第11話

 それまで日参していたティトの足が、執務室から遠のいた。


 ティトがクララに、これからは毎日会いに行くと言っていたが、それを実行しているのかもしれない。


 恋人であり婚約者であるベロニカよりも、優先される幼馴染とはなんだろうか。


 ベロニカがわざわざ時間を作って、お茶へ誘ってみるも、ティトからはつれない返事ばかりだ。


 仕方がなく、人任せにしていた政務に取り組むが、しばらく離れていたせいで、最近の協議内容に理解が追い付かない。


 ラミロに説明をしてもらい、ベロニカはたどたどしく決裁をしていく。


 そんなベロニカを、宰相の机から、サルセド公爵がニヤニヤと眺めていた。




 ◇◆◇




「どうして税が使われていないの? 民のために使うと、決めた税があったはずよ」


「それは先月の協議で、貴族のために使うと、変更されました」


「私はそんな決裁をしていないわ」


「ベロニカさまは、その場にいませんでしたから……。決裁をされたのは、サルセド公爵です」




 こんなやり取りを、ラミロともう何度したことだろう。


 ほんの少し、政務から離れていたつもりだったが、ベロニカが立てた年間計画のほとんどが、宰相になったサルセド公爵によって覆されていた。


 ベロニカは焦った。


 古参貴族に有利な政策を敷いていたのに、それが新参貴族に有利な政策へ置き換えられている。


 これでは、父王の時代から忠誠を誓ってくれている、古参貴族からの支持が得られない。


 何かあったときに、頼りにできる存在がいるといないとでは、ベロニカの治世の盤石さが違ってくる。


 王族といえども、数の力には勝てないのだ。


 ベロニカは自分の護りが剥がされていくのを感じたが、どう立て直せばいいのか分からず、しばらく頭を悩ませた。


 こんなとき、エンリケがいてくれたら、対策を一緒に考えてくれただろう。


 ラミロは右腕として申し分ないが、あくまでも知識量や情報量が優れているだけで、それをどう利用するのかはエンリケの領域だったのだ。


 エンリケの治めるシルベストレ公爵家の領地が大変そうだから、休職させてはどうかとサルセド公爵に言われ、ちょうどエンリケの小言をうるさく感じていたベロニカは、都合がいいと承認してしまった。


 エンリケは、その日のうちに領地へ発ったと聞いた。


 それ以降、エンリケとは何のやり取りもしていない。


 ベロニカは、取り返しのつかないことをした、己の浅はかさを悔やむ。


 しかし今は、急を要する目の前の危機に、なんとか対応しなくてはいけない。




「今からでも、使用先の変更は間に合うかしら? どうしても民を救うために、税を使いたいのよ」




 民から上がってきた嘆願書は、蝗害の起きた地域への食糧支援についてで、その領地を治める新参貴族が、民への食糧の提供を出し惜しみしていると書かれていた。


 急がなければ、多数の餓死者が出る。


 だが、ラミロの返答は残酷だった。




「どんなに急いでも、来月の協議事項に載せるのが、精いっぱいです。今月はもう動かせません」




 ベロニカは考える。


 国にある税が使えないのならば、もとからその領地にある税を使わせるしかない。


 新参貴族に、古参貴族派のベロニカが税を使えと命じたところで、素直に従わないのは目に見えている。


 かと言って、新参貴族派のサルセド公爵が、ベロニカに協力するとも思えない。


 だったら――。




「……私が現地へ視察に行きます。それを領主に伝えてちょうだい。さすがに私の目の前で、出し惜しみはしないでしょうから」




 ◇◆◇




 突発で行われたベロニカの領地視察のおかげで、嫌そうな顔をしながらも、新参貴族は民への食糧支援を始めた。


 配給に並ぶ民を見ながら、これで少しは持ちこたえられる、と安心していたベロニカの耳に、民の囁きが聞こえた。




「あれが……噂の……」


「悪の女王だ……」


「……仕事をしないって聞いたけど?」




 その声は、ベロニカの後ろに控えていたセベリノにも届いたのだろう。


 ギロリとセベリノがそちらを睨むと、民は慌ててベロニカから顔を反らした。


 そそくさと立ち去る民の後ろ姿に、ベロニカはショックを隠せない。




 ベロニカは自分が民に、「悪の女王」と呼ばれていると、このとき初めて知った。


 もしかしたら、ラミロは知っていたのかもしれないが、あえてベロニカに伝えはしなかったのだろう。


 ベロニカは古参貴族に続いて、民の支持も無くしてしまったのが分かり、大きく落胆する。




 飛び続けた鳥が、枝にとまって羽根を休めるようなものだと、ティトはベロニカに説いた。


 また元気になって飛び立てばいいと、少しの休息を取ることを勧めてくれたが、それに従った結果がこれだった。


 ティトの考えがそうだとしても、それをそのまま鵜呑みにしては、いけないのではないか。


 多くの変化が起きてようやく、ベロニカは曇っていた目に気がついた。




 ◇◆◇




 それからベロニカは、執務室にこもるようになった。


 そして、これまで休んでいた政務に精を出す。


 今もサルセド公爵が翻そうとするベロニカの年間計画を、一人でなんとか押し留めている。


 以前はエンリケとの共同作業だったと、懐かしく思い出しながら。


 ラミロは変わらずに、的確な書類捌きをしてくれる。


 まだ自分には心強い味方がいる。


 そう言い聞かせ、ベロニカは奮起して頑張った。


 


 古参貴族たちの支持を取り戻すために、ベロニカが新たな政策を練っていると、珍しくティトが執務室を訪れた。


 しかし、その腕にはリボンだらけのクララをぶら下げている。


 何をしに来たのかとベロニカが不審に思っていると、これまで散々無下に断っておきながら、お茶を一緒に飲みませんかと誘ってきた。


 もちろんベロニカは断る。


 今はそれどころではないのだ。


 ベロニカの治世が揺るごうとしている状況で、呑気にはしていられない。


 だが、サルセド公爵が口をはさんできた。




「最近、ふたりの仲が悪いのではないかと、城中で噂になっている。これまでのように、お茶でも飲んで噂を消しておかねば、新たな不安を与えかねんぞ」




 それは、またベロニカが支持を失う、ということか。


 噂がサルセド公爵の出まかせかそうでないのか、確かめたくてベロニカはラミロに尋ねる。




「城中に、そんな噂があるの?」


「あ……僕、聞いたかもしれません」




 ラミロが顔を青くし、サルセド公爵やティトたちを、チラリと見た後に、俯きながら答える。


 セベリノはこうした噂に疎い。


 それは、噂話のある場所とは縁のない、ベロニカもそうだ。


 だからベロニカは、いろんな場所を行き来するラミロを信じた。




「そう……分かったわ。では、この政策を仕上げたら休憩にしましょう」


「え~、それまでクララに、待てって言うの? この部屋、退屈で死んじゃいそう!」




 ベロニカの言に、唇を突き出し、頬を膨らませたクララが反発する。


 もうベロニカは女王だというのに、クララはいつまでも従妹の態度を崩さない。


 これはサルセド公爵がそうだから、真似ているのかもしれない。


 


「よしよし、クララ、機嫌を損ねないで。じゃあ、私たちは先に奥庭へ行っていますね。ロニは仕事が終わってから来てください。ではまた」




 我が儘が可愛くてたまらないというように、ティトがクララの頭を撫でて慰め、そして二人はベロニカの返事も待たずに、執務室から腕を組んだまま出て行ってしまった。


 ベロニカは今度こそ、呆気に取られた。


 これでは何のためにお茶を飲むのか分からない。


 ベロニカとティトが、婚約者として仲良くしていると、周囲に知らしめる目的があったはずだ。


 だがあれではむしろ、腕を組んで王城内を歩くティトとクララを見て、ベロニカとの不仲が一層疑われるのではないだろうか。


 ベロニカは大きく溜め息をつくと、サルセド公爵の邪魔を跳ね除けながら、執務に集中する。


 なるべく早く、あの二人と合流するために。

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