引退兵士は静かに暮らしたい

@wkuht

第一章

 マクシリアム領にある村は森の中にあった。

 ヒエルランド王国北部に位置するこの領土は平地でありながら領の境界線には小高い山があり、気候は比較的寒い地域ではあるものの夏になればぶどうも採れるような農作物に恵まれた地域でもある。その為、他の領地から食物を買わずとも自給できる領土であり、面積は四国ほどでありながら四十万程度の人口であった。

 ジルドは森の中を馬で走った。

 道を外れ、銃を構えているがまだ撃たない。道なき道を枝をへし折りながらも進む。木の根に取られぬよう慎重に進みながらも狼を狩る。

 彼らは三匹居る。この近隣の村の作物を荒らすのだが、森の中はまだまだ獲物が豊富なはずだ。人の住む地域に出て来るほど飢えていることはないはずだが、どうしたことだ。

 魔法国家は無闇に自然の中に入らぬ、精霊信仰ゆえに必要なき自然開拓は神の怒りに触れるとされているから、無闇に森の資源を漁ることはない。

 ”無礼な者共だ! 俺を誰と心得ている”

 狼が言う。言葉にしているわけではない。魂を通じて話しているのだ。

 狼と対峙したジルドは口を開く。

 「争う気はない、話がしたい」

 ”話だと”

 「そうだ、近隣の村に被害を出して死者まで居る。看過できる問題ではない」

 ”ならば我らとの盟約を忘れ、土地に入った貴様らに報いはないのか?”

 「……何の話だ」

 ”とぼけるな! 我らの一族が銃で殺されたのだ! 魔法族は我らの領域に入らぬはずではないのか!”

 一体どういう事だ。

 ジルドは困惑した。

 魔法族は狼たちの領域に入ることはない。あるとしたら国外の人間だ。この地よりさらに北にはルフテンブルグ王国がある。ヒエルランドの西に位置する国だ。巨大な雪山が国境となり、屈強な山岳兵が国を護っている。そいつらが越境したのなら領土を面したこの地に来ることはあるが、首都ですらないこの地に攻め込む利点はない。あるとしたらローマ帝国である。魔法国家でありながら工業化したローマは失われた領土を回復しようとヒエルランドを攻め込もうと動きがある。

 ヨーロッパの帝国はローマだと自負するあの国だ。攻め込むとしたらルフテンブルグよりも可能性がある。

 「話を聞いてくれ、それが本当ならば正式な謝罪をするべきである。しばし待たれよ」

 ”早くしろ、我らとて時間はない!”

 「分かった。その間村人に危害は加えないでほしい」

 ”いいだろう”

 

 その間、ジルドは急いで村に戻った。

 村長に確認したが村人は狼の領域に入っては居ないらしい。昔からこの周辺は精霊信仰が強い土地柄だ。そう安易に森に入るとは思えないが、だとしたらなおのこと厄介なのは犯人探しだ。

 ジルドは領主に手紙を書いた。手紙とはいってもそう悠長なものではない。魔法の紙に書いた文字が、封蝋を綴ると、まるで空間に入り込むように切れ目に入った。魔法はこの次元とは異なる空間に存在するらしい。精霊の存在も時と空間を超えた存在であり、この場に居ながら他の場所にも同時に存在するという奇跡の存在らしい。だが、それは狼のような実体のある魔法生物には当てはまらない。あくまで精霊のような霊体に当てはまる。彼らはより神に近い存在である。


 「ガルド様はなんと」

 村長が訊く。

 「まだ何も、しかしローマが来たとして精霊が気づかぬはずがないのだが」

 「信仰のなくなった人間が精霊の結界に掛かることはないようです。帝国はもう魔法国家ではないのですから、精霊もおそらく気づかなかったのでしょう」

 「仮に帝国だとしたら厄介だ」

 魔法国家と工業国とは仲が悪い。

 

 魔法国家。王族を頂点とした専制君主の国だ。多くの国民は魔法族であり、特級から三級の魔法が使える。この等級は魔法国家が定めたもので、魔法の扱いやその威力から等級分けされている。

 工業国。工業力で経済発展した国だ。かつては魔法国家が支配していた地域が独立した国家が多い。非魔法族が多く、中には完全に非魔法族のみで構成された国家もある。オーストラリア、アメリカがこれに含まれる。

 アフリカ合衆国。この世界のアフリカは部族の中に魔法が使えるものが居るが、工業の発展から魔法国家から独立した国であり、その力はそちらのアメリカを凌ぐ。


 これが世界だ。

 察しの通りヒエルランドは敵に囲まれた国だ。それでも広大な国土の割に人口が少なく、工業化をしていないために貿易摩擦も少ない。鉄道はまだ石炭だが、魔法鉱石を使えば石炭などよりも十倍の効率で走らせる。

 これほど敵対して面白くない国はないだろう。

 それ故、恨みを買いやすい。


 手紙が返ってきた。

 ジルドは開くまでもない手紙は自ら開いた。文字にはガルド様の字があるが、読むまでもない。

 『ジルドよ、単刀直入に話す。商人に化けていたローマの工作員が我が領内に侵入したそうだ。精霊共が見落としていた。だが件の狼の領域に入った所を見たものが居た。そいつが今回の犯人だ。だが人間の証拠がない。ローマにとって偽造した身分証は正式に申請されたものだ。外交上は問題ない。狼の件も領域に侵入した程度では問題視しなければならんのは我が国だけだ。帝国にとって精霊など問題ではない。厄介なことになったぞ』

 手紙はガルドの肉声の通り話す。

 これも魂に聞こえるのだ。

 「これで儂らの疑いは晴れたわけか」

 「ええ、しかし狼たちは帝国人を食い殺そうとするでしょう」

 「そうなっては外交問題です。帝国は正式に越境したのですから、それらを狼が食い殺したら、単に自然の脅威だったと言っても、納得せずしばらくは争うでしょう」

 『狼共とはよく言い聞かせるのだ』

 「言い聞かせるって、賢者ですから話しは分からぬ相手ではありませんが、骨が折れる」

 手紙相手にそう言ったがジルドに聞こえているわけではない。


 ”帝国が我らの領域を荒らしたとて、償わせれば良いのだ! 一匹殺されらたのだ、そちらも命を差し出せ”


 森に戻ったとて狼に事情を話したからと言って納得するものではなかった。

 確かに命ひとつ落とされたのだから、同等の対価を差し出せとは精霊にとっては正しい価値観だが、人間同士ではそうはいかない。

 「森の賢者達よ、どうかこの老いぼれの命で怒りを収めてはくれんか?」

 村長が言う。

 ”はっ! 貴様程度の命でどうにかなるものではない! 貴様が我らを殺めたのではないのであろう! であれば、貴様を殺したところで無駄死である”

 森の賢者の価値観は正しい。

 間違って歪んでいるのは人間の方だ。

 「ですが、帝国人を殺めたら戦争になりかねません。帝国とは外交上最も危険な状況なのです」

 ジルドの訴えに狼は引かなかった。

 ”だからどうしたのだ? 貴様ら同士で戦争になったところで我らに関係ない”

 「では、帝国の兵器で貴方がたの森が焼かれたとしても、私達は手助けいたしませんが、よろしいですか?」

 ”……何?”

 狼が眉をひそめる。

 「こちらの複雑な事情を考慮していただけぬ以上、こちらも関係ないと言わざる得ません。人間の外交とは貴方がたを護ることでもあります。人間だけではなく、この国に生きる全ての生き物の統治をヒエルランドは担っているわけですから、協力していただけぬのなら、賢者と言えども放置せねばなりません」

 ”貴様!”

 賢者は歯ぎしりした。しかし、次第に事の重大さを見極めた。

 ”わかった。納得できぬ事も多いが、貴様らの事情も考慮しよう。その代わり、其の者が再び森に来た時は、貴様らで対処するのであろうな?”

 「もちろんです」

 ”精霊にとって罪は罪である。二度目は貴様らの事情を考慮できぬ。その時はこの牙をもって罪を償わせるが、良いな”

 「そうならぬよう、こちらも肝に銘じておきます。賢者」

 ジルドはそう言った。

 後にこれが帝国との戦争の引き金になろうとは誰も想像していなかった。

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