第22話 夏祭り準備

 仁志がバイトから帰ってきた後、郁人に電話をかける。


「なあ。飯塚。ちょっといいか?」


「ん? なに?」


「あのさ……今度、夏祭りがあるだろ? それに一緒に行かないかって思ってさ」


 仁志は勇気を出して誘ってみた。


「大丈夫? その日バイトとか忙しいんじゃないの?」


「ああ。一応バイトは入っているけど夕方までにはあがれるように調整してもらった」


「そうなんだ。僕も夕方からは空いているから一緒に行けるね」


 郁人と一緒に行けることが確定して仁志はガッツポーズを決めた。


「そうだ。ねえ、風見君。どうせなら一緒に浴衣を着ていこうよ」


「浴衣? まあ良いけど。俺、普段こういう祭りとかでも浴衣を着ていかないタイプなんだよな。だから何を選んでいいのか全然わからない」


 仁志が中学時代、希子と夏祭りでデートをした時も仁志は私服だった。希子は割と上品な感じの浴衣を着ておめかしをしていた記憶がある。


「そっか。なに着てきていいのかわからないんだ。それじゃあ、僕が選んであげるね」


 電話口からでもわかる郁人のにやついた顔。それを頭に浮かべた仁志は嫌な予感がした。


「まさか、女物の浴衣とか言うんじゃないだろうな」


「大丈夫だよ。ちゃんと男性サイズのものだから」


「サイズの話はしてねえ! デザインの話をしてるんだよ!」


 郁人の楽し気な声色は仁志にとっては大変かわいらしく聞こえるのであるが、それと同時に今回ばかりは嫌な予感しかしない。


「大丈夫。風見君も沼に入ろ?」


「なんの沼だよ! 嫌だよ!」


 郁人がどっぷりと浸かりつつある女装沼。郁人も仁志をそこに沈めようと画策をしている。


「ふーん。そっか。もし、女装してくれたらいいことしてあげようと思ったのにな」


 郁人がわざとらしく声色を変えて仁志を挑発している。仁志もその挑発に乗りそうになり、気持ちが震えてしまう。


 いいこと。それは、約束していた通り郁人の上下の下着を見せてくれるとでも言うのだろうか。


「で、でも。夏祭りだろ。クラスのやつらに見られたらどうするんだよ」


 夏祭りは地域住民も参加する。当然仁志たちのクラスメイトもそれに該当する。


「大丈夫だよ。そう簡単にバレやしないよ。多分」


「多分って……少なくとも俺はお前の女装には気づいたからな」


 仁志は、すぐにさなえが郁人であると見抜いた前例があるのでどうしても知り合いに女装姿を見られるのは抵抗があった。


「まあ、あの時は僕の女装メイクも完璧じゃなかったけど、今はちゃんとメイク技術も磨いて本人だと気づかれないようにできるから」


 謎の自信に溢れている郁人。それに対して仁志はいくらか呆れてしまう。


「なんだよそれ。とにかく俺は……」


「黒と白どっちにしよっかなー」


「……!」


 郁人はなにかの色に迷っている様子である。仁志はそれを下着の色だと解釈して色々といけない妄想をしてしまう。


「あ、この花柄のやつかわいいね。へー。こんなかわいい柄もあるんだ。おお、こっちはセクシー系かな」


「くっ……!」


 郁人の言葉1つ1つが仁志を誘惑する。健全な男子高校生にこの誘惑は抗うことはできるのだろうか。


「こんな大胆なものもあるんだ。すごいなー」


「わ、わかったよ。ちょっとだけな。あんまり人が多くいるところはできるだけ避けるんだったら、別に女装しても良い」


 仁志はついに郁人に言質を与えてしまった。郁人はにやっと笑った。


「え。本当。やったー! んでね。今ね、丁度風見君の合う浴衣のデザインを見てたんだ」


「浴衣の話かよ! しかも、俺の!?」


 完全に郁人の策略にはめられてしまった。変な想像をして、無駄に言質を与えてしまった自分を仁志は恥じてしまう。


「くそ、いっそのこと殺してくれ」


「あはは。大丈夫だよ。風見君。人間そんな簡単に死なないから」


 こうして、仁志は郁人と一緒に女装して夏祭りデートに行くことになった。男子が人生の中で恐らく1回も着ることがない。女子向けのかわいらしいデザインの浴衣を着ることにもなった。



「はぁー……」


 仁志はバイトが始まる前、更衣室にてため息をつく。


「どうした? 風見君。そんなため息ついて。今日は楽しい夏祭りの日だよ。シフトを調整してあんなに楽しみにしてたじゃないか」


 店長は元気がない様子の仁志を心配している。


「いや、まあ。その楽しみと言えば楽しみなんですけどね。まあ、その……同時にちょっと不安なこともあるというか、何事もなく過ぎればいいかなって」


「なにそれ? なにか悩みでもあるなら聞くけど」


「いえ、店長に話してもしょうがないことなんで……」


 と言うか、女装して夏祭りに行くはめになったとか言えるはずがない。


「あはは、なんかひどい言われようだね。まあ、高校生の悩みなんて結構複雑で大人でも簡単に解決できるもんじゃないか」


「そうですねー」


 仁志は生返事で返す。


「もしかして、色恋沙汰とか?」


「まあ、近いとだけ言っておきます」


「青春だねー」


 店長は既に過ぎ去ってしまった青春の日々に想いを馳せた。ついでに過ぎ去ったのは青春だけではない。若い頃はフサフサだった毛髪もである。


「まあ、落ち込んでいてもしょうがないっすね。流石にバイト中にこんな辛気臭い顔するわけにはいかないんで気合入れてがんばります」


「お、いいねえ。期待しているよ」


 辛気臭い顔している店員がいるコンビニには客が寄り付かない。仁志も心を入れ替えてバイトに精を出すことにした。


 一方で、同じく本日のバイトがあるさなえは……


「さなえちゃん。なにかいいことあったの?」


 バイトの休憩時間中、せりながキャストの控室にて話しかけてきた。


「あ、わかりますか? 今日は夏祭りでデートなんですよ」


「えー。いいなー。デート。わたしもデート行きたーい。でも、相手がいないんだよねえ」


 せりなは髪の毛先をくるくると回して寂しそうな顔をしている。


「それでね。二人揃ってかわいい浴衣を着ていこうと思っているんです」


「えー。そうなんだ。え? デート相手って女の子?」


 男の娘のデート相手の性別。それは決まった正解がないのかもしれない。そんなセクシュアリティなのである。


「いいえ。男子ですよ」


「男子なんだ。じゃあ、その子も結構かわいい感じ?」


「んー。どうかなあ。一般的なかわいい系とは違うかも? でも、メイクをすれば化けるタイプの顔立ちではありましたよ」


 さなえは仁志をメイクした時のことを思い返してみる。かわいい系というよりかは美人系に近い顔立ちとなっていた。


 美人は男顔に近いという俗説もあるが、まさに仁志はそういうタイプの美人になる素質を秘めていた。


「へー。そうなんだ。じゃあ、ウチの店にスカウトとかは?」


「嫌です。彼が他のお客様に接客するのはわたしが耐えられません」


 さなえの独占欲がここで発動した。仁志が誰かに媚びを売るような接客を間近で見るのは、さなえにとっては耐えられない。


 だから、さなえは仁志をこの店にスカウトすることはなかった。


「あはは。その彼君はさなえちゃんに愛されてるね。ねえ、もし、さなえちゃんが彼にこの店やめて欲しいって言われたらやめられる?」


「え。そ、それは……」


 せりなの質問にさなえは固まってしまった。さなえは海外留学のためにお金を溜めている。そのために時給が高いこのバイトを選んでいるのである。


 仁志もその夢を知っている。だから、店をやめてくれなんて言わないとは思うけれど、それでももし言われた場合、さなえは仁志の感情を取るのか、それとも自分の夢を取るのか。


 その究極の二択を迫られることになってしまう。


「ごめんごめん。ちょっと意地悪な質問だったね。そこまで悩むとは思わなかったよ」


「もう、やめてくださいよー」


 そんな話題でも盛り上がっていた控室。郁人と仁志のバイトあがりの時間まで刻一刻と確実に近づいていった。

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