魅了の魔女

エカチェリーナ3世

魅了の魔女



 曰く、彼女を見たものは例外なく狂う。


 曰く、彼女は狂わせた者たち数百人を引き連れている。


 曰く、狂った者を見分ける術はない。


 曰く、狂った者は死するまで止まらない。


 曰く………………




 そして曰く、彼女は霧の森の奥深くを根城としているという。







 ──────────────────────────








 この世界に勇者として生まれて19年。つい2年前、頼れる仲間達と共に魔王を討伐した俺は、現在世界を周遊していた。


 17年間ずっと戦いに明け暮れる日々だった。魔王を打ち破り、流石に戦いにも疲れてきていたので、折角だからと観光の旅に出たのだ。


 それでも魔王を倒した勇者という称号は中々に有名なもので、各地で面倒ごとが舞い込んできた。だがまぁ、困っている人たちを助けながらの旅というのも悪くはない。魔王討伐に比べれば楽なものばかりだ。



 そうして旅をしていたある日のことだ、その噂を聞いたのは。



 魅了の魔女。



 曰く、西の果ての国に酷く悪辣な魔女が隠れ住んでいるという。徐々に配下を増やし、力を付けている彼女は次代の魔王となるのではないか、そんな噂まで聞いた。


 そのような話を聞いてしまえば、勇者として真相を確かめない訳にはいかない。ことと次第によってはかつての仲間達を再び呼ぶことになるだろう。そう思った俺はすぐさま西へ向かうことを決めた。


 西へ進めば進む程に彼女の名を聞く頻度は増えて行った。その様子に嫌な予感を覚えつつ旅を進めた。



 そして西の果ての国、ボアスペインに入国してすぐに、噂が真実であることを確信した。



 空気が違ったのだ。魔王が討伐され、活気を取り戻していた他国とは違う。いまだ魔王の呪縛のもとにいるような、暗く澱んだ空気。


 往来の人々の顔にはどこか影が差している。市場も人が少なく、寂れた印象を受ける。その様子を受けて、観光旅などと言っていた気持ちが引き締まった。


 ひとまず、この国の冒険者ギルドに登録しに行こう。


 そう思い冒険者ギルドに行くと、勇者だとバレた瞬間熱烈な歓待を受けた。俺の名前なんかで少しでも人々に活気が戻るなら、この称号も捨てたものではない。


 そうしてギルドの職員により、詳しい説明を受けた。


 なんでも、5年ほど前から突然その魔女は現れたらしい。なんの前触れもなく。


 国の西方にある「霧の森」と呼ばれる森。そこへ踏み入った者達が、帰還して数日後に失踪するという事件からことは始まった。


 失踪した者の多くが、霧の森から帰還した時様子がおかしかったという証言が上がっている。どこか上気した顔で、恍惚とした笑みを浮かべていたというのだ。その誰もが霧の森の奥深いところまで踏み入っていたことがわかっているそうだ。


 そして、失踪者があまりにも多くなった段階で、霧の森の異変を調べるべく調査団が編成された。


 誰も彼もが選りすぐりの冒険者だった。以前は霧の森はただ霧がかかっているだけの安全な場所だった。故にこのような事件は何か強大な魔獣、もしくは魔族によって引き起こされたのだと予想されたのだ。



 そうして送り出された調査団は、一人を残して帰ってくることはなかった。



 帰ってきたのは、この国でも最強と名高い魔術師だった。彼女は、焦燥した様子でギルドへ駆け込むと、震える声で「魔女がいた」と告げたという。



 彼女曰く、捜索隊の皆は魔女を一目見ただけで突然おかしくなったらしい。魔女に操られたように跪き、皆恍惚とした表情であったという。


 そして魔術師として、魔力に耐性のあった彼女は数秒間だけなんとか耐えられたようだ。それでも仲間の一人が咄嗟に突き飛ばしてくれなかったら、そのまま操られていただろうと語っていたと聞く。


 彼女曰く、魔女を一目見ただけで頭の中が掻き回され、強烈な感情を植え付けられるという。



 国内随一の魔術師、その耐性を容易く突破する精神干渉はあまりにも恐ろしい。



 そうしてギルドに情報をもたらした彼女は、しかし翌日に失踪した。



 以降迂闊に討伐隊を送る訳にもいかず、徐々に人々が失踪する様子を静観するしかなかったという。森の奥へ入ることを禁止しても、やはり被害は止まらなかったそうだ。この国は森からもたらされる資源によって支えられている部分も大きく、森そのものへの立ち入りを禁止することも難しい現状。


 そんな中で現れたのが俺だったわけだ。



 俺は勇者の加護によって精神干渉の一切を受け付けない。故にくだんの魔女を討伐するのにこれほどの適任はいない。



 その話を聞いて、今回は仲間を呼ぶ訳にはいかなくなった。仲間達は精神干渉への耐性などない。今回は俺が単身で行かなくてはならない。



 どうせ一人で行くのだから、とその日のうちに出来るだけ情報収集と森へ入る準備をして、翌日には森へ様子を見に行くことにした。


 今人々は魔女が街へと攻め入ってくることを恐れている。それほどに強い精神干渉を持っているのだ。ここに乗り込まれた時点で敗北は確定である。あまり悠長なことはできない。




 そして翌朝、早速森へと踏み入った。



 静かな場所だった。深い霧に覆われており、どこか神聖な雰囲気を帯びていた。


 視界は悪いが、コンパスも十分機能し、簡単な地図も借り受けている。それに俺は魔力探知が得意なので、特に問題にはならなかった。



 静かではある。しかし奥の方から感じる強大な気配が肌をピリつかせる。


 魔王の近くにいた時にも感じたプレッシャーだ。存外、次代の魔王であるというのも間違っていなかったのかもしれない。



 そうして気配のある方へ慎重に進んで行くと、体がなんらかの境界を潜ったような感覚があった。魔力の壁とでも言うべきだろうか、薄い膜を通り過ぎたような…………



 それに違和感を覚えつつ前へと進んで行くと、森の中に立つには不釣り合いな、巨大な館が見えてくる。


 塀で囲われており、門の前には甲冑を纏った大柄な男が二人控えていた。木造のその屋敷は、暗い色で塗装されており、なんとも不気味な気配を醸している。



 門番の彼らに騒がれてはたまらない。気づかれないように気配を消して近づく。そして素早く踏み込み、剣を鞘に納めたまま振り抜いて、瞬時に二人とも気絶させた。



「随分な挨拶だな。そんなに私に会いたかったのか?」



 そして門を潜ろうとした瞬間、後ろから声がして全身が粟立つ。全く気配に気づけなかった。


 勢いよく振り返りながら抜剣する。


 そこには、桃色の髪を揺らした、大人に成りきる前くらいの年頃の少女が佇んでいた。光の反射で赤にもピンクにも見える目が妖艶に細められる。



「ようこそ、私の園へ。強い人は歓迎するわ」



 そう言って、唇を舐める彼女は、その幼さにそぐわぬ色香を纏っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る