月が綺麗だったから

鐸木

月が綺麗だったから

あの頃の僕は、慢性的な不眠症に悩まされていた。ベッドの上で、薄い布団を頭まで掛けて、ウンウン唸って、夜の暗闇を恨み、やっと朝を迎える。そんな夜ばかりを過ごしていたので、僕は睡眠というもの自体が怖くなっていった。眠りたいのに眠れない。眠ろうとすればする程目は冴えていき、瞼の裏が乾いていって、あと何時間すれば眠れるのだろうかを考えるあの空虚な時間が怖いかった。

しかし、そんな夜にも仄かな希望の光があった。それは月の光だった。薄いカーテンから月光が差し込んでいる様を見ると、眠れない夜でも不安がすっ、と晴れていった。満月の夜は、密かに自室からベランダへと出て行って、ぼうっと眺めてみたりすると、心臓を巣食っていた闇も、簡単に晴れてしまう。

テストで酷い点数を取ったある晩、僕の心はすっかり折れてしまっていて、明日の塾の事、学校の事、進学の事。色々な不安へと飛び火していった闇は、とうとう収拾がつかなくなり、僕は泣き出したくなっていた。3時を指す長針、喧しい秒針が、まるで僕を急かす様で、嫌になってしまって、ベランダへと逃げ出した。夜の中へ抜け出た途端、世界は静まりかえり、規則的な自分の心拍数も、音となって世界に流れ出した。そして、月がいつもより強い光を放っている様な気がして、いつも月がある方角を見上げると、僕の家のすぐ側に、月があった。あまりにも突飛な状況に、自分の目を疑ったけれど、何度目を擦ったって、大きく丸々とした月がそこにあった。

「月の兎って、本当だったんだなぁ…」

僕は、何故か安らかな気持ちだった。


その日の記憶はひどく曖昧だったのだが、いつの間にかベッドで眠っていたらしく、父に月の話をしたが、笑って、夢の話だろう、と軽くあしらわれてしまった。

結局、あの不眠症の原因は何だったのかとか、何故不眠症がぱたりと解決したのだとか、全てが有耶無耶で判然としないが、無理矢理にでも答えを見つけるのならば、あの時に見た月が綺麗だったからとしか言い様がない。

現実は小説よりも奇なり、とはよく言ったものだと理屈っぽく考えながら、今日もまた眠気の赴くままに目を閉じるのだった。

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