第1章 人質救出作戦

第3話 連れ去られた恋人

 一人暮らしのパルマンは翌朝の八時過ぎに起きた。遅い目覚めだったが、法律で改造人間レプリカントは学校に通えない。


 眠気眼で歯磨きを終えると、コーヒーを入れてからテレビのニュース番組を入れた。


 ちょうど特集番組が組まれ、昨晩の強盗殺人事件が大々的に報道されていた。

 驚愕すべき点は一夜で同様の事件が合わせて八件も発生したことだ。その上、狙われた全ての被害者が巨大都市メガシティーを統括・管理する汎用人工知能AGⅠである渾沌の女神エリスの義脳ぎ のうを設計した八人の天才脳科学者の末裔だった。


 AGIは現在休眠期サスペンドにあり、半強制的に人類の平和と安寧を最大限に重視したプログラムに準拠している。


 それは渾沌の女神というよりは慈愛の女神と呼ぶべきかもしれない。ただ、この八人の天才脳科学者がそれぞれ隠し持っていたものを組み込むことで活動期プロシードに移行する。それが偶然にもパルマンが入手した特殊な組み込み式内臓ストレージ――PUDである。


 活動期のAGⅠがどんな行動を取るのかは分かっていない。それでも、天才脳科学者たちがそれを実行しなかったのには何か危険な原因があると思われた。


 中年の男性キャスターが今回の事件に関与した組織からの犯行声明文を読み上げた。

『我々は、我々の崇拝する全知全能の女神エリスを目覚めさせる大儀のために、今回の革命を起こした。この正義の行いを妨げようとする者は例え何者であろうと全員抹殺する』


 ある種の狂信者めいたこの集団は自分たちの行動を正当化したいようだが、視聴者の理解を得るには無理な言い分に聞こえた。


 最後にそのキャスターはこの組織の名前を口にした。秘密結社|黄昏の粛清者《エピュラシオン》と――。


 コーヒーを飲みながら番組を見ていると、不意にスマートフォンが鳴った。


 番号を確認したが、非通知になっていた。虫の知らせのような悪寒が全身に走るのを感じたパルマンはすぐに電話に出た。


「もしもし――」

『パルマン・エバーキースだな。俺はゴルティモアという者だ。いいか、これから言うことをよく聞け。今、お前の恋人のジュリアナ・リルフォーマは俺の傍にいる』

「何だと!?」

 パルマンと同い年のジュリアナは普通の高校生だ。しかも貧しい市民たちを救うための慈善組織である世界民間保護団体WCPOに所属していた。


 WCPOの主な目的は社会的弱者に手を差し伸べ、惜しみない支援をすることだ。状況次第では凶悪な犯罪組織と戦うこともある。二人はある事件で知り合い、深い付き合いにまで発展した。


 突然の電話に身の毛のよだつ恐怖を感じた。だが、おののいてばかりもいられない。

『言いたいことはだいたい想像がつくだろうが、お前が我々から奪い取った物をこれから指定する場所まで持って来い』


「その前に、まずジュリアナの生の声を聞かせてくれ」

『……いいだろう』

 パルマンの憤激を押し殺した要望に対して、ゴルティモアは勝ち誇るような声で答えてきた。

 スマートフォンの向こう側で小さい声で「出ろ!」と命じる声が聞こえた直後、恋人の声が聞こえた。


『パルマンなの? 私だったら大丈夫だから、心配しないで! 何かは知らないけど、絶対にこんな奴らに渡しちゃダメよ! 私はあなたを信じてるわ!』

 気丈な話し方はジュリアナ、いや、ジュリーらしかった。自分の身に命の危険が迫っている恐怖は感じているだろうが、それ以上に絶対に悪を許せない女性なのだ。


「ジュリー! 絶対に助けてやるから心配するな!」

 パルマンの声がジュリアナの耳にまで届いたかどうかは分からない。その直後に「下れ」と言うゴルティモアの声が聞こえたからだ。


『パルマン、お前の望みは叶えてやった。次はこちらの番だ。お前があの家で手に入れた物をこれから一時間以内にベラルデルミオ地区にあるヒュリエント社の倉庫跡地まで一人で持って来い。お前が絶滅特殊部隊アナイレート・フォースの隊員なのはとうに調べがついている。予め言っておくが、仲間を連れてきたら、この女の命はないと思え。分かったな』

 そこで電話は切れた。おそらく、《黄昏の粛清者》の手の者に違いない。


(やはり俺の素性は知られているようだな。どうやってジュリーの家の場所まで掴んだのかは分からないが、彼女を無事に救出するためにも、ここは俺一人で行くしかない)


 ただ、現時点で後手に回っているパルマンが単独で動くのは危険な賭けだ。この特殊な組み込み式内臓ストレージを渡さずに恋人を助けられるか、一縷いちるの不安が残らなくもない。


 それに、こんな大事件が起きたのに本部に出向かなければ、隊長や他の隊員メンバーたちが不思議に思うはずだ。どうにかしてこの緊急的な状況を伝える必要があった。


 パルマンは持っていたスマートフォンをスワイプすると、こういうときのために用意された特殊なアプリにパスコードを入力して起動させた。

 絶滅特殊部隊の隊員のみに配布された《ピエログリフ》という名前のメールアプリで、入力した文面を有能なクラッカーでさえも解読不能な暗号に変換して送信することができた。


 パルマンは端的にまとめた文章を入力し、送信した。仮にパルマンの住むマンション付近で盗聴している秘密結社の手下がいても、スマートフォンから発信した暗号化されたメールまで探知できるとは思えなかった。


 まだ下着姿だったパルマンは自動調理機能を搭載した最新の電子レンジでベーコンと生卵をのせた食パンを焼いている間に上着を着た。同時に、敵地と化した倉庫跡地に乗り込む準備も整えておく。


「さて、出かけるか」

 電子レンジが鳴って、出来立てのベーコンエッグトーストを頬張ると、足早に玄関のドアを開けた。駐車場に置いた愛用のエアストームに向かって。

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