第10話

 新暦871年――サルセド公爵が、正式に宰相に就いた。


 これまでも、エンリケの不在時にはベロニカの相談役となり、政策の決定に影響を及ぼしていた。


 それがますます色濃くなるとあって、優遇される新参貴族たちは歓迎する。


 顔色を曇らせたのは、ベロニカを支援していた古参貴族たちだ。


 ベロニカは婚約者となったティトに夢中で、執務を秘書官に丸投げしていると、民の間でも噂されるようになっていた。


 このままでは国の先行きは怪しい。


 古参貴族たちは王族から距離を置き、時代の流れを静観することにした。


 元々は、各地方を治める長だった古参貴族たちだ。


 何かあれば迷わず、領地を護るために王族を切り捨てる腹積もりだった。




 ◇◆◇




 そうとは知らず、ようやく意のままに政治を動かせるようになって、サルセド公爵は機嫌が良かった。


 これまでは、計画の邪魔になってはいけないと、ティトと会うのを禁じていた娘のクララに、許しを与えるほどには。


 


 本当は、ティトとクララは、幼いころから結婚を誓い合った恋人同士である。


 だが、即位したベロニカが傀儡とならなかったため、手を変え品を変え、ベロニカを政治の表舞台から降ろそうと画策したサルセド公爵の秘策のひとつが、ティトによる色仕掛けだったのだ。


 


 渋るティトに、言うことをきかせるのは簡単だった。


 ティトが結婚したがっているクララと、マドリガル王国の第三王子との縁談を、匂わせるだけでよかった。


 この計画が成功したら、クララとティトの結婚も検討してやると、餌もぶら下げた。


 


 役立たずかと思われた諜報員の協力もあって、ティトは無事にベロニカを陥落させた。


 初めての恋に現を抜かしているベロニカは、女王然としてサルセド公爵に抵抗していた頃の名残もなく、ただの年相応のつまらない女に成り果てた。


 サルセド公爵は高笑いが止まらない。


 


 すでに民からベロニカには、「悪の女王」などという、不名誉なあだ名が付けられている。


 あとは小さな失敗を犯せば、簡単に王の座から引きずり下ろせるだろう。


 


(そして次こそ、輝かしい王冠をかぶるのは自分だ!)




 サルセド公爵は、5歳年上の兄を恨んでいた。


 ほんの少し先に生まれただけで、両親の関心も王位も令嬢たちの好意も、全てが兄のものだった。


 詰め込まれた帝王学にしても、兄と比較してなんら劣るところがなかったというのに、弟の立場のなんと低いことか。


 しかし、その兄も亡くなり、一人娘のベロニカも、最早ティトの言いなりだ。




「やっと私の時代が来た! ロサ王国の歴史に、私の名前が刻まれるのだ! わははははは!」




 ◇◆◇




 その日も、ベロニカはティトと奥庭で、お茶を飲んでいた。


 ラミロに急ぎの決裁があると言われたが、せっかくティトが会いに来てくれたのだ。


 ベロニカはティトを優先し、セベリノを遠ざけて、二人きりの会話を楽しんだ。


 ラミロの持っていた書類は、印璽を預けたサルセド公爵が、きっとなんとかしてくれるだろう。




 ティトの優しい言葉を聞くたびに、弱くてもいいんだ、ふつうの女でいてもいいんだ、と安心させられる。


 ティトに夢中になっているベロニカから、父王を亡くした哀しみは、完全に消えていた。


 このまま、愛し合うティトと結婚して、生まれる子に満遍なく愛情を注ぎ、いずれ子の誰かに王位を譲る。


 そんな幸せな未来が待ち遠しいと、毎日ベロニカは思い描いていた。


 ところが、二人が身を寄せ合い、恋人同士の雰囲気を醸し出しているところへ、場違いな声が乱入する。


 


「ティティ! こんなところにいたのね、探したわ!」


 


 少女のような声に振り向くと、従妹のクララが息を弾ませ、頬を髪色みたいにピンクにして立っていた。


 着ているドレスはリボンばかりが目立ち、とても24歳の淑女の服装とは思えない。


 それに女王がくつろぐ奥庭へ、許しもなく立ち入るなど、無礼なふるまいだ。


 そのことにベロニカは眉をひそめたが、ティトの対応はまったく違った。




「クララ! もう、許しが出たの? 会ってもいいって?」




 握っていたベロニカの手をすばやく離し、席から立ち上がってクララに駆け寄るティト。


 そしてベロニカの前で、笑顔の二人は抱擁を交わした。


 遠くに立っているセベリノが、苦い顔をしてこちらを見ている。


 お茶の席への侵入者を通したのは、セベリノだろう。


 


「お父さまが、疲れているティティを労って、癒してあげなさいって。私に隠れて、秘密のお仕事をしていたのですって? もうお仕事は終わったの?」


「だいたいは終わったよ。サルセド公爵の許しが出たなら、これからは毎日クララに会いに行くからね。寂しい思いをさせてごめんね」




 ベロニカを置き去りにして、ティトとクララは盛り上がっている。


 話から察するに、ここへ入る許可を出したのは、サルセド公爵のようだ。


 先ほど、急ぎの決裁を押しつけた手前、強くは抗議しにくい。


 しかし目の前の二人には、注意をしようと思った。


 これは断じて幼馴染の距離ではない。




「クララ、久しぶりに会えたのかもしれないけれど、近すぎるわ。ティトは私の婚約者なのよ、遠慮してちょうだい」




 クララに毅然とした態度をとったベロニカだが、それに反発したのはティトだった。




「ロニ、これが私とクララの日常なのです。これに慣れてもらわなくては、困ります」


「そうよ、ティティと私は、ずっとこんな感じよ。横やりを入れないで欲しいわ」




 クララはティトを愛称で呼んでいた。


 ベロニカが、ティトから愛称で名を呼びたいと言われたとき、その方が心の距離が近くなるからと、説明されたのを思い出す。


 ベロニカとティトの心の距離と、クララとティトの心の距離は、同じということか。


 恋人の心の距離と、幼馴染の心の距離が、同じであっていいはずがない。




「二人は幼馴染なのよね?」




 ティトの恋人で婚約者の立場であるベロニカは、疑いの眼差しで二人を見る。


 するとティトは、サッとクララの肩に手をかけ、ベロニカから護るように自分に引き寄せた。


 


「今日はこれで失礼します。久しぶりに会えたクララと、友好を深めたいのです。また後日、出直してきます」




 そしてベロニカの返事も待たず、ティトとクララは寄り添ったまま、奥庭を歩き去っていった。


 クララがティトに話しかけている黄色い声が遠ざかっていくのを、ベロニカは呆然と聞いているしかなかった。




 今まで恋をしたことがなかったベロニカは、自分の心の動揺が、何から来るのか分からない。


 ただ、なんとなくイライラして、モヤモヤしている重い感情を持て余す。


 エンリケが側にいたのなら、「それは嫉妬心というものですよ、陛下」と教えてくれただろう。


 だが、現在ベロニカの近くにいるのはセベリノだけ。


 そのセベリノさえ、ベロニカが声も聞こえない距離に追いやっているため、ここで何があったのか把握できていないはずだ。


 ただ、心配そうな顔をしているのが、遠目にもうかがえた。


 そんなセベリノの視線を避けるように、ベロニカは俯く。


 何か歯車が、噛み合っていないような、もどかしさを感じながら。




 ◇◆◇




「クララ、私たちが愛し合う恋人同士だと、ベロニカに喋っていはいけないよ」


「どうして?」


「秘密の仕事が、完全には終わっていないんだ。それが無事に片付いたら、結婚しようね」


「分かったわ! 我慢する!」


「いい子だね。いい子のクララは、どんなご褒美が欲しいかな?」


「いっぱい甘えたいわ。ずっと離れ離れだったんだもの」




 べたべたとお互いの体を触り、口づけを交わす姿は、まさしく恋人同士のものだった。


 


「ベロニカの前で、クララとこんなことをしたら、きっと引っ繰り返るだろうな。座ってお茶を飲むような、清く正しいお付き合いが、恋人同士のすることだと思っているんだから」


「まあ、ベロニカは何も知らないのね? 私より年上なのに、とんだお子様ね」




 笑い合う二人は、ベロニカに隠れて密会を繰り返す。


 その背徳感が、たまらない美酒のようだった。

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