17 賽(さい)の目

「そうでないと……時政どのをとして、甲斐の武田が駿河を攻める機が作れない」


「人質?」


「そう。人質」


 北条館。

 ねやで、政子は頼朝の顔を見た。

 澄ました白皙のその顔は、少し汗ばんでいるが、表情は無い。

 政子はそれが妙に悔しいのだが、今は知りたいことがある。


「わが父、時政を人質に、とは」


「言葉どおりの意味だ」


 今、頼朝の一番の係累といえば、政子だろう。

 だから山木兼隆は政子を押さえに来たのだが、それはおいといて、二番の係累というのなら、やはり政子の父・時政である。


「だからその二番を差し出す。さすれば甲斐源氏・武田信義も、この頼朝がへりくだったと思うて、しかもおのれにとって利のある駿河を攻めるだろう」


「いえ、ちょっと待って下さい」


 あの父が、いくら何でも「人質として行け」と言われていくだろうか。

 たしかに、伊豆の豪族は近国である甲斐とのつながりが多いし、実際、婚姻関係を結んでいる者もいる。

 その伝手を頼って、援軍を乞うまではいいが、人質になれとは、武士の沽券こけんにかかわるだろう。


「だから、援軍を乞えと言う」


 この男は、何て男だろう。

 おそらく、頼朝の代理となれる格を持つのは、義父上ちちうえだけだとか何とか言って、甘言を弄して、時政を甲斐に行かせるつもりだ。

 そうして、別の手段で武田と連絡を取り、「時政を人質として差し出す」と伝えるのだ。

 しかも。


「このわたしに、父に甲斐に行けと説得せよと?」


「そうだ」


 頼朝としては、時政は目の上のだった。

 愛娘を嫁がせ、山木攻めにも兵を出し、頭が上がらない相手である。

 そういう存在がいては、これからのいくさ、邪魔になる。


「父がいると、頼朝どのとふたり、がふたつあることになる。いくさにはふたつ要らない。混乱のもと。それに、これからのいくさは……」


「そう、勝てない」


 負けるだろう。

 そういう戦いをする。

 そういう戦いをするのは、、今はく。

 そこへ時政がああだこうだ言い出したら、目も当てられない。

 それが政子にはわかる。

 わかるからこそ、頼朝の言うことに理があると思えるからこそ、余計に腹立つのだ。


「……父は説得します。というか、そう仕向けます。でも、宗時の兄と義時は伊豆こちらに残しますよ」


「それでいい」


 譲歩したのだろうか、それとも、宗時と義時なら、口出しさせない自信があるということか。


政子お前がいるではないか」


 政子はびっくりしたような顔をした。

 そういう男だった。

 こういう時は、嘘は言わない。

 少なくとも、そう思わせる努力はしている男だった。


「……わかりました」


 政子にも、頼朝の描く、これからの、否、今もしている清盛との戦いの絵図面が見えてきた。

 そのためにも、時政に甲斐に行ってもらって、甲斐源氏に動いてもらうのは必須。

 ……清盛に勝つために。


 そう――頼朝はこの伊豆にいて、福原にいる清盛と、戦っているのだ。



 福原。

 平清盛はひとりで盤双六ばんすごろくの盤に向かい合っていた。

 通常、盤双六はふたりでさい(サイコロのこと)を振って互いの石を進め合って競う遊戯ゲームだが、今、清盛はひとりだ。

 ひとりで向かい合っていた。


「……これがわしの手番よ、頼朝」


 盤の向こう側に、頼朝の姿がぼうっと浮かび上がる。

 むろん、清盛の空想である。

 福原と伊豆、場所こそ離れているが、清盛は今、頼朝と戦っている気分だった。

 それを味わうため、あるいは忘れぬために、こうして盤双六の盤と賽を持ち出して、いかにもひとりで勝ち方の模索に興じているていを取っている。


「かつて、天下三不如意てんかさんふにょいと言うて……白河院が『賀茂河かもがわの水、双六の賽、山法師、これぞわが心にかなわぬもの』とのたまったというが……」


 白河院、あるいは白河法皇。

 いわゆる院政を開始した法皇として知られる(開始した時は上皇だった)。

 藤原摂関家とのつながりが薄く、また当時その摂関家が力を失っていく時期だったため、実権を掌握した白河院は、前述の天下三不如意を口にしたという。

 ままならないものがある、という歎きに聞こえるが、逆にそれら以外は意のままになる、という自信のあらわれ、ともいわれる。


「さてこの清盛にとってはどうかな。賀茂河の水は……今年は雨が少ないため、川が暴れることはないだろう。山法師は……叡山やら南都やらから、この福原は遠い。物申すのもひと苦労よ。となると……」


 あらためて、清盛は盤双六の盤を見る。

 賭け事は好きだ。

 若い頃、無頼で鳴らした清盛である。

 盤双六もお手のもの。

 かなわぬものの、わけがない。

 だがそれよりも、もっとたのしいものは。


「こうして……この場に居ぬ者を相手にする双六よ。保元ほげんの乱の悪左府あくさふ藤原頼長ふじわらのよりなが)、平治の乱の悪右衛門督あくうえもんのかみ藤原信頼ふじわらののぶより)、以仁王もちひとおう……どれも打ち破って来た。さて頼朝、おぬしはどうかな。たっぷりとかわいがってやったこのわしじゃ、おぬしにわしが、打ち破れるかのう?」


 くっくっと、くぐもった笑いを洩らす清盛。

 かれは、この場に居ない頼朝が振る賽を、心待ちにしていた。

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