弱った両親を見て、感じる不安

白鷺(楓賢)

本編

両親が年を重ね、以前より体力が衰えてきた姿を目の当たりにすると、胸に不安が広がります。父親も母親も、それぞれ持病を抱えていて、病院通いは当たり前になっています。入院も何度か経験しており、もう昔のように元気だった頃の両親は思い出の中にしかいません。普段は笑顔を見せ、元気そうに振る舞ってはいるものの、ふとした瞬間にしんどそうな顔を見せたり、体の痛みや辛さを訴えたりする姿が増えました。


父親は腎臓が悪く、週に何度も透析に通っています。透析が終わると、帰宅した父はぐったりとしており、血圧が異常に下がっているために顔色も悪く、体がだるそうです。夕方になると疲れがひどく、早々に横になることもあります。かつての元気な父の姿を思い出すと、その変わりように胸が締め付けられるような気持ちになります。


母親もまた、糖尿病や腰痛と戦い続けています。特に糖尿病の症状が進行しているようで、ある日突然、意識を失って椅子から転がり落ちることがありました。幸い大きな怪我は避けられましたが、その時の衝撃は忘れられません。それ以降、転倒を防ぐために、転がり落ちやすい方向にクッションを置くようにしていますが、それでも「いつまた倒れるのだろうか」という不安は消えません。さらに、糖尿病が悪化して何度も入院した経験がある母を見ると、彼女の身体が心配でたまりません。


両親ともに、入院や病院での治療に頼りながらも年金で暮らしており、以前のように家族で出かける機会も減りました。そのため、日常の何気ない瞬間に見せる彼らの弱った姿を見つめるたびに、私は強い不安を感じます。これから先、両親はどうなってしまうのだろう、という不安は消えることがありません。


私自身も、うつ病と発達障害を抱えており、一般的な仕事に就くことができず、障害年金に頼りながら生活しています。就労継続支援B型事業所に通って工賃を得ていますが、その額はわずか1000円ほどです。両親はこれまで、私をサポートし続けてくれました。最初は反対していた障害者手帳の取得や障害年金の受給も、職員さんの助けを借りて納得してくれ、今では応援してくれています。


しかし、家計のやりくりや生活の苦労について、両親にはすべてを打ち明けているわけではありません。両親に心配をかけることで、病状が悪化するのではないかと考えているからです。たとえ話すことで気持ちが軽くなるとしても、両親の負担になるのは避けたいと思っています。それでも、困ったことがあれば相談できる関係であり、家族仲も悪くはありません。時々一緒に外食に行くこともあり、その時間はとても大切です。


そんな穏やかな時間の中でも、父が透析の後にぐったりしている姿や、母が椅子から転がり落ちる姿を見ていると、どうしても心配の気持ちは消えません。そして、自分が何もできない無力さに打ちひしがれることがあります。もし両親の状態がさらに悪化したら、どうすればいいのだろう。そんな不安が常に頭の片隅にあります。


さらに、周りに相談できる相手も少なく、私自身もうつ病を抱えているため、自分の不安や悩みを誰かに話すことが難しい状況です。自分が抱えているこの不安が、うつ病を悪化させているようにも感じます。しかし、それを両親に話すわけにもいかず、心の中に押し込めている自分がいます。


最近になってようやく、作業所の職員さんや相談支援事業者の職員さんに、少しずつこの話を打ち明けるようになりました。とはいえ、すべてが解決するわけではなく、まだまだ不安は消えません。この不安は、両親が年老いていく過程を目の当たりにした人が、誰もが経験することかもしれません。それでも、その不安にどう向き合い、どのように乗り越えていくのかは、私自身も模索している最中です。


少しずつでも、他人に相談できるようになってきたことが、私にとっては一つの進歩かもしれません。たとえ不安が消えなくても、誰かに話すことで、少しだけ心が軽くなる瞬間があることに気づき始めています。

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