保健室に来た彫刻品
千桐加蓮
上
「赤ちゃんは、お母さんを空から見て決めているの」
産婦人科医が主人公のドラマを見ていた時、主人公の女の人が言っていたセリフは、あまりにも信じ難かった。
根拠を説明できるはずもない。
科学的に証明できる時代なんて訪れないと思う。
けれど、そうだったらいいな。
わたしは、保健室の一角にある椅子に腰を下ろして、昨日見ていたドラマについて、しばらくの間振り返った。
振り返っていた思考が、ふと自分に向けてしまった。
いつの間にか教室にいることが苦痛でたまらなくなった。
人といるのが疲れる。一人の方が勝手がきく。
小学校に入学してから五年が経ったが、わたしは段々と人を信じることができなくなっていた。
シングルマザーの家庭で一人娘。
自分で言うのもどうかと思うが、クラスメイトの中で一番自立した考えを持ち、一番集団に馴染もうとしていない。
ナルシストになるわけでもなく、遠慮しすぎることはせず、ただ学校という集団の群れを嫌っていた。
嫌いになる過程はあった。
でも、大体の原因は、みんな自己中心的であること。
わたしも含めて。先生も含めて。
注目されたいからと話を大袈裟にするクラスメイト。
泣けば誰かが助けてくれると思っている幼稚園児みたいなクラスメイト。
自分の都合の良いように話を脳内で変換し、大人の立場を利用しているように感じる担任。
結局、自分を守る知能と技術があれば、一人でいる方が問題に巻き込まれない。だから、わたしは人との距離をかなり置いた。
一人で生きるのは難しい。けれど、人との関わり方を学ぶ小学校という環境で、わたしは人の汚いところしか見れなくなってしまった。
いいところも、汚れた部分で見えなくしている。みんながそうしていたから、わたしも同じ真似をしているような気がする。
けれど、人に流されることが受け入れられない。
そんなわたしは、自分という軸のみは持つように心がけている。
日々の選択を通して、現在週の大半を保健室で過ごしている。
保健室の先生は、わたしのような学校に馴染めない子の対応には慣れているようで、無理に話を聞き出したり、教室に連れて行こうとはせず、読書か勉強をしていればそっとしておいてくれる。
そのため、騒がしかったり、根拠のない噂話で盛り上がっている教室にいるよりは何億倍とマシだ。
わたしは、あと二ヶ月もすれば六年生になる。
そんなわたしは、一足先に六年生の算数の教科書を学校の図書室から借りて問題を解き、先取りをしていた。
保健室には、算数の問題を解いているわたしと、ノート型パソコンで作業をしている
「
しつこい。『見に行こうよ』というセリフは、今日で三回目。二回を交わすのに長い説得を振り解くのに疲れてしまっているというのに。
「体育館の一階じゃなくてさ、ギャラリーからでもさ。中々お目にかかれない団員さんの演奏だから、見に行こうよ。それに、先生も行くように言われてるって話したでしょ? 間成さん一人で保健室に残すのは、ちょっと難しいことなの」
羽多先生はパソコン作業をやめて、わたしの方を体を向けていた。人がわたしに向かって話しているので、失礼にならないようにと問題を解いていた手を止めた。
「なら、図書室の先生と一緒にいます。さっき、その話をしたら、許可もらえました」
なんて可愛げがない小学生だろう。自分の中で薄笑いを浮かべる。
「この時間に帰るならお母さんと一緒じゃないといけないんですよね? ほんとは家に帰って明日の作り置きとかしたいけど。それにオーケストラみたいな大きな音は得意じゃないんです」
遠回しに「理由を言ったのだからわたしに構わないでくれ」という旨を伝えた。
羽多先生は少し困った顔をしている。
わたしは、保健室登校の生徒の中で扱いにくい生徒の枠組みに入っているにちがいない。そんな憶測をした。
駄々っ子のように思う大人も少なからずいるとは思うが、土壇場で嫌な役割から逃げるならば、それなりの理由と言い訳を用意した方がいい。
「間成さん。オーケストラはね、指揮者がタクトで音の長さや大きさを決めるの」
「だから?」
聞き流すように、ながら聞きをした。
「指揮者がタクトを振るタイミングは、演奏者が音を出す前なの」
「だから?」
羽多先生がわたしの目を見て話してくるので、わたしは目を合わせないようにして言葉を繰り返す。
「指揮者が指揮棒を振るとね、演奏者はそれに合わせて音を出すのよ」
「……何を、伝えたいんですか?」
わたしは、呆れ顔で呟いた。勘が悪くても、なんとなく言いたいことはわかるけれど、あえてだ。
「間成さんが指揮者を見ていれば、オーケストラの音を聞くことができる」
オーケストラの話で人生が変わるなんて。この地球上で限られた人しかいないだろう。
「ようは、自分の殻に閉じこもんないで、新しい世界見てくれってことですよね。残念ですが、新しい世界を見るための土台の学校にいる同士と考え方についていけません。わたしが悪いみたいになってますけど、自己的な同級生と一緒にいて、自分を抑えているのが馬鹿馬鹿しくなりました」
わたしは、ここまでを一気に棒読みで話し、再び問題を解き始めた。今度は羽多先生が話しかけてきても無視してやることにした。
わたしと羽多先生のやりとりをみた他の先生は、わたしに対して、大人をナメているように見えるに違いないだろう。
だが、わたしは、わたしを正当化し続けた。
ずっと、そう。みんなが周りを見ないで自分のことばかり考えているから、わたしも真似っこをする。何がおかしいのだろうか。
わたしの反応を見た羽多先生は、諦めたのかパソコン作業に戻った。
わたしは算数のテキストに戻る。しばらくお互い無言で過ごしていると、廊下が騒がしくなり始めていた。
外の様子に気付いた羽多先生は、廊下の様子を伺い、顔色を変えて騒ぎのする方へ走っていった。
「どうでもいいのか、どうでもよくないのか」
はっきりしてない。
とはいえ、正論を言われたところで自分は変わることができるとも思っていない。
ここまで、ダラダラと心の中で自己分析をしているが、わたしはプライドが高い。端的に表すとするなら、の話である。
自分を守るために正当化して築き上げた城の中に閉じこもっているようなイメージである。
そして、わたしはその城の姫様でも親族でもなく、ただの設計者。設計者のくせに、その城に情熱はなく、あまり価値はないと思っている。
羽多先生が血相を変えて戻ってきたが、それでもわたしは勉強をやめない。この姫様に付き合いたくないのだ。
「間成さん」
わたしの目のまで立ち止まり、声を掛けてくるので顔を上げる。しかし、目は合わせずに視線だけを先生の方へ向けた。先生は深刻な表情を浮かべているに違いないと勝手に思う。きっとまた同じようなことを言おうとしているのだろうと、勘ぐるわたしである。
「何が起きたんですか?」
わたしは、先生に問う。起きたことについて、どうでもいいと思っているのが、はっきりとした声を発する。
「やっぱり、保健室にいてほしいの。図書室の先生にも伝えておくから」
面倒な争いが片付けられて良かったと、心の中で薄笑いを浮かべていると、女の人が弱々しく保健室に入ってきた。
女性は見た目から、私のお母さんよりも十歳くらい若い。二十半ば、もしくは三十に近い年齢だろう。
彼女は長い黒髪を下ろしている。甘い顔とはかけ離れた凛々しい顔立ちには生気が宿っていないようだ。源氏物語の登場人物で例えるなら、光の君が会いに来てくれずに悲しみに暮れる六条御息所が妥当なところだろうか。
「オーケストラの団員の
羽多先生が紹介すると、その女の人は小さくお辞儀をする。
「こんにちは」
泉さんは、それだけ言うと保健室の中に入っていく。
元々の性格も、お淑やかで口数が少なさそうだ。
わたしは、勝手に解釈した。
泉さんからは、高級そうな柔軟剤の匂いがした。
少なくとも、わたしの家のように、スーパーで売っているタラを、定価で購入しないタイプの人だと、再び勝手に解釈する。
泉さんが保健室のベッドに横になったので、わたしは仕方なく椅子から立ち上がって、羽多先生を見送り、静かにしていようと心に決めた。
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