第12話「言葉の迷宮、心の真実」
青嶺女子学園は、夕暮れの柔らかな光に包まれていた。羽川イデアと流川レイトは、机に向かい合って座り、ノートパソコンの画面を覗き込んでいた。二人の長い髪が、肩を寄せ合うほどの近さで交わっている。彼女たちは今、小説を執筆している。
「ねえ、レイト」
イデアが、画面から目を離して言った。
「私たちの小説、どうしても言葉が足りない気がするの」
レイトは、イデアの言葉に深く頷いた。彼女の波打つ髪が、イデアの頬をそっと撫でる。
「そうね。でも、何が足りないのかがわからないのよ」
二人は、言葉の意味や解釈で行き詰まっていた。イデアの首元で、プラトンの教えを象徴する小さな銀のペンダントがかすかに揺れる。一方、レイトの手首には、絶えず流れる時間を表す砂時計のブレスレットが光っていた。
その時、ドアが開き、言乃ウィトゲが部室に入ってきた。彼女は、ウィトゲンシュタインの転生者だった。
「お二人とも、ごきげんよう」
ウィトゲは、淡いピンク色のリップグロスを塗った唇を柔らかく動かして言った。彼女のショートヘアには、言葉を象徴する本の形のヘアピンが輝いていた。
「何か悩んでいるみたいね」
イデアは、ウィトゲに向かって微笑んだ。
「ええ、私たちの小説が……」
「言葉の迷宮に迷い込んでしまったのよ」
レイトが、イデアの言葉を引き継いだ。
ウィトゲは、二人の間に座り込むと、ノートパソコンの画面を覗き込んだ。
「なるほど。言語ゲームの問題ね」
「言語ゲーム?」
イデアが、首を傾げて聞いた。
「そう。言葉の意味は、その使用法にあるの」
ウィトゲは、ゆっくりと説明を始めた。
「例えば、『愛』という言葉。これはどんな意味を持つかしら?」
イデアとレイトは、顔を見合わせた。二人の頬が、かすかに赤みを帯びる。
「私にとって愛は、永遠不変のもの」
イデアが、首元のペンダントを撫でながら言った。
「でも、私にとっては、常に変化し続けるもの」
レイトが、手首のブレスレットを軽く触りながら答えた。
ウィトゲは、二人の言葉に深く頷いた。
「そう、二人とも正解よ。言葉の意味は、それを使う人々の間で形作られるの。あなたたちの『愛』という言葉の使い方が、その意味を作り出しているのよ」
イデアとレイトは、ウィトゲの言葉に新たな気づきを得たように目を輝かせた。
「じゃあ、私たちの小説も……」
「そう、あなたたち二人だけの言語ゲームを作り出せばいいのよ」
ウィトゲの提案に、イデアとレイトは顔を見合わせた。その瞬間、二人の間に流れる空気が変化した。
「レイト、一緒に新しい言葉を紡ぎ出しましょう」
イデアが、レイトの手を取った。その温もりに、レイトは小さく息を呑む。
「ええ、イデア。私たちだけの言語で、この物語を紡いでいきましょう」
二人は再びノートパソコンに向かい、指を滑らせ始めた。時折、互いの手が触れ合い、そのたびに小さな稲妻が走るような感覚がある。
ウィトゲは、そんな二人の様子を見守りながら、静かに微笑んだ。
「素晴らしいわ。言葉は、このように人と人との間で生まれ、育っていくのよ」
時が経つのも忘れて、イデアとレイトは物語を紡いでいった。二人の間で交わされる言葉は、哲学的な深みと、芽生えつつある愛の予感に満ちていた。
夜も更けた頃、疲れて床に寝転がった二人は、おしゃべりに夢中になっていた。
「ねえ、イデア」
レイトが、イデアの長い黒髪を優しく撫でながら言った。
「私たちの言葉って、どんどん変化していってるわ」
イデアは、レイトの波打つ髪に指を絡ませながら答えた。
「でも、その中に永遠の何かがあるのを感じるの」
二人の視線が絡み合う。その瞬間、言葉では表現できない何かが、二人の間に流れた。
ウィトゲは、そんな二人を見守りながら、静かに語りかけた。
「言葉の限界を感じたとき、そこに真の理解が生まれるのよ」
イデアとレイトは、ウィトゲの言葉に深く頷いた。
「私たちの関係も、言葉では表現しきれない何かがあるわ」
イデアが、レイトの頬に優しく触れた。
「でも、それこそが最も大切なものなのかもしれない」
レイトが、イデアの手を取り、そっと唇を寄せた。
部室の窓から差し込む月明かりが、三人の姿を柔らかく包み込んだ。イデアとレイトの間に流れる沈黙は、どんな言葉よりも雄弁に、二人の気持ちを物語っていた。
そして、その静寂の中で、新たな物語が、そっと芽吹き始めていた。それは、永遠と変化が織りなす、言葉では表現しきれない愛の物語だった。
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