忘却の水晶〜透明な女子高生〜

あきのもあい

プロローグ「透明な春」


 人は時に抱えきれないのに永遠に外に出す事のできない心の闇が現れることがある。努力をすれば必ず将来幸せになるかといったらそんな事もなく、努力するが故に失敗や人間関係などでストレスを感じたり、生きている限りトラウマとなる出来事が起きる可能性だってある。

 世の中には心を完全に閉ざし生きていくことすら辛くなっている人もいる。そんな人が存在する状況はもちろん無い方が良い。だが対策するのが非常に困難なのも事実である。

 

  

  それは突然だった。

 

 通っている学校の放課後、俺がいつも通りグラウンドの方面についている窓をのぞきながら呆けている時だった。

 硝子にはいつも通り普通のどこにでもいるような男子高校生、晶同透晴しょうどうすばるの顔がまるで窓の向こうに実際に存在するかのように写っている。

 放課後から20分ほどたった一人の教室は物静かで、この世界に自分しかいないのかと思ってしまうほどだった。だがそれもグラウンドから三階のここまで聞こえてくる活発な声がその雰囲気を覆滅した。

 グラウンドで土ぼこりを纏いながら部活に勤しむ部員たち。人生で一度も部活に入部したことがない俺には何が部員をそこまで部活に熱中させるのかが理解できなかった。もし透晴が入部していれば先輩やら他の同級生やらについていけず須臾にして断念することだろう。


 夕日の暖かい光が窓から差し込み、教室をまるで最初からその色であったかのように赤く染め上げる。

 そんな別世界に自分がいるように思わせるような光景に見惚れながら再び窓を覗こうとした時。

 硝子に写る透晴の他に、誰かが写っていることに気づく。

 先ほどまでいなかったのに何故か硝子に写っているセーラー服は、この学校のものではなかった。

 もしやこの学校に大昔から憑いている亡霊なのではないか。そう考えてしまい、あまりホラー作品などに耐性が無い俺の身体は足の指先から頭頂部の隅々まで悪寒が走った。

 いますぐにこの窓から目を離し、その唐突に現れたであろう亡霊を見ることなく即刻に帰りたい所だが、窓から目を離すことが出来なかった。なぜならあまりにも俺の考える理想の女性そのもので見入ってしまっていたからだ。そして俺はこれ以上の美人を見たことが無い。学校一の美少女でさえも圧倒する美貌に目を奪われていたのだ。

 本当に亡霊なのかと疑ってしまうかのようなこの世のものとは思えない明るい水色の髪と佳麗な顔立ちは男子生徒なら全員が俺のように目を彼女から離すことはできないだろう。

 その水晶のような永遠と見つめていたい目はこちらを向いているように思える。俺に何か用でもあるのだろうか。

 その顔をこの目で直接見ようと後ろを恐る恐る振り向くが、そこには誰もいなかった。あたりを見渡してもどこにもいない。帰ったとしても流石にこの一瞬で教室から出ることは不可能だろう。

 気味が悪いので早々に帰るべく席を立ち学生鞄を持って歩きだそうとした時、少し焦燥感を抑えれなかったのか机の脚に爪先がつっかえて体勢を崩してしまう。

 このままでは前に倒れてしまうと思ったが、何故か身体に衝撃がかかったのではなくやわらかい何かに支えられたような感触がした。

 目を開けると明らかに倒れる姿勢の身体がそこに支えがあるかのように止まっていた。

「大丈夫?」唐突に右耳辺りから聞こえる透き通るような心地い声が耳を通り、今の状況と合わせて驚きのあまり結局左肩から倒れ、尻もちをついてしまう。


 何が起きたのか分からずに混乱し声が聞こえた方向を見るが誰もいない。ついに頭がどうかしてしまったのだろうか。彼女どころか友人も今までの人生で一人しかできたことが無いせいでイマジネーションによって生み出されたのだろうか。だが窓にはしっかりと女子高生の華奢な後ろ姿が写っているし現に俺は倒れかけた時に見えない何かに支えられたのだ。そしておそらくは支えになっていたであろう位置にその女子高生が立っている。

「何が起きているんだ...」つい口に出してしまう。

「あなたには私の声が聞こえているの?それに姿も見えているみたい...」窓に写っている女子高生が喋っているのだろうか。この状況は傍から見たらどう見ても怪奇現象が発生しているようにしか見えないが、その声を聞くと不思議なことにそんな感覚も自然と消え失せた。

「ごめんなさい、あなたの時間の邪魔をしたかったわけではないの...だから私もうここから消えるね...」

 窓の向こうでかがんで俺を見ている姿は分かるのだが、実際は目の前には誰もいないようにしか見えない。

 俺は窓を見みて、申し訳なさそうに消極的な考えとともに去っていこうとする女子高生を引き止めようと、声をかけた。

「まって!あの...なんで姿が見えないんだ?」

 すると女子高生は足を止めて窓に写る俺の顔を見つめて言った。

「姿が見えているわけじゃないの?」

「窓の反射ごしにしか見えないよ」

 俺は困惑しながらも正直に答えた。

「あー...直接見てるって訳では無いんだ...なんで姿が見えないのか私にも分からないの...昔いつの間にかこうなってたっていうのは覚えているのだけど、こうなる前の記憶が思い出せなくて」

 姿が見えないのは本人にも分からない上に記憶喪失なんて正直信じられない。だが今も彼女は見えていないし原因を教えられないのには何か言いたくない理由があるのかもしれないと思い、姿が見えないことについてはこれ以上言及するのをやめることにした。

 それにしてもこの状況が不思議で仕方ない。その現実味のない光景はまるで小説の世界にいるように自身を錯覚させた。

「じゃあ俺は帰るから」

「うん、また会えたら良いね」なぜか透明人間の女子高生は窓に写る俺の顔から目を逸らして言った。

 俺は名前を聞いていないことを思い出し礼儀として聞くことにした。

「そういえば名前は?俺は晶同透晴って言うんだけど」

 女子高生はえ?といった表情で再び窓の俺を見る。だが直ぐに慌てて顔を元に戻し、俺の質問に答えた。

「あ...そうだね、私は水蓮愛すいれんまな。そっか...透晴くんか...」女子高生は何か気になっているのか顎に手を当てて考え事をするような体勢になっていた。

「どうしたの?」と俺は気になったので聞いたが、大丈夫だから、と答えて至高の笑顔で窓に写る顔ではなくここにある俺の顔を見た。俺もそれに応えるべく窓から目を離すが、姿が見えないことを忘れ、そういえば透明人間だったなと思い少し恥ずかしい思いで窓を見る。

 だがそこには既に誰もいなかった。やはり俺の妄想だったのだろうか。


 これが彼女、水蓮愛との出会い、そして俺の人生の価値観を根本から変えるようなことになる不思議な出会いを体験するきっかけとなるのだった。

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