第2話 眠らせ姫

「絶対にここで食い止めるのだ!」


 男の怒号が飛ぶ。

 ブロンドの口髭を揺らしながらそう叫ぶのは、この戦闘を指揮する王国ギルドの幹部だ。

 彼が指揮する三十人ほどの大型パーティが対峙しているのは、禍々しいオーラをまとった漆黒のドラゴン。


 この強力な『ダークドラゴン』には、精鋭が集う王国ギルドでさえ苦戦を強いられていた。


 当初、ここまで大きな戦闘に発展することは予想されていなかった。

 王国ギルドが今、攻略に精力を注いでいるのが『黒の迷宮』だ。

 今日もその簡単な調査の予定だったのだが、まさかこれほど強力なモンスターが低層階に潜んでいたとは思いもよらず、不意打ちを食らったことでこのモンスターをダンジョンの外に出してしまったのだった。


 すぐに増援が呼ばれたがそれでもどうにもならず、たった今、第二陣が到着したところだ。


「もうこんなところまで来やがってんのかよ……! クソがっ!」

 青色の髪をツーブロックに刈り上げた男だった

 戦闘服は無駄を一切排した黒ベースのデザインで、体にぴたりと張り付くような素材が彼の鍛え抜かれた筋肉を余すところなく際立たせている。動きやすさを考慮して、肩から肘にかけては柔軟性のある布地が用いられ、胸部と背中には軽量な防護プレートが縫い込まれていた。

 身に纏った黒の戦闘服よりかは少しトーンの明るい褐色肌の男、ヴラドは目の前の光景に舌打ちをした。


 確か、この場所は緑が豊かな森だったはずだ。

 それが今や見る影もなく、完全に焼け野原と化している。

 そして、その上に十数人の王国ギルドメンバーが倒れ込んでいた。

 王国ギルドの敗北は、そのまま王国の陥落に直結する。

 ヴラドの額を汗がつたったのは、ダークドラゴンのブレスで燃えている木々の熱さからだけではない。


「多めに魔力を練っておいて正解だったよ」


 ヴラドよりずっと小柄で幼い見た目の少年、ルティは自身の身長ほどもある杖を構えて大きな魔法陣を出現させると、傷ついた冒険者たちの傷を癒した。


「ヒーラーがきてくれたか……」

「助かりました、ありがとう」


 ルティの回復魔法を受けた者が続々と立ち上がった。


「ブレス注意! 引け!」


 口髭の男はドラゴンの口の端にチラと火の粉が舞ったのを確認すると大声で叫んだ。


「まずいっ! またアレがくるぞ!」

「下がれっ! 下がれーっ!」


 口髭の男の号令を合図に、前衛として戦っていた王国ギルドの剣士たちは一斉に下がった。

 ドラゴンが空を仰ぎ、腹の火袋を膨らませるのと同時に、ルティは前方に大きな盾を出現させた。


「はぁっ!」


 ドラゴンの口から強大な火炎が放たれたのと、出現した盾の内側にギルドメンバーが飛び込んだのは、ほぼ同時だった。


「くっ……」


 ブレスの圧力に押され、ルティの体は後方にじわじわと押された。

 両横を流れる火炎の熱波がその威力を嫌というほど思い知らせている。

 広範囲に回復魔法を展開しながらの防御魔法は高度な技術で、且つどうしても魔力が分散してしまう。


 しかし早期に体勢を立て直すにはこれが最も早い方法だと考えたルティは何とかダークドラゴンのブレスを防ぎ切った。


「はぁ……はぁ……」

「今だ! 一斉攻撃!」


 口髭の男の号令で改めて陣形を組み直し、剣士たちが前に出た。

 総勢五十名ほどの王国ギルドメンバーと、ダークドラゴンの戦闘が始まった。


「こんなに大勢で戦うのはいつぶりかしら」


 黒い着物を着た女性は手にした扇子で電撃を操り、冒険者たちに襲い掛かるダークドラゴンの獰猛な爪を弾くことで戦闘をサポートした。

 だがその援護もむなしく、剣士たちはダークドラゴンにダメージを与えることが出来ずにいた。


「オラァ!」


 全身に紫色の炎をまとったヴラドの渾身の一撃も、かすかに皮膚を裂いただけだった。


「硬ぇなチクショウ……。エマ、お前の魔法で何とかできないのか?」


 エマと呼ばれた黒い着物を着た女性は首を横に振った。


「ダークドラゴンに魔法は効きません。有効なのは物理攻撃のみです」


 これが苦戦を強いられている理由のひとつだった。

 攻撃魔法が得意なエマのような冒険者がダメージを与えられないため、ダークドラゴンの攻撃を防ぐことでしか活躍できずにいた。


「チッ! 使えねぇ」

「ええ。申し訳ないのですけれど、使えない私の代わりに貴方の活躍を見せて頂きたいものだわ」

「誰に言ってやがる!」


 ヴラドはそう吠えると戦闘のギアを上げたことが、彼を包む紫色の炎の勢いが一段と増したことからもわかった。


 何としてでも止めてみせる。

 ――そう覚悟を決めたそのときだった。


 どこからともなく、少女のきれいな歌声が聞こえてきた。

 と思ったら、王国ギルドメンバーが次々と倒れ始めた。


「……っ! まさか……」


 ヴラドは周囲を見渡した。だがどこにも人影は見当たらない。


 間違いない、『眠らせ姫』だ。


 ヴラドがそう思ったときには、自分以外の全員が地面に伏していた。

 あれだけ激しさを増していた戦闘が、今やウソのように静まり返っている。聞こえてくるのは少女のきれいな歌声と、ダークドラゴンのかすかな呻き声だけだ。


 眠らせ姫というのは、突如として現れると強力なモンスターを冒険者ともども眠らせ、冒険者が起きたときには姿をくらませているという謎の人物のことだ。

 ヴラドは眠らせ姫の正体を確かめるため、大勢の王国ギルドメンバーに混ざって咄嗟に寝たフリをした。


 チッ……! こりゃ長くはもたねぇな……。


 こうして横になっているだけで、どんどん夢の世界へ引きずり込まれそうになる。ヴラドはそれを、血がにじむほど拳を握りしめ、舌を噛みながら耐えた。


 眠らせ姫の正体を暴きたいのは、ただの好奇心からではない。

 ヴラドには、彼女がどうしても必要だったのだ。


 あ、あれは……まさか、あいつが?

 ヴラドは目を見張った。


 木々の間から姿を現したのが、まだ幼さの残る少女だったからだ。

 眠らせ姫の姿を見たものはいないのだから、当然ながら変装などはしているものと思っていた。


しかし今ヴラドの目にうつる少女は、裾が腰まで伸びた白シャツ、紺色のキャミソールにデニムのショートパンツという、母と街で買い物を楽しんだ帰りのような格好をしていた。

 柔らかなヘーゼルブラウンの髪は、毛先に向かうほど深みを増し、こげ茶色のグラデーションを描いている。陽光を浴びると、淡い栗色とダークチョコレートの色彩が織りなす、まるで絵画のような美しさが際立った。


「さ、おねんねの時間でちゅよ~」


 まるで赤子に問いかけるような言葉遣いだが、その声がはらんだ怒りをヴラドは確かに感じ取った。


 ゴガァァァアア!


 少女はダークドラゴンの咆哮などものともせず、真っ向から対峙した。


「~~~~♪」


 少女は息を吸い込むと、細い杖を振りながら自らを指揮するように歌い始めた。

 するとあれほど猛り狂っていたダークドラゴンの体がゆっくり傾いた。


 確かダークドラゴンに魔法は効かないはずじゃ……っ! ……これが……眠らせ 姫……。


 先ほどまでとは比べ物にならない、逆らうことすらできない絶対的な力によって夢の世界へ急速に引きずり込まれていくヴラド。


 ダークドラゴンが地面に伏せるのが早いか、ヴラドもまた眠りについた。

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