『二十歳の味に酔いしれて』

『雪』

『二十歳の味に酔いしれて』


 少女の視界の端では、壁掛けの時計が断続的な機械音を響かせながら、時を刻んでいた。ぼんやりと眺めているシーリングライトと真っ白な壁紙は清掃はよく行き届いており、ゴミはおろか、シミ一つ見たら無い。視線を天井から反らし、寝返りを打つようにして同じくベッドで天井を眺めていたらしいもう一人の少女へと視線を向ける。丁寧に染められた藍色のグラデーションの長髪は無造作に投げ出されており、少女の持つ独特の雰囲気とも合わさって、何処か浮世離れした不可思議な美しさを醸し出していた。そんな少女の視線に気付いてか、彼女もまた少女と同じく少女の方へと向き直ると、薄く優しげな笑みを浮かべたまま両手を差し出す。少女は吸い込まれるようにして、差し出された彼女の肢体にゆっくりと抱き付く。柔らかく吸い付くような肌の感触に、最近変えたんだ、と話していた仄かに香る甘いグルマン系香水の匂い。それら全てを全身で堪能するが如く、少女は彼女を深く、そして強く抱き締めた。


 どれだけの時間をそう過ごして居たのだろうか、互いのスマートフォンのアラームが甲高く鳴り響くと、それを合図にして微睡む少女を抱えてもう一人の少女が起き上がる。むにむに、と少女の頬を両手でこね繰り回してどうにか目覚めさせると、その無防備な唇に彼女は己の唇を重ねる。


「……二十歳のお誕生日おめでとう、カノ」


 カノと呼ばれた少女はその行為とお祝いの言葉に顔を赤く染め、俯きながらも辿々しい言葉で彼女へお礼の言葉を返す。そんなカノの様子に満足げに頷くと、彼女はカノの手を引いて共にベッドを降りる。小さなテーブルに並ぶように座ると、卓上へ放り出されていたコンビニ袋を片手間で漁り、取り出したのは鮮やかなラベルの缶チューハイ。プルトップを引くと炭酸が抜ける快音が弾けるように響き渡る。飲み口に鼻先を近付けてその匂いを嗅ぎ、これがお酒かぁ、と何処か不安げに呟くカノ。


「好みもあるし、怖かったら止めといても良いよ」


「ううん、大丈夫。マヤが隣に居てくれるなら、何だって怖くない」


 寄り添うように肩を近付けるカノの姿にマヤは言ってくれるね、と口の端に僅かな笑みを浮かべた。軽く缶同士をぶつけ、乾杯とするとお酒に口をつける。人工甘味料とアルコールが炭酸と共にごちゃ混ぜになって喉元を通り過ぎてゆく。言葉も無く、どちらかが時折缶を傾けるだけ。繋いだままの指先は互いを弄ぶように交差する。


「……マヤ、私酔っちゃったかも」


 今時ドラマでも聞かないようなベタな台詞に、マヤは思わず吹き出した。チラリと肩越しにカノへと視線を移すと、軽くもたれ掛かったままの彼女の瞳は潤んでおり、頬はほんのりと朱に色付いている。


「それって冗談抜きでの話? それともいつものやってみたかっただけ?」


 どちらとも解釈出来るカノの愛らしい姿に、彼女自身の真意を図りかねてかマヤはそう問い掛けた。半分くらいはマジかも、と力無く答える姿を見るに、どうも冗談の類いでは無いらしい。やってみたかったのもあるけどねー、と付け足すように呟くが、マヤが予想していたより遥かにカノはお酒に弱いらしい。


「うーん、カノは外でお酒飲むのは控えた方が良いかもね。飲み会みたいなのに行くとしても、カノをちゃんと介抱してくれる人が最低一人は居る事が条件かな。後はね「……マヤは来てくれないの?」ーー」


 心配そうにあれやこれやと入れ知恵する最中、その言葉を遮るようにカノは絡めたままの指をギュッとつまみ、上目遣いでそう告げる。不意打ち気味に放たれたその言葉にマヤの口から小さな悲鳴が漏れ出た。理性で本能を押さえ込む僅かな間を挟み、マヤは小さな溜め息を一つ落とした後、摘ままれていた指を優しく手解いて華奢な肩に自らの腕を回して自らの方へと引き寄せると、深く口付けを交わす。二十歳になったカノとの初めてのキスは、触れ合った舌先が互いの熱で溶け出しているではないか、と錯覚する程に甘く感じられた。


「カノが望んでくれるなら、何時でも、何処へだって私は迎えに行くよ」


 その言葉に満更でもなさそうな様子で、そっかそっかとマヤの言葉をゆっくりと、そして丁寧に噛み締めるように呟いた。


 暫くはリビングでダラダラと休憩していたが酔いを覚ます為、夜風にでもあってみようか、とマヤの提案で二人はベランダへと繰り出していた。冷房の効いた室内とは打って代わり、深夜だというのに茹だるような蒸し暑さが未だしぶとく居座り続けている。


「夜になってもあっついねぇ、干からびちゃいそう」


 カノのそんな言葉に頷きながら、マヤは手にしていた煙草の箱から一本を取り出した。そのまま自らの口に咥え、火を灯そうとした際にカノの視線に気付く。


「ねぇマヤ、前から気になってたんだけど、煙草って美味しいの?」


 何気無い一言にどう答えたものかと少しばかり思考を巡らせるが、一番簡単な方法があったとマヤは咥えていた煙草を唇から放す。カノの方にもどうやら同じ考えがあったようで、特に抵抗も無く、差し出された煙草を躊躇い無く咥えた。マヤはライターを差し出すが、カノは首を振ってそれを拒絶すると、目を瞑ってマヤの方へと咥えた煙草の先を差し出すように向けた。


「カノは何処でそういうの覚えてくるの? 私、そんな娘に育てた覚えは無いんだけどな……」


 呆れ声でそうぼやくと、自らも煙草を咥えて慣れた手つきでライターを操作し、その先に火を灯す。煙を吐き出してカノの咥えた煙草、その先端に合わせるように自らのものを重ねる。


「はい、吸ってみて」


 その言葉を合図にカノはストローと同じ要領で空気を吸い上げた。温かな煙が口内に広がる。その味はほろ苦く、舌先がピリピリと痺れるような感覚。カノに取っての未知のはずのその味は、マヤとするキスの味によく似ていた。


「お味は如何?」


 その問い掛けにカノは深く煙を吐き出し、神妙そうな表情のまま頭を振る。


「……全然ダメ。苦いし、まるで美味しくないよ。これが本当に好きならマヤは物好きだと思うなぁ」


 恥も外聞もない正直なその答えに、カノはお子ちゃま舌だねとニヤニヤとした笑みを溢す。マヤの言葉にムスッとした様子で、再びカノは煙草に口を付けるが、勢いよく吸い上げた煙に思わず、むせ返り激しく咳き込む。あーあー、言わんこっちゃ無いと、マヤはカノの背を優しく擦ってやる。目尻に涙を浮かべつつも、三度その小さな口へと煙草を運ぼうとする。しかし、その手首をマヤがそっと掴むと、横から吸いかけの煙草をかっさらう。あ、と口に出す間も無く、そのまま二本の煙草を一息で吸いきってしまうと、携帯灰皿にその吸い殻を仕舞う。深い溜め息と共に漏れ出る紫煙が、空へと登って行く様を二人して見守った。


「カノは煙草美味しくないって言ってたけど、私はそれでも良いと思うんだよね」


 ポツリとマヤはそう溢すと、カノの方へと向き直り、覆い被さるようにしてキスをする。まだマヤの口の中に鮮明に残っている煙草の香りとその後味が、マヤの舌を通じてカノの舌に纏わりついてくる。煙草そのものには苦手意識が出来てしまったが、不思議と煙草の味には抵抗が生まれなかった。


「……私は今のカノの味が好きだからさ」


 名残惜しそうに唇を放し、真剣な眼差しでそう口にする。マヤの鋭い視線が突き刺さり、カノはただ頷く事しか出来なかった。

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『二十歳の味に酔いしれて』 『雪』 @snow_03

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