魔術
この世界は、俗にいう『剣と魔法の世界』である。スキルなどはないが、魔素が世界に充満し、魔法が一般的に知られている世界である。文化レベルは中世と近世をごちゃ混ぜにしたような感じで、例の如く冒険者ギルドなどが世界各地に存在している。
僕が転生した先はそんなテンプレ異世界であった。
魔法がある影響か、こういった時代にありがちな男尊女卑の傾向は意外と小さく、教育レベルもそこそこ高い。
孤児院でも簡単な読み書き、計算は教わった。記憶が混ざった影響で第一言語がぐちゃぐちゃになってはいるものの、今のところ特に不便はない。咄嗟の思考では前世の言語を使い、普段はこっちの言語で思考、という妙なことになっている。バイリンガルの気持ちが少しだけわかった気がした。
この孤児院では子供全員に基本的な教育を施すようになっている。ここに来る年齢はバラバラであるので、年齢別ではなく習熟度別の教育だ。
基本的に子供たち全員にまずホーンブックという文字の見本が書かれたものが配られる。これは高価なものであるので、院を卒業して行った人たちからのお下がりだ。僕はすでに文字は完璧に覚えていたので新しく入ってきた子に譲り渡している。基本みな紐を通していつも携帯しているので僕はそこそこレアだ。
文字を覚え、簡単な読み書きと簡単な計算を学んだ後は、子供によってそれぞれすることが変わる。
この孤児院は、基本的に教会、修道院の援助や卒業して行った子供達からの支えで成り立っている。それゆえに子供たちへの教育は卒業後の仕事に直結するものが多い。体格の良い男児には剣術を、魔素量の多い子供には魔術を教える。それ以外は女児は裁縫や織物について、男児は農業などについての教育を、というように分かれている。中世風の街並みだが、教育水準はかなり高いと言えるだろう。
尤も、ここが特別大きな孤児院であるからかもしれないが。
そうして僕もつい最近まで裁縫の訓練や家事の練習などばかりしていた。このまま16歳には孤児院を出て、家政婦か何かとして生活していくものだと思っていた。
しかし14歳の誕生日に魔眼を得て以降、魔素量が急激に増加し続けていた。もともと魔素量は圧倒的に少ない方であったので突然言われてもあまり実感はわかない。
これがチートというやつか。まさにテンプレ異世界転生である。
そしてそんなチートによって魔力の増えた僕は急遽カリキュラムを変えられた。
この世界において魔術師というのはそれなりに希少な存在である。魔術師にしかこなせない仕事は多く、日雇いの仕事がそこら中に転がっている。
魔素量の多い奴隷は様々な雑用を効率よくこなせるし護衛にもなるため非常に高値で取引されるらしい。中途半端な実力で外の世界に出ると逆に危険だったりするのだろうか。人攫いとか。
とにかく、せっかく稼ぎ頭となりうる人間がいるのに教育を施さないのは勿体無いと、僕も魔術と魔法を習うこととなったのだ。
魔術と魔法の違いは色々と面倒なので一旦置いておく。簡単に言えば魔術はマニュアル化された魔法だ。まぁ今はそこまで気にしなくて良い違いだろう。
僕の教育係になるのはシスターの一人であるヒルデガルドさんだ。孤児院に来てくれるシスターさんの中でも最も魔術の扱いに長けており、もともとこの孤児院出身らしい。
今は三人の子供が魔術を習っており、僕を含めたら四人になる。
魔術というはっきりとわかりやすいファンタジーには胸が高鳴ったものだ。正直に言うと異世界での生活というのは色々と不便だ。記憶を取り戻す前はこの生活が当たり前だと思っていたが、今は普通に辛いことの方が多い。そのため異世界と言ってもあまり心躍らず、憂鬱気味だったのだ。
前世でも健全な少年として魔法には憧れがあったものだ。楽しみでないわけがない。
そうして初めての魔術講義に思いを馳せているうちに、いつの間にか初講義を受ける日になっていた。
※※※
魔法というのは、世界に
開幕の講義で教わったのはそれだった。正直よくわからない。
「例えば詠唱。旧世界の偉人達が『この詠唱によってこのような効果が起きるようにする』という魔法を行使した。一度行使された魔法は以降ルールとして世界に残り続ける。つまり後世の魔術師達は偉人達の残したルールに従って詠唱をし、然るべき手順を踏むことで原初の魔法と同じ効果を発動させることができるのだ」
杖のようなものを手に講義をするのは三十代ほどに見える金髪の女性、ヒルデガルドさんだ。彼女もこの孤児院を卒業したシスターさんである。やはり孤児院内での繋がりはなかなかに強いらしい。孤児院に来てくれるシスターさんの大半は孤児院出身だ。
そんな彼女の講義は何というか、とにかく堅苦しくて絶妙にわかりにくい。
彼女の話をまとめると、魔法は自分の思うように詠唱して、(力量の許す範囲で)好きなように奇跡を起こすもの。そしてその魔法によって世界にその奇跡を起こすための新たな法則が刻まれる。魔術はその法則に従って魔法を再現するもの。ということだろうか。
「私は大魔女リィリムを祖にもつ魔術を使っている。一番体系的にまとめられているため、広く様々な地域で愛されている魔術だ」
ヒルデガルドさんがそう言って何かを唱えると、掲げた手の上に水球が現れた。なんだかんだ初めて見る魔術に興奮して思わず見入ってしまう。
「ただ唱えるだけではダメだ。最初は頭の中で魔法陣を思い浮かべながら唱えていく必要がある。しばらくして魔力の流れを掴めば詠唱のみでも発動できるようになるからまずは数をこなさないといけないな」
そう言って水球を手にしたコップの中に落とすと、そのコップと一緒に何かの板を渡してくる。
渡されたのは魔法陣が書かれた蝋板であった。中々に精密な魔法陣が描かれている。その上には呪文が。
「初めはそれを見ながら詠唱するといい。それと、出した水は純水だから飲むことができる。その水は飲んでしまっていいぞ」
では、私は他の子達を見てくる。そう言い残し、ヒルデガルドさんは少し離れた場所で板と睨めっこしていた子供達の元に去っていった。
僕も手元の魔法陣を見つめる。ところどころに補足が書き込まれており、どこがどういう意味なのかがわかるようになっているようだ。どうも、魔法陣の意味を理解しながらでないと正常に魔術は発動されないらしい。
色々と面倒だなと思いつつ蝋板に目を落とす。
そうして魔法陣を眺めているうちに、ふと頭の中でカチリと何かがハマる音がした。それと同時に、視界の端がぼやけ始める。視野が狭まり、視界を魔法陣が埋め尽くす。
ドクリと、脈が強く響いた。
頭が熱に浮かされたように、正常な思考を停止していく。自分でも何が起こっているのかわからない。意味もわからず手が震える。
なぜだか気分が高まって仕方がない。熱が胸の奥まで満たしていく。ぴりりと痺れるような感覚が、全身を駆け巡る。
ああ、なんて簡単な術なのだろうか。魔法陣が何を示すものなのか、それが手に取るようにわかる。
見本を見るまでもない。こんな術…………
「我は創造する者、水よ、在れ」
口が一人でに開き、呪文を口にする。魔力が、体内で渦を巻く。
気がつけば、手のひらの上に綺麗な水球が浮かんでいた。
今なら何だってできる。そんな全能感が体を満たす。魔力を練り上げ、浮かぶ水球に注いでいく。
うさぎの形になった水塊は、手の上から地に降り立ち、ぴょんぴょんと跳ね回り始めた。まるで身体の一部であるかのように、自由自在に操れる。
あぁ、これが魔術。これが魔法。全能感が身体を走り抜けるこの感覚、まるで麻薬のようだ。高揚した気分のままに魔力を振るってしまいたい。思う存分力を振るえば、どれほど心地よいことだろうか。
と、そこまで考えたところで向こうで盛り上がる子供達の声が聞こえてくる。そちらへ目を向けると、子供の一人が魔術を成功させたらしい。小さな火の玉をいくつも浮かせている。その側では安全に配慮してだろうか、大きな水球を手に見守るヒルデガルドさん。
そんな彼らの様子を見て、思考が急速に冷めていく。一体なぜこうも興奮していたのだろうか。そう、冷静になった頭で考える。冷や水を浴びせられたように、身体を満たしていた熱が抜けていく。初めての魔術だからと言ってはしゃぎすぎだ。
急に酔いが覚め、テンションの落差に少し眩暈がした。
魔力に酔うとか、そういうのももしかしてあるのだろうか……? 昔ゲームでそういうものを見た気がする。
あまりにも突然のことだった。まるで思考を侵食されるような……気味の悪い感覚。先程の熱を思い出し、薄寒いものを感じた。
もう一度先程の魔術を発動させる。特に何の障害もなく、簡単に発動してしまった。発生した水を手のひらで
物質生成というとんでもないことをしているのにこんな簡単な術式だなんて、魔術とはよくわからない。まさにファンタジーといった感じだ。初めての魔術なのに、自然と簡単な術式だなどと考えているのが、また気味が悪いものであるが。
「先生、見てください! できました!」
取り敢えずヒルデガルドさんの元に向かいながらもう一度魔術を発動させ、成果を見せる。それを見たヒルデガルドさんは側に寄って来ると、にこりと笑って頭を撫でてくれた。
「さすが、随分と早い。もう写しを見ずにできるようになったのか…………せっかくだ、他の系統も試してみよう」
それから、他の魔術陣が描かれた
どれも初歩的なものらしいが、さまざまな種類の魔術があってとても楽しかった。異世界に来て最も心躍る時間だったと言ってよいだろう。
チート? によって魔素量が増えていた時点で察していたが、どうやら魔術の才能もこの身体は備えているらしい。
結局魔眼が何なのかはよくわかっていないが、せっかくの異世界だ。思う存分魔術が使えると思うと、これからの人生に希望が見えた気がした。
それはそれとして、先ほどの高揚は何だったのだろうかと、一抹の不安は残るが。
──────────────────────────ー
目の前で嬉々として魔術を行使するアモールを見下ろす。
既に持参していた魔術陣は底を尽き、仕方なくこの場で蝋板に書き込んだものを見せていく。
話には聞いていたが、これ程とは思っていなかった。
既に初級の魔術は9割ほど覚えてしまった。私は写しなしに使えるようになるまで1年は掛かったものだが……
さすが祝福の子といったところか。
だが不思議なことにあまり嫉妬は湧いてこない。むしろこれからどこまで伸びていくのだろうかと考えるとワクワクしている自分がいた。
冒険者をしていた頃に多くの魔術師を見てきたが、これほどの才能を目にしたのは一度だけだ。
かつてほんの少しだけ見た聖女。彼女はこの子と同じ空気を纏っていたように思う。
この才能……腐らせるのはやはり惜しい。
「アモール、君は冒険者になるつもりはないか?」
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