あの七日間をもう一度
睦月
七×三歳
一日目
今はもう死んでしまった祖母の家の裏の山には、祠がある。何を祀っているのか、何故こんなところにあるのかを知っている者はほとんどいないだろう。
私がこの山に来るのは七年振りだが、案外体は覚えているものだ。何も考えずに歩いていても、祠に辿り着くことが出来た。いざ目にした祠は、記憶の中よりもずっと小さく、そして新品のように綺麗だった。
しばらく祠の横で佇んでいると、木々の隙間に小さな人影が見えた。彼だ。彼に違いない。
嗚呼、やっとだ。やっと会えた。この七年間、私が渇望してやまなかった彼だ。何と話しかけよう。おにーさんとでも呼びかけようか。いや、おにーさんはなしだ。今の彼の姿は背丈的に幼い。おにーさんと呼ぶ訳にもいかないだろう。
「そこの少年」
悩みに悩んだ結果、少年と呼ぶことにした。漫画の世界にしかこんな呼び方をする人間はいない気もするが、仕方あるまい。私は彼の名前を知らないのだから、こうなってしまうのは不可抗力だ。
少年は依然として木の影にいる。姿を表す気はないようだ。
「少年、そこにいるのは分かっているんだ。どうか私の前に来てくれないか」
それでも少年は出てこない。
「そして私を、神隠しして欲しい」
カサリ、という足音とともに光に包まれた。懐かしい感覚に思わず目を細める。
「お前は何者だ」
気がつくと辺りの風景が変わり、少年が目の前に現れた。
「少し霊力の多いだけの一般人だよ、少年」
「普通の一般人が『神隠しして欲しい』など言う訳がないだろう」
「うん、それは否定出来ないかな。でも私はやっぱり一般人なんだよ」
「これ以上は不毛だな。問いを変えよう」
彼の視線が鋭くなった。空気は少しずつ重くなり、呼吸が苦しくなる。鼓動の音も加速していく。
「お前の目的は何か吐け、人間」
私は思わず笑ってしまった。だってあまりにも彼が可愛いものだから、つい。確かに空気は重いし、威圧感もある。でもそれと同時に必死さと焦燥感もある。先ほどまでは見えていなかった耳や尻尾が隠せていないのが、何よりも証拠だ。心なしか体も震えている。
「ふふっ、そうだねえ。恩返し?いやそれはちょっと違うな。強いて言うなら」
「ごちゃごちゃ言ってないで疾くと吐け」
「まあまあ、焦らないで」
ふむ。どうやら彼は少し拗ねているようだ。そんなところも可愛い。よもや、彼に対して可愛いという感想を抱くようになるなんて。世の中は何があるかわからないものだな。
「君を甘やかしに来たんだ」
「は?」
何言ってるんだコイツ、とでも言いたげな顔をされる。心外だ。私はそこまでおかしなことは言ってないだろうに。
「つべこべ言わず、君は私に甘やかされていれば良いんだ」
「は?は?」
彼は混乱しているようだ。私が彼を甘やかすのは決定事項なのだから、そんなに混乱したところで意味などない。
「君、霊力不足で困ってるんだろ?」
「何でお前がそのことを知っているんだよ」
「君に聞いたから」
「俺はお前にそんなこと言ってない。というか会うのはそもそも初めてで。って、あ。いやまあ確かにあり得る話ではあるのか?」
「つまりはそういうことだよ」
何やらご納得していただけた様子。勘の良いガキは嫌いじゃないよ。
「そして私は霊力をもて余しているのでね。それを譲渡しつつ君を甘やかすためにここに来たって訳」
「状況は大方理解した。一応、俺にとっては利しかないしな」
「わかればよろしい。ご褒美として、この現世のお菓子をあげよう」
彼に某スナック菓子を手渡す。持ち運ぶ過程でやや砕けてしまっているかもしれないが、それはご愛嬌だ。
「あまり子供扱いするな」
「そう言われてもね。今の君、中身はともかく外見は七歳だから。子供にしか見えない。それはそうと、お菓子をお食べ。君が好きだと言っていたものを買い占めて来たから」
「本当か!?今すぐに食べても良いのか!?」
「外見だけでなく、中身まで子供だったようだね。お菓子は逃げないんだから、落ち着いて食べなさい」
「じゃあ遠慮なく。いっただっきまあす」
「いやだから落ち着いて」
彼は大はしゃぎしながらお菓子を食べ始める。こういう姿を見ていると、やはり記憶の中の彼よりも幼い。
それもそうか。私が七年前に見た彼は、七年後の彼なのだから。
「こっちを見つめてどうした。もしかしてお前も菓子を食いたいのか」
「少し昔のことを思い出していただけだよ。でもまあ、そこまで言うなら私もお菓子をもらおうかな」
スナック菓子に手を伸ばそうとして、すんでのところでやめる。だってあまりにも彼が悲しそうな顔をするものだから。
「自分の食べる分が減るのが嫌ならば、口で言えば良いのに」
「だって、これはお前が持ってきた菓子だから。所有権はお前にある」
「じゃあ、私は君のために存在するのだから、私の所有物であるお菓子は君のための物だよ」
「そういうものなのか?」
「そういうものなのだよ」
きょとんとする彼。その姿の可愛いこと可愛いこと。ついつい頭を撫でてしまう。髪の毛は思っていたよりもサラサラで、触り心地が良い。
「だから子供扱いをするな」
「これは子供扱いじゃなくて、甘やかしているんだよ」
「じゃあ何故俺を甘やかす」
「昔、君が私を甘やかしてくれた分を返すためかな」
少しの沈黙。彼は返す言葉に少し困っているのかもしれない。その間も私は彼を撫でる手をやめない。
「いったいお前は、俺の何だったんだ」
「え?恋仲だったよ?」
「そうか」
「あらま。すんなりと納得するんだね」
「そりゃあ、俺の霊力でところどころマーキングがされている。しかも今の俺よりも霊力が強いときた」
「そんなに分かりやすく印を付けられてたのか。気がつかなかったよ。君、実は独占欲が強かったりする?」
「俺に聞くな」
確かに、今の彼に聞いたところでって感じではある。でもそっか、霊力でマーキング。そういうことするタイプだったんだあ。
「うふふふふ」
「突然笑い出してどうした」
「ちょっとだけ嬉しかったんだよ。愛されてたんだなあという感じがして」
「そうか」
彼がそっぽを向く。目を凝らすと、耳元がやや赤い。自分の恋バナだけど自分の恋バナじゃなくて気まずい、けれども当事者だからこそ照れているといったところかな。
「もちろん、私はどんな姿の君も好きだからね。たとえ記憶がなかろうと」
こんなんだから、つい揶揄ってしまいたくなるではないか。
「……っつ、つべこべ言わずにもう寝ろ。健常な人間は寝る時間だろ?」
「生憎、私はショートスリーパーでね。あと、この神域に夜とかいう概念はあるのかい?やけに明るいようだけど」
あ、暗くなった。そうまでして寝させたいのか。
「今からはもう夜だ。それに、神域に来たばかりの日は体調を崩しやすいからな。寝て生気を養え」
「わかったよ、じゃあおやすみ、少年」
「嗚呼、おやすみ」
「ところで少年」
「どうした?」
「私たちは同じ布団で寝るという認識で良いかい?」
「んなわけあるか」
この言葉を聞いてからの記憶は、もうない。おそらく彼に強制的に入眠させられたのだろう。
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