3.迷わされた魂
背後で、何かが吹き飛んだ。
俺は直ぐに、水の盾を出して、タラとレイーラをガードした。シェードとオネストスは、一瞬、何が起こったかわからなかったようで、木片が飛んで来てから、盾を構えた。シェードは風の盾、オネストスは騎士の盾だ。火の盾は木材には不適切だから、これは良い判断だろう。
「クミィ?!」
シェードが叫んだ。
棺の回りに、ぼうっと霞が見える。人の形をしている。顔の細かい部分はぼやけ、全体的に白っぽいが、輪郭は少女の物だ。ロサマリナで見たクミィの姿で、印象的なのは、真っ直ぐな金髪、霧になっても、その特徴的なラインは保っていた。
彼女の周囲には、木片と、ユリに似た白い花、木の杯、紙でできた飾りが舞っている。棺の蓋が砕け、中に入れた物が出てしまっていた。
「クミィ!」
シェードはもう一度叫び、駆け寄ろうとした。俺は、彼を引っ張り、しっかりと止めた。当然、放せと言われたが、放す訳はない。
「君が行くと、戦いにくくなる。」
「戦うって、あれは、クミィだぞ!」
「クミィにはちがいない。だけど、生前とは違うクミィだ。」
シェードは尚も抵抗したが、レイーラの、
「ああなってしまったら、もう、私達の望む形では、救えないの。」
との声に、はたと止まり、クミィを静かに見た。
彼女は、自分の遺体に戻ろうとしていたが、中には入れないようだ。俺たちに改めて向き直り、真っ直ぐな髪を触手のように伸ばしてくる。ゆっくりと。シェードに触れようとしたが、俺の盾に弾かれた。
≪シェード…行かないで、レイーラと一緒に…≫
普通の声ではなく、空気の振動が、直接、鼓膜を震わせるような響きだ。
「クミィ、何だ、何と言ったんだ?俺に何かして欲しいのか?」
シェードがすがるように訊ねた。俺にははっきり聞こえたが、彼には、違うようだ。俺は、オネストスに、
「聞き取れたか?」
と聞いたが、
「いいえ、唸りしか。」
と答えが返る。個人差が激しいようだ。
≪シェード、ずっと側にいて、これからは、私の側に。好きなの、やっと言えた。≫
儚い声が切なく響く。
「ラズーリ、放してくれ。クミィは、俺に、側に来て欲しいだけなんだ。」
シェードは、俺を振りほどくまではせず、さっきより、落ち着いていたが、彼の耳には、クミィの真意は伝わっていない。
オネストスは、方耳を押さえ、
「この音だけでも、なんとかしないと。」
と言う。差のある理由は解らないが、シェードをやってはいけない。彼は
「ラズーリ、頼むから。」
と言ったが、俺が放さないので、レイーラを見て、
「レイーラ、頼むよ。」
と言った。彼女から、俺に言ってくれ、という意味だったのだろう。だが、俺は、レイーラの返事を待たずに、シェードに、
「彼女が望んでいるのは、君の全てだ。この世界にある物、君の回りの人々を、全て捨てて、それでも行くか?」
と言った。シェードは、言葉につまり、腕の中で身動きを止めた。もう飛び出さないだろう、と、彼を放して、両手で剣を持ち、魔法剣を構える。
だが、直ぐに思い直して、魔法の準備をした。クミィの棺の近くに、大きな香炉がある。あれがひっくり返って、中身が飛び散ったら、極めて厄介だ。俺の攻撃魔法は普段は氷塊で、ウォーターガンではない(打てないことないが、勢い余って、香炉を倒したくない)ので、オネストスに協力してもらい、香炉を湿気らせる。
これは効果があった。煙が止むと、クミィの回りに飛び交っていた、木片や花が、勢いを失って、床に落ちた。
「あの香は、何か特殊効果が?」
とタラに聞いた。タラは、あまりな事に呆然としていたが、我に返り、
「解らない。タキシン師が、『貰ったものだけど。』って、授業に行く前に焚いた。」
と答えた。オネストスが、ラッシルの聖職者が、なぜ、と言っていた。
泣き声が高まり、一堂の注意は、クミィに注がれた。
クミィは、「嘆いて」いた。影が薄れているが、それでも、シェードの名を繰返し、
≪お願い、一緒に。≫
と言い続けた。気の毒だが、俺は、促すつもりで、レイーラを見た。
「ごめんなさい、クミィ。シェードは、私にとって、大事な家族なの。だから、貴女の頼みは、聞けないわ。」
レイーラは、悲痛な、半ば涙声で告げた。そして、聖魔法を放つ。しかし、クミィは、かなり弱まりはしたものの、くすぶるように残り続けた。
「レイーラ、歌だ。シレーヌの。」
シェードが言った。レイーラは、多少驚いたが、すぐにシェードのいう通り、シレーヌ術の歌を歌い始めた。クミィは、苦しむようにくすぶっていたが、歌が始まると、穏やかに波打ち、靄は光を取り戻す。
シェードが進み出た。剣は構えていない。クミィに近付き、ゆっくりと手を伸ばし、彼女の頬のラインに添えた。
「ごめん、クミィ…いいや、有り難う。だから、お休み。」
笑顔の霧に、歌と、聖魔法が降り注ぎ、煌めきと共に、クミィは消えた。
解決した一瞬、全員に安堵の間が来る。次に、タラがへたりこみ、泣き出した。レイーラが、彼女を宥めにかかる。俺は、シェードに近付き、宙を見つめている彼に、
「大丈夫か。」
と声をかけた。
「ああ。うん。」
シェードの返事は、短く、虚空から目をそらさない。俺は、レイーラ達に声をかけようとしたが、外から、オネストスの興奮した声が聞こえ、飛び出した。
タキシン師、ソーガス、マリンスキー医師、大勢の人が集まっている。オネストスは、タキシン師に、強気で詰め寄っていた。タキシン師は、
「彼女の好きな花の香りだ、故郷の風習で、と聞いていました。本当です。」
と言っていた。オネストスは、俺の後から出てきた、レイーラ達を見た、見ようとしていた。
故郷の風習であれば、持ち込んだのはシェードかレイーラ、と考えるのは当然だ。彼だけでなく、人々はみな、二人を注視した。
「この騎士の方に、頂きました。」
タキシン師の指先が、ソーガスを指し示す時までは。
そして、そこに、バルトゥスが駆け付けて来た。
「ヴェーラが、自殺しようとしました。話し合いの後、何か薬で。」
彼は、医師を呼びに、慌てて来たらしい。マリンスキーは、バルトゥスに向いたが、
「無駄ですよ。医師じゃ、彼女を救えない。」
とのソーガスの、あくまでも柔らかい声に、再び渦中の中央を向いた。
中央のソーガスは、表情は変わらなかった。いつも通りの、人懐こい笑顔だ。
「やっぱり、そうか。」
俺は、剣を構え直した。シェードは、
「え、何だ?」
オネストスは、
「ソーガス、嘘だろ…。」
と、彼を注視する。レイーラとタラは、言葉なくたたずんでいたが、先に我に返ったレイーラが、タラの手を引き、俺の背後に下がる。
ソーガスは、俺に、
「いつからですか?」
と聞いた。
「シレーヌからかな。」
あの一味の女性、風魔法使いだという話だが、転送を使えばいいところで、中々使わなかった。海岸で、ソーガスが彼女と一緒に、転送で戻った時、彼女の魔法と言っていたが、それでは、正直に、犯行現場に真っ直ぐ戻ること、かつそれを信じて転送を任せるのは、不自然だ。犯人に行き先を任せる警官がいないのと同じだ。
さらに、後の戦闘で、オネストスが崖から落ちかけた時の。崖で彼を助けた時の転送魔法、あれは、こなれてないと、無理な動きだった。その前に、持ち場を離れた事も、ルヴァン達を戦うふりをして逃がすためだったのだろう。
グラナドは、ゲイターでのことも疑問視し出していた。今回の旅に、ソーガスが熱心に申し出たのは、隊長の任を解かれたため、今までより不自由を強いられる身としては、ここで、恐らくレイーラを拐い、巻き返したかったのだろう。ただ、彼の段取りは狂い、結局、こちらの疑惑が固まった。
「なぜ…俺を助けたのに…」
オネストスが言った。ソーガスは、彼を見ずに、
「物の弾みってやつさ。」
と言い、ウィンドカッターを、教会の鐘に向かって、ぶつけた。
「墓地から死者が甦る。俺に構ってる暇は、ありませんよ。」
彼はレイーラに近づこうとしたが、シェードが庇い、俺が魔法剣を構えるのを見ると、
「ここで貴方とやりあうのは、分が悪いな。」
と、今度はウィンドカッターをランダムに数発放つ。全て鐘に当り、物凄い音を建てた。
遠目の爆発音が響く。助けて、と叫びながら、教会の東側の道から、男性が一人、駆けてきた。腕と足の服が焼け焦げ、額を怪我して、傷だらけだ。
レイーラとマリンスキーが駆け寄り、傷を調べる。タラがシェードに、
「墓地って、まさか。」
と言う。シェードは俺とオネストスを交互に見て、
「あ。」
と言った。
ソーガスは逃げていた。彼の蹟には、名残の小さな竜巻が、冷えた風をかき回していた。
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