第8話 顔役

午後の昼下がり、飯を食べ終わった俺たちは「アリサって子の家に行く」とザックから聞かされた。


アリサはザックとシュウと同じぐらいの年齢らしいが、なんでも彼女のおやじさんが第二区スラムの顔役をやってるらしい。


スラムの顔役って…ちょっとヤバそうな響きだな、大丈夫か俺?


一応、俺もスラムの新参者ということで挨拶したほうがいいらしいが、こんな麻袋みたいな格好で失礼にならないだろうか?


少し不安になってきた。


そんな俺の心配をよそに、シュウは「仕事も紹介してくれるかもしれないよ」と軽く言ってのける。


その言葉に、一瞬喜びが湧き上がるが…すぐに過去の記憶がよみがえった。


「採用面接って言ったら…あの圧迫面接か…」と思い出した途端、俺の胃がキリキリと痛み始める。あの面接官の冷たい視線、容赦ない質問攻め…。黒板の使い方だの、生徒への指導方法だの、次々に質問が飛んできた。


こっちは何も答えられなくて、ただ汗だくだった。心臓がバクバクしだして、嫌な汗がまた滲んできた。今でも、思い出すだけで冷や汗が止まらない…。


「あぁ、もう!とにかく仕事が決まりますように…!」俺はアリサの家に向かって歩きながら、本当にいるのかよくわからない神様に向かって、心の中で強くお願いした。


神様、ここはどうかひとつ、お力添えを…。


その時、ザックが「おっさん、顔色悪いぞ。大丈夫か?」と心配そうに聞いてくる。


「だ、大丈夫…多分。」俺は何とか平静を装ってみせたが、内心では完全にビビっていた。


どうか、どうか無事に仕事が見つかりますように…!そう願うしかなかった。


緊張している時って、時間があっという間に過ぎるもので、気づけばいつの間にかアリサの家の前に着いていた。


正直、このままUターンして帰りたい気分でいっぱいだ…。


家を見上げると、バラックではなく、しっかりとした綺麗な木造の家だった。これはスラムの中ではかなり上等な部類だろう。


落ち着いて周りを見渡すと、どことなくお店っぽい作りの建物が多い。営業しているところは少ないが、きっとここはスラムの中でも繁華街的な場所なんだろうな。


そんなことを考えていると、突然ザックが「アリサー!」と馬鹿でかい声で叫んだ。


「ビクッ…!」驚いて一歩下がる俺。心臓が飛び出そうだ。


すると、バタバタバタッと音を立てて勢いよく出てきたのは、赤毛の可愛い女の子だった。


おっと、将来は絶対美人さんになるな、なんて感心してしまう。


どうやら急いで準備して出てきたらしく、息が乱れている。「ザック、心配したんだから!シュウもいろいろありがと!」と、息を切らしながら言っている。


ザックは胸を張って、カッコつけたように答える。「わりぃ、心配かけた。」


一方のシュウは顔を赤くして下を向きながら、「うん…」と小さな声で答えた。


ははーん、おじさんわかっちゃったよ。これは恋のライバルってやつかぁ…


なんてニヤニヤしながら二人を見ていると、突然アリサが俺に視線を向けてきた。


「この人は?」と、真剣な目で尋ねられる。


しまった、油断してた!俺は少し慌てながらも、「あ、ども、リョウです…お父さんに挨拶にきました。」と自己紹介した。


内心で「あぁ、やっぱり帰りたい…」と再び思ってしまいながら…


この後、すぐにアリサに2階の奥の部屋に案内された。  


正面に座っている男を見た瞬間、俺は心の中で「やっべぇ…」とつぶやいてしまった。


なんというか、あの眼光の鋭さ。まるでこちらの心の中を全部見透かしてくるような鋭さだ。


こんな人がスラムの顔役をやってるんだなって、納得せざるを得ない。


中年に差し掛かる年齢だけど、全然油断ならない感じだ。


そして隣にもっとヤバそうな奴が立っている。


なんだろう、この人、ものすごくいい男なのに、顔にあるキズが逆に恐怖を倍増させてるんだよな…。


まるで「近づくな」って言わんばかりのオーラを放ってる。


胸板も厚くて、筋肉がすごい。これは絶対に喧嘩しちゃいけないタイプだ…。


たぶん用心棒的なポジションなんだろうな、絶対つよそう。


見てるだけでゾクゾクするな。


「よう、ザック。元気にしてたか?スラムのガキが迷い込んだのを助けて、お前が捕まったって?お前もまだガキなんだから、そんなの無視してさっさと目当てのもん見たら帰ってくりゃいいんだよ!」と、男はニヤニヤしながらザックに話しかける。


「う、うるせーよ!なんでそんなこと知ってんだよ?」と、ザックは珍しく焦った様子で返す。


男は当然のように言い放つ。「馬鹿野郎、この街で起きることに俺が知らないことなんてねぇんだよ。」


「クックックッ」と、笑いながら男はザックをからかうように見つめる。


ザックは気を取り直して、「そうだ、リーガルさん!今日からうちに泊まることになったおっさん。だから、挨拶に来た!」


俺は上の空になっていたところを、ザックに「ほら!」っと横から肘でつつかれて、急いで現実に引き戻された。


慌てた俺は、「リョウです。おにゃがいします!」と見事にかんでしまった。


リーガルは「クックックッ」と笑いながら、「そんなに緊張するなよ。リョウでいいか?」と優しく声をかけてくれた。


その笑い声に、俺は顔を真っ赤にしながら心の中で「やっちまった…!」と叫びつつ、何とか返事を絞り出す。


「は、はい!リョウでお願いします…!」


すると、シュウがふと俺に目をやって、「リーガルさん、リョウでもできる仕事ないかな?」と気を遣って聞いてくれた。


おお、シュウ、ナイス!お前、ほんとにいい奴だな!


リーガルは少し考える素振りをしながら、「みんな順番待ちしてるやつもいるからなぁ。


リョウだけ特別扱いは難しいかもな。


「なんか特技はないのかい?」と、少し申し訳なさそうに言う。


そんな中、ザックが唐突に言い出した。「剣が使えるよ。明日から教えてもらうんだ。」


その瞬間、リーガルの目がキラッと光った気がした。


おいおい、なんか急に雰囲気変わったぞ?リーガルの視線が、頭の上からつま先まで俺をじっくりと観察している。


え、俺何かまずいこと言ったか?


「流派は?」とリーガルが真剣な表情で尋ねる。


また流派か!?なんでこの世界、そんなに流派が大事なんだよ!?俺は焦りながら、「これ、言っても大丈夫なのかな…?」と内心で激しく葛藤する。


「えっと、し…しずか流です…」


「しずか流?」リーガルは少し首をかしげながら、隣に立っているヤバそうな男に話しかけた。「ラバン、お前聞いたことあるか?」


ラバンは少し考え込んだ後、無言で首を横に振る。おいおい、その無言の圧力、やめてくれよ…。


俺は内心で冷や汗をかきながら、「やばい、これは姉さんと二人で稽古してただけってバレたら終わる…!」と必死に思案する。


そして、ザックに向かって、こっそりと『言うなよ!』というジェスチャーを送る。


ザックはそのサインを見て「まかせろ!」とばかりに自信満々に頷いた。


おお、頼りになるじゃないか…と、ほっとしたのも束の間。


「二人だけの流派なんだって!」と、ザックが胸を張って爆弾発言を炸裂させた。


おい、そっちの方向じゃない!と俺は心の中で絶叫したが、時すでに遅し。


リーガルとラバンの視線が、驚きと興味を持って再び俺に注がれる。

俺の心臓はもうバクバクで、まるで今すぐ逃げ出したい気分だ。


「ほぉ、それは珍しいな…」リーガルがニヤリと笑みを浮かべる。ラバンは相変わらず無言だが、なんかその目がさらに鋭くなった気がする。


「実はな、いい仕事があるんだ。」リーガルは俺を見ながら言い出した。「日当は四千ペニー払おう。リョウも、いつまでもザック達の世話になり続けるのも心苦しいだろう?節約すれば、すぐにでも家を借りられるさ。」


えっ、四千ペニー?こっちのお金よくわかんないけど、言い方からして結構いい金額なんじゃないか?と一瞬心が揺れたが、リーガルの次の言葉でその心の平穏は一気に吹き飛んだ。


「その服もボロボロだな。アリサ、私のシャツとズボン、それに下も裸足じゃないか…履き物も持ってきなさい。」


あ、あれ?なんかすごいスピードで外堀を埋められてる気がするんですけど…。


ちょ、ちょっと待って、まだ仕事の内容も聞いてないのに、なんでこんなに話が進んでるんだ?


これは…かなり嫌な予感がするぞ。


俺は内心で冷や汗をかきながら、「あ、あの、仕事の内容は…?」とおそるおそる聞いてみる。


すると、リーガルはニヤリと不敵な笑みを浮かべて、「今ね。第四区の連中とちょっと揉めていてね。腕に覚えがある人間を集めてるんだよ。」


…え?ちょっと待って。それってまさか…。


「いやいや、何も危ないことはないよ。」とリーガルは軽く手を振って続ける。


「あくまで抑止力として集めてるだけだから。」


抑止力?いやいや、それって普通に兵隊じゃないか!俺の心の中で、さっきの平和な気持ちはどこかへ消し飛び、叫びが響き渡った。「ノーッ!」って。


でも、口からは何も出てこない。俺、前職は英語教師だったんですけど…。英会話、何か役に立たないですか?いや、役に立つわけないよな…どうする俺!?


そして、俺の心の中で、神様への文句リストがまた一つ追加された。


俺は覚悟を決めるしかないのかと自問自答する。


結局は覚悟を決めたつもりで仕事を引き受けたが、まさか後になって自分の甘さに自己嫌悪のどん底に落ちることになるとは、この時の俺はまだ夢にも思っていなかった。

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