38 衣笠城合戦
畠山重忠は焦っていた。
まだ十七歳の彼は、京にいる父・
「おのれ、なまじ縁者であるということで、和睦しようと取り計らっていたのに」
大庭景親が重忠を三浦に向かわせたのは、穏便に和睦に持っていくためである。
でなければ、三浦義明の娘を継母に持つ重忠を、三浦に当たらせない。
そもそも、景親が平清盛から与えられた許しは、頼朝討伐であって、反抗的とはいえ、豪族を討伐する事ではない。
そのように何でもかんでも戦いに及ぶようでは、逆に平家の支配に対する越権行為である。
皮肉なことに、令旨を建前に、その「何でもかんでも」をしているのが、頼朝ではあるが。
「これぞ、『
重忠は歯噛みする。
『会稽の恥』とは、史記に見られる言葉で、その昔、
この時、勾践はかなり屈辱的な条件で(夫差の召使になる)、降伏することを許されており、それを恥という。
なお勾践はその後、復讐を遂げることに成功しており(呉王夫差を倒した)、つまり重忠はそのことも込みで、『会稽の恥』と称しているのである。
さらに。
「この畠山の属する秩父氏(坂東八平氏のひとつ)に出馬を願おう。総領の
『会稽の恥』と称したことにより、畠山の属する秩父氏の縁者たちに――特に総領に加勢を要求することができた。
河越重頼は重忠の要請にこたえ、同じ秩父氏の一族である江戸重長に声をかけ、数千騎を率いて着陣する。
「かたじけない。これで、百人力だ」
重忠は河越・江戸の両氏に感謝したが、これほど早くに大軍を率いて来てこられたのは、実は大庭景親の頼朝討伐に応じて、駆けつける最中だったからではないか――といわれる。
そうだとしても、同族の畠山と
*
「父上。お逃げを」
「いらぬ」
三浦義澄は本拠地の衣笠城に帰還することができたが、一族の援軍を得た畠山重忠の猛追はすさまじく、おそらく、一日ぐらいしか猶予はなかった。
籠城のしたくもできるはずがなく、義澄は落ちのびることを決断し、早速に八十九歳の老父・義明に対し、共に逃げることを勧めた。
しかしそれは拒否され、逆に置いていけと言われてしまう。
「わしはもう
「父上」
そこまで、お見通しでしたか。
とは、言わなかった。
今こうしている間にも、平家の間者が聞いているかもしれない。
間者でなくとも、敵に捕らえられば、話してしまうかもしれない。
あるいは、積極的に伝えてしまうかもしれない。
安房へ向かうということを。
「……それが、三浦の本懐じゃ」
義明は、亡き嫡男・杉本義宗のことを思い出していた。
三浦を内海(現在の東京湾)の覇者にする、という夢をいだき、実際、海を越えて安房に攻め入り、そして死んでいった男――義宗のことを。
「
頼朝はおそらく、三浦の嫡男がなぜ死んだのか、考えたのであろう。
跡取り息子にやらせること――それはつまり、一族の「宿願」であることに気がついた。
だから、妻の政子を寄越した。
政子もまた、その「宿願」に気づいたからだ。
「……ただまあ、そこまでして、つまり、妻女を寄越してまで
「……そうじゃのう」
三浦義澄は、当初はいたずらに戦端を開くつもりはなかった。
大庭景親あるいはその麾下の誰かを三浦に引きつけ──引きつけられるだけ引きつけて、その間に頼朝に安房に渡ってもらい、折を見て、みずからも安房へ飛ぶ──そう、考えていた。
「ところが押さえきれず、戦ってしまいました。父上……これはわが不明、この三浦義澄が責を取るべき。ですので父上は海へ……」
「ならん」
三浦義明はまるで鉄塊のような圧力で、息子の言葉を拒否した。
八十九になるまで戦いつづけた男の迫力が、そこにあった。
「わしはもう渡海とそこからつづく、安房、両総での戦いに耐えられん。義澄、お前だ。お前が
それは老いた父を置いていけとか、あとは任せろといった、犠牲的な精神で言っているのではない。
三浦という一族をいかに生かすか、勢力を伸ばすかという観点で、最適な答えを出した──そういう意味で言っているのだ。
「父上……」
「聞けば、追っ手は畠山重忠。わが娘の継子ではないか……これも縁じゃな」
義明は、郎党の命を失う羽目になった重忠に、おのれの首を差し出そうとしている。
それも、合戦に及んだ上で。
「さすれば重忠も……失った郎党たちの家族にかたきを取ったと言えよう。面目も立とう。そして……」
「皆までおっしゃいますな。わかり申した。委細承知。のちの……來たるべき『頼朝どのの国』において、父上のことを持ち出して、重忠と争いはいたしませぬ」
「……痛み入る、息子よ。それにしても」
国、か。
老人はそうつぶやいた。
その言葉の、何と新鮮で魅力的なことだろう。
若者や壮者たちの、夢が詰まっている。
そういえば亡き嫡男――杉本義宗も言っていた。
この海に、この坂東に、新しい国を作るんだ、と。
「では行け」
「はい」
親子の最後の会話はそれで終わった。
そして息子は旅立ち、父はそれを見送った。
*
……こうして衣笠城合戦は始まり、三浦義明は畠山重忠相手に、戦いを挑む。
その戦いは多勢に無勢であり、義明はあっさりと討たれてしまう。
ただ、その最期の言葉は残った。
「吾妻鏡」に伝えられるその最期の言葉こそ、この時のこの老人の想いを
「今は老いたこの命をささげ、子孫の手柄としたい」
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