1.


         *


 

 この期に及んで、一体何がどうなっているのか、まだ把握しきれていない。

 何度か踏み入れた、大統領府の応接間。履き潰したブーツで踏むのが心苦しいほど、絨毯は柔らかい。


 その絨毯の上で手足を放り出して横たわる、頭と両手足を撃ち抜かれたアジア系の中年の女。

 そのそばで呻き声を漏らしながら座り込む、長い黒髪のアジア人の若い女。

 たしか今日の来賓は日本人だった、とぼんやり思い出す。


 若い女に銃口を向けている、同じ部隊の同僚だった男。


 こちらが現れたのを察しているくせに、同僚は視線を向けてもこない。

 目の前の女に銃口を向けたままだ。

 

 若い女の掠れた悲鳴が漏れ聞こえる中で、同僚だった男に問いかける。

「何のためにこんなことをした」

「あんたに関係ない」

 問いかけた相手は、素っ気なく言葉を返す。

 男の金色のボブヘアが少し乱れて、右目にかかっていた。

 その髪を払いのけようともせず、引き金に指をかけたまま銃口を動かさない。

 一見すると、なんてことのない状況にしか見えないが、同僚の男にとっては顔にかかった髪の毛を払うのを惜しむほど、張り詰めた状態らしい。

 

 何がそこまで緊迫しているのか、自分にはわかりかねる。


「バケモノが」

 苛ついた声で、同僚だった男は視線の先の若い女に吐き捨てた。

 女は項垂れたまま、こちらを見る素振りもない。


 この同僚だった男は、中性的な容姿で目鼻立ちも整っていて、綺麗な顔をしている代わりに性格が悪く、任務よりも自分の興味と趣味のために生きていた。

 スマートに仕留めればいいものを、わざわざ残虐な殺し方をしたがるのだ。

 そんな男にとって絶好の標的がいるにも関わらず、目の前で項垂れた若い女をどうするでもなく、警戒のために銃口を向けたまま、状況を動かそうとしない。


 若い女の手元に拳銃ベレッタ92はあるが、引き金に指がかかっていない。

 女に反撃されるよりも前に、こちらがとどめを刺せるのは明白だった。


 なのに、そうしないのはなぜだ。


 静かに、若い女の首が持ち上がる。こちらからは横顔しか覗けなかったが、

「”黙れクソ野郎“」

 英語で、これでもかと憎しみを込めた言葉が聞こえた。

 長い黒髪の隙間から見える殺意のこもった黒い瞳が同僚の男に向くと、その時には女の指先は引き金を引いていた。

 だがそれは、同僚だった男が発砲するのと同時。


 どういう状況でこうなったのか知らないが、自分には無関係だし、さっさと潰し合えばいい。

 何処の誰だかわからない女と、同僚だった男。どちらが死んでも、どちらも死んでも、自分には何の得にもならない。


 もう何も残っていない。


 

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