怒られてしまった。遠足気分でいることがバレてしまったらしい。
今日のメンバーはルピウスさんにラーミナさん。そしてラーミナさんの夫であるアベラルドさんだ。
ルピウスさんはもちろん前衛、ラーミナさんは盾と槍を持ったタンクだ。そしてアベラルドさんは遊撃である。前衛のカバーをしつつ後衛を守る役割らしい。そして最後に僕が後衛である。
凄まじい過剰戦力だ。
ちなみに今日はウルフさんとアーテルさんは別の依頼を受けるらしい。ウルフさんは金髪で筋骨隆々というどう見ても前衛職な後衛の魔術師である。同じく魔術師のアーテルさんと二人で組むのはバランスが悪そうに思うが、どうなのだろうか。
アーテルさんはギルドで鉢合わせてから未だに一度も顔を合わせていない。面白い魔術を使うそうなので気になっているのだが、なかなか話す機会がなくて残念だ。
まぁ、今後仲良くなる機会はいくらでもあるだろう。
初めての依頼もまだで、新生活は始まったばかりなのだから。
※※※
僕たちの住む街は、霧の森と呼ばれる大きな森林に面している。街をぐるりと囲う城壁から外へ出れば、奥に果てしなく大きな森が目に入る。
教会の行事で城壁の外へ出たことはあるが、こちらとは反対側だった。霧の森の話は何度も聞いていたが、こうして見るのは初めてである。
この森から取れる資源のおかげで僕たちの街は栄えているわけだ。
だが、森の奥の方には魔獣も出る。そして増えすぎるとたまに街の方まで来てしまうことがあるのだ。そのためこうして、冒険者たちによって定期的に狩りをするというわけだ。
「アモールちゃんは魔獣見るの初めてっスよね? 苦手だったら氷系の魔術で倒すといいっスよ」
「たぶん……大丈夫だと思う……」
「そうっスか? まぁ、オレが一匹も後ろには通さないっスから。安心して構えて欲しいっス!」
「おい、余計なことを言うな。妙な油断癖がついたらこの子のためにならない」
ルピウスさんと話していると、横で聞いていたラーミナさんからお叱りの言葉が飛んできた。
その隣にいるアベラルドさんは先程から一言も喋らず、黙って歩いている。もともと寡黙な人なのだろう。こちらの会話を気にした様子はない。
そうしてルピウスさんと話しながら歩いていき、そのまま森へと入る。
森の浅い部分は前世でもよく目にした普通の森だ。特に変わったものもない。それでも、やはり自然の森なだけあって足場はあまり良くない。靴底の厚いブーツを買っておいてよかった。
木の根やらなんやらで歩きにくいため自然と口数が減っていく。確かにこんな場所で魔術師のローブなんて着ていられない。だから街にいた冒険者はみな軽装だったのか、と一人納得した。
ルピウスさんに稽古を付けてもらったおかげで体幹が鍛えられたのだろう。歩きにくさは感じるが、足を取られるようなことはない。半年間、指導をしてくれたルピウスさんに感謝だ。
森の中を進んでいくと、徐々に霧がかかり始めた。これが名前の由来なのだろう。とは言っても、それほど視界が悪いわけではなく、若干足元に霧が漂っている程度だ。どことなく神秘的な雰囲気である。
ルピウスさん曰く、もっと奥の方へと言ったら専用の魔道具がないと何も見えないほど霧が濃くなるそうだ。でも依頼は比較的浅い場所にいるフォレストウルフの討伐なのであまり心配しなくていいらしい。
森の奥の方には霧に適合した進化種がいるのだとか。そちらの討伐は何段階もランクが上がるらしい。まぁ、霧に紛れて狩りをするだけあって、浅いところには滅多に出てこないから気にしなくていいそうだ。
霧の中を歩いていくと、ところどころファンタジー感満載の植物を見かけるようになってくる。真っ赤で大きな花弁をつけた花。毒々しい緑の巨大なキノコ。見ているだけで面白い。そしてその視線に気づいたのか、色々解説してくれるルピウスさん。
「あの赤い花は毒があるから近づいたらだめっスよ。毒矢の材料になったりするっスね。触ったらめちゃくちゃ痺れるっス」
「あ、あっちのおっきいキノコも勿論毒持ちっス。でもその横の小さいのは食べれるっスよ」
さすが冒険者なだけあって詳しい。ファンタジー植物なだけあって面白おかしなものも多く、解説を聞いているだけで面白い。
そんなこんなで話しながら進むこと数分。突然先導していたラーミナさんとアベラルドさんが足を止めた。
「そろそろ気を引き締めるんだ。足跡があるよ。ここら辺が縄張りみたいだね」
そっと足元を指差すラーミナさん。霧のせいで若干わかりにくいが、確かに複数の足跡がついている。
奇襲などの対策のためか、先程から僕にピッタリとくっついてくれていたルピウスさんが剣を抜く。
「あんまりオレから離れないようにするっスよ」
四人で足跡を辿っていくと、だんだんと足跡が綺麗な形になっていく。群れが近いのだろう。まだ付けられたばかりのものだ。
おそらくこんな風にじっくりと行かなくても、このパーティならサクッと見つけて討伐してしまえるはずだ。きっと、僕の経験のために敢えてこうしてくれているのだろう。冒険者としての動きを敢えて見せてくれているわけだ。その意図を汲んで、僕もしっかりと足跡を探しながら歩く。
真剣な表情で、口数を減らしたルピウスさんに倣って僕も気を引き締めた。
この辺りにいる、それはわかっているので慎重に歩いていく。
地面を確認しながら進んでいくと、あるところで足跡が消えていることに気づいた。その周辺を確認してみるも、やはり足跡はない。
一体どこへ……と首を傾げていると、突然浮遊感。
「んぇ!?」
視界が急に揺れて一瞬理解が遅れる。一体何が……と思っていると、いつの間にかルピウスさんに抱えられていることに気づいた。急に僕を抱えたルピウスさんがジャンプしていたのだ。
タタっという音と共に軽快に着地したルピウスさんが僕をそっと下ろす。
「上だ!」
そう、アベラルドさんが叫んだ。それと同時に木の上から次々と降ってくる影。そう、フォレストウルフである。
そして前方を見てみると、先程僕が立っていた場所で唸る狼がいた。上から奇襲を仕掛けてきたのだろう。全く気づいていなかったのでルピウスさんに助けられてしまった。
前方には7匹の狼が群れで構えている。こちらを睨んで涎を垂らす彼らを見て喉の奥が引き攣った。平和ボケした元日本人である僕は、自覚している以上に耐性がなかったのかもしれない。飢えた野生の肉食獣が醸し出す雰囲気は……想像していたよりずっと恐ろしいものだった。思わず一歩後退る。それを見たルピウスさんが、まるで街の中にいるかのような気安さで、僕の頭をポンポンと叩いた。
「オレらがいるから大丈夫っスよ。じゃ、あとは習った通りにやってみるっス! オレはもう行くっスよ!」
そう言って飛び出して行ったルピウスさんと入れ替わりにアベラルドさんが僕の側に立つ。そういえば後衛を守るのが彼の役割なんだったか。槍を構えた彼がそっと目で合図してくる。
ハッとした僕はすぐに詠唱を始めた。
「我は支配する者、此処において我が命は絶対、氷よ、我が手足となれ。顕現せよ!」
最後の節を唱え終わると同時、氷の球体が2つ現れる。浮遊するそれは、僕の周りをゆっくりと漂い始める。
これは使用者を自動で守ったり、敵に斬撃を飛ばしてくれたりする便利な中級魔術だ。中級の中でも上位なだけあって性能は凄まじい。
狼程度ならこれを越えられることはないだろう。
と、そうして詠唱しているうちに、ルピウスさんが目で捉えられない程の速さで三匹の首を刎ねていた。流石だ。残り4匹の内3匹はラーミナさんが引き受けており、1匹はこちらを睨んでいる。
そしてそれを見たアベラルドさんが、僕のすぐ側で詠唱する。
「我は創造する者、千草よ、蔓延れ、
詠唱が終わると同時、地面から迫り上がってきた太い
「こういうのも経験だ。やってみろ」
どうやら僕に止めを刺せという事らしい。
命を奪う、それを必要以上に躊躇うほど僕はいい子ちゃんではない。でも、前世含め明確に何かを殺そうとするのは初めてだ。怖くないといえば嘘になる。
これもきっと、冒険者になる上で大事な経験なのだ。そう自分に言い聞かせ、震える手を握りしめる。
浮遊している氷球へ魔力を注いでいく。標的を、目の前で拘束されている狼へと定める。
捕えられた狼は、目を血走らせて暴れている。
「ごめんね」
そして、氷球から氷の刃を射出した。凄まじい勢いで飛んでいったそれは、狙いと寸分の違いもなく、狼を左右に両断した。
初めて、生き物を殺した。直接この手で殺したわけではない、だが、なんとなく嫌なものを胸の奥に残した。気分が悪くなり、そっと胸をさする。そして他の狼に目を向けようとしたその瞬間────
「ッ!?」
突如として激しい頭痛に襲われ、思わず頭を抑える。
「おい、大丈夫か?」
「だ……い、じょうぶ」
頭が割れるように痛い…………気持ち悪い、生き物を殺したショックではない。何かが体の中に入ってくるような、臓器を侵される気持ち悪さ。何かが、体に流れ込んで来ている、それだけはわかる。一体これは…………
でも今は戦闘中、冒険者をやっていくなら、こんな事で止まってはいられない。
「ラーミナさん!」
先程からこちらを気にしながら槍で二匹の狼を刺し殺していたラーミナへ声をかける。僕の意図を察したのだろう。最後の一匹の牙を盾で受けると、そのまま思いっきり押し返し、狼の体勢を崩す。そうしてラーミナさんが飛び退いたのを狙って、再度氷の刃を飛ばした。
そうして最後の一体に止めを刺したところで、再度頭痛が襲いかかってくる。先程よりも更に強い痛みだ。
ガツンと頭をバットで殴られたような痛みに、視界がチカチカと明滅する。
体の中にナニカが入ってくる…………ぬるぬるとした何かが、体内を犯してくる……
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い
息をするのも苦しくて、思わず膝から崩れ落ちる。
「アモールちゃん!!」
僕の異変を察知したルピウスさんが駆け寄ってくる。そのまま倒れ込みそうになる僕を受け止めてくれた。
だが、お礼を言う余裕すらない。みんなの目の前なのに、あまりの気持ち悪さに胃の中をぶち撒ける。頭の痛み、そして全身の気持ち悪さ、まるで大量の虫が細胞の隙間、臓器の間を這いずり回っているかのようだ。一体なぜこんなに急に…………
背中をさすってくれるルピウスさんを見上げる。明滅する視界の中目が合う。
僕の目を見た彼は、なぜだか目を見開く。驚愕に染まった顔、その目には、驚きだけではない……何か不思議な色が見える。
そんな彼の表情の理由について考える間もなく、僕の意識は痛みに耐えきれず暗転した。
※※※
目が覚めたら、視界にはつい最近見慣れた天井。
しばらく、そのまま惚ける。一体自分は何をしていたのだろうか。
ここはラーミナさんの家の、僕にあてがわれた部屋だ。たしか、僕は初めての冒険者依頼を受けていたのではなかったか。
一体何が……と起き上がったところで、意識が落ちる前のことを思い出す。もう頭痛は治っている。一体、あれは何だったのだろう。
体の中を、魂の奥まで侵食されるような感覚。思い出すだけで気持ち悪い。
「アモール! 起きたか……良かった……」
そして僕が目覚めたことを気配で察したのか、勢いよく部屋に入ってくるラーミナさん。僕の姿を視界に収めて胸を撫で下ろしている。
「急に倒れて心配したよ……今は体調はどう?」
「今は特に何とも……もう元気です!」
そう言って笑いかけると、安心したように息を吐く彼女。どうやらかなり心配を掛けてしまったらしい。今は本当に不調はない。
「取り敢えず今日は仕事はしなくていいから、もう寝るんだ」
「いえ、全然働けます!」
「頼むから安静にしていてくれ……」
首を振るラーミナさんが、マットレスから起きあがろうとする僕を手で制す。 そしてもう一度、寝ているようにと釘を刺して部屋を出ていく。
その入れ替わりでルピウスさんが部屋へと入ってきた。
「無事で良かったっス……ほんとに心臓止まるかと思ったっスよ」
「心配かけてごめん……」
安心したように頬を緩めたルピウスさんが、マットレスの横に腰を下ろす。そして、何だか申し訳なさそうに頬を掻く。
「やっぱり、苦手だったっスか?」
何が、とは言わない。おそらく生き物を殺したことについてだろう。確かに傍目からはそう見えたのかもしれない。
「いや、別に……ああいうのが無理だったわけじゃなくて……」
何と説明したらいいものか。狼に止めを刺した瞬間、奇妙な感覚と共に激しい頭痛がした。あれが結局何によって引き起こされたのかわからない。もしかしたら、僕が自覚していないだけで、精神的な何かからくる不調だった可能性も実際ある。
そういうのを、言葉を選びながらルピウスさんに伝えていく。静かに目を閉じ、ところどころ頷きながら聴いてくれる彼。
話し終えると、うーんと大きく唸った。
「あんまり、そういうのは聞いたことないっスね……でもやっぱり、アモールちゃんのいうように、殺したショックでなっちゃったっていう可能性もあると思うっス」
「……何かあの狼の魔術の影響だったりは……」
「フォレストウルフにそういう特殊な力はないっスね……何にせよ、原因は調べていかないとっスね。魔獣を殺すたびにこういうのなってたら、冒険者活動なんて言ってられないっスから」
それを聞いて、うっと喉の奥が詰まる。先程からぼんやりと頭の片隅で考えていたことだった。この頭痛が毎回起きるなら、冒険者なんてやってられない。
まだ一回目だ、まだ悲観するには早い。だが、今後の生活を大きく左右する問題に突然ぶつかって、色々と不安になっていた。それくらい、初めての依頼で気絶したという事実は、僕に重くのしかかっていた。
そんな僕の様子を見て、ふむ、と顎に手を当てたルピウスさんが悩むような仕草をする。
「アモールちゃんは……どうして冒険者になろうと思ったんスか? その歳で、その魔術の腕前なら、きっと何にでも成れたっスよ。それこそ、魔道具師にでも成れば大儲けだってできると思うっス」
そう、真剣な顔で見つめてくるルピウスさん。もしかしたら、遠回しに他の仕事を勧めているのかもしれない。
「私は…………その、冒険者として世界を旅して、いろんな生き物とかを見られたらなって……いつか、実力をつけたら自由に世界を見てまわりたいから」
「なるほど。いい夢っスね。確かに、冒険者以上にいろんな生き物を目にする仕事は珍しいっス!」
にこりと笑いかけてくれるルピウスさんに対して、なんとなく、不思議な気持ちになる。初対面の時は正直ただのチャラ男だと思っていた。それが今は……頼りになって優しい、いいお兄ちゃんみたいな……そんな印象だ。
ふと、優しい目をした彼に、疑問が口から溢れる。
「ルピウスさんは、何で冒険者になったの?」
それを聞いたルピウスさんはなんとなく気まずげな顔で頭を掻く。あまり、聞かない方が良かっただろうか。
「オレは……もともと代々騎士の家系に生まれたんスよね……オレにも小さい頃からずっと剣を握らせてきて。将来は立派な騎士になるんだって、毎日のように言い聞かされて……」
騎士。なるほど……どうりで剣の腕が凄まじい訳だと腑に落ちる。でも、それを話す彼の表情は少し強張っている。
「でも、オレは騎士なんて堅苦しいのは絶対に嫌で、何より、生まれた頃から騎士になることが決まってるなんて……どうしても納得がいかなかったんス」
そう言ったルピウスさんは強張った顔を綻ばせ、ニヤリと笑う。どこかスッキリとした顔だ。
「だからこうやって逃げて来たんスよね! 剣は盗んで来たっス! 逃げた先でヒルデガルドさんに出会って……そのまま拾われることになって……あの人にはほんとにすごい恩があるっス」
はははと笑う彼の表情は明るい。随分とヒルデガルドさんと仲が良いなとは思っていたが、まさかのそういう関係だったらしい。なるほど、ヒルデガルドさんの言葉に容赦がなかったのはそういうことか。
指を立てて得意気な顔をしたルピウスさんが、一拍置いて口を開く。
「だから今は、こうして冒険者として成り上がって、いつか家族を見返してやるのが夢っス!」
「いい夢……だね。ルピウスさんの剣技なら、絶対頂点目指せるよ。ほんとに、今まで見た中で一番カッコいい剣技」
「あはは! ありがとうっス! いやぁ、剣使う人ほんとレアなんスよね〜。少ないけど、その中でいつか最強になってみせるっスよ」
こうして、笑い合っていると、やっぱり一緒に冒険者として頑張っていきたいなと思う。冒険者としての彼らは、最高にカッコいい。
なぜかすごく悲観してしまっていたが、よく考えたらまだまだ初めての依頼で、あの謎の不調も一過性のものかも知れない。簡単に治るもので、そもそもあの魔獣は一切関係なかったという可能性もある。
なんとなく、ルピウスさんと話していて元気が湧いて来た。元気な彼に釣られて僕も元気になる。
「そうそう、せっかくだし、そのルピウスさんっていうのやめていいっスよ! 呼び捨てして欲しいっス!! 歳も近いっスし」
「っ!!」
呼び捨て、呼び捨て…………なんとなく、恥ずかしい。でも、なんだか、対等な友達になれたみたいで、嬉しい気持ちが湧いてくる。なんとなく、ルピウスさんは友達というより兄という感じがするけど。
「その、る、ルピ……ウス」
「うんうん! そっちのがいいっス。じゃあ、オレもアモールって呼び捨てにするっスね!」
少し照れつつも、なんとか名前を呼べば、嬉しそうにはにかむルピウスさん。それを見て、胸の奥に暖かなものが溢れてくる。今まで、仲のいい友達に飢えていたのだ。
この世界にきて、こうして良い人とばかり巡り合っている。こういうことが重なると、もっと、欲が湧いてくる。
もっと、みんなと、仲良くなりたいな…………
「……ッ!!??」
そんな欲深いことを考えたのが良くなかったのだろうか、またしても、突如としてあの頭痛がやってくる。何かが侵食してくる気持ち悪さは今回はない。ただただ強烈な痛みが頭を襲う。
「あ……ぃ……」
あまりの痛みに、声にならない呻きを漏らした。力が抜けて、起こしていた上体が横に崩れ落ちる。
苦しい……痛い……なんで……
「アモールちゃん!! …………ッ!!」
頭上から、息を呑む音が聞こえる。横にいたルピウスさんが咄嗟に抱き抱えてくれたのだ。だが、僕を支える手がなぜだか震えている。
「あ、もーる……?」
なぜか、ルピウスさんが弱々しく僕の名前を呼ぶ。なんとか顔を上げれば、あの時と同じく目を見開いているルピウスさん。彼の目には一体何が見えているというのだろうか。驚愕に染まった顔で固まっている。
僕を抱える手が震えているが、その理由を気にする余裕が僕にはない。頭が弾けてしまいそうなほどの痛みが、正常な思考を奪っていく。
僕が痛みに苦しんでいる間に、固まったルピウスさんが再起動して僕をそっとマットレスに寝かせる。そして急いで部屋を出ようと、ドアの前に立ったところでピタリと止まった。
ぐわぐわと揺れる視界の中、一体どうしてしまったのだろうかと不思議に思う。
しばらくそうしていただろうか、やや痛みが治ってきた。
少しずつ痛みが引いていく中、不思議に思ってルピウスさんの方に目を向けると、ドアノブに手を掛けた姿勢のまま、振り返ってこちらを見つめる彼がいた。その目はじっと僕を見ている。
なぜだか、その目が怪し気な色を
強張った表情のルピウスさんが、そっとドアノブから手を離し、無言でこちらに歩いてくる。
なぜか、口元は震え、呼吸が荒く、はっはっと短い呼吸を繰り返している。
本当に、どうしてしまったのだろう。尋常ではない様子で近づいてくるルピウスさん。
だんだんと頭痛が治って来た僕は、なんとなく彼の様子が怖くて、マットレスの隅へ後退する。
「どう……したの?」
「…………」
無言で、目を見開いたまま僕の側に立ったルピウスさんは、何を考えているのかわからない目でじっと僕を見下ろす。血走った目が、僕を捉えている。あまりの豹変に、思わず体が強張った。
「こ、怖いよ…………ほんとにどうしちゃったの?」
「ぁ……もーる……」
ゴクリと、唾を飲み込む音がやけに響いた。突然しゃがんだ彼が、そのまま僕に覆い被さってくる。
「な、なに……?」
「アモールは……オレのこと好きっスか?」
突如として訳のわからないことを聞いてくる彼に、完全に困惑した僕は思考がぐるぐるして、まとまらなくなる。何もかもが急展開すぎて、思考が追いつかない。思わず、口から言葉が溢れる。
「えっと……好きだよ……? 友達だし」
それを聞いた彼がようやくその表情を崩した。破顔した彼は、やはりその目のせいでどことなく恐怖を煽る。
「そう……そうっスよね……もう名前で呼び合う仲だし…………もう、我慢しなくていいっスよね」
「な、何を言ってるの?」
彼の情欲に濡れた視線にようやく気づいた僕は、今更身の危険を察知して覆い被さってきた彼から逃げようとする。しかし先程マットレスの隅に後退したせいで、壁際に追い詰められ、逃げ道がない。暴れて上から彼を退かそうとするが、手を掴まれて押さえ込まれる。
なんで、どうして……そんな言葉が脳裏に飛び交う。先程まであれだけ優しくて、頼れる兄貴分だったのに。いきなりなんでこんなことをするというのか。
「や、やめ……」
「アモールが悪いんスよ……」
熱をはらんだ声で、そう呟く彼。
直後、側頭部に加えられた衝撃によって、僕は意識を手放した。
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