第32話 夏の終わりに

 夏休みというものは長いようで案外短いものである。


 夏休みが終わりに近づくにつれて、近づいてくる登校日に生徒の多くは恐怖してしまう。


 仁志も夏休みの終わりが近づいて嘆いている1人であった。


 コンビニバイト中に休憩室にて、ぐでーっとしている。


「はあ……もう少しで夏休みも終わりか」


 夏休み期間中はバイトをしてそれなりに稼げていた。


 次の給料日が楽しみではあるが授業が再開するとまたバイトと学校生活の両立に苦しめられることになる。


「まあ、勉強もがんばらないといけないよな」


 仁志は郁人に追いつくためにも勉強もがんばってはいるのである。


 郁人は留学を目的としていて、その資金のためにバイトをしているのである。


 郁人が留学をしてしまえば、仁志とは遠く離れてしまう。それを追いかけるためにも、仁志は最低限の能力を身に着けておかないといけないのである。


 そろそろ休憩時間も終わり、仁志は仕事を再開した。


「いらっしゃいませー」


 コンビニに女性客がやってきた。その女性客は年齢は若そうであるが、かなり濃いメイクをしているのが目につく。


 女性客が商品を仁志のレジへと持ってくる。


「ねえ。最近どう?」


「え? あ、え?」


 女性客に話しかけられて仁志は困惑してしまう。明らかに親しい人物に話しかけるような口ぶり。


 仁志はこの女性が誰であるか、脳内のデータベースを検索して人物を探し当てようとする。


 そうすると1人の女性の面影を感じた。


「まさか、希子か?」


「なに? 気づいてなかったの?」


 もう校則違反として先生に怒られても仕方がないくらいのメイクをしている希子。


 夏休み期間中であるのであれば、注意されることもないが、それでも高校生にしてはやりすぎだと仁志は思ってしまう。


 こんな派手なギャルっぽいメイクをしている希子。少し前までの彼女とは似ても似つかない。


 仁志がかつて好きだった女の子の姿はもうそこにはなかった。


「私は最近良い調子だよ。彼から凄く求められていて……きっと彼は私なしでは生きていけない」


 希子はどこかうっとりするような表情をしていた。その表情に仁志は不気味さを感じていた。


「そうか。それは良かったな」


「どこかの手も出してこないヘタレとは大違い。やっぱり、女子は求められて幸せを感じる生き物だからね」


 希子は仁志に当てつけのようなことを言ってくる。


 仁志にも言い分はある。希子がそういうのはまだ早いからと釘を刺してくるタイプだから仁志もその意思を尊重していたのだ。


 希子が行為を拒否しなければ、仁志はもう少し早く童貞を卒業していたのかもしれない。


「やっぱり、男子は少し強引な方がかっこいいもの」


「なにが言いたいんだよ」


「まあ、同じ失敗を踏まないようにアドバイスをしてあげないとね」


 希子はくすっと笑い、会計済みの商品を受け取った。


「いらねえよ。そんなアドバイスなんて」


「ふーん。そうなんだ。彼女と夏祭りにいけなかったくせに」


 希子はそう言い残して退店した。


「彼女……?」


 ここで仁志は希子と夏祭りで会った時のことを思い出した。夏祭りの時、仁志は女装をしていた。そして、その隣にいたのはさなえだった。


 希子はさなえを仁志の彼女であることは認識している。その彼女が夏祭りに違う相手と一緒にいたことで、仁志は彼女と一緒に夏祭りに行ってもらえてないと勘違いをしていたのだ。


 一応はまた仁志がフラれないようにと希子のおせっかいなことではあるが、仁志から言わせてもらえば特大すぎるお世話である。


 仁志は若干嫌な気分になりながらも仕事を続ける。


 希子のことは大切に想っていた。だから、強引に手をだすようなことをしないし、彼女の体を清らかなままにしておいたのだ。


 しかし、それを当の希子本人に否定されると仁志だってもやもやとした気分を感じてしまう。


 自分が希子と過ごしてきた数年間はなんだったんだろうとむなしい気持ちにすらなってきた。


 だが、仁志には今は大切な恋人がいる。求めたらきちんと答えてくれる。変な腹芸もしないし、想いはストレートにぶつけてくれるような相手。


 さなえも行為に応じる時は応じるし、そうでない時はきちんと理由をつけて拒否をしてくれる。


 そのわかりやすい性格も含めて仁志はさなえのことが好きになっていたのだ。


 もし、仁志がさなえと出会わなかったら……その時に今と同じようなことを希子に言われていたら、脳に深刻なダメージを負っていた。


 さなえの存在があるからこそ、仁志の脳は健康的に保っていられるのであった。


 こうして思い返してみると、仁志は本当に希子と相性が良かったのかとすら疑問に思う。


 相性の良さで言えば、今のさなえの方が断然良いのである。希子と過ごした数年間よりも、さなえと過ごした時間の方が短い。


 でも、さなえとはキスもしたし、それ以上の行為もした。関係の進行速度はさなえの方が上である。


 別にさなえが特別ちょろくてビッチなわけでもない。さなえも相手が仁志だからこそ、体を許したのだ。他の相手だったら身持ちは硬いのである。



 仕事終わりに仁志は郁人に連絡をとることにした。


「もしもし」


「ん? どうしたの? 仁志」


「まあ、用っていう用はないんだ。ただ、声が聞きたくなってさ」


 その言葉に郁人は少し嬉しさを感じた。用がない時でも連絡してくれるのは愛されている実感がわく。


「あ、さなえの方の声が良かった?」


「まあ、できればだけど……別に無理しなくてもいいぞ」


 仁志もさなえの声の方がかわいいとは思っているけれど、別に郁人の声も嫌いではない。


「なあ、郁人。その1度しか言わないからよく聞いてくれ」


「うん」


 なにか大事なことを伝えるのかと思って郁人は身構える。


「その……俺と付き合ってくれてありがとうな。出会ってくれて本当に嬉しい。俺にはもう……お前しかいないんだ」


「え? あ、あええ! ちょ、ちょっと待って、もう1回言って!?」


 郁人は仁志の言葉に心を乱されてしまった。特別な日でもなんでもない日にそんなことを言われるとは思いもしなかった。


「1度しか言わないって言っただろ?」


 仁志は郁人の反応が予想の範疇だったのか先に保険をかけておいた。郁人は悔しがりながらなんとかもう1度その言葉を引き出せないか考えてみる。


「こほん……あーあー」


 郁人が声のチューニングをする。そして……


「おねがい。仁志。もう1回言って?」


 さなえの猫なで声を炸裂させた。これには仁志に対して効果は抜群である。


「な、なんだよそれ! ずるいぞ」


「ずるいのは仁志でしょ? わたしの心に火をつけた責任取って欲しいな」


 仁志は更に弱点をつかれる。さなえの小悪魔的な言動には仁志も弱いのである。


「い、言わねえよ」


「ふーん。そっかー。わたしも仁志に言いたいことあるんだけどなー」


 さなえは含みを持たせるように仁志を揺さぶる。仁志はさなえの言わんとしているようなことがわかった。


「言えば、その言いたいことを言ってくれるのか?」


「うん。約束だよ」


「わ、わかったよ。じゃあ、もう1回言ってやる。俺と付き合ってくれてありがとう。俺には……お前しかいない!」


 もうヤケクソ気味に言う仁志。それでもさなえは喜びをかみしめて「んー」と声を上げて悶えている。


「ほら、俺は言ったぞ。さなえちゃんも俺に言いたいことあるんだろ?」


「あ、そうだったね。それじゃあ言うね」


 仁志はごくりと生唾を飲み込む。どんなことを言われるのか心の中でわくわくとする。


「もうすぐ夏休みが終わるね。また学校で会おうね」


「……へ?」


「言いたいことおわり!」


 仁志はさなえにはめられたことに気づいた。言いたいことがあると言われたが、それは胸キュンなセリフとは一言も言ってないのである。


「お、おい! ずるいぞ! 俺にだけ恥ずかしいことを言わせて!」


「あはは。騙される方が悪いんだよー」


 無邪気にさなえが笑うと仁志の中でふつふつとわからせてやりたい感情が沸いてくる。


「く、くそ! この野郎。覚えていろよ。今度はベッドの上であの時みたいにひーひー言わせてやる」


 ここで仁志はさなえに初体験の時のことを思い出させて反撃しようとする。さなえはその時のことを思い出して少し恥ずかしくなってしまう。


「う、その時のことは忘れてよ。あの時はわたしだって初めてのことで必死だったんだ」


「じゃあ、やめとくか?」


「ううん。して?」


 お互いに沈黙が流れる。そういうやらしいムードになってしまったが、今は電話中。お互い離れた距離にいるために、抱くことも押し倒すこともできない。


「ま、まあそうだな。それはまた次の機会にだな……」


「うん」

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