独性

宵町いつか

第1話

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 セーラーブレザーから覗く瑞々しい若い肌をさらしながら、少女たちは校長先生のいる体育館の前方を見つめていた。真剣に話を聞くその姿勢に尊敬の念を送りながら、楓は欠伸を噛み殺した。昨日の夜更かしが祟っているらしい。周りを見ると楓と同じ禁忌を犯した詰め襟姿の少年が何人かいた。その瞳はやはり潤んでいた。

 楓の入学した府立生明    おいあけ高校は府内では珍しいセーラーブレザーを採用していて、学力は府内では中の上。特に胸を張れるほどの強い部活動があるわけでもなく、これといって有名人も排出していない、ごく普通の学校だった。この学校を志望する生徒はセーラーブレザーを着たいという理由の人が多く、それが影響しているのか男女比は女子のほうに偏っている。比率的には女子が七割、といったところだろうか。他校の人間からは男女問わず、かわいい制服も自由な校風も評価されている。それだからか生明高校はブランド的な人気を保っていた。

「――それでは皆さん、三年間、切磋琢磨して充実した高校生活を過ごしてください」

 舞台上で校長が礼をして、教頭のアナウンスが入る。どうやら新入生代表の挨拶があるらしい。

 一条京陽いちじょうみやび

当たり前だが聞いたことのない名前だった。楓は新入生代表のお言葉を話半分に聞く。内容はどこかで聞いたことがあるように思え、同時に無理に大人びようとしているようにも思えた。ハキハキと誇張気味に話している新入生代表を眺めながら楓はため息をつく。ため息はマイク越しの少女の声にかき消される。凜とした声。日光に照らされてわずかに茶色を帯びているように思える髪。彼女の待っているセーラーブレザーは同級生のものよりも特別なもののように思えた。

 校歌が流れ、入学式が閉会される。退場して、楓だけ一人トイレに駆け込んだ。用を済ませて、身だしなみをなんとなく整えた。

遅れて一年五組の教室に入ると、緊張した面持ちでクラスメイトたちが雑談を始めていた。教室の窓から桜が見えた。もう花は散り始めている。毎年桜は瞬きの間に花を散らしているように思えるのは気のせいか、それとも地球温暖化の影響か。

「お前、髪長いな」

 楓が席に座ると同時に声がかかった。校則ギリギリまで伸ばしてある髪に触れ、楓が隣に視線を向ける。少年が頬を赤らめながらこちらを見ていた。丸い小動物のような双眸に、短く切りそろえられた髪。健康的に見える日焼けした肌。元気そうに引っ張られた頬。

「お前どこ中?」

 少年は挨拶代わりにそう聞いてきた。

「――西堀中だけど」

 楓が答えると少年は丸い瞳をますます丸くさせる。彼は声に疑問符をにじませながら言葉を重ねてきた。

「西堀? 西堀からここって珍しいな。西堀ならあれ……キッカにほとんど行ってるだろ?」

 キッカとは北華きたばな高校の通称名だ。府内でもそこそこ頭の良い高校でその名前の仰々しさや校風から畏怖の念を込めてキッカと別称がある。確かに、楓の通学していた西堀中学の人間はエレベーターに乗り込むかのように北華高校へ進学していった。学力の面では生明のほうが負けているが、部活動に関してはこちらの方が活発的で特に運動部に関しては県大会でなかなかの好成績を残していたはずだ。

「まあね。ほら、こっちのほうが新しい友好関係できるかなって」

 楓はそう少年に笑みを向ける。

「あー確かに。そういうの良いな。生明って東中のやつが多いからさ、あんま高校生になった感じがしないし、高校デビューもできないし、新しい友好関係もできないから拍子抜けする感じなんだよな。せっかく気合い入れて高校生活始めようと思ったのによ」

 少年はそこまで言って思い出したように「あ、俺東中出身の北本和正。よろしく」と、自己紹介をした。

「あ、よろしく。私は江中楓」

「おう、よろしく!」

 和正は笑って話を続けようとする。しかし、教室の扉が開けられる音がして、それは中断された。

 白髪の初老教師が教卓の前に立つ。オールバックにしているからか、ピリッとした印象を受けるが、顔に刻まれたしわやゆったりとした所作からは髪型の与える雰囲気とは正反対のものを生徒たちに与える。

「えー、一年五組の担任を受け持つことになりました。吾妻准あづまじゅんです。どうぞよろしく」

 吾妻は毅然とした様子で教室を見渡す。声には迫力は無いが、自然とその声に惹きつけられる。人を諭し、正しい道に戻してくれる。そういう不思議な安心感を与える声質だった。

「高校は義務教育ではないわけですから、自分の意思でここへ来たという自覚を持って、自身の未来を考えながら毎日を過ごしていってください。いつまでも中学生気分でいられては困るのです」

 生徒一人ひとりに語りかけるように、吾妻は言う。吾妻の細い、小さな双眸は確かにこの教室の生徒全員に届いていた。

「さて、それでは名前の読み方の確認を兼ねて、出席確認をします。――一席、安崎雅斗」

 柔らかな、しかし芯の通った声が教室に響き渡る。それに呼応して、瑞々しい生徒の声がはっきりと響いた。高校生にもなるとしっかり返事を返すようになるのだなと、楓はしょうもないことを思った。中学の頃はまともに返事をしている人なんて少なかった印象があったから、新鮮だった。吾妻の先ほどの発言に影響されて意識を改めた人間が多いのか、それとも単純に成長したのか。

「六席、江中楓」

「はい」

 楓も例に漏れずはっきりと返事をした。新学期独特の緊張した、硬く柔らかい空気がじっとりと教室を埋めていた。その空気は少し息苦しかったが、嫌いではなかった。

 ホームルームが終わって、空気が弛緩する。大勢が肩の力を抜く。和正も同じように肩の力を抜いて、部活体験に行くようだった。

 和正は太陽のような笑みを浮かべ、楓に声をかける。

「楓も行こうぜ。部活体験」

 楓は配られたプリントの入ったファイルをカバンに詰めながら言った。

「行かないよ。部活に入らないつもりだから」

「え、部活しないの?」

 和正の発言に楓は迷わず頷いた。

「入らないよ。中学の頃も入ってなかったし」

 楓の発言にショックを受けたのか、和正は目を見開いている。

「部活無い生活とか考えられないわ。多分暇で死ぬ」

 冗談めかして和正がそう言った。楓にとっては部活のある生活のほうが死にそうに思えるが、和正のような元気で誰からも好かれそうなやつは進んで輪のなかに入って行くんだろうと楓は感じた。むしろ、彼にとってはそれが普通で楓のような人間の方が普通ではないのかもしれない。

 楓は何もストラップの付いていないカバンを肩にかける。和正のカバンは楓のとは正反対で、お守りやらストラップが何個も付いていた。バスケットボールが付いていたということはバスケ部だったんだろうか。楓はあまりストラップなどを集めないので和正のごちゃごちゃとしたカバンは新鮮に映った。

「それじゃ。部活体験いってらっしゃい」

 楓はそう言って和正から離れていく。和正は笑顔で「おう!」と返事を返した。

 楓は和正が視界から消えると足早に廊下を歩いていった。


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