薄命の僕、歌姫の君、世界に刃向かう反撃のうた。

水卜みう🐤

第1話 遠い春①

 この世界は理不尽だ。

 何をやるにしても時間が足りないし、身体はついてこない。

 俺は普通の人間に比べても運が悪いようで、生まれてこのかた良いことが無い。理不尽なことばかりこの身には起こってしまう。

 ただ唯一、音楽だけが俺にはあった。

 理不尽な世界。強大すぎる世界。クソみたいな大人たちの蔓延る世界。

 俺は一生を懸けてでもこの世界をひっくり返したいと思った。

 でも、俺一人だけでは絶対に無理だ。 

 この世界に一矢報いるためには、劇薬のような何かが必要で、その劇薬と呼べる出会いが訪れることを俺はずっと待ち構えていた。

 そして、運命に導かれるかのように、彼女と出会ってしまったのだ。




 交差点の曲がり角で美少女とぶつかる。

 そんな平成を通り越して昭和なラブコメディのような、『ド』がつくベタベタの導入。

 現実にはあり得ない。あったとしてもぶつかってごめんなさいで終わりだろうと、誰もが思うはず。

 かくいう俺もそう思っていた。しかしそれは、現実に起こってしまった。

 なんと俺はたった今、曲がり角で女の子とぶつかってしまったのだ。

 その衝撃で俺は尻餅をついて道路に倒れてしまう。それと同時に、まるでマウントポジションを取るかのように、ぶつかってきた美少女が俺の上に覆いかぶさる。

 ここまでは『曲がり角でぶつかるラブコメ』の定石通り。

 あとはラッキースケベの要領で、俺がこの娘のパンツでも見てしまえば完璧だ。

 学校についたあとのホームルームで実はこの美少女が転校生だったことが判明し、「あっ! 今朝のスケベ男!」と罵られる。

 出会いは最悪、しかしそこからのギャップで二人は恋に落ちる。そんな百万回擦られたようなボーイミーツガール。

 しかし、今のこの状況はそんなテンプレ通りの展開ではない。

 なぜならここは交差点の曲がり角とはいっても、ここは日本有数の繁華街、札幌の中心――すすきの。

 眩しく光るニッカウヰスキーの看板の真下。目の前の国道三十六号線には、たくさんの自動車が音と光と排気ガスを散らして走っている。

 時刻は二十二時を回るところ。おおよそ学校に遅刻しそうになって慌てて走る女子高校生がいるような場所ではない。

 おまけに僕にぶつかってきたその美少女は、怒っているわけでもなく、痛がってもいない。もちろん、パンツも拝めていない。

 ただ漠然と、何かから逃げなければならないという意思だけをその表情から読み取ることができた。

 そして彼女は俺にこう言う。

「――お願いっ……! 助けてっ……!」

 大きな瞳から滲み出る涙。絞り出すような声。

 そのセリフはもう、ベタなラブコメディとはかけ離れたもの。

 どうしてこんなことになってしまったのか、少し時間を戻そうと思う。


※※※


 長い長い冬だった。

 いや、四月になっても雪が降っているから、まだ冬は続いているのだろうと思う。

 テレビをつければ東京はもう桜のピークは少し過ぎていて、お花見の場所取りをする新社会人のインタビューなんかが流れている。

 それはまるで別世界のような話で、俺には一ミクロンたりともピンとこない。

 当たり前だ。なぜならここは北国札幌なのだから。

 この地で東京のように桜が咲き始めるのは、皆が大型連休だと言って浮足立つ頃。

 時期が来れば円山公園は花見もといバーベキューの会場となり、一帯は人と煙に溢れることになる。

 この地で咲く桜は、内地では一般的である『ソメイヨシノ』とは違うものだ。『エゾヤマザクラ』といって、ソメイヨシノの花より色の濃い品種だと言われている。

 長い冬の間ずっと我慢していた分、濃縮された色が出るのだよ。と、誰かが言っていた記憶がある。

 科学的には間違っているかもしれないが、そうロマンチックに解釈できるのであれば、北海道の長い冬も悪くはないなと思える。

 ――ただ、その冬が明けるのであればの話だけど。


※※※


 消毒液の妙に清潔感を煽る香り、スチームヒーターのクラック音、加湿器から放たれる水蒸気。

 デスクには養護教諭の先生が座っていて、何やら保健便りのようなものをパソコンで作成していた。

 ここは何の変哲もない、とある高校の保健室。

 俺――月岡道長つきおか みちながは学校に来ると、教室には行かずこの場所にいる。いわゆる、保健室登校というやつだ。

 どうして普通に登校しなくなったのかというと、とても長くなるので割愛させていただきたい。とにかくどうしようもない理由なのだ。説明するだけ時間が無駄だ。

 熟睡するにはいささか硬すぎるベッドの上、カーテンに囲まれた半分だけ一人の空間で、俺はいつもスマホをいじっている。

「……やっぱり、めちゃくちゃ良い」

 他人に聞こえるか聞こえないかのギリギリの声量で、俺は独り言をつぶやいた。

 Youtubeのアプリが起動されたスマホはBluetoothのイヤホンに繋がっている。電波に乗せて俺の耳に届いたのは、とあるアイドルソング。

 再生されていた動画は、そのアイドルのミュージックビデオ……ではない。

 映像として表示されているのは、インターネットの海から拾ってきたであろうフリー素材の一枚絵。そこに取ってつけたようにクソダサいフォントで曲名が書かれている。

 これを動画と呼んでいいのかはわからないが、Youtubeにアップロードされているので動画と定義するしかない。そんな動画だった。

 タイトルの頭にはご丁寧にすみカッコで『【カバー】』と銘打たれている。

 ここまで言えばなんとなく想像がつくかもしれないが、今俺が見ている動画はいわゆる『歌ってみた』動画だ。

 誰かが作った曲を、自分の歌声で歌う。 そんな『歌ってみた』動画で歌唱する人間のことを、『歌い手』なんて呼んだりする。

 この世の大半の『歌い手』たちは、有名になって売れていくようなシンデレラストーリーを夢見ているだろう。

 今俺が視聴している『歌ってみた』動画でアイドルソングを歌っているのは、おそらく十代半ばから後半であろう少女。

 そんな『歌い手』である彼女も、おそらくシンデレラになりたがっている。

 動画の概要欄には「歌手を目指しています!」と堂々と書いているし、来るかわからないオファーを受け取るためのメールアドレスまで公開されている。これで何も望んでいないと答えるようであれば、ただの照れ隠しでしかない。

 チャンネル登録者数は二桁人、再生数だって一番多い動画でも五百回にギリギリ届かない。

 こういうのをインターネットでは『底辺』と呼ぶ。いや、インターネットでなくても、そう呼ぶと思う。

 そんな『底辺』の『歌い手』、そのままくっつけて『底辺歌い手』という人種は、普通なら世の人々に見向きもされない。友達とか身内とか、同じ趣味を持つ同業くらいしか、そんな動画は見に来ない。

 だが今見ているこの『底辺歌い手』は違う。と、俺の勘が叫んでいた。

 声の質、量、歌唱力、息づかい。音として空間に放たれている部分はもちろん、そうでないところにまで聴き入ってしまうような不思議な魅力がその『底辺歌い手』にはあった。

 そんな彼女の名前はUtahaうたは、主にアイドルソングを歌っている、『底辺歌い手』の一人。

 こいつは絶対大物になる。俺は彼女の動画を見つけてから毎日のように、そんなプロ野球のスカウトみたいなことを言っている。

 だから彼女の歌を聴いてすぐに行動をした。そこに記載されているメールアドレスに宛てて、俺はコンタクトを取ろうとメールを打った。

「……今日で二週間か。まあ、無視されているんだろうな」

 返事はない。それもそうだ。

 俺に大手芸能事務所の人間という肩書きがあれば話はすんなり通ったかもしれない。だが、どうあがいても俺は一介の高校生。オファーのメールがいたずらだと思われても仕方のないこと。

 はあ、と大きめのため息が出る。

 このレベルの逸材がもしも大手芸能事務所の目に留まったら、一撃で彼女はトップシンガーに上り詰めるだろう。

 自分が先に見つけたはずなのに手柄を掻っ攫われていくのは、やはり気持ちの良いものではない。

 何か魔法みたいな力でこの『底辺歌い手』が俺のものになってくれないかと考える。なるわけないが。

 もう一発でかいため息をついたその瞬間、ベッドの周りを囲っているカーテンが開いた。

 俺はびっくりして、再生していた動画を止めた。それと同時に、左耳だけBluetoothのイヤホンを外す。

 カーテンの向こうから出てきたのは、養護教諭の内海うつみ先生だった。

 年齢は秘密だと言うが、だいたいアラサーくらいに見える女性の先生。

 養護教諭らしくないサバサバしているその性格のせいか、彼女の元を訪れるのは男子より女子のほうが多い。……もちろん、月岡道長調べ。ずっと保健室にいるから、結構信憑性は高いはず。

「あっ、月岡ったらまたスマホで動画見てる。またえっちなヤツでも見てたんでしょ?」

「仮にも学校なんだからそんなもの見るわけないだろ」

「ふーん、学校じゃなかったら見るんだ。あー、そっか、月岡はもう……」

「うるさいな。とにかくそんなんじゃないから早く出てけよな」

 俺はシッシッと払う仕草を見せて内海先生を追い出そうとする。

「んもー、そんなに元気なら教室に行ったらいいんじゃない?」

「嫌なこった。多分教室に行っても俺の席なんてないだろうし」

「まあ、確かにそうかもね。新学期になって忘れられてるかもね」

「だろ? ……ってか内海先生、そもそも俺のクラスって何組だ?」

「クラス替えしたから二年H組らしいよ。新しいメンツだから、今から行けば友達くらいできるんじゃない? 月岡って喋りだけはいっちょ前だし」

「うるさいな。てか、できたところでどうするんだよ。どうせすぐにお別れが来るだろ」

 俺が吐き捨てるようにそう言うと、内海先生は言葉を返さなかった。代わりに彼女の瞳には、寂しげな影が宿っていた気がする。気がするだけだけど。

「……ずっと聴いてるね、その娘の歌。お気に入り?」

 俺が右手に持っているスマホの画面をみて、内海先生がそう訊いてくる。

「まあ、そんな感じだよ。こんなに聴いていて心地の良い歌声、久しぶりだ」

「音楽が大好き過ぎて人生を音楽に全振りしている月岡がそれだけ言うんだから、よっぽどなんだろうね」

「俺に付属する余計な修飾語が多いな」

「それで? その娘にメールでも打ってみたんでしょ? どうだった?」

「……全然だよ。脈なし」

「うーん、やっぱり月岡みたいな引きこもり童貞はメールの文面で見抜かれちゃうのかな」

「うるせえなあ。事実だから否定ができないのが悔しいけど、養護教諭ならもっと生徒に対する適切な言い方があるだろ」

「じゃあ真っ当な養護教諭らしく、保健室のベッドでスマホをいじってる生徒がいるって、生徒指導の川原かわはら先生に告げ口しようか?」

 ぐうの音も出ないほどの正論に、俺はぐぬぬという表情で返すことしかできなかった。

 しかしこんな感じながら内海先生は結構優しい。彼女に救われたことなど数え切れないほどあるし、俺がこんな状況でも学校を辞めないでいるのは内海先生のおかげなのは間違いない。ただ、俺との話の腰をシモに折ってくるきらいがあるのはちょっとやめてほしいが。

「じゃあさ、その娘に連絡がつかないのは一旦置いとこう。待っている間、その娘に似た声を持つ子を探しに行けば良いんじゃない?」

「……まあ、それは間違いなく正しいな」

「でしょ? 市内のライブハウスとか探し回ったらさ、意外といるかもよ?」

「いやいや、そんなにポンポンとこのクラスがいてたまるかよ。東京ならまだしも、札幌程度の地方都市に」

「わかんないじゃん。その娘だって全然売れてないのに凄いんでしょ? 同じような凄い人材が地下のハコに潜んでいるかもよ? 『こんな人材どこでっ!?』って」

 転職エージェントのCMみたいな言い回しで内海先生は俺の背中を押してくる。

 不思議とこの人に言われると、本当にそうなんじゃないかと思える。そのポジティブさだけはマジで見習いたい。他は全部要らないが。

「……わかったよ。まあ、思い立ったらすぐに行動しないと、悩んでる時間が勿体ないもんな」

「そうそう。月岡、今日は体調良さそうだし、たまにはアクティブになっていいんじゃない」

 内海先生はニカッと笑ってサムズアップした右手を俺に見せつける。それに合わせて俺は、もう一度ため息をついた。

 これは落胆のため息ではない、お節介焼きな内海先生へのやれやれというため息だ。と、自分で自分に言い聞かせる。

 もう一眠りして放課後になったら、ちょっと市内のライブハウスにでも潜ってみよう。そう考えながら俺は再び硬いベッドの上で眠りに落ちていった。

 札幌市内のライブハウスは、その多くがすすきの周辺に固まっている。

 さっきの内海先生の言葉を真に受けるのであれば、それほど大きなライブハウスに行く必要はない。

 そういうところは既に客を呼べるレベルのバンドが集まっていて、俺がどうこうできる範疇を超えているからだ。

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