略奪者たち
香鳴裕人
DISC-01《NOT BLOOD, FLESH NOR BONES》
Track 001 GHOST WORKS UNTIL MORNING
こんなやり口が、もし、その定義を満たすというなら、
音楽を創るということ。
なるほど、ずいぶんな才能の遠回り、無駄遣いに疑いなく、
すっかりと夜が明けているのであれば、春の
ふと、窓から
「ロックだなんだと標榜しながら、紙の無駄遣いがなくて地球環境に優しいというのは、牛乳パックをリサイクルに出さないことで帳消しにできるものなのかな。」
独りごちているようでいて、問いかけの形を取ったというのは、背後のベッドで、布の擦れる音がしていたからだ。素肌と布団、髪の艶と枕、寝返りをうつ者の
ぼくは再び2Bの鉛筆を握る。
五線紙の上で凝りもせず踊るじゃないか、
楽譜の一枚目の右上隅、書かれた日付、この作曲を始めたのは日付が変わってからで、ゆえに、書き込む日付はひとつだけで済む。1999331、一九九九年三月三一日、ノストラダムスの予言の期日まであと四ヶ月、不透明な
ややあって、おそらくは
「何をか言わんや。つまり、呆れてものも言えない。そのアルバイト、いつまで続ける気。ソレがある限り、どうせ、ロックへの悪徳という意味じゃ大赤字なんだよ。」
ぼくは央歌の文句に、直接的には応じなかった。
「ぼくは自分のバンドに自分の名前が欲しいのであって、作曲家としてのクレジットは要らない。」
自己の定義の
「そのくだらない意地のせいで、毎度
「あんたの
ぼくが夜通し五線紙に音符を書きつけていたというのは、確かに仕事ではあれど、その曲のどこを探してもぼくの名義はない。名の知れたプロデューサー、泉井宇月という男が作曲したという
泉井サイドはせっかく築き上げた泉井宇月というブランドを維持したくて、都合の良い人間を探し、ぼくに白羽の矢を立てた。ぼくはバイト先だった中古CDショップを首になって金に窮していたので、意地だなんだを折る形でその誘いに乗った。
泉井サン、きっとぼくのことなんて大嫌いでしょうね、電話口での雑談、
けれどCDは売れ続ける。泉井宇月の延命はまだ続く。
ユニットバスに入ってすぐに出てきた央歌は歯ブラシを
ぼくが十九で央歌が二十で、生活を折半することの諸条件にそれが含まれていないのだとしても、手元にある
ぼくがどれだけバンドを解散させても、また次にもその次にも残っているひとり、央歌に対して謝意を示すとするならば、せめていくらかは今ここで目を背けてやらないでいることが礼儀と。やはり様にならないな、ご機嫌取りをしていくらでも言い訳が立つというのでは。
これまでのバンドではやはりだめだった。ぼくの叩くドラムは、たった一小節のうちでさえ
ぼくに殺されるか殺されないかは重要じゃない。
どんな有り様に至るか、知ったことじゃない。
撃てよ、自分以外の全てに。
楽譜に目を戻さなくても、そらでわかる。泉井宇月の新曲が全盛期の泉井宇月さえ
どうせ
春も夏も秋も冬も嫌いなんですよ、ぼく、全部フラットに嫌いなんだから、相対的にはノーマルなのかもしれないですけど、だってステージの熱量って、たかが季節にどうせ負けるじゃないですか。
見上げれば月はあったが、程なく満月となるのか、これから痩せていくのかは皆目わからなかった。アパートの一階、道路に面したひどく申しわけ程度の庭で煙草を吸っていたら
『一谷クン、例の件さ、やっぱり考え直して欲しいわけ。俺が制作部でのし上がるためと、業界の未来のためにさ。』
ぼくが一谷と呼ばれることを嫌がると、制作関係者にはとうに周知であるはずが、糸原という男だけは唯一、あっけらかんと呼びたいように呼ぶというふうで、それでいてぼくの才能を誰より買ってくれているのは糸原なのだから、つきつめれば、ぼくは、むやみに機嫌を買おうとされて喜ぶ
「糸原さん、駄々っ子だな、」こうやって食い下がられるのは、もう何度目になるだろうか。「糸原さんのおかげですって吹聴して回ってるのに。それで勘弁してよ。」
『だって泉井宇月なんていずれ死ぬし、二の矢三の矢を用意するなんて仕事だし、それが本命に化ければ俺の手柄で出世できるし、一方的なこちらサイドの言い分しか俺は言ってないわけだけど、だから駄々っ子でも別にいいけど、一谷クンには今の件と平行して、作曲家・一谷絢人として売り出されてほしいわけ。今日届いた楽譜でもう上も
央歌には伝えていない。自らを売り込むまでもなく、とっくのとう、作曲の才能を見込まれ、しつこく食い下がられているのだった。
「ぼく、バンドがやりたいだけなんですよ。興味ないとかじゃなくて、作曲家の一谷絢人なんてどこにもいなくて、糸原さんの願望の産物でしかなくて、どれだけ口説いても不毛の極致ですよね。」ああ、馬鹿だなあこの子、と、電話の向こう側で糸原が呆れていた。『だって、一谷クンはバンドなんて無理だよ。根っこからしてだめなんだよ。一谷クンって、バンドという集合体の中ではただの異物だよ。混入物で排除される
世間話の
「泉井宇月のプロジェクト、いつまで続ける気ですか。」電話の向こうで、ライターを擦る音が聞こえた。ぼくの耳じゃなくてもはっきり聞こえるだろうに、迂闊なのか省みないのか、デスクは昨秋に禁煙になったはずだ。『さあね、そう遠くない未来には、ってみんな言ってるよ。だからって自分がギロチン降ろす役はやりたくないよな。俺だってごめんだし、第一、一谷クンを据え置いたのは俺なわけ、言えたことじゃないわけ。早急に後釜を育てたいのはホントさ。そりゃあね。そんで、どうせなら手抜きして儲けたい。駄々っ子になるくらい、安いものだろ。』まったく道理だと思うほかはなくて、ある意味では、糸原ほどに誠実な人物をぼくは知らないのであるから。
そんな人を前に、年相応の愚痴も口をつくというものなのだ。
「結局ぼくも食わなきゃ死ぬんですよね。非常に厄介なことに。」
咥え煙草の
『強慾って大罪なんだけど、高潔にくたばっちまうよりはよっぽど正義だって話だなあ。罪のひとつも被らずに生きていけるものかよ。きみは曲を書かなきゃだめだぜ。』
まったく正しいな。反論ひとつ、しようもない。
「泉井サンの
それでも奇跡が起きうる可能性を示唆したあたり、糸原の勝ちだろうか。電話の先の声は、ふと、煙草を咥えていないものとなった。
『じゃあさ、またバンドを解散させちゃった一谷クンのために、耳寄りな情報を提供してあげるよ。
そう言って、糸原は密やかに笑うのだ。
ぼくにもはや、過程でなく帰結しか
もし、そこに
ぼくは罪を
『俺は間違ったって、一谷クンの
言い捨てるようにして電話は切られ、間を置かずにPHSに届いたメールには、〈芦崎章帆 アシザキアキホ〉というフリガナ付きの名前と、携帯の電話番号が書かれていた。
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