第13.5話


※本編ではなくマリアベルの母、リナリアがメインの過去編です。








リナリア・フィーガス


旧姓リナリア・カタンはリャンバス貴族の中でも子爵家ながらそれなりに歴史が古い古参貴族家の次女として生まれた。


フィーガス家とは遠縁にあたり、リナリアは幼い頃から次期侯爵であるアベルの婚約者候補として厳しく育てられてきたが…その厳しさはリナリアにとって大きな負担であり、そしてそれこそがマリアベルに纏わる問題の原点であり原因だった。




瞳の色こそバラつきがあるが、カタン家の殆どは茶色の髪を持つ。


平民より僅かに薄い程度の取り立てて珍しくないその色の中、リナリアの淡い金髪はさながら宝のように感じられたのだろう。


美少女と呼ばれるにふさわしい整った顔立ちもまたその特別感を強調し、リナリアは両親や祖父母から『必ず侯爵夫人になれ』『お前は侯爵夫人になる者だ』と言われ続けてきた。




子爵家の次女であれば本来必要としない高位貴族のマナーをはじめ、当時外務大臣を務めていた当主グラウスの眼鏡に敵うよう国内外の知識を詰め込まれる日々。


高位貴族の子女を教えてきた講師は雇われた身であるにも関わらず子爵令嬢のリナリアを身の程知らずだと軽んじ、些細なミスでも容赦なく責め立てる。


体が強くないリナリアはストレスと疲れから頻繁に熱を出したが、それを両親に訴えても休む事は許されず倒れても無理やりに気つけ薬を飲まされ続けた。


朦朧とした意識でダンスを踊れば講師の足によって血が滲む程に踏みつけられ、集中できないまま受けた座学ではやる気が見えないと教本で頬を張られた。






両親はそれらが高位貴族の教育だと信じ切っており、そしてそれを娘に与える事こそが愛だと思い込んでいた。








繰り返される苦痛の日々にリナリアの心は少しずつ軋み、ひび割れていく。






月に一度、婚約者候補として顔を合わせる席でアベルは美しくどこか陰のあるリナリアを特に気にかけた。


少年が掛けるできる限りの優しい言葉にリナリアもまた好意を抱き、二人はやがて互いに気に入った本を持ち寄り語り合う間柄へと変化していく。




「アベル様の子供はきっとお姫様ね」




幼い頃からお気に入りの本だとリナリアが勧めた絵本はアベルも読んだことがある、リャンバスでは定番の物語だった。


金髪碧眼の美しい姫がその美しさから虐げられ、それでも最後には幸福を得る。


どちらかといえば少女向きのその絵本は、カタン家で傷つけられ続けるリナリアの心を支える一冊だった。




ダンスを嫌がり暴れたという教師の嘘を信じた両親に食事を抜かれ空腹を耐える間も、虐げられたお姫様が受けた仕打ちと重ねる事でやりすごしてきた。


家族とは異なる髪色と扱いに激しい孤独を感じた時も、熱に潤んだ眼を何故かはしたないと鞭で打たれた時も、お姫様の苦労を考え自分はまだマシだと言い聞かせてきた。




「じゃあ、お姫様のお母さんになってくれる?」




アベルが口にした何気ない一言は、リナリアの中で天啓のように響き渡る。




そうだ。自分なら、お姫様を虐げない。


始まりから終わりまでずっと幸福のまま、宝物のように大事にできる。




お姫様を(わたしを)幸せにできる。




「…えぇ、なるわ。私、お姫様のお母さんになりたい!」




アベルの金の髪と青い目を受け継いだお姫様。


そんな子供を産み幸福にすることが自分の使命だと、その決意でリナリアの心は寸でのところで崩壊を免れた。








それからも数年の間リナリアは苦痛の日々を過ごしたが、いつか宿すお姫様の姿を思い浮かべればいくらでも耐える事ができた。




どれだけ辛くても音を上げず必死に食らいつくリナリアに講師は苛立ち更に体罰を与えたが、それすらもリナリアはいずれ作り上げる幸福の為に耐え抜いて見せた。




「おぉ!リナリア!お前がアベル様の婚約者に決まったぞ!」


「なんて素晴らしいの!よく頑張ったわリナリア!」


「……はい、ありがとうございます。おとうさま、おかあさま」




デビュタントを終え、候補ではない正式なアベルの婚約者となったリナリアを両親は涙ながらに抱き締め褒めたたえたが、リナリアの心は既に未来の家族にしか向けられていない。


両親の背を抱き返す事もなく完璧な唇の形、完璧な瞳の弧、美しい淑女の微笑みを浮かべるだけだった。




どうしようもないほどのひび割れていた心は確かに崩壊は免れた。


しかしそれは治ったわけではなく、見えないよう塗料で塗り固められただけに過ぎなかった。










「早くお姫様に会いたいわ」




リナリアは婚姻後すぐに子供を欲しがったが、そもそも後継を育む事は貴族の婚姻の本懐でもあった為アベルもそれに異を唱える事はなく二人は子作りを最優先し、ほどなくして懐妊が判明した。




懐妊してからのリナリアは元々の体質も影響して悪阻に悩まされ続けたが、日々胎内で成長していく我が子への喜びから弱音を吐くどころか笑みを浮かべ苦しみを耐え抜いた。




「この子は絶対女の子よ、私のお姫様だもの」




お腹が大きくなる頃、そう言って女児用の可愛らしい服や靴下を買い集め始めたリナリアにアベルは苦笑したものの、否定することはなかった。


貴族は子の多さが家の繁栄に繋がる。アベルもリナリアもまだ若く、今回の子を含め二人以上望める可能性は高い為もし今回が男児であっても次の為に保管しておけば無駄になる事はない、そんな風に考えていた。








そこから更に時が経ち、リナリアはとうとう出産の時を迎えた。




部屋の扉越しに聞こえるリナリアの悲鳴にも似た呻き声にアベルは両手を組み、神へ祈りを捧げ続ける。


母子共に無事で在らんことを…ひたすらに続けた祈りが届いたのか、ある瞬間ぷつりとリナリアの声が止んだ。




その代わりに聞こえたのは、大きな産声だった。




使用人達が沸き、アベルは促されるまま産室へと足を踏み入れた。


リャンバスでは出産に立ち会う事はできないが、生まれてすぐの我が子に会う事は愛情をより深める事ができると推奨されている。我が子はどれほど可愛いか、妻になんと声をかけるべきか…そう考えながら一歩一歩踏みしめ、布の仕切りを捲る。




「おめでとうございます、元気なお嬢様でございますよ」




そう言って、体を洗い終え白い布で包まれた子を産婆がリナリアに抱かせているのが見えた。


何と感動的な光景だろうか、と二人に歩み寄ろうとした瞬間
















「―――――――お姫様じゃないわ」












リナリアの腕は、その心は、




我が子を否定した。
























咄嗟に子を受け止めた産婆が再度抱かせようとしたが、リナリアにとってそれはもう存在していないものだった。


けして触れようとせず、手をとってなんとか抱かせようとすれば狂ったように悲鳴を上げるその姿にアベルは一体何が起きたのか、何が原因なのかわからずおろおろするしかできず。




やがて血を失ったせいか眠るように気を失ったリナリアは回復し目を覚ましても子を…マリアベルを認識することはなかった。


目の前にいるマリアベルを認識せずアベルに対し子供はどこと問うリナリアに、彼は彼女が狂ってしまったのだと悟った。




「ねぇあなた、私のお姫様はどこ?随分お乳を飲ませていないわ」


「…リナリア……子供は…その、」


「………嘘、でしょう?」




そこにいるだろう。そう続ける筈の言葉を聞く前にリナリアは大きく目を見開いた。




「リナリア?」


「嘘よ、嘘、お姫様は?私のお姫様はどこ?


 神の国に旅立ったなんて言わないわよね?ねぇあなたっ」


「何を…!」




子供は、マリアベルはリナリアの膝の上にいる。


きょとんとした顔で泣きもせず、そこにいるというのに。


そのままリナリアは真実を聞くことなく我が子が死んだと思い込んでしまった。




アベルは否定しようとしたが彼女は聞きたくないと耳を塞ぎ、産着を抱き締め涙に暮れた。


産着が明らかに減っているにも関わらず気にも留めずただひたすらに悲しみに沈みこんでいった。


その頃はもうマリアベルとライラは離れに移動し使用人の目に入ることはなかった為、彼らも子が死んだと思い込んだだろう。




「お墓を作ってあげましょう。


 お庭で、私がいつでも会いに行けるお庭がいいわ」




そういわれた時、既にアベルは否定する気力を失っており、言われるまま…いつかは回復してくれる筈だと信じ誰も入っていない空の棺を埋め墓石を建てた。


非道の自覚はあったが両親や他家に知られる事を恐れ、いつか問題が解決した時に言えばいいと先送りにしてしまっていた。










間を置かずして二度目の懐妊が分かった時、リナリアは再びお姫様だとはしゃいだがアベルは夜毎不安で飛び起きる日々を過ごした。




マリアベルを遠ざける事で正気を取り戻したリナリアがまた狂ってしまう事が何よりも恐ろしかったのだ。






「……あぁ、ようやく会えた…!」






金髪に青い目を持ったエリザベスを、リナリアは拒絶することなく抱き締めた。


尊い光景を見ながらアベルは、何も知らず離れで暮らすマリアベルを哀れに思う。




髪と目の色だけでこうも扱いが違う、愛される事がない、哀れな娘。


せめて自分だけは愛してやらなければいけない。父親として、愛情を注がなければいけない。




それこそが良い父親だ。




















「お父様!おかえりなさい!」




領邸から戻ったアベルを、エリザベスが出迎える。


愛らしく輝く笑顔にアベルはぎこちなく微笑みながらその金の髪を撫でた。




「やぁただいま、エリザベス」


「おかえりなさい。何処にいってらしたの?」


「少し、父上の所にね。


 それよりずいぶん早かったね、もう少し遅いかと思ったよ」




そう言うとよく似た母と娘はアベルに向かい、殊更にっこりと笑う。




「ごめんなさい、実家っていうのは嘘なの」


「えぇ?じゃあ一体どこに…」


「お母様はお医者さんに行ったのよ、お父様」


「医者…?」




そういえばこの所リナリアは体調を崩していた。


しかし、笑っているのなら病気ではないだろう。




思い浮かんだ可能性に、アベルは頬を引きつらせる




「リナリア、まさか」


「ふふ、わかっちゃったかしら?」








「二人目を授かったわ!」








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