4.ハバンロの帰郷
翌日、俺とグラナド、ラールとミルファ、ハバンロは、ユッシのお見舞いに行った。
シィスン市内でサヤンと待ち合わせ、郊外の病院へ向かう。
ユッシが入院している病院だ。
年を取ったとはいえ、身体壮健で、病気らしい病気もした事はなかったが、ある日、古い友人たちと酒盛りをしている最中に、急に倒れた。
「年も年だし、お酒は気を付けてたんだけど、久しぶりに、羽目を外してしまったというか。
最初は、居合わせた人達、ただの飲み過ぎと思って、本人も意識あって、『平気、平気』と言ってたらしい。でも、お開きにする時、声をかけても、返事がなかった、て。
お酒には、見栄はって、飲み過ぎる所はあったから。」
と、サヤンは語った。ロテオンがルーミに対して言った台詞と重なる。
卒中、という話だが、急性アルコール中毒のようにも思える。シィスンの医師は、助かったのが奇跡、と言ったそうだ。
ユッシは、言葉はよくしゃべれなかっが、俺達の事は分かったようで、しきりと名を呼んでいた。
だが、俺が若い姿でいることに、違和感を感じている様子はなかった。ルーミの死は知らないようで、数を数えては、不思議がっていた。
グラナド、ミルファ、ラールは、倒れてからは、会うのは初めてだった。ラールとグラナドは落ち着いていたが、ミルファはショックを受けているように見えた。サヤンが励まし、
「大丈夫、これでもだいぶ回復してるし、『酒のない環境に置かないと、この人の場合は改善しない』って言われて、お医者さんを睨んでたくらいだから。」
と言った。
病院の後は、サヤンの宿に向かう。サヤンの長男ジョロクに伴われて、レイーラ、ファイス、カッシー、シェードが来ていた。
エレメント値が回復し、街は緊張を解いていた。道場近辺は、まだ一般市民は立ち入り禁止だが、エレメント値のせいではなく、騎士団が逗留しているから、という色彩が強い。
「今年は、冬は暖かくて、夏は涼しい。お陰で、メニューに頭が痛くて。定番じゃ、いまいち、お客さん、喜んでくれないから。」
サヤンは、そんなわけで、新・勇者定食よ、と、シイスン料理にしては香辛料の少ない、甘口ソースの料理を振る舞ってくれた。
彼女は、少しふくよかになっていたが、きびきびと働く姿は、まだ若い娘のように元気が良かった。サヤンの店、老舗の料理旅館の「ビョルリンク」、新メニューの「甘口」料理は、夫のエッジオのアイデアだ、という。
「しばらく見ないうちに、二人とも、立派になって。でも、無事で良かった。」
と、感慨深く言ったサヤンに、グラナドは、
「ありがとうございます、サヤンさん。」
と、丁寧に言った。
「それにしても、ミルファ、美人になったね。グラナドがいなかったら、うちの嫁に欲しいくらい。」
「もう、さっそくご冗談を。」
「いやいや、四人もいるから、どれでも持って行っていいわよ。」
「お母さん、煮物のお裾分けじゃないんですから。」
ハバンロの真面目な言葉に、全員が笑った。
シェードは、ハバンロが「本当に14歳」という事実に、あらためて驚いていた。ファイスとカッシーは、最初は自分も驚いたけど、と、似たような感想を述べた。レイーラだけは、別段、驚いた様子もなかった。
賑やかな歓迎の食事が終わったあと、エッジオが、良い酒がある、と小声で薦めてきた。コーデラの法律では、今のパーティでは、ハバンロ以外は飲酒可能だったが、残ったのは、俺とグラナド、ラールだけだった。どうやら、俺たち三人だけに声をかけたようだった。
だが、エッジオは、居間にサヤンを残して、早々に退室してしまった。
「あの人、あんまり強くないのよ。料理に合うものは、研究してるけど。…グラナドは酔わないから、まあいいでしょ。」
魔法力が高いと、普通はアルコール耐性が上がる。ただし、耐性以前に、アルコールが駄目な体質だと、当然、飲めない。
エスカーは最強の魔導師だったが、アルコールは一切駄目だった。ルーミも魔法力のわりには弱かったから、体質なのだろう。グラナドは、ディニィ譲りの体質に、魔法力が加わり、殆ど酔わない。そのため、わざわざ自分から酒を飲みたがることは、殆どない。
だが、今夜は、シェードと張り合って、飲んでおり、流石に過ぎると良くないし(個人的には飲酒可能年齢は、もっと上げるべきだと思ってはいるが、それとは別に)、止めようかどうか、一瞬、迷った。
だが、サヤンが、俺にもグラスを渡しながら、
「あんたも、たまには、ミントソーダ以外のも、いいでしょ。」
と言ったため、止めるのを忘れてしまった。
今さらだが、グラナドのような力がなくても、以前、長く接していた相手には、わかってしまう。何故そうなるのか、という事に関しては、連絡者からは詳しく聞いていない。
パーティの中で最年少だったサヤンは、一番早く結婚した。とは言っても、ホプラスの死後の事だ。旅の後、店のために、料理の学校に通ったが、そこでエッジオに出会った。元はクーベル出身だが、複合体の事件で両親を亡くし、ナギウの祖父の家に身を寄せた。祖父は、昔、貴族の家でコックをしていたという話だ。出会って直ぐに恋愛対象だったわけではないらしく、彼女には旅の後も何度か会ったが、名前を聞いた事はなかった。
二人には、息子が四人いる。上からジョロク、ペパード、ハバンロ、ラペニョで、長男のジョロクは料理人目指して修行中、四男のラペニョは、学校に通っていた。次男のペパードは、医者になりたいと、アレガノスで勉強中のため、家にはいなかった。
四人のうち、ジョロクとハバンロは、父親に似て、背が高いが、目が青いのはハバンロだけだ。ジョロクとラペニョは、明るい茶色の瞳をしており、ラペニョは、顔立ちはサヤンそっくりだ。ペパードだけ、直接は見ていないが、どちらかというと、ユッシに似ている、という。
「あの子は、武道も得意でね。最初は、ハバンロと同じ道場で、拳法家目指して、あとちょっとって、所だったんだけど。」
事情はラールから聞いていた。
「正直、医者になれる頭があるか分からないけど、やりたいことが見つかった時は、安心したなあ。あの子は、誰に似たのか、繊細なとこがあるから。」
多分、ユッシに似たんだろう。彼も、あれで、繊細な面があった。
サヤンは、ユッシがチューヤで傭兵をしていた時に、恋人との間に出来た娘だ。母親は、北からの移民で、傭兵の詰所のある地方都市で、一番大きな居酒屋で働いていた。主に中堅の兵士が出入りする、気軽な酒場だったらしいが、珍しい酒も置いていて、将校にも通うものがいた。
ユッシが任務で留守をしている間に、豪族(チューヤでの貴族)出身の将校と結婚して、相手の故郷に行ってしまったが、一年後、赤ん坊のサヤンと共に、貧民窟で発見された。
将校は、ユッシの留守を狙って、「卑怯な手」を使って、無理矢理に結婚した。ユッシが任務先でヘマをし、自分と結婚しないと、彼が投獄される、とかなんとか。実際、その時のユッシの部隊は、敗走し、軽傷で澄んだのは、彼と新人数名だけだった。むしろ、負傷した隊長を庇いつつ、混乱する新人を守ったのだから、後には評価された。
ただ、その情報が入ってきた時は、隊長が意識不明だった事もあり、詳細が直ぐには解らず、あれこれ噂が飛び交った。
こうして夫の実家に連れていかれた彼女だが、その時、既に妊娠していた。もともと身分差のある結婚に反対していた、彼の両親の意見を受けて、夫は、自分の子でないのは明らかだから、産まれたら遠くに養子に出す、とした。それで、彼女は逃げ出した。
追っ手を逃れるために、身を隠したのだろう。ユッシは、貧民屈で起きた犯罪の捜査を(当時はチューヤの傭兵は、警察の役割もこなした)している時に、瀕死の彼女を発見した。
ユッシは、彼女を見取り、埋葬すると、サヤンを連れて、除隊し、直ぐに故郷に帰った。万が一、将校が探しに来た時の事を考え、自分ではなく、両親の娘ということにして届けた。
実際、将校は、彼女に対する気持ちだけは、一応は本物だったらしく、両親の意思に従おうとした自分を反省し、血が繋がっていなくても引き取ろうと、後に探しに来た、ということだ。
サヤンは知らない事になっていたが、地元では暗黙の了解で、本人も早くから、うすうす悟っていた。
「あたしが五歳の時かな。酔っぱらった時に、『お前の母さんは、ピンク色の髪と、青空みたいな目をしてた。』って言ったことがあった。後で両親に、『お母さんは、昔は青い目だったの?』って聞いた。二人とも、笑い飛ばしてたけどね。」
ピンク色の髪は染めていたのかもしれないが、目の色が青ということなら、珍しいが、天然のストロベリーブロンドというやつかもしれない。イスタサラビナ姫が、好んで染めていた色だ。(昔の上流の女性は、白髪以外は染めないものだったが、イスタサラビナ姫のお陰で、令嬢達の間に、いわゆるカラーリングというのが流行った。)
昔、融合する前の俺は、キーリ、サヤン、ユッシの三人は、計画の対象外として、関心を払わなかった。妹ではなく、娘、というのを、話のついでに、聞いただけだ。
融合してからは、連絡者に詳しく聞く機会もなかった。一通り事情の説明を受けたのは、今回の任務の直前だ。
ただ、説明では、個人の内面に関する話は、当然、出ない。
サヤンを両親の娘で通したのは、正式に結婚した夫婦の子にしたかった、という気持ちがあったのだろうか。例の将校の引き取りを警戒してか。
今のユッシには、自ら名乗れないままだった、という、苦悩は、どれほど記憶されているのだろうか。
「で、これから、どうするの?」
と、昔話の切れ目に、サヤンが言った。グラナドは、
「まだ分かりません。女王陛下は、早く俺に譲りたがっていますが、今は、その時期ではないと思います。クーデター前に比べれば、遥かに世論は俺寄りですが、それはイスタサラビナ姫やエクストロスに比較して、であって、今の女王陛下に比較して、ではありません。
今回の事で、少し考えています。」
と答えた。
オネストスの、「見て明らかでしょう。」という言葉が蘇る。俺は、彼は王家に仕える騎士で、君の立場に対する権利は持たないのだから、と言おうとしたが、サヤンが、
「ああ、そうじゃなくて、ここでの事よ。シィスン市民としては、まだ正式な歓迎は済んでない、て感覚だから。狩人族もね。」
早く王都に向かいたいのだが、「なるべく『大袈裟に』戻って来るように」との、クラリサッシャ女王からの要請があった。ここに誰をどれだけ残すか、で、まだミザリウスが調整中、という事もあり、次期国王としての「歓待」は、なるべく余すところなく受ける事にしていた。
「狩人族の街、行くんでしょ?ミルファが、楽しみだって。でも、気を付けてね。」
サヤンは真面目に言った。狩人族回りがざわついているのは確かだが、狩人族の勇者キーリの娘のミルファに、何か悪意を向けるとは考えられない。だが、善意や悪意だけで世の中がまわるわけではない。
「ここに来る前、一応、俺達の側から離れないように言ってますから、大丈夫でしょう。ラールさんも騎士団もいるし。」
グラナドはそう言ってラールを見たが、彼女は、笑って「私は隠居中よ。」と、答えていた。
狩人族は、今はシィスン近郊に「窓口」としての小さな街・ゲイターを持っていた。一応は「改革派」に属する者達の街で、「保守派」は、大半は、変わらずほぼ森の奥から滅多に出ない。おおむね保守派のほうが豊かな森に住んでいるため、自給自足が安定しているからだ。が、ここ数年は、不安定な季候のせいで、保守派の氏族からも、街に移り住む者もいた。
もう十年も前に、保守派の一部が「森林派」という、より古典的な生活様式を掲げて、「逆改革」を起こそうとした事もあった。主張が非現実的すぎて、三年弱で自然消滅したそうだ。反対に、改革派よりアクティブな「急進派」もあるそうだが、こちらは昔から、若年層の一部に流行っては消え、を繰り返していた。最近は、「急進的に森に還る」』って、よく分からないのが流行ってる、とサヤンが言った。
極端に先行した物が産まれる背景には、大なり小なり既存の秩序が崩れる出来事がある。
ここ最近には、クーデターの後、「離脱者」が余所から、押し寄せてきた事件があった。
「離脱者」というのは、狩人族では、何らかの理由で、土地を出て暮らしている者を指す。悪事により森を追われた「追放者」とは違い、戻るのは自由だ。
原初の「掟」では、両者に違いは無く、一度森を離脱したら戻れないのが本来だが、現実には天災や異常気象で狩り場が不足した年は、飢え死にを避けるために、協議で離脱を決める事もあった。また、多くの集落は、もう完全な自給自足で回るレベルの大きさではない。意図的な離脱者が、外部との橋渡しになる事もある。
このため、実際は、戻れば元の氏族が難なく受け入れる。氏族ごと離脱していたり、元の氏族が絶えていたら、その氏族の土地を譲り受けた所か、一番余裕のある所が受け入れる。(ラールのために森を出たキーリも、一応は離脱者に入る。)
だが、氏族ごと大規模に、よその土地に移らなければならない事態は、そうそう無い。
一番最近で、大規模なのは、百五十年前、酷い山火事のあった年の集団離脱が最後だ。(複合体の時も、あのまま放置したら、集団離脱を招いたかもしれない。)
そして、クーデター後に「戻った」のは、百五十年前に離脱した氏族の子孫、を名乗っていて、合計百人余りもいた。
件の離脱は三十氏族ほどで、全体の三分の一くらいだ。十年以内に五氏族、二十年以内にさらに五氏族が戻ってきたが、残りは戻ってこなかった。戻らない、と連絡をした氏族もあれば、音信不通になった氏族もいた。
このため、最終的には、戻らなかった氏族の土地は、残った他の氏族が、分ける事になった。
新しく「戻った」者達は、その土地と対価を要求した。
「ちょうど、クーデターの前の年に、それとは別に、トエンから『戻ってきた』一家がいて、百五十年ぶりに、狩人族に復帰した、という事があったの。十人家族だった。
元の土地は『僻地』になるから、返却しても狩りで暮らすのは難しかった。だから、街に土地をもらって、住むことになったの。トエン人は狩猟民族だけど、森と草原じゃ、要領が違うしね。
ここまでは明るい話だけど、ここからがね…。」
どうやら、この話を曲解し、『狩人族だと言えば、直ぐに土地が貰える』と考えていたらしかった。
先のトエンの人の場合は、先祖が代々記録をつけていて、元の氏族の名前や、姻戚関係がはっきりしていて、狩人族側の記録と一致した。さらに、トエンでは、大きな氏族に入り込み、長く高い地位にあったようで、相続争いで追われて着のみ着のまま逃亡したとはいえ、貴金属や宝石類は持っていた。土地は無償で貰ったが、暮らしが安定するまでの財産は、十分にあった。
新しく戻った者達は、クーデターの王都周辺から逃げてきた、というから、無一文は無理もないにしても、証明するものがなく、狩人族の風俗習慣に対する知識や、弓の使い方も知らなかった。外見も(男性は長身、女性は小柄、小麦色の肌に褐色の髪と目)狩人族の特徴がある者は少なく、どう見てもコーデラ人にしか見えない者が大半だった。
外見は混血のせいとしても、狩人族である、と伝わっているなら、「いにしえ」を偲ばせるものが皆無なのはおかしい。受け入れに反対の者は、そう意見を出した。
さらに、内訳には妙に若い男性が多く、クーデターの被害者というより、クーデターを途中で投げ出した「反逆者」一派が混じっている、と思われた。
狩人族は、コーデラ王家に対する反発が強いが、それでも、反逆者を内に招き入れる事は、政治的に問題がある。
ただし、弓術の心得がないと森で暮らすのは無理な事や、貰える土地は森の奥か、ゲイターである(つまりシィスンではない)事がわかると、言を翻し、慌ててシィスンを出た者も少なくはなかった。
最終的には、八人ほどが認められた。残りは、シィスンに住むことになったのが数人、あとはナギウなど、周辺の都市に出た。
「その時、保守派は、『伝統と慣習によって受け入れるべき』はずなのに、『土地をタダで分け与える事に反対』が矛盾、改革派は『氏族は血統より信条で繋がるべき』と『思想はあっていても、政治上、立場が問題になる者を受け入れるのは反対』が矛盾。
仕方ないと言えばそうなんだけど、こういう大人の態度に失望した子達の間で、『無軌道主義』みたいなのが流行っているとか、いないとか。ジョロクが狩人族の友人から聞いた、と言ってた。
シィスン市民はあまり関心ないみたいだけど。あたしは気になるのよね。ほら、クーデターに加わった『子供達』と、似てるような気がするし。」
グラナドが少し目を見張った。さすがサヤンさん、と呟いたが、サヤンに聞こえた様子はなかった。
その後は、あまり遅くならないうちに(とは言ってもすでに夜更けたが)、部屋に引き取った。グラナドとは、明日の話を二言三言、眠そうだったので、早々に部屋に送った。
翌朝は、あっさりしたキジバト料理が出た。レモンと薬草の香りのする、薄切り肉だ。色付け赤いが、辛味は少ない。サヤン曰く、
「昔はシィスンシロハトを使ってたけど、今は手に入りにくくなってるから。狩人族もぼやいてたわ。
大抵は、代わりに鶏を使うようになったけど、うちはトウホウキジよ。養殖だけどね。」
だそうだ。みな、初めて食べるようだが、ファイスだけは、シュクシンで食べた事がある、と言っていた。
紅いソースと白い鳩。そういえば、ルビーの上質な物を「鳩の血」と言ったっけ。
料理は美味しく、一日の鋭気になった。ハバンロが、この料理は、森への感謝の捧げ物と言われ、狩人族の郷土料理が元だ、と言った。
朝に供物を食べてしまえば、夕べには、試練が待っている。この時は、鈍い事に、欠片もそんな事は思いもしなかった。
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