第11話 がんばれ仁志!

「んしょっと……」

 

 さなえが仁志の隣に座る。その時にさりげなくスカートの裾を直しながら座る仕草を見せた。仁志はその仕草が気になってしまい、さなえの方をじっと見る。


「ん? どうしたの? 風見君?」

「あ、いや別に……」


 まさかスカートの中が気になってしまったなんて言うことができない仁志は、テーブルに向き直って問題集を見つめる。


 しかし、さなえの方を向いていなくても、さなえの方向から漂ってくる甘い匂い。おおよそ男子から発せられているとは思えない匂いが仁志の鼻に流れ込んでくる。


「さなえちゃん」

「ん? なぁに?」


 仁志に呼ばれて、さなえは仁志と目線を合わそうと顔を覗き込もうとする。少し顔の距離が近くなったことで仁志は少し腰を浮かせてから後ろに下がる。


「香水つけてる?」

「ん? そうだね。着替える時に一緒に。これがないと女装したって気にならないし」

「そ、そっか……」


 男子が付けるような匂いではない甘い香水。その匂いを嗅いでいると仁志は本当に隣にいるのが女子だという気になってくる。


 しかし、隣にいるのは間違いなく男子。変な気を起こしてしまうわけにはいかない。仁志は理性を保とうと気を張りながら勉強を続けた。


「うん。そうだね。ここはこの公式を使うとすぐに解けるね」


 正解すると時折褒めてくれるさなえに仁志のやる気は確かに上がっていた。集中力までは上がっているかは怪しい。仁志はたまにさなえの方をチラっと見てしまう。隣にいる男子がここまでかわいいと脳がバグってしまうのである。


 また、さなえは仁志が問題を間違えても優しかった。


「ううん。そこはちょっと違うね。でも、惜しい。考え方は間違ってないと思うよ。もう1度最初から落ち着いて考えてみよう」


 さなえは絶対にできないことを責めなかった。さなえからすれば仁志の学力は大したことがないはずである。


 この程度の問題も解けないのかともどかしくなる気持ちは、できる側の人間が持っているのは仕方のないことである。


 しかし、さなえはそんなことを思いもしないし、態度に出すこともない。だから、仁志は安心して勉強できているのである。


「うんうん。すごいすごい。今度は正解している。仁志君ってやればできるタイプだよね」


「そ、そうかな……」


「うん。勉強すれば絶対にいい大学にいけるよ」


 さなえに言われて仁志は気分が良くなる。そして、同時にある考えも浮かんでしまう。


「なあ。さなえちゃん。もし、俺が本気で勉強をしたら……さなえちゃんと同じところに留学できるかな?」


「え? あ、えーと………それは」


 仁志の突然の質問にさなえは困ってしまう。


「同じところって言われても……留学生の枠とかもあるし、その辺はその時になってみないとわからないというか。もしかしたら、わたしと枠を争う形になっちゃうかも」


「そっか……」


 仁志は残念そうにため息をついた。さなえはここで仁志の気持ちに気づいてしまう。自分と一緒に海外留学をしても良い。そう思ってくれていることに気づいたのだ。


 そう考えると、さなえの心の中の乙女な部分がきゅんとうずいてしまう。ただでさえ女装をしているのに、そこをうずかされてしまったら……


 さなえは顔が赤くなる。手でパタパタと顔を仰ぐ。


「あはは。な、なんか暑くなってきたね」


「そうか? 今日はそうでもないような気が」


 仁志はさなえの微妙な心の変化にも気づかずに勉強に集中……する前にさなえの胸をちらっと見てしまう。


 パッド入りのブラを付けているさなえ。その胸は本当に女子のものとそん色がない。


「ん? なに? 風見君。わたしの胸が気になるの?」


「え。あ、ああぁ!?」


 視線を向けている先がさなえにバレたことで仁志は慌ててしまう。女子は視線に敏感と言うけれど、まさか女装男子も視線に敏感だとは思いもしなかった。


「これ偽物だよ? それでもいいの?」


「べ、別にそんな……いいとか悪いとか……」


 仁志は口ごもってわけのわからないことを口走っている。自分でもなにを言っているのか理解できていない。ただ、口が回るままにしゃべっている。


「ねえ。わたしが付けているブラの色。気になったりする?」


「ブ、ブラ……」


 本来ならば男性が付けるようなものではないもの。女装アイテムとしてパッド入りのブラがあり、さなえはそれを付けている。


 正直に言えば気にならないと言えば嘘になる。仁志は、もう目の前の勉強よりもさなえのブラの色のことが気になって仕方ない。


「ねえ。教えてあげようか?」


 仁志の耳元でさなえがささやく。さっき、胸をきゅんとさせたお返しと言わんばかりに仁志に対して“攻撃”を仕掛けてくる。


「な、なんだよ。言えるものなら言ってみろよ」


 仁志も素直に知りたいとは言えずに挑発するようなことを言ってしまう。本当は気になって仕方がないのに。


 さなえも本来は同性だから、仁志のそういう意地っ張りな男子の部分は理解している。これは知りたいと言っているのと同じであると。


「そっか。でも教えてあげなーい」


「な、なんだよそれ」


 仁志はがっかりした。舌をぺろっと出してお茶目な表情をするさなえ。小悪魔的なその笑顔に仁志は翻弄されてしまっている。


 そんな落ち込んでいる仁志にさなえは更に続ける。


「でも、この問題が解けたら特別に教えてあげてもいいよ」


 さなえは問題集の後半の方にある応用問題を指さした。配点がかなり高く、それだけでこれが難しいことがうかがえる。


「こ、これを解いたら本当に教えてくれるの?」


「うん。約束だよ」


「よ、よし!」


 仁志は今日1番のやる気を見せた。そんな仁志の様子を見てさなえはクスっと笑う。仁志が頭を悩ませながら問題を必死に解いている。


 今までの知識を総動員させて問題を解く。これまでの人生でこれ以上に頭を使ったことがなくらいに必死に脳細胞を働かせる。


 普段の仁志では絶対に解けないような問題でも、がんばって解こうとする。頭から煙が出るんじゃないかと思うくらい回転させた結果、仁志の答えは……


「できた……!」


「うーんと、どれどれ。あー。惜しい。間違っているね」


「え?」


 仁志を絶望へと突き落とすその言葉。これにて、さなえの下着の色を知ることができなくなってしまった。


「でも、これ採点基準的には部分点はあげられるかな。ということは、ちょっとだけ色を教えてあげるね」


 さなえは仁志の耳元に口を近づける。そして、ゆっくりと口を動かした。


「寒色系の色だよ」


「か、寒色系……!」


 あえてどの色かはボカされている。でも、特定の色相の色であることは間違いない。


 それがかえって仁志の想像力をかきたてた。仁志は頭の中で色々なさなえの下着の色を想像してみた。青、紫、水色等、思い付く寒色の色を当てはめていく。


 そのどれがさなえに似合うのか、そういうことを考えていると、さなえにテコピンされた。


「いたっ……」


「想像するのは禁止! そんなことして良いなんて言ってないよ」


「あ、わ、悪かったよ」


 さなえも流石に恥ずかしかったのか、つけているブラの色とは対照的に顔が暖色になっていく。


「はい。完全に正解できてないから、この問題もやり直し。ちゃんと解けるようになるまで何回でも解かせるからね」


「ちゃんと解いたら正解の色は教えてくれるか?」


「教えませーん。挑戦権は1回だけでーす」


 さなえは拗ねたように口をとがらせる。


「風見君。勉強しに来たんでしょ? わたしとそういうことしに来たんじゃないんでしょ?」


「ま、まあそうだけど……」


 それを言われてしまうと全くもってその通り。正論すぎるさなえの返しに仁志は返す言葉もなかった。


「まあ、そうだね。次の中間試験で全部90点以上取れたら……教えてあげてもいいよ」


「ほ、本当か?」


「うん。その代わり1教科でも落としたらなしだからね!」


 仁志のやる気スイッチがオンになった。

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