美味しいものにまつわる小噺
白雪花房
パンケーキ
子どものころ、私は親と共にレストランに入った。どこでもある町の、たくさんある店の一つ。店内もこじんまりとしていて、清潔感がある以外に特徴はない。
端の席に座り、メニュー表を手に取る。なにを頼んでいいか分からず、眉を寄せた。別になんでもよかったけれど、お子様ランチだけは気が引ける。無難にパンケーキを選んだ。
まだかな、まだかな。
先ほどからエプロン姿のウエイトレスが通りを行き来している。皿を運んだり撤去したりを繰り返していた。
そわそわと厨房へ視線を向けると、水が流れたり皿が動く硬質な音が聞こえる。他の料理は順調に運ばれ、香ばしい匂いがただよい始めた。
パンケーキはまだ来ない。料理を待つ時間がやけに長く感じる。「みんなはいいな」と周りを観察している間に時は経ち、お冷に水滴が浮かび始めた。
やっとのことで着たパンケーキ。ふわふわで狐色に焼き上がっている。表面にはメープルシロップがかかり、つやつやと輝いていた。
甘い匂いに釣られるように、ナイフを入れる。
細かく切って、口に運んだ。そっと舌に乗せればすっと溶ける味わい。
まるで夢の世界に入り込んだような心地だった。
仮にあの場面を童話風にアレンジして一枚の絵に収めたら、それは素敵なものになっただろう。
以降、私は一度も外食に行かず大人になった。食事は適応に菓子パンなどを買って、やり過ごす。
コンビニでパンケーキを買って食べてみたけれど、なぜかしっくりこない。昔食べた味とは微妙にニュアンスが違うのだ。
こちらだって完成度は高いけど、妙に味が濃い。子どものころに食べたものはもっと柔らかく、包みこまれるようだった気がする。
でも、果たして当時のパンケーキはどんな味だったのか。
素朴さの中に温かみがあって、安心感がある味わい。
どこにでもあるように見せかけて、どこにもない。同じ味とは出会えない。
もっと早くに気付けばよかった。
就職した後、大規模な町に移り住む。故郷は遠ざかり、簡単には通えない。
思い出の中のパンケーキはふんわりと、とらえどころがなくなってしまった。
またいつか、食べてみたい。
ナイフで切ったものを口に運べば私はまた、あの日の味を思い出せるから。
私は自室の端に立ち、窓の向こうの景色を見つめる。
遥か遠くの空の先に見えるレストラン。青々とした山と小さな町をいくつか越えた先にある遠い場所が、今はほんの少し恋しかった。
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