四.



「こんにちは……というより、こんばんは、かな? ねぇ、隣いい?」


 巫女様がぱちくりと目を瞬かせる。巫女様は小さく頷くと、スッと体を端にずらした。翔吾は巫女様のすぐ隣に腰を下ろす。狭い階段の一番上に座った二人の距離は、腕が振れるかどうかというほど近く、ボクの座る隙間はない。だから、ボクは彼らの二段下に座ることにした。


 美しく発光するオレンジ色の光が、ボクたちを照らす。翔吾はまだこの少女のことを思い出していないのだろうか。それとも、思い出して隣に座っているのだろうか。彼の考えていることは長年連れ添ったボクにもよくわからない。


 チラリと二人の様子を伺う。神社の石段で仲良く並ぶ二人の若い男女、真後ろにはくたびれている赤い鳥居、オレンジ色の夕日……。ここだけを切り取れば、まさに今、何かが始まりそうな予感がする。


 ボクは石段の上で丸くなることにした。二人の仲を邪魔しませんよ、という意思表示だ。……だけど、こそばゆい二人の様子が見れるように、顔を二人の方に向けているのはご愛嬌ということで許して欲しい。


 気まずい沈黙を破ったのは他でもない翔吾だった。


「キミは、どうしてここにいるの? 地球外に逃げなかったの?」


『私は、地球が好きだから。だから、逃げない。だから、捨てない』


 その瞬間、目を見張った。少女が腕時計型ホログラムディスプレイを目の前に表示させたからだ。律儀に漢字にルビを振っている。あの嫌味ったらしい女に管理されていた少女が、まさか最新型機器を持っているとは微塵も思わなかったのである。


「そっか……。俺も似たような感じかな。なんとなく、地球以外に住むっていう選択肢を選びたくなかったんだ。そこまで地球に愛着があるってわけじゃないんだけど……。どうしてかな。他の惑星で生活している俺の姿はまるで想像できなくて」


 生温い風の音と、鳥の囀りが妙に耳につく。少女の声の代わりに自然が反応しているみたいな気がした。


 ボクは上げた顔を下せないでいる。翔吾が地球に残る理由も、巫女様がここで黄昏ていた理由も、気になってしまう。ボクは好奇心に満ちた顔を隠すこともなく、じっと二人の様子を見守る。


 ボクは犬だから、多少不自然なことをしていても許されるんだ。


 心の中でそんなことを呟いてみる。少女のおぼつかないディスプレイが揺れた。文字がぼわんと現れる。


『私と、同じだね』


「そうだね。……ねぇ、ひとつ聞きたいんだけどさ。俺とキミ、ここで会ったことがあるよね?」


 覚えていたのか。ボクの飼い主は僕が思うよりも優秀だった。


『……漢字は読めるようになった?』


「ははっ。情けないところを覚えられてたな。でも、キミもそのデバイス、使えるようになったんだね」


『うん。父上も母上も……神主様も皆、地球を捨ててしまったから。だから、皆が地球を捨てた後、お店から譲り受けたの』


 胸に左手を当てて、綺麗な光沢を放つ見目よいピンク色の腕時計型デバイスを見せびらかす。真っ白で華奢な手に、それはデカすぎるような気がした。おそらく、人間が捨て置いたお店から勝手に拝借した品なのだろう。巫女様といえど、彼女もまた、翔吾とボクと同じように捨てられた遺物で生き凌いでいるのだ。


 艶々とした長い黒髪を耳にかけながら、翔吾に身をすり寄せ、にこりと微笑みかける。犬のボクから見ても、彼女は十分に色っぽく感じた。


「あっ……。えっと、その。上手に使えてるね……?」


『うん。ありがとう』


 翔吾が空咳をして、居住まいを正す。


「……あと少しで、地球が終わるね。キミは怖くないの?」


『怖いよ。すごく。とっても。でも、仕方がないことだから。今更後悔しても、宇宙船は迎えにきてくれないし、隕石は予定通り落ちてしまうし。逃げられないもの』


「もし宇宙船が俺たちを迎えにきてくれて、生き延びれるとしたら、キミは逃げる?」


『どうかな。生き延びたところで、したいこともないし、会いたい人もいない。だから、逃げないと思う。それに、さっきも言った通り、私は地球が大好きなの。だから、地球から離れたくないかな。……貴方は?』


「そっか。……俺も逃げないかな。俺の大切な人はみんな……地球に眠っているから」


『それってつまり』


「あぁ……。みんな、俺を置いて死んでしまった」


『それは、ご愁傷様です』


 おい待て、翔吾にはボクがいるだろう? 確かにキミの両親は交通事故で亡くなってしまったかもしれないけど、ボクは生きてるじゃないか。こうして、そばにいる。それなのに、ボクは犬だから、大切な人にカウントされないってわけか?


 ボクは翔吾の足元に体を擦り付け、存在をアピールする。そんなボクを見て、巫女様は可憐に笑った。


『この子、「ボクがいるよ」って体全身で言ってる。大切な人、一人残ってる』


「……あぁ。コイツは俺の最後の家族だよ。本当に大切な……。でも、コイツは宇宙船に乗せることができないから」


『どうして? ペットも家族だって政府は認めているでしょう? だから、ペットも地球外へ連れ出せたはず』


「そう、なんだけど……さ」


 歯切れが悪い。この巫女様に良いところを見せたいんだろう? そんな情けない姿じゃあ、呆れられちゃうぞ。


「コイツは……クローン、だから」


 ……クローン?


『クローン?』


「キミは神に従事する者だから知らないか。人格権を侵害するような行為だもんな。知らなくて当然だ。……説明してもいいかな?」


『うん。お願い』


「クローンっていうのは、とある生物Aの細胞から、同一の遺伝子を持った……つまり、顔も、体も、細胞も、脳も、思考も、全く同じな生物Aのコピー品のことだよ。科学技術の進化で、一から細胞を育むのではなく、出来上がっている素体に細胞を埋め込むだけで、細胞の主と全く同じ生物を作ることができるんだ。クローンを作ることは倫理違反だと長年の間禁止されていたけど、十年ほど前に、突如クローン作りが解禁されたんだ。解禁された時、俺はまだまだ小さい子供だったからよく覚えてないけれど、大切な人の死を受け入れられない人が多発して、自殺者が不自然なほど急激に増えた年があったんだって。それを機に、世界政府はクローンを作成することを許可したらしい」


『どうして、自殺者が増えたの?』


「それに関しては、よくわかってない。政府はクローンを認可した理由を言いたがらないし、人間の感情が電流だということはわかってるけれど、その経路や詳しい情報については、科学が進歩した今でも何も解明されてない。感情を公式に表すのは今の所、不可能だからね。……だけど、自殺する人の気持ちは少しわかる。なんせ、俺も大切な人たちをいっぺんに亡くしてしまったから。……これは俺の想像でしかないけど、大切な人を失った人々は、クローンを作る技術があるにもかかわらず、それを利用しない世界に絶望したのだと思う。おそらく、みんなで謀って一斉に自殺を試みて政府を脅迫したんだ。クローンを容認しなければ、失われつつある貴重な人間という資源を失うことになるぞ、ってね。……一種の政府転覆の革命だったんだと思う。政府は革命に屈したとは思われたくない。だけど、減り続ける人口をもっと減らさせるわけにはいかない。だから、クローンを暗黙裏に容認した。政府最後の抵抗として、一般市民が到底出せない金額に設定して、ね」


『……技術があるのにそれを利用させてもらえなくて苦しい気持ちは、少しだけわかる、かな』


「もしかして、声のこと?」


 巫女様はコクリと頷いてから、続きを促す。


「ボクも両親とレオが死んだ時、クローンを検討したよ。だけど、学生のボクが出せる金額は微々たるものでさ……。だから、作れたのは、人間よりも安価で作ることができた犬のレオだけ。レオは俺の唯一の家族だ。大切な家族なんだ。……だけど、宇宙移住計画でクローンは移住できないことが世界政府によって決められた。 地球上に膨大なエネルギーがあると言っても、時間は有限だ。五年間で全人類が移住しなければいけないことも、だいぶ厳しい状態だった。それに加えて、クローン研究はまだ完全じゃないんだ。宇宙旅行は何が起こるかわからない。そこにクローンという不確定要素を入れるのはリスキーだと、政府は言っていた。人類において最優先されるのは、本物の人間の安全性の確保。故に、コピー品でしかないクローンは後回しにされたんだ。たとえ、全人類が逃げ出せて、クローンだけの順番が回ってきたとしても、上級市民所有のクローンが優先されるんだろうけどね。俺みたいな下級市民には、クローンを地球外へ連れていく権利すら与えられないのさ。クローンだろうがなんだろうが、レオは俺にとって唯一の家族なのに」


『それが、この子が宇宙船に乗れない理由……。とても辛いね』


「ああ。だから、俺は地球に残った。クローンの細胞を移住先に持っていけば、移住先でもクローン作成は可能らしいけど……俺みたいな身寄りのない下級市民の住む五級惑星ではきっと厳しいと思う。あ、知ってるかな。移住する惑星は一つじゃなくて、幾つもに分かれてるんだ。一級が一番良くて、七級が一番下。星の明るさを示す等級とは違うから誤解してほしくなくって……」


『惑星のことは知ってる。父も母も一級に住めると豪語してたから』


「さすが、神に遣えている一族なだけある。……ともかく、俺はレオを置いて地球を離れたくなかったんだ。惑星に移り住んだって、どんな暮らしが待っているのかわかったもんじゃない。生きるより悲惨な毎日になってしまうかも。そう考えたら、地球に残るのも悪くないと俺は思うんだ。……まぁ、俺の事情はそんな感じ」


『話してくれて、ありがとう』


「いやいや。俺の方こそ聞いてくれてありがとう。長々と自分語りをしちゃってごめん。久しぶりに人と話したからかな。少し興奮しちゃって話しすぎちゃったよ。……あはは、少し喉が痛いや」


 翔吾は眉尻を下げながら、照れたように笑った。ボクがクローンだったという衝撃的な事実とは裏腹に、翔吾が悠々と体を伸ばす。翔吾の話は理解できる。でも、ボクがクローンだなんて、ただのコピー品だなんて、信じられない。信じたくない。


『なんだか、この子、落ち込んでいるように見える』


 巫女様は、そっとボクの背中に手を置いた。それから、ゆっくりとボクの体を柔らかな手で撫でる。

『きっと、貴方の言葉がわかったんだよ。自分が本物ではなく、クローンだって知って、落ち込んでるの』


「まさか」


『私は神と通じ合える神の子だから、動物の気持ちが少しわかる。この子は貴方の言葉にショックを受けている、絶対に』


 ボクは巫女様の足に顔をこすり付ける。キミの言う通りだよという意思表示だ。尻尾を持ち上げ、軽く振って媚びてみた。


「……そうなのかな。うーん。人間以外の生物の知能についてや言葉、感情についての研究も進められていたけど……結局、それらは解き明かされなかった。だから、俺はレオがどのくらいの知能を持っているのか知らない。俺は今日までワウリンガル——犬と喋れるようになる機械が発明されることを夢見てた気がするよ」


 今度は翔吾の足に顔をすり付ける。甘えたいというよりも、ショックの穴を埋めるために翔吾の足に触れたかったのだ。クローン……。コピー品……。偽物……。その事実はボクにとってあまりに重かった。


 巫女様、もし、ボクの気持ちがわかるのなら、翔吾に聞いてほしい。どうしてずっとクローンであることを黙ってたのかって。


『この子、本当にショックだったみたい。疑問……があるみたいだよ。どうしてクローンであることを隠していたのか気になってるの……かな?』


 すごい。この巫女様、本当にボクの心がわかってるんじゃないか?


「はは。黙っていたつもりはないよ。……俺はレオのことを一度もクローンだと思ってないから。これは、レオだ。紛れもなく、本物のレオ。だから、一度もそのことをレオに言わなかった」


 ……翔吾。


「だけど、その大好きなレオともそろそろお別れの時間だ。抗えない運命の中で俺たちは共に伏すんだ」


 ボクはたまらず翔吾に抱きついた。「うわっ」という声と共に、翔吾が地面に倒れる。


「……キミの言うように、レオは言葉を理解しているのかもしれないね。今までもそう感じる時があった」


 巫女様にも、翔吾にも撫でられ、心が満たされていく。心地がいい。そういえば、人が地球にいなくなってから、ずっと緊張の糸が張り詰めていたような気がする。ここには敵もいなければ、心配事なんて何もないのに。


 あぁ、でも。死ぬのはやっぱり怖いし、不安だな。死に対する恐怖を拭うことはどうしてもできない。クローンだった事実も受け止めきれてない。けど、翔吾がそんなボクでも愛してくれるなら、それだけでボクの人生は幸せなものなのかもしれない。


 ボクの尻尾は緩やかに揺れ続けた。翔吾は声の出せない少女に幾度となく語りかける。その声がどんどんと小さくなり、やがて消えた。



 

『眠っちゃったね』


「あぁ。キミに撫でられて安心したんだと思う。キミは本当に不思議な人だ。レオがこんなに人に心を許すことなど、そうそうないのに」


 不思議な人。不思議な力。不思議な感じ。これまでの人生の中でいろんな人に言われてきた。私は選ばれた人なのだと自負してきたし、今でも神の声を聞く。私は絶対的な信仰心を持っていた。


 それも今日で終わる。今夜、隕石が降り注ぎ、愛する地球が死ぬ。


 変わり映えのしない夕陽が私たちを照らし、幸福な温もりが足元から伝わってくる。私は目の前の可愛らしい犬に目を向けながら、少年の他愛もない話を聞く。



 

 オレンジが紺と混じり合い、完全な黒になる前に、私は、私たちは、冷たく身も凍らせる石階段から立ち上がり、十数年過ごしたこの牢獄に別れを告げる。


 私は前を向き歩き続ける。振り返ることすらしなかったが、当然、誰も引き止めるものはいなかった。

 

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