第20話 心機一転

「はい、これ。鞄忘れてたよ」


 南田さんが自転車のカゴに鞄を忘れて帰ったことに気づいて引き返してきたが。


「……………」

「南田さん。本当に大丈夫?」

「あ、あ!うんうん!大丈夫だよ!助けてくれてありがとう……あと、鞄も」

「あの、もしかして……さっきの奴らが中学の時の?」

「う、うん……でも、大丈夫だよ。家は知られてないし、今日出くわしたのは偶然だよ」


 明らかに今の南田さんの様子は、おかしい。

 過去のトラウマが脳裏を駆け巡っているのではないかと思うと俺は、たまらない気持ちになる。


「もしも本当に困ったことがあったら、俺でも陽菜にでも相談してほしい」

「あ!?う、うん。わかった、ありがとう」

「じゃあ、また学校で」


 俺は近くに止めていて自転車にまたがって彼女にそう言った。


「待って!」


 自転車を漕ぎ始めていたが、南田さんの大きな声に驚いてブレーキを掛けた。


「ど、どうしたの?」

「あ、あの……連絡先交換しない?ほら……相談したい時とか便利だしと……思って」

「ああ。そうだな」


 お互いにスマホを手に取って通話アプリの連絡先を交換するのだか、交友関係が広くない俺はこの作業に慣れていない。


「これで交換できたのかな?」

「うん。笠井君、アカウントの写真デフォルトのままなんだね。なんか面白い」

「いやー、こういう事疎くて……というか興味ないというか」

「笠井君らしくていいと思うな」


 さっきまで様子がおかしかった南田さんの笑った顔を見て俺は少し安心した。


「南田さんは、自分の写真だね。花蓮学園の入学式の日に撮った写真?」

「うん。陽菜に撮ってもらって……学校の正門前でね」

「この時の南田さん、髪の毛ショートヘアだったんだ」

「私、童顔だから少しでも大人っぽく見られたくて髪の毛伸ばしたんだ」

「そうなんだ。今のロングも良いけどショートの南田さんは顔全体が良く見えて可愛いと思うけどな」

「え、え!?わ、私が可愛い……?」

「あ!別に変な意味で言ってるんじゃないよ。なんとなく、そう思っただけで」


 今の会話、陽菜に聞かれてたなら『なに口説いてんだ!』って怒鳴られるシーンが頭に浮かぶ。


「わ、私もう帰るね。今日は本当にありがとう!」


 南田さんは俺のさっきの言葉が照れ臭く感じたのか、慌ててマンションの方へ駆け出して行った。 


 ▼▽▼▽


「結斗、遅かったな」

「あ、うん。ちょっと色々あって」


 自宅に戻った俺は、さっき南田さんにあった出来事を陽菜に話しておくことにした。


「波留に絡んでた奴らって、チャラい見た目だった?」

「ああ。髪の毛も派手に染めて、制服もずさんに着ていた印象だな」

「やっぱり中学の時の奴らだ!あいつら……痛めつけてやったのに、まだ懲りてねえのか!」


 陽菜は南田さんを心配して電話を掛けて話し込んでいるようだった。


「南田さん、どうだった?」

「うん。結斗に助けてもらったから大丈夫って言ってたぞ。これから出掛けるらしくて急いでたみたいだったけど」

「こんな時間に?家族と外食にでも行くのかな」


 その後、定時に帰宅してきた父さんと夕子さんの四人で久しぶりにテーブルを囲んでの夕食の時間が訪れた。


「陽菜ちゃん、もう具合は良いのかい?」

「はい!元気一杯でーす!」

「陽菜!病み上がりなんだから、明日学校でも無理するんじゃないぞ!」

「結斗は心配しすぎなんだよ。大丈夫だって」


 お気楽にハンバーグを美味しそうに口に運んでいる。

 夕食もお粥にするように口酸っぱく言ったのに、俺の言うことなんて聞く耳も持たない。


「結斗君、看病してくれて本当に助かったわ。陽菜、お礼言いなさいよ」

「何回も言ったよ。結斗、心配しすぎて私から片時も離れなかったもんな。どれだけ私のこと好きなんだよ」

「陽菜が傍にいてくれって言ったんだろうが!」


 俺と陽菜のいつも通りの会話でお茶の間は明るかった。

 入浴を終えて自室に向かうと、すでに陽菜が俺のベッドで横になって漫画を読んでいる。


「陽菜の部屋のエアコン、早急にどうにかしないとな」

「え?私は、ずっとこのままでもいいけど」

「お前は夏が終わるまで俺のベッドを占領する気か?」


 俺は本棚から漫画を数冊選んで、部屋を出ようとしたのだが。


「おい、結斗。どこ行くんだよ?」

「どこって……リビングのソファで寝るんだよ」

「ここで寝ればいいじゃん。丁度ダブルベッドなんだし」

「なんで同じベッドで寝る前提なんだよ!」

「で、電気代……リビングもエアコンかけると余計に掛かるだろう?一緒に寝たら節電になるし」

「それはそうだけど。この状況じゃ仕方ないだろう」

「そ、それに母さんと孝之さん。朝早くに仕事に出るのに結斗がリビングで寝てたら気を使うだろう?」

「ま、まあ……確かに」


 確かに俺がリビングで寝ていると父さんたちに迷惑が掛かる。

 上手く言いくるめられているような気もするが。


「じゃあ、俺は床で寝るから」

「バカか!今度は結斗が風邪引くだろうが!」


 そうなってくると消去法で本当に同じベッドで寝るしかない。


「今日、母さんがシーツと布団も綺麗に洗ってくれたから安眠できるぞ」

「で、でもな……」

「家族なんだしいいだろう?ほら、良い子だからこっちにおいで」

「俺はペットか!?」


 このままでは埒が明かないので、俺は折れた。

 少し緊張しながら陽菜が待つベッドに腰かけて横になる。


「ちょ、あんまり引っ付くなよ」

「よいではないかよいではないか」

「悪代官め……。もう電気消すぞ」

「結斗は消したい派なんだ。まあ、ムードは出るよな」

「何の話してるんだか……」


 俺は、しつこく声を掛けて密着してくる陽菜に背を向けて目を閉じた。

 しばらくすると陽菜も静かになり、自然と睡魔がやってくる。


「結斗、いつもありがとな」


 そう呟いた陽菜の声が聞こえると俺の背中に彼女の柔らかい胸の感触が伝わってくる。

 いつもなら離れろと声を上げるところだが……半分寝ている俺に抗う気力はなかった。

 いや……違う。

 陽菜の体に包まれているような感覚で無性に心地良かった。

 俺は、そのまま睡魔に身を任せて眠りに落ちた。


 ▽▼▽▼


「ん、朝……か」


 翌朝、目を覚ますと隣に陽菜はいなかった。

 というか、家に誰もいない。


「陽菜、もう学校行ったのか?今、何時だ?」


 午前7時50分。

 その時間を見て、俺は固まった。


「え!?俺こんな時間まで寝てたのか!急がないと遅刻じゃないか!」

 

 スマホには陽菜からメッセージが届いていて添付されている画像を開くと、俺の寝顔の写真が映し出された。


「陽菜のやつ……こんな事してるなら起こしてくれたらいいのに!」


 朝食を食べる暇もなく、身支度を済ませて家を出た。

 真夏日の中、自転車を急いて漕いで学校に辿り着いた時には体中から汗が噴き出ていた。


 エアコンで涼しくなっている教室に入り自席に腰かけると、なんとか遅刻せずに済んだことに胸をなで下ろした。


「珍しいですね、笠井君。遅刻ギリギリとは。朝は随分のんびりされていたのでしょうか?」

「ああ。誰かさんのおかげで、安眠できたよ」


 悠々と声を掛けてくる陽菜は病み上がりを脱して、いつも通りの西条モードである。


「南田さん……まだ来てないのか」

「はい。少し心配ですね」


 朝や休み時間には、いつも陽菜の近くにいる南田さんの姿が見当たらない。

 昨日あんなことがあったから、もしかしたら気を揉んでいるのかもしれない。


 予鈴まであと数分で迫ったところで教室の扉が開き、俺を含めたクラスメイト達が入ってきた人物を目の当たりにして驚愕した。


「え!?南田さん、髪切ってるじゃん!しかもバッサリ!」

「ショートカットにしたの?かわいい!」


 長くて美しかった髪を短く切ったことで、雰囲気が随分変わって見える。

 クラスメイトの視線や質問をかき分けて、南田さんはいつものように陽菜の前にやって来た。


「は、波留さん。凄い様変わりですね……なにか心境の変化でも?」

「うん。まあ……ね」


 さすがの陽菜も少し驚きを隠せないでいるようだった。


「か、笠井君……どうかな?」


 南田さんは、恥ずかしそうに近くにいる俺に感想を求めてくる。


「う、うん。良く似合ってるよ」

「そ、そっか……笠井君。ありがとう!」


 お世辞でも何でもなく満面の笑みの彼女を見て、俺は本心からそう思った。

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