出口のない部屋

三嶋トウカ

第1話:ただの日常_0

 ――某日、某所にて。


 ひとりの男性がパイプ椅子に座り、目の前の机に肘をついてボサボサになった頭を抱えていた。落ち着かない足は貧乏ゆすりをしており、今にもガタガタと一緒に机が揺れそうな勢いである。『はぁ』『あぁ』と、大きな溜息を吐くこの姿は、なにかとんでもない問題を抱えているように見えた。

 そんな男性の向かいには、黒いスーツを身にまとった年配の男性がひとり。顔には柔らかい笑みをたたえ、ジッと反対側に座る男性を見つめている。その佇まいは、お屋敷の執事にも見えた。姿勢の良い座り姿に、スーツも着崩していない。品の良い男性だ。


 無機質な部屋に、対照的な男性がふたり。片面の壁は鏡張りなのか、そんな二人の姿が写し出されていた。


「……さて。悩み始めてもう二時間が経過いたしました。そろそろ、結論は出ましたか?」

「うぅ……そんな、そんな……」

「マイナスになっている残りのコイン七万枚分。……もう一度だけ、お聞きします。こちら、マイナス分を当方へ返済するあてはございますか?」

「そ、それは……」

「ない、とおっしゃいますか?」

「うっ、あ、あぁ……ありま、せん」

「そうですか……。それでは、その上でお聞きいたします。完済できないことがわかっていたのに、なぜ一瞬でそれだけの額のコインを負け越してしまったのでしょう?」

「……」

「……いえ、それをお聞きする必要はございませんね。失礼いたしました」

「……」

「他に家やその他財産、残っているモノは……あぁ。家がございますね。ご自宅、分譲マンションの一室」

「そ、それは!」

「それは?」

「……か、帰る、帰る場所が、ないと困る、から……」

「そうですね。それにこちらの家をいただいたとしても、到底七万枚のコインの額には及びません」

「……」

「少々、意地悪な質問でしたね。申し訳ございません」

「あ、あぁ……」

「もう貴方はオリジナルではなくなってしまった。今までの返済のために。身体の一部を売るだけではやはり額が届きませんし、たとえ身体のすべてを私たちへ売り渡したとしても、この枚数は返済不可能でしょう」

「本当は! ……負けるはず、なかったんだ……」

「落ち着いてください」

「あ……あぁ、はい、すみません……」

「と、なりますと……やはり困りましたね」


 もしかしたら、このふたりは今まで何度もこのくだりを繰り返してきたのかもしれない。経過した二時間で。問われている側の男性は時々怯えたような顔をしながら、途切れ途切れで質問へ回答しているし、問うている側は少し呆れたような、悪いことをした子どもへ語りかけるような空気で質問を繰り出している。立場的にどちらが上か。関係性は明白だろう。


 ただの問答に見えるが、よく聞くと内容は大変物騒だ。大量の枚数に聞こえる『コイン七万枚』に『返済するあて』、それに『家をいただいても到底七万枚のコインには及ばない』事実。さらに恐ろしいのは『身体を売り渡す』などという文言まで出てきていることだ。人の身体を売買するなんて、通常の会話でそんな話題があがることはまずないだろう。このふたりの会話は、よほど特殊とみえた。


「……こちらからの提案には、限りがございます。もちろん、できるだけ寄り添いたいと考えておりますが……いかんせん、額が多い……」

「うぅぅぅぅ」

「そこで、でございます」

「うぅっ?」

「可能性として、あくまでもひとつの提案として、お聞きいただけましたらと私は思っております」

「……?」

「ご家族の奥様、そしてお子様おふたりに、奥様のお腹の中にいらっしゃる第三子。……まだお産まれにはなっておりませんが、こちらの計四名をお渡しいただけましたら、コイン七万枚分はゼロへと戻すことができる見込みでございます」

「なっ……!?」

「調べさせていただきましたが、奥様はオリジナルではございませんね? 臓器が一部と……目に鼻が既にクローン体と差し替えられております。ですのでセミボディ。オリジナルの金額には到底及びません。そこで、第三子にあたるお子様も視野に入れていただくことで、全額返済可能となっております」

「いっ、いや……いやいやいやいや……」

「そうは仰いましても、生半可な手段での返済は、当然ながら不可能でしょう」

「かっ、家族を……! はぁぁぁぁ、いやっ、いやいやいや……。うっ、ううう売れるわけないだろぉ……!?」

「お支払いの額によっては、オリジナルからクローン体を複製し、フルボディのほうをお客様にお戻しさせていただくのですが。今回はそちらは無理かと存じます、申し訳ございませんが、やはり額が額ですので……」

「な、なんで……? なんで家族を売る話が進んでるの……? おか、おかしいよ……? なんで? なんで?」

「……お気に召しませんでしたか? 失礼いたしました。……それでしたら。返済が不可能、かつ、この案をのんでいただけないのであれば……。あまり提案したくはないと思っておりましたが、仕方ありません。もうひとつだけ、コイン七万枚に匹敵するだろう案がございます」

「……っ、それは?」

「地下で中継されていますゲームに、その身で参加していただくことです」

「っ、ひぃ!?」


 この世の終わりみたいな顔をして、男性は今発言していた年配の男性を見た。あり得ないという言葉を全身で表現するかのように、両手で自分の頭を叩きながら豪快に床を踏み鳴らしている。涼しい顔をしてその様子を見ている年配の男性は、声もかけずにその行動をただ見つめていた。


「はっ、はははっ……」

「……」

「嘘、嘘ですよね? 嘘嘘、嘘だ。そんなの、そんなの……」

「嘘ではございません。……嘘を吐く必要もございませんし」

「だって、だって!」

「よくご存じでしょう。どんなゲームか、は」

「お、俺が……? あの、あんな、おぞましい……あんな、ゲームに……?」

「左様でございます」

「はっ……正気か? 正気なのか……?」

「……お言葉ですが、私から見ればこの額のコインをマイナスにするほうがよっぽど『正気』ではございません」

「ふっ、くくっ……」

「どんな内容であれ、開催されるゲームで優勝しましたら賞金が手に入ります。その賞金を返済に充てていただくのです」

「はぁっ……。それでも、どうせ足りない、だろ? 確かに賞金は高そうだ。みんなが賭けてたコインだって、相当な枚数だった! そもそものコインの価値も比じゃない! だけど……だけどっ!! いいっ、一回でなっ、なっなな、七億なんて金額は、とても……!」

「はい。ですので、返済が終わるまで『何度でも優勝を目指して参加して』いただくのです」

「……そりゃぁ……無理、無理、だよ……」


 男性は力なく笑っている。左手でおでこを支えながら。パイプ椅子の背にもたれて、今度は両手で顔を覆った。


「皆様、参加されますよ? 貴方は見たことはあるはずです、返済できなかった人間が、あのモニタの先にいるのを」

「あぁ、あぁ……覚えてるよ……。俺はあそこに、彼を送った……」

「仰る通りでございます。……あぁ、もちろん、死者には参加することができません。ですので、ゲームに負けて亡くなった場合は返済の義務はなくなりますのでご安心を」

「できるわけないだろ!?」

「皆様、最初はそう仰います。しかし本当に、そうでございましょうか?」

「くっそ、くっそ……! あぁぁぁぁ! もうあぁぁぁぁ!!」

「しかし、今ご提示できる有効な案は、このふたつしかないのです。……それとも、このふたつの他になにかいい案が?」

「うぅ……あぁぁ……」

「選びたくなくとも、どちらかを選ばなければなりません」

「うぅぅぅ」

「選ばれない場合は、選ぶまでこの会場の外へ出ることはできません」

「そんなの……! そんなの、監禁じゃあないか……」

「今のお客様は『選ぶことしかできない』のです。ご自身の立場をどうぞ、深くご理解ください」

「……くぅぅぅっ、くそっ!」

「お時間でしたら、まだまだいくらでもございます。存分に悩んでいただいて構いません。ですが、こちらからご提案できる内容は、以上でございます」

「なぁもっと、もっとマシな案は……」

「当然ございません」

「ああああもう!」


 選択を迫られた男性は、いつのまにかその目から涙を流していた。目を真っ赤に腫らして、はぁはぁと浅い呼吸をしながら溢れる涙を両手で拭っている。時々上を見上げては、目を瞑ってなにかを思い出しているようにも見えた。今まで体験してきたことを、その思い出を、頭に描いているのだろうか。もう戻ることはできない過去を、噛み締めるように。


「構いません。いくらでも、お付き合いいたします。初めてお会いしたときから、今まで幾度となくお話をさせていただきましたから」

「……三兼、さん……」

「私とて、よく存じ上げるかたに、このようなことを繰り返しお伝えするのは心苦しいのです。……どうか、どうか。ご理解ください」

「……ごめん。……ごめん」

「思いが決まるまで、私も一緒にこの部屋に。えぇ、一緒におりますとも。――譲原様」


 譲原と呼ばれた男は、また頭を抱えると俯いて考え込んでいた。

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