太陽堂のケンカ

盛 企

憩いの太陽堂

朝霞台駅から弁財坂をくだり、二本松通りの途中にある溝沼氷川神社入口の交差点を左に曲がると、太陽堂という小さな駄菓子屋がある。


 今日もポケットの小銭をジャラジャラいわせながら、近所に住む子どもたちが続々と店に集まっていた。


「おばさん、こんにちはー!」


 子どもたちが元気に挨拶をすると、


「あら、いらっしゃい」


 初老の女店主が奥の襖を開けて、店頭にゆっくりと歩み出た。白い割烹着に裾の広いレンガ色のズボンを履き、白髪の目立つ髪は団子型に結んでいる。


「早いわねえ」


「何言ってんだよ。もう学校終わったんだぜ」


「あら、もうそんな時間っ」


 襖の上に取り付けられた女店主が時計に目をやると、針はちょうど4時を指していた。


「最近は日が長いから、あんたたちの学校が早く終わったのかと勘違いしてたわ。いつも通りだったのね」


 女店主は口元のシワを目立たせながら笑った。


「おばちゃん、今日はシルダお姉ちゃん来ないの?」


 ひとりの男の子が言った。


「そうねぇ……シルダは最近、学校でお勉強して帰ってくるから、あんたたち、会えないかもね」


「えー、ここ最近ずっとじゃーん。オレたちより勉強なのかよー」


「しょうがないのよ。お勉強は大事だからね。あんたはちゃんとやってるんでしょうね?」


 女店主は男の子を指さして問いただしたが、男の子は胸を張って返した。


「もちろん! 今日は国語の時間の音読、つっかえないで読めたから!!」


「おー! それは偉い」


 女店主は鋭く伸ばした指を丸め、そっと男の子の頭に載せて優しくなでた。男の子は恥ずかしそうにうつむいたが、「どうってことないよ」と強がってみせた。


 そのとき、二本松通りのほうから、青いワンピースを身にまとい、銀色のロングヘアーをなびかせた女子高生がやってきた。


「あ、シルダが帰ってきたわよ」


 恥ずかしさの渦中にある男の子にとっては、これ以上ない追い打ちであった。顔はぽっと赤くなり、うつむいた顔は元の向きに戻すことはできなくなった。


「ただいま、お母さん」


 シルダはまっすぐに女店主のもとへ歩み寄った。


「おかえり。今日は短縮授業だったの?」


「ううん、違うわ。毎日図書室で勉強してるうちに、ここに集まってくる子たちに会いたくなっちゃって」


 シルダがちらっと、男の子たちの群れを見やった。うつむいている子がいるのを確認すると、なんだか微笑ましく思われた。


 そしてつま先を男の子のほうに向けると、1歩ずつ丁寧な足取りで歩み寄り、目線が合うくらいの高さになるまでしゃがんだ。膝を折りたたみ、ワンピースの裾を軽く直す仕草は、「座れば牡丹」といえるほど、上品そのものである。


「久しぶりね。元気にしてた?」


 男の子は熱が高まりすぎて、もはや声を出すことさえ難しくなっていた。自分の内心を打ち明けることで、余計に損をするのではないかと警戒しているのだ。


 だが、女店主は臆面もなく言った。


「恥ずかしがってるのよ。国語の授業頑張ったからって褒めてあげたら、このまんま固まっちゃって」


「あら、そうなの」


 シルダは柔和に、男の子に笑いかけた。向こうはうつむいたまま、黙り込んでいる。シルダにしてみれば目立った反応は得られなかったということになるが、かえってそれが微笑ましく思われた。


「お勉強頑張ってて、偉いわね」


 シルダはそう言うと、店の奥の襖へと向かった。


「シルダお姉ちゃん! オレのことも褒めてよー!」


「コイツだけ、ズルいぞー!」


「オレなんか、体育の50m走でクラス1位だったんだから!」


 やんややんやと騒ぎたてる子どもたちに対して、シルダは笑顔で振り返る。


「待っててね。今、カバン置いてくるから」


 すぐに行くからね、と言わんばかりにそそくさと襖の向こうへと消えていくシルダに対して、子どもたちは不満げに騒ぎたてていた。


 その内心は、いなくなるのが嫌だったのと、早く来てほしい、ということに他ならなかった。


 そんな中、ひとりの男の子が店の外で騒ぎをたてた。


「おばちゃーん! ガチャガチャが動かないよー!!」


 男の子は硬貨の出口に指を突っ込んだり、カプセルの見えるガラスをしきりに叩いたりして女店主にアピールしている。大事な10円玉を機械に飲み込まれてしまい、その顔にまるでこの世の終わりを迎えたかのような絶望感がうかがえる。


「あら、また故障かしら。待っててね!」


 女店主は店の外に向けて大声を発すると、修理道具を取りに物置部屋へと向かった。駆け足で古い木の扉を開け、それが壊れてしまいそうな勢いでバタンッ! と閉じた。


 店頭に集まっていた男の子たちが、ガチャガチャの前で泣いている子のもとへ向かった。


「おい、大丈夫かよ?」


 指を小さな穴の中に入れたり、動かないつまみを力なくひねろうとしながら、男の子は懸命に命の10円玉を助け出そうとしていた。


「ここのガチャガチャ、いつもこうだよな」


「ほんと、ほんと」


「でも、古いからしょうがないんじゃないの」


 そのうちに、奥の襖が開いた。


 10歳くらいの女の子が、店頭へと歩み出てきた。腕をだらしなく体の前方にプラプラ揺らしながら、気だるそうに背中を丸めている。


「うっす」

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