第3話 口止めの条件

「やっぱり、お前は飯塚 郁人だったんだな」


 郁人の表情がこわばる。わなわなと震えて唇をぎゅっと噛みしめた。


 しかし、その所作もほんの数秒のことで郁人はすぐに営業スマイルをして、さなえへと変貌する。


 無邪気なかわいらしい笑顔で仁志の隣に座り、何事もなく接客をしようとする。


「なあ、飯塚。お前どうしてこんなところでバイトをしてんだ?」


 仁志が疑問を投げかける。しかし、さなえは人差し指を立てて、仁志の鼻先にしーっと持っていく。


「ここでは、さなえって呼んでね」


「あ、ああ……」


 さなえの愛らしい仕草に仁志は毒気を抜かれてしまった。


 そんなに仲良かったわけではないクラスメイトが男の娘としてコンカフェで働いている。


 自分はその接客を受けていて、ここが非日常なのか日常なのかもわからなくなってくる。


「とりあえず、なにか頼む? お腹空いてない?」


 正体がバレたと言うのに、さなえは接客を続けている。流石にプロ根性とも言うべきことであるが内心では胸の内がぞわぞわとしている。


 仁志もこの状況をどうしていいのかわからずに困惑している。女装している姿しか知らなければ、まだかわいい子と遊べているという状況にもなる。


 でも、仁志はさなえの本当の姿。男子である時の郁人のことをがっつりと知っているのだ。それがどうしても違和感があり、楽しんでいいのかどうかわからないという状況になってくる。


「えっと……さなえちゃん……その、こ、このオムライスが食べたいな」


「オムライスだね。わかった」


 さなえは手元にある端末でオーダーを入力して送信する。別に仁志はオムライスを食べたいという気分でもなかったが、なにか料理を注文してそれを食べて時間を潰そうと考えている。


 この状況、どういう会話をして良いのか仁志にはさっぱりわからなかった。しばし、気まずい沈黙が流れる。その沈黙をやぶったのはさなえだった。


「……そうだ。なんて呼べばいいかまだ聞いてなかったね。偽名でも大丈夫だけどどうする?」


「いや、君相手に偽名を使ったところで意味はないでしょ」


 お互いに名前を知っている間柄。ここで偽名を使う必要もないと仁志は思う。


「いや、でも。ここのキャストは、わたしだけじゃないからさ。他のキャストにも名前バレちゃうけどいいの?」


「別にバレて困るようなたいそうな名前じゃないから普通に呼んでくれればいい。その方が君もやりやすいだろ」


 仁志と郁人は学校生活でも付き合っていかなければならない。そのため、変に呼び名を変えてしまうと後々に面倒なことになりそうだと仁志は考えていたのだった。


「そっか。風見君がそれでいいならいいよ」


「……なあ。さなえちゃん。さっきの質問だけど、どうしてここでバイトしているんだ? 別にバイトなら他にもあるだろ」


「うーん……ここのバイトは時給が高いからね。ほら、なかなかかわいい男の娘っていないじゃない。だから、その分時給を高くしてもらっているんだ」


「なるほどねー。たしかに誰にでもできるバイトじゃないな」


 それが郁人の本心なのかは仁志にはわからなかった。時給は建前で本当は女子のかっこうをしてみたいんじゃないのかとか、高い時給が必要なほど経済的にひっ迫しているのかと、そういう疑問もないわけではない。


 しかし、これ以上の質問はいくらなんでも郁人のプライベートに踏み込み過ぎている。仁志はその質問をするのを自制した。


 そんな会話をしているとウェイターが仁志が注文したオムライスを持ってきた。


「失礼いたします。お待たせいたしました。こちらオムライスでございます」


「あ、どうも」


 仁志はオムライスを受け取った。一緒に運ばれてきたケチャップ。それにさなえが手を取った。


「それじゃあ、おいしくなーれの魔法をかけるから」


「おいしくなーれの魔法……」


 全く聞いた覚えのない魔法に仁志はきょとんとする。しかし、さなえはそんな仁志の様子をあえて視界に入れずにケチャップでオムライスにハートを描いていく。


「はい。おいしくなーれ。おいしくなーれ。きゅんきゅん」


「…………」


 仁志はさなえを珍獣を見るような目で見ていた。普段は優秀でかっこよくてスクールカーストの上位に位置するクラスメイト。


 それが自分に対して媚び媚びの声で奇怪な呪詛めいたものを唱えているのであるから、この反応も無理はないのである。


「はい、どーぞ」


 さなえはオムライスをスプーンですくった。そして、それを仁志の口元に持っていく。


「あーん」


「へ……あ、あーん……?」


 仁志はさなえが口に運んできたオムライスを見て固まる。さなえは目で早くしろと訴えている。仁志は仕方なく口を開けて、さなえにオムライスを食べさせてもらった。


「ほら、よく噛んで、もぐもぐもぐもぐ。おいしい?」


「あ、うん。まあ、ね」


 どうも歯切れが悪い仁志。決してこういうことが嫌いなわけではない。ただ、相手がどうしてもさなえ、その正体の郁人であることから複雑な気持ちを抱かざるを得なかった。


 郁人はクラスメイト。そんなに仲が良いわけじゃないけど知らない仲じゃない。そして……自分から彼女を奪った存在である。


「はい、もう一口。あーん」


「あーん」


 もう仁志はやけになって抵抗することなく、さなえにオムライスを食べさせてもらうことにした。どうせ恥ずかしがっても意味のないことである。


 ここには郁人以外に知り合いはいない。旅の恥はかき捨てとでも言うべくこの状況を受け入れることにした。


 そして、なんの時間だったのかわからないひと時を過ごした仁志はお会計をするためにレジへと向かった。レジを担当しているのはさなえである。


 支払いを終えた仁志に、さなえがボソっと話しかける。


「風見君。僕がここで働いていることは内緒にしてほしい」


「え?」


 仁志は思わず聞き返してしまう。


「その……特に佐倉さんには知られたくないんだ」


「ふーん……」


 希子の名前が出たところで仁志の心がぐずぐずにどす黒く変化していく。別に仁志にはこれを黙っている義理はない。


 先に不義理をされたのは自分の方である。しかし、仁志はあることを思い付いた。


「まあ、良いよ。黙っておいてやるよ」


「本当? ありがとう。君は良い人だ!」


 郁人が喜びかけたその時、仁志は口を挟む。


「そのかわり!」


「……?」


「今度プライベートでも女装して会ってくれよ」


「え……そ、それは……」


 仁志の提案に郁人は口ごもってしまう。別に相手が男子であるのであれば、希子に対する浮気になるわけでもない。そこは気にしていないのである。


 しかし、仕事で女装している郁人はプライベートでの女装経験はなかった。


 それをさせられるということは、仕事だから仕方なく女装しているという言い訳も通用しなくなるわけである。


「いやなのか?」


「あ、そ、その……」


「まあ、別に俺はこのことを言いふらしてもいいけど」


「……! ちょ、ちょっと待ってよ! 仁志君。そうしたら、君だってこの店に来たことがバレるじゃないか」


「別にバレても問題ないだろ。今は多様性の時代だ」


「ぐっ……」


 郁人は口をつぐんでしまう。それを言われたら何も言い返せない。仁志の目からはやると言ったらやると言う覚悟が感じられた。


 彼女にフラれて半ばヤケになっている仁志は他人からどう思われようともう知ったことではないのだ。


「わ、わかった。今度女装して会う。それで黙ってくれるんだよね?」


「ああ。まあ、あくまでも友達としてだ」


「わかっている……うちの店はキャストと店外デートは禁じられている。でも、元々の知り合いならそこに制限はないはず」


 こうして仁志と郁人はまた会うことになった。どうせなら郁人のことを辱めてやろう。仁志はそんな黒い復讐心を抱えていた。

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