[2].鳩の捧げ物
1.狩人の土地
暗いこの紅は、ルビーというより、ガーネットの色だ。
※ ※ ※ ※ ※
うねりが、こだまする。土のエレメントが、まるで水のようにうねり、大地を揺るがしている。
森が削れて出来たサークル、その中心に向かい、グラナドが最大の魔法を放った。彼の左右には、ミザリウス、ユリアヌスを初め、水と土の魔導師が脇を固めていた。背後に狩人族の部隊。魔導師で、まともに立っているのは、グラナドとミザリウスだけだった。ユリアヌスは、倒れていた。
向かって左には、カッシー、コロル、オネストスの火の「囮」部隊がいた。さっきまで、カッシーの、「ほら、こっちよ。」という掛け声が聞こえていた。今は、轟音に霞んでいる。土が舞い、火は見えない。
サークルの中心は、うねりに包まれていた。素早さを駆使して、あらかじめ、内に飛び込んだシェードとラールは、魔法の後に出てくる手はずだが、姿が見えない。
俺のサイドには、隣にファイス、背後に騎士団がいた。ハバンロとケロルは、もともとシェード達を進ませるために、盾になって、弾き飛ばされ、怪我をしていた。レイーラが回復している。二人とも、骨は無事だか、出血が多かった。
リスリーヌは、神官達と、聖魔法で防御壁を作っていた。
「出てこないが、今しか、ない。」
クロイテスが言った。背後で、
「もとはと言えば…。」
「今は仕方ない。」
と、ささめく者がいる。
「飛び込もう。俺とファイスなら、影響も少ない。」
俺は言った。ファイスは、剣を構え直し、無言で呼応する。
「私も行こう。」
クロイテスが、静かに言った。ライオノスは、
「団長、貴方が。」
と言いかけた。俺も、
「指揮をする者に、何かあったら。」
と言ったが、クロイテスは、
「私も水だ。君や殿下ほどではないが、あれには、負けない。」
と答えた。実際、若手中心の騎士団の部隊は、ここまでで予想外に疲弊していて、「次に」耐えられるのは、クロイテス以外にいない。
「それじゃ、行こう。」
俺は、剣を改めた。
※ ※ ※ ※ ※
今更だが、兆候はあった。
後から気付いた分には、好きに言える程度には。
※ ※ ※
サヤンの所から戻ると、騎士団が騒ぎになっていた。
オネストスは、あれから直ぐに監禁を解かれたが、ピウファウムとナウウェルは、今朝早く、王都に送還になった。それが、シィスンを出てナギウを通過した後、次の中継地のクレルモードに、着いていない事がわかった。
送る時に着けた騎士三人は、ナギウで迎えの部隊に二人を引き渡し、船に乗るのを確認した。だが、船がクレルモードに着かなかった。迎えの部隊もだ。
ナギウからクレルモードまでは船で数時間だ。だが、港で事故(貨物船の火事)があり、その影響でか、こっちまで詳細が伝わるのが遅れた。
つまりは逃げられたか、さらわれたか。事故も仕組まれたかもしれない。
だが、それには、事前に情報が漏れている事が前提になる。市民には安全のため、エレメント絡みで事故が起きた事は伏せていないが、ピウファウム達の事は漏れていないはずだし、送還する予定を外部の者が知ることはない。
その筈だが、昨日、ナウウェルの婚約者を名乗る女性が尋ねてきて、彼に面会していた。騎士には面会特権があるが、今回は、ピウファウムとナウウェルに面会があれば、クロイテスかライオノスが立ち会うようにしていた。ナウウェルはともかく、ピウファウムの「同期ラッシュ」から、情報漏れを防ぐためだ。だが、婚約者に同情した、見張りの騎士が、こっそり通してしまったのだ。その騎士が立ち会えば良かったかもしれないが、婚約者との会話を聞くのは悪い、と、外に出ていた。ただし、時間は十数分程度だ。
彼女は、緊急に相談したい事があるから、通信で連絡したのに取り次いでもらえない、手紙も毎日くれていたのに、急に途絶えた、何があったか心配になって、飛んできた、と言った。
面会の後、見張りの騎士は、良ければ団長に話して、部屋を用意する、と言ったが、彼女は、クレルモードに宿泊している、船の時間があるから、と、直ぐに帰った。その後、ナウウェルの様子を確認したが、相変わらず、意気消沈していた。
「事後になるが、団長に報告するから、と言うと、涙声で、
『婚約を解消された。』
と言いました。心配で飛んできたはずの女性が、婚約解消したとは、今考えれば、おかしな話でした。ですが、彼女のために、ナウウェルから解消したのかも、と思い込んでいました。」
見張りの騎士は、口調は淡々と冷静だったが、それは、自分の不手際に、失望しての物のようだ。
仮に、その女が黒幕の手先だったとしても、行動が早すぎる。逃亡の手筈を伝えたとして、計画はその前に練っていなくてはならない。
養成所時代から、騎士の賞罰は、公式記録に載り、希望すれば誰でも閲覧出来る。なので、事件はいずれは公になるのだが、今回は特殊な事情が絡む(「空間超え」を国民全体に発表する用意はないからだ)ので、送還も、内密に素早く決められた。理由は、ここの騎士と魔法官には明らかにされていた(なってしまった)が、彼等には、当然、口止めしていた。
「内部に、通じている者がいるのですか。」
とライオノスが言ったが、グラナドは、
「そこまではどうかな。ここで騒ぎになったのは確かだ。シィスン市民の噂話から伝わったかもしれない。通信か手紙か、やりとり出来るなら、そこで口が滑った者がいるかもな。
どっちにしても、彼等は諦めるしかないな。気の毒だが、口封じだろう。」
と、抑揚のない声で言った。
念のため、オネストスに、ナウウェルの婚約者について尋ねた。
「婚約までしていたかわかりませんが、王都に住むようになってから、付き合い始めた女性はいます。役所で働いている、と聞いた事はあります。会ったのは一度だけです。私が知人と劇場に行った時に、二人に会いました。こう、正式に紹介されたわけではないので、うろ覚えですが、名前は、確か、ターリナです。名字は知りません。顔も、あまり特長がないので。髪は明るめでした。会えば解るかもしれませんが…。
ナウウェルの家族は、地元の女性と結婚させたいようでしたから、『実家への手紙に、書かないでくれよ。』と言ってました。騎士団宿舎まで来たことも、なかったですね。」
やって来た婚約者は、黒髪だった。髪の色は変えるのが流行りだが、本物でも偽者でも、ここには、気付く者はいなかったわけだ。
ピウファウムの妻についても確認してみた。
「彼女は養成所時代に、ヘイヤントで知り合った女性です。だから、同期なら、みな、顔も名前も知っています。アーシャと言います。薬学と看護の学校に
行ってました。私達とは、外部のボランティアで知り合いました。
難を避けて、今はクーベルの実家にいるはずで、ピウファウムからは、落ち着いたから呼び寄せたいが、彼女がクーベルに住みたがっているから、と聞いています。
髪ですか?黒ですが、あまりこう、複雑な事に関わるタイプの女性では、ありませんので…。」
ここで、はっとして、オネストスは黙った。クロイテスは、気になる事があるなら、関係なくても、話すように、と促した。
「半年前の話で、事情が変わったのかも知れませんが、彼女の友人からは、逆の話を聞いた事があります。ピウファウムは、クーベルより王都から遠くて安全だから、自分の実家に行かせたがったが、田…行った事のない土地より、ピウファウムと王都で暮らしたがっている、という話でした。」
彼等の郷里は、タルコース伯領だ。広大な領地には、田舎も都会もある。だが、クロイテスの妻シスカーシアはタルコース家の出だ。団長の妻の実家を、田舎扱いしそうになったので、やや赤くなりながら、慌てて言い直していた。
グラナドが、小さく吹き出してから、
「とにかく、後は予定通りに行こう。見張りの不手際だが、ナウウェルが会いたがったなら、本物でなくても、面会特権がある。絶対阻止はできなかっただろう。
捜索は続けるが、こちらは黒幕の話は知らないように振舞い、あくまでも誘拐事件としてな。…そうすると、なぜ送還したか、理由を考えなくてはいけないが…。女と逃げて職務放棄、がてっとり早いが、それだと夫人がお気の毒だし。」
最後の冗談には、皆が笑った。
俺達は、「しれっと」ゲイターを訪問した。
シィスンでも俺たちを歓迎した、狩人族の族長代表ジーリ氏は、ゲイターでも歓待してくれた。キーリとは、従兄弟にあたるそうだ。
宿は公営の一件しかないが、俺達八人とラールだけなら、十分だった。その宿舎の管理運営は、ジーリの長男ギーズ夫妻が行っていた。
「事故で目を怪我しましてな。見えるのですが、矢が当たらなくなりました。氏族長は、三男のアードが継ぐことになりました。」
ジーリは、宿舎に案内がてら、手短に説明した。次男はどうしたか気になったが、その事故で亡くなったのだろう、と勝手に判断した。
ギーズの目は、王都かイゼンシャで治療すれば、治るのではないか、と思ったが、狩人族は、もともとは王家に反発していた。力関係が複雑なのだろう。
宿舎に着くと、入り口に弓を背負った少女がいた。年齢はハバンロくらいだろうか、背格好はレイーラより一回り小柄、それでも、狩人族の女性にしては、高いほうだ。くるくるとした栗毛の髪を、凝った模様のリボンでまとめている。目は茶色で、少し東方人の面影がある。
「おや、フィール、何かあったのか。」
フィールと呼ばれた少女は、ジーリに「お父さん」と呼び掛けて返事をした。
「トーロ兄さんの所に、ユーリが来てたの。さっき帰った。ミシャンの事で。」
彼女がそう言うと、一瞬、場が凍った。狩人族の間だけではあるが、妙な緊張が走る。ハバンロが、緊張感を微塵も感じさせない調子で、「四人兄弟ですか?」と聞いた。
ジーリが答える前に、中から、人が飛び出した。男性だった。丁度、当たりの位置にいた、ミルファに、もろにぶつかった。ミルファは転んでしまったが、グラナドが助け起こした。
シェードが、
「気を付けてくれよ。」
と言った。
ぶつかった青年は、謝り、埃を払い、服を整えるミルファに、
「エムール!」
と叫び、抱き付いた。
その後は、「阿鼻叫喚」だった。
ミルファはきゃあ、と叫んで、とっさに、相手を突き飛ばす。尚もエムールと連呼し、ミルファに向かおうとする青年を、シェードが「おい、お前。」と、胸ぐらを掴む。ハバンロが、「何ですか、貴方は。」と叫ぶ。グラナドは、青年とミルファの間を譲らない。
レイーラが
「まあ、シェード。落ち着いて。殴るなら、平手にしてあげて。歯が折れたら、飛んで危ないわ。」
、カッシーは、小さいが、指に火を出し、ファイスは
「とりあえず、切っとくものか?」
と、確認するように、俺に言い、剣を構える。俺は、
「拳で充分だ。」
と答えたが、殴らずに取り押さえようと、進み出た。ラールの目が座っていた。グラナドも目をつり上げて、詠唱の構えを取る。だが、誰かの技や魔法が炸裂する前に、
「いい加減にしなさい。」
と、ジーリの低い声が響く。
「トーロ、お前は戻りなさい。フィール、お前、ゾーイに言って、私が帰るまで、部屋から出さないように。」
ミルファは、
「あの、びっくりしただけですから。息子さん、とは知らずに。」
と言い、恐らく突き飛ばしたことだけ、謝ろうとしたようだが、トーロは地雷を踏んだ。
「本物、エムールだ。顔だけじゃない、折れそうに細くて、胸が無いとこまで、同じだ。」
さらにトーロが抱きつこうとしたので、ミルファは、遠慮なく、思いきり、彼を吹き飛ばした。ラール直伝の護身術だった。
トーロが気絶したので、妹ではなく、兄が連れていった。兄がするはずだったもてなしは、彼の妻と、よく出来た従業員達が行った。
ジーリが、謝罪の後に、事情を説明した。
「申し訳ありません。トーロには、エムールという、狩人族で一番美しい、と言われた恋人がいたのですが、ギーズが怪我をした同じ事故の時に…。以来、似た女性を見ると、あれです。
言って聞かせても無駄、弓を持つことも拒否してしまい、ギーズの提案で、宿の仕事を手伝わせています。周りを変えると、気が紛れると思ったのですが。…さすがにこのような。今後の事は、考えなくてはなりません。」
先程、妹の話に出た、ミシャンというのは、王都から帰還して、受け入れが認められた、数少ない元離脱者の女性で、ユーリは、彼女の兄だ。トーロが、このミシャンを、エムールと呼んでいた。
つまりは、ユーリの用件とは、「もう妹に構わないでくれ。」ということだった。
「せめて、『エムール』とさえ呼ばなければ、話の進めようもあるのですが。」
とジーリが言った時、戸口から、
「無いってば。ずっと閉じ込めとくしか、ないんじゃない?」
と、フィールが戻ってきた。
「手が足りないでしょ、義姉さん。」
と兄嫁に言った後、父親に向き直り、
「ユーリは、お父さんにも言ったでしょ。ミシャンは、王都で恋人を亡くして、まだ忘れられないから、て。トーロをちょっとでも好きならともかく。」
とにべもなく、言いはなった。それから、ミルファに、
「兄さんたちで相談して、ゾーイって大男を見張りにつけてるから、安心して。皆さんが泊まっている間は、宿屋には近づけないから。」
と言うと、片付け物に、奥にさっさと入ってしまった。
宿には、「続き部屋」というものがないので、一人一部屋だった。寝る前に、明日の段取りを、一番広いグラナドの部屋で確認した後、宿がワインを運んできてくれた。ミルファとレイーラは部屋に引き取ったが、ラールとカッシー、男四人(ハバンロだけはミネラルウォーターだが。)は、一杯ずつ、飲んだ。美味しいが、普通のワインより、かなり強い。食事の時に出たものも、やや強いかと思ったが、こちらのほうが、より強い。俺は魔法耐性でほとんど酔わないが、わずかに回った。
「だがなあ、ああいう奴は、そのエムールが生きてたって、そうそうに振られたと思うぞ。」
昼の話になった時、グラナドが言った。シェードが、
「嫌なやつだが、同情はする。」
と言ったのを受けてだ。
「あら、どうして?」
とカッシーが尋ねた。
「いかにも、女が気にしてそうな事を、あんなあからさまに、いう奴があるか。肝心な所で、口説き文句に失敗するタイプだ。
たぶん、細い女が好みなんだろうけど、自分の関心のある所だけしか目が行かないんだな。よく見りゃ、あれで、他に誉める所、あるだろうに。当たり障りのない範囲で。」
これに、ラールが、「当たり障り?」と言ったので、グラナドは、ごまかすためか、あわてて、もう一杯、グラスをさらに煽った。
確かに、「女性を口説く時は、最初は目を誉めろ。」と言われてはいる。ミルファの目は褐色で、狩人族にはありがちの色だが、ぱっちりとして、可愛い目だった。
「ねえ、それじゃ、グラナドだったら、どこを誉める?」
と、カッシーが、妙に目を輝かせて聞いた。
「そうだなあ…まず、細いことを言うなら、脚か。いや、脚はいきなり誉めると引く場合もあるな。
それよりも目だな。色は珍しくないが、色白に黒目黒髪ってのは、外せないだろ。
黒曜石より深い瞳、雪も恥じらう白い頬、鳩の血の石(ルビー)のような唇、月夜の滝のように輝く黒髪…。」
「あら、ミルファ。」
ラールの声が遮った。全員の心臓が一瞬に止まる。
ミルファが、戸口にいた。頬は鳩の心臓のように紅い。
「あの、私、お母さんに、もう休まないとって。」
ラールが、はっとして、
「そうね、お休みなさい。」
と、グラスを置く。グラナドに小声で、「説明しておくから。」と、言い、ミルファを連れて部屋を出た。
後には、静まり返った男達と、笑い転げるカッシーがいた。彼女は、気付いて、話を降ったらしい。
「酔ってるな。食事の時もかなり飲んでたから、ひょっとして、とは思ったが。」
ファイスが、カッシーから、グラスを取り上げながら言った。カッシーは、ごめん、ごめん、つい、と言いながら、ファイスに、「部屋まで送って。」と、彼を連れて出た。
ハバンロが、感心したように、
「いや、参考になりました。ですが、普段から、ああいう事を考えていたとは。」
シェードが、軽くハバンロを小突く。グラナドは、
「誉めるって話だったからだ。普段は別に…。」
と、弁解を続けた。
その後、レイーラが、シェードの様子を見に来て、
「もう、眠らないと。騒いじゃ、駄目よ。」
と言ったので、照れるグラナド(確かに、照れていた)を後に、部屋を出た。
微笑ましい話で、守護者としての俺は、今後の展開に、一安心した。
だが、一方、酒のせいか、ぼうっとすっきりしない物が残った。
カッシーが酔うほどの酒だ。何か残っても不思議はない。
そう言い聞かせて、その夜は、眠りについた。
酒のせいにできる程度の、寝苦しさを抱えて。
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