リルウという名前

シルダは疲れ切った表情のまま、持参した弁当から玉子焼きを選んで口に運んだ。校内の食堂にはSNSで流行中のJ-popがしきりに流れており、ただでさえ混雑による物々しい雰囲気を助長している。


「大変だったね……」


 正面に座っているミリキアが眉を曲げて、すっかりシルダの心に寄り添っている。


「それだけ騒ぎになるとさ、やっぱ親からのクレームとか来そう」


 リルウが担々麵をすすると、


「クレームじゃなかったんけど、あの後親御さんが来て、『これこれ、こういうことがあったみたいなんですけど』って話し合いになったのよ。お母さんが平謝りしたらなんとか和解できてね。でも、その条件として、2人が直接話し合って仲直りすることなんだって……」


 シルダは食べ物が喉につっかえ、慌てて水筒の麦茶を飲んだ。


「面倒くさいことになったな……」


 リルウの隣で幕の内弁当を広げながら、フェリが着物の袖の中で腕を組んだ。


「ただ言い合いになったならまだしも、暴力が絡んでるからなあ」


「ほっとけよ、そんなもん!」


 フェリの向かいに座っているフロウガンは、空になったカツ丼の茶碗を乱暴にお盆へ振り下ろした。一瞬周囲がざわついたが、すぐに食堂は元の喧騒を取り戻した。


「ガキなんて案外、自分勝手に思考を巡らしてよ、知らねえうちにてめえたちで解決しちまうもんだ」


「……よせよ。ハミルが謝らないのを心配してるのに」


 フェリが袖から手を出して、フロウガンを制止する。


「だから、ほっときゃいいってんだよ。俺だったら自分からアクションするぜ? 育ててくれたオジキに相談したり、気に入らなきゃボッコボコになるまでケンカするし、俺が悪けりゃ謝るわ」


「アンタが謝ってるとこ、見たことないんだけど」


 リルウが吹き出した。手に持ったレンゲからスープがこぼれて、器の中に戻っていった。


「それは、お前の育ちが関係してると思う。緑内障の手術で右目を失くして、両親から見捨てられて叔父さんのもとで暮らした。普通の家よりも、自分で考えて行動する必要に迫られていたからこそ、そう言えるんじゃないか? 普通の家じゃなかなかそこまでは……」


 フェリが言い終わらないうちに、フロウガンがテーブルから身を乗り出した。


「なんだよ、せっかく意見してやったのに。このヤキソバ頭!」


 フェリのオレンジ色のドレッドヘアが、フロウガンの手によって、寝ぐせのような無造作な形にかき乱された。


「フロウガン、やめなよ!」


 ミリキアが見かねて、フロウガンの席まで駆け寄って制止する。


「そうだよ。しかも、ヤキソバ頭って言い方はないでしょ?」


 フロウガンはすぐに自分の席に収まり、しぼんだように姿勢を整えた。


「すまん。言い過ぎた」


 フェリは特に気にする様子もなく、


「いいよ、別に。ヤキソバ頭だのチョコレート男だの、日焼けサロンとかいっぱい言われてきたから、平気だよ」


 とうなずいてから、また幕の内弁当に箸をつけた。


「……謝ってるとこ、初めて見たかも」


 リルウが改めて担々麵のスープに口をつけた。ピリッとした辛味が口いっぱいに広がり、ピンで留めた前髪が若干の汗で湿った。


「やっぱりさ、ハミルちゃんは恥ずかしがってるんだと思う」


 そう言って、ミリキアは空っぽのカレーのお皿を前に「ごちそうさま」と手を合わせた。


「恥ずかしがってる?」


「……ありそうだけどな」


「どこをどう考えたらそうなるんだよ。説明してみろバカ野郎!」


 5人で囲んだテーブルは途端に、片づいた料理と紛糾した議論でいっぱいになった。ミリキアの意見に共感する声もあれば、納得がいかない、証拠がほしい、だけどそれっぽいなあ……などの意見も挙がった。

 

 ミリキアはたいてい、大騒ぎになるとアタフタして取り乱してしまう。ところが今日は、そういった人格とはまったく別のものを備えていた。


「例えばさ、リルウちゃんの名前の由来とか……」


 ミリキアが話を始めようとすると、リルウが咄嗟に席を立ち、後ろから口を塞いだ。


「アンタ、なんで今その話するわけ?」


 その形相はまるで鬼のようだった。


 ミリキアは手足をジタバタさせながら、「今から説明するんだから!」とリルウの手で籠った返事をすると、仕方なし、というふうに手はほどかれ、リルウは席に戻っていった。


「リルウちゃんの名前が、どうかしたの?」


 シルダがミリキアのほうを向いた。


「実はリルウちゃんって、釣り竿の『リール』がうまく言えなくて『リルー、リルー』ってなってたからリルウって名前になったんだって」


「へえ、かわいいじゃないの」


「そうなの!」


「……」


 リルウは若干顔を赤くしながら、そっぽを向いて頬杖をついている。頬から流れてきた汗がダラダラと手の甲から腕へと流れていく。


「確か、ルーツのあるポルトガル辺りの風習なんだよな。本名はミクトール・エブラソル・エル・アルビオーノって言うらしい」


「ブラジル代表のサッカー選手なんかによくあるやつだよな!」


 あれこれと自分の名前について語られると、リルウはなんだか背中にじんわりと冷や汗をかいていった。


「いつもはクールで男勝りなカンジでも、リルウちゃんって、ほんとはすっごくカワイイんだよ!!」


「うるさい! もうやめて!」


 リルウは声を荒げた。表情はまるで苦虫をつぶしたように険しく、首筋から背中にかけてはびっしょりと汗で濡れていた。


「……だから、恥ずかしいんだよ。秘密にしたいこと、言いたくないことをひけらかされるのって」


 ミリキアは目を大きく開いてシルダを見つめる。


「あたし、今日太陽堂に行く!」

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