学園バベル
将金 偽宮
第1話その男、心臓に推しを宿す
毎週金曜日午後19:30。彼は決まってこの時間に自室の机で金縛りが起きる。椅子に座ったまま自分の体が動かない現象である。大体きっかり一時間だが、場合によっては10~20分程度長かったり短かったりする。
この男、
パソコンの奥に、推しがいるからだ。
この、「ライブ配信」という名の金縛りは、一刻の疲労した心を癒してくれる。
一刻の推しというのは、二次元ガールバンド、「cuticle《キューティクル》」。キューティーとクールを兼ね揃えた5人組で、界隈では一定の人気がある。
一刻がどのくらいのファンであるかというと、痛バックを作るのは当たり前。CDは全て初版限定版。観賞用、保存用、布教用の3点購入。
自室壁にはポスターびっしりで、もう天井さえ貼るスペースは無い。PCマットもcuticle。
彼の部屋はもうポップアップストア顔負けの状態になっている。
これも、週4バイト大学生の努力の賜物である。
今回の配信はcuticleのリーダーのゲーム実況。最近流行ってるスマホゲームを初めたらしい。それに触発されて、一刻もインストールしたところ、まんまとハマった。
「この、ばとるぱす…?でいりー…?ってなんだろ…?」
―――バトルパスはクエストをクリアすると自動的に報酬が貰えるってやつだよ!
―――デイリーは毎日更新のミッションのことで、毎日クリアするといいよ!
―――ソシャゲ完全初心者のユウちゃんかわいすぎる
当然のことながら、配信中はコメントが流れる。視聴者はユウちゃんに癒されつつも、コメントをしたりそれを見て楽しんでいる。一刻も毎回コメントは欠かさず送っている。
「うん。やっぱり、ユウちゃんは可愛いし配信の民度も良いし…最近は新参勢も多いよなぁ。」
するとコメント欄に色のついたコメントが届いた。
わさび太郎 ¥500
―――これを使ってもっと強くなってね!
「ぐっ…!」
スパチャである。まぁ配信で必ず見るし、そんなに大した額では無い。だが一刻は悔しがる。なぜなら…
「わぁ、わさび太郎さん、ありがとう!」
そう。推しに名前を呼ばれるからだ。一刻自身も、何回か、「シャドウマンボ」名義でスパチャをした事はあるが、それはバンド全体、もしくは最推しのトモに、だ。つまり、ユウには認知されていない可能性が高い。
ピコン、と音が鳴り、「わさび太郎」のスパチャがもう一度ユウの元に届いた。
「わさび太郎さん、2回目かな?ありがとう〜!」
一刻は、そんな訳が微塵も無いのに、わさび太郎に煽られている気がしてならなかった。急に、カタカタとタイピングを始めると
シャドウマンボ ¥2000
―――いつも応援してます!
と、流れに任せてコメントを残した。すると、
「あ、シャドウマンボさんだ!cuticleのライブの時いつも応援コメントくれるよね!個人の配信も来てくれるなんて!ありがとう!」
と、わさび太郎よりもいい反応を示した。
「!? 認知されてるだと!?どうだわさび太郎!僕の方が格上だったな!見たか、古参の力をッ!!」
画面の前で勝ち誇った笑みを浮かべる。
わさび太郎 ¥10000
―――今日のユウちゃん好きすぎる!
「なっ…1万!?ただのゲーム実況だぞ!?そこまでのシーンもなかったし!」
「わさび太郎さん!え?1万円!?いいの?嬉しいー!」
そっちがその気なら、、いいだろう!
一刻の心に対抗心という名の執念が燃え上がった。
―――¥15000 シャドウマンボ
―――¥15500 わさび太郎
―――¥20000 シャドウマンボ
―――¥23000 わさび太郎
コメント欄で、激しいバトルが繰り広げられた。シャドウマンボが出す値段を、わさび太郎が上回り、またシャドウマンボが追い越し、追い越され―――
―――なんか始まってて草
―――今北、これどういう状況?
―――いいぞ、もっとやれ
野次馬もどんどん湧く。しかし一刻にはわさび太郎の値段しか見えていない。夢中になって延々とスパチャをし、何とかわさび太郎を負かそうとした。
***
―――¥68000 わさび太郎
―――¥77777 シャドウマンボ
―――わさび太郎の反撃が終わった。
「はぁ、はぁ…か、勝った!」
この状況になって混乱したユウも、配信を早めに切り上げた。一刻の金縛りも解けた。
それと同時に、一刻も正気に戻る。
「僕、一体いくら使った…?」
クタクタになりながらパソコンを弄り、自分の口座の預金残高を確認する。目に飛び込んできた数字は…
―――16円
「じゅっ…じゅうりょく…」
驚きのあまり、呂律が回らなかった。そのまま、椅子を傾け天井を仰いだ。
「たった一時間で、僕のバイト代は…じゅうりょくぅぅ…
ぅぅうおっ!?」
放心のあまり、体制を崩し、椅子を後ろに倒してしまった。
…痛ってぇー。じゅうりょくって噛んだから
重力ってか?おもしれー。
天井を見つめながら、一刻はさっきとは違う種類の金縛りを受けている感覚がした。
―――あぁ、5thライブのポスターここに貼ってたっけ。はぁ。あのライブ良かったよなぁ。
ズ…
ユウちゃんに嫌な思いさせてたりしてないかな?はぁ、最悪だ。わさび太郎め…!
ズズ…
これからどうしようか…貯金が尽きて、まだ月初めだし。いや、こんな時こそcuticleの曲だ。「逆境スマイル」、かな。今必要な曲は。
ズズズ…
そうだ、僕の心臓の中には推しがいる!cuticleが宿ってるんだ!聞いてください、僕の心の中のcuticle!五十嵐一刻で、逆境スマイル!
ズズズズ…
どんなに辛くっても〜。笑顔な私には敵わない〜。逆境オーライっ!神様はみてるよ私の頑張り〜。
ズズズズズ…
一刻は気付いていなかった。一刻の周りの床の色が黒く変色し禍々しい煙を漂わせながら、深淵へと引きずり込んでいることに。
***
「―――だから私は大丈夫〜。ひとりじゃないから〜。見てろよ、神様〜。これが私の逆境スマイルっ!」
歌に熱中し、カラオケの如く気持ちよく歌い切った。一刻は寝ていた体を跳ね起こし、片手を腰に当てもう片腕で額の汗を拭う。その顔は満面の笑みであった。
「うーん、やっぱ逆境スマイルは僕に勇気をくれるなー。青空の下で気持ちよく歌えると―――ん?青空…?」
一刻は知らぬ間に、どこかも知らぬ、古めかしい村の中に爽やかに佇んでいた。
キョロキョロと周りを見ると不思議そうにこちらを見る村民達に囲まれていた。
「―――は?え?」
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