略奪者たち

香鳴裕人

DISC-01《NOT BLOOD, FLESH NOR BONES》

Track 001 GHOST WORKS UNTIL MORNING



 こんなやり口が、もし、その定義を満たすというなら、

 音楽を創るということ。

 潺湲さらさらとは流れない。ぼくらから血と肉と骨を取り除いたものがそこにというなら、剥き出しのソレを、ねがうことの涜聖けがれの澱みで、死水域の濁悪けがれ愚心ぐしんで、ココロを傷つけてはいやし、なおもいたずらに切り裂いていく呪いで、繰り返しのスフォルツァンドで溺れさせて、酸素などいるのか、まさか。溺死の後の航海。無難で安全なはずのコード進行を凶器に変える。血刀を震えさせ、観客オーディエンスの全てを敵として憎めよ。鳴らせよ、そういう音で唯一無二のステージを戦場に変えてしまえよ。命は今日にしか存在しないと思い知れよ。逃げる場所なんて用意してやらないから、等しく命を削れよ。る側だってられる側だって、生きることを殺して、たかがひとつのショウに、閃光として、全てを棄てろよ。

 なるほど、ずいぶんな才能の遠回り、無駄遣いに疑いなく、央歌おうかが口を尖らすというのも、自然な成り行きの有りようなのだ。

 幼心おさなごころの行き場で、飲み下した五本目の缶コーヒーを、その空き缶を、すでに縦に積み上がった四本の上に積んだところ、のるかそるかのところで、結局、三本目以降が机に転がった。コーヒーの残滓ざんししずくが、机の木目のみならず五線紙をちらと汚したのだが、そこからもなにがしかの音符が拾えるような気がして、納得し、ひとまずは手にあった鉛筆を転がした。

 すっかりと夜が明けているのであれば、春の手緩てぬるい陽光が半分だけ開けておいた窓から、ひどく鷹揚おうように差し込み、どうにも納得させられるに、ぼくはまだ生きている。安物の白のシャツと黒のジーンズさえ、てらてらと、何かひとつの生命体に化かされるかのようだ。

 ふと、窓から一片ひとひらの桜花が舞い込むのを許したというのは、外界で鳴る音が網戸のひとつによってでさえ阻害されるのを嫌ったからで、半ば当然の顛末てんまつとして、花弁はなびらはひらと、五線紙の上に、他になど知らないと、落ちた。桜の最後のひと呼吸、もし、花のひとつひとつに生命いのちがあるのであれば。ぼくは春の情緒を尊重してやらずに、なにせ、ブラックコーヒーのみのほうがせめて役に立ちそうで、呆気ないほどに手で払い、花弁をごみ箱に放った。そのごみ箱のなかに鉛筆の削りかすはあっても、歿ぼつとして破かれて棄てられた五線紙が全くないというのは、とうに、まるで当たり前のことだった。

「ロックだなんだと標榜しながら、紙の無駄遣いがなくて地球環境に優しいというのは、牛乳パックをリサイクルに出さないことで帳消しにできるものなのかな。」

 独りごちているようでいて、問いかけの形を取ったというのは、背後のベッドで、布の擦れる音がしていたからだ。素肌と布団、髪の艶と枕、寝返りをうつ者の音律おとではない、目覚めに至った者のそれだ。

 ぼくは再び2Bの鉛筆を握る。

 五線紙の上で凝りもせず踊るじゃないか、誅戮ちゅうりくの音符の群れたち、きみたちひとつひとつの、あるべきところの鳴動は、その元手になるのは、その原資はぼくのイノチなのであって、ぼくがぼくを削ぎ落とすことで生まれてくるわりに、ちっともそこに埋め合わせをしてくれようとはしないな。ぼくのタマシイに生じた空漠の濁りは日増しに増える。だからって取引は成り立っていくよ。今も。かがやきをもぎ取るために、差し出す。あどけない子どもの知る純朴な残酷で、ひとつ、ひとつ、しょうの鎖を千切ちぎる。命よりも鉄くずがほしいんだ。あまりにもたやすい。一線を越えて、廻瀾かいらんの音符どもに奪われることを呑み、自身の鼓動テンポぶことなどなく、消費して、そして生産されていくのは罪悪トリップの嗜好品。わかってる。こんなやり方、いつまでも続けていられるものじゃない。

 楽譜の一枚目の右上隅、書かれた日付、この作曲を始めたのは日付が変わってからで、ゆえに、書き込む日付はひとつだけで済む。1999331、一九九九年三月三一日、ノストラダムスの予言の期日まであと四ヶ月、不透明な時代エイジ、締切は今日。

 ややあって、おそらくは央歌おうかの意識がめるまでの間を置いて、くだらぬ問いかけへの返事があった。

「何をか言わんや。つまり、呆れてものも言えない。そのアルバイト、いつまで続ける気。ソレがある限り、どうせ、ロックへの悪徳という意味じゃ大赤字なんだよ。」

 ひびに満ちた風鈴の声音、相変わらず央歌の声帯のどはいい楽器だ、彼女の声は、紛れ込む雑音ノイズが耳に残る、ぼくの信ずるヴォーカルの声質おとだ。央歌のげんに、いかにも納得だと振り返ってみれば、何もかもが裸身の央歌がワンルームを横断して、裸足でフローリングを踏んで、六畳の領内うちにある冷蔵庫に向かっていた。まったくものが置けないわけだ。ベッドを出て二歩の道程みちのりでそれが済むというのであれば。

 ぼくは央歌の文句に、直接的には応じなかった。

「ぼくは自分のバンドに自分の名前が欲しいのであって、作曲家としてのクレジットは要らない。」

 自己の定義のきもとして、せつである要不要とぼくは扱っても、央歌が自己をげるものとして迫るには、いささかならず自分勝手が過ぎる。

「そのくだらない意地のせいで、毎度苛々いらいらさせられる。一谷いちたに絢人あやとを売り込んで、もっと自分の世界オンガクをやればいいのに、泉井いずみい宇月うつきなんて才能の枯れた音楽屋の替え玉ゴーストに甘んじて。そうやって損得勘定もできない真性の馬鹿だから、バンドも解散するんでしょ。」寝乱ねみだがみ、肩をゆうに越す黒髪をいくらかは手櫛てぐしで整えて、央歌は冷蔵庫から、五〇〇ミリリットルの、紙パックの野菜ジュースを取り出した。いつもの朝食だ。起き抜けに食欲がないというのでなく、はらにものを入れてしまえば、歌声こえが不自由をくらうということ。「絢人、それをどうにか抜きにしてあげようか、」苦虫の笑み。ああ、ほら、勢いよく呑むことしか知らないものだから、ひとすじ、口腔から逸れて、細いあごにつたう。

「あんたの世界オンガクがそうやって消費されていくの、いつも殴らないでやってるけど、それがあたしの人生ってやつの我慢のしどころだとは、あんただって思わない。」

 もあらん。

 ぼくが夜通し五線紙に音符を書きつけていたというのは、確かに仕事ではあれど、その曲のどこを探してもぼくの名義はない。名の知れたプロデューサー、泉井宇月という男が作曲したというていで、目下売り出し中のヴィジュアル系バンドの新譜ニューシングルとして世に問われるものだ。いわゆる鬱病というやつに陥り、ろくに書けなくなった泉井宇月だが、その名前には力がある。曲のし以上に、もっとも好いほうがよっぽどいいにせよ、泉井宇月というクレジットがあってこそCDはける。

 泉井サイドはせっかく築き上げた泉井宇月というブランドを維持したくて、都合の良い人間を探し、ぼくに白羽の矢を立てた。ぼくはバイト先だった中古CDショップを首になって金に窮していたので、意地だなんだを折る形でその誘いに乗った。替え玉ゴーストという名目がそこになければ、両者に幸運はなかった。

 泉井サン、きっとぼくのことなんて大嫌いでしょうね、電話口での雑談、録音レコーディングスタジオには現場監督としてやはり別の替え玉ゴーストがいるので――ふっとそう漏らしたら、あの人ってつまり馬鹿だから、延命措置を施されてる傷病人が死ぬなんて自明のこと、そう、つまりさ、ちっとも好きじゃないんだろうな、実ではとうに墓の中で酸素が尽きるまでだ、まったく、なんともヴィジュアル系な話だよ、出られないままアウトロだ。美学じゃないよ、だってさ、絢人クンの替え玉ゴーストなんてあの人にはできないでしょ。

 けれどCDは売れ続ける。泉井宇月の延命はまだ続く。

 ユニットバスに入ってすぐに出てきた央歌は歯ブラシをくわえていて、なお裸身を、アンダーヘアまで余さず晒すのは、単に頓着しないからではないはずだった。苛烈な気性は本当で大部分なのであるとしても、本質のところ、ヴォーカリストなんてものはロマンチストの見本なのだ。恋人などではないはずが、体をゆるしていることの作法として、翌朝に服を着ることを惜しむ。

 ぼくが十九で央歌が二十で、生活を折半することの諸条件にそれが含まれていないのだとしても、手元にあるものを使うな、という条項はない。無論、互いにとって。望まずとも生類、余計なことをのぞむことは避けられない。ならばせめて簡単であれ。

 ぼくがどれだけバンドを解散させても、また次にもその次にも残っているひとり、央歌に対して謝意を示すとするならば、せめていくらかは今ここで目を背けてやらないでいることが礼儀と。やはり様にならないな、ご機嫌取りをしていくらでも言い訳が立つというのでは。

 これまでのバンドではやはりだめだった。ぼくの叩くドラムは、たった一小節のうちでさえ無尽むじんと思えるほどに放たれていく弾丸たまは、央歌の歌声を残して他の一切を叩き潰してしまい、また、央歌ののどによる凶刃に向こう傷を選べるのもぼくだけであったので、たとえバンドとしてそこに立っても、まるで生命体サウンドではなかった。

 ぼくに殺されるか殺されないかは重要じゃない。

 どんな有り様に至るか、知ったことじゃない。

 撃てよ、自分以外の全てに。

 楽譜に目を戻さなくても、そらでわかる。泉井宇月の新曲が全盛期の泉井宇月さえくびるものであることに改めて納得して、それで結局、たった今、央歌が歯ブラシをせわしなく動かしているのか、相変わらず口からこぼすことを気に留めないのか、視線は据え置いたとしても、ぼくの中にまるでない。



 どうせ一年ひととせ、どこにいたとしても、包まれてしまえば季節ソレを叩き壊したくなるじゃないか。

 春も夏も秋も冬も嫌いなんですよ、ぼく、全部フラットに嫌いなんだから、相対的にはノーマルなのかもしれないですけど、だってステージの熱量って、たかが季節にどうせ負けるじゃないですか。ライブハウスハコを出ちゃったが最後で、戻されて、現実の情緒ってやつに負けるじゃないですか、なんてことを制作部の糸原いとはらに言ったら、だからキミの楽曲オトってでたらめにステージに縛りつけようとして、現実との折り合いをつけようとしないんだあ、人生的に消費期限あるからそれ、一谷絢人がオトナになる前に、早く曲を売らないとだめだなァ、そんな調子で、糸原は真面目に考え込んでいた。

 見上げれば月はあったが、程なく満月となるのか、これから痩せていくのかは皆目わからなかった。アパートの一階、道路に面したひどく申しわけ程度の庭で煙草を吸っていたらPHSピッチが鳴った。制作部の番号、おそらくは糸原からであろうと思われ、電話には出ても無言で応じたつもりが、何も構わず間をつくらず糸原は用件から斬り込んだので、ひねた振る舞いをしようとしたのか傍目はためにはわからず、間の抜けた格好になった。

『一谷クン、例の件さ、やっぱり考え直して欲しいわけ。俺が制作部でのし上がるためと、業界の未来のためにさ。』

 ぼくが一谷と呼ばれることを嫌がると、制作関係者にはとうに周知であるはずが、糸原という男だけは唯一、あっけらかんと呼びたいように呼ぶというふうで、それでいてぼくの才能を誰より買ってくれているのは糸原なのだから、つきつめれば、ぼくは、むやみに機嫌を買おうとされて喜ぶたちではないと。

「糸原さん、駄々っ子だな、」こうやって食い下がられるのは、もう何度目になるだろうか。「糸原さんのおかげですって吹聴して回ってるのに。それで勘弁してよ。」

『だって泉井宇月なんていずれ死ぬし、二の矢三の矢を用意するなんて仕事だし、それが本命に化ければ俺の手柄で出世できるし、一方的なこちらサイドの言い分しか俺は言ってないわけだけど、だから駄々っ子でも別にいいけど、一谷クンには今の件と平行して、作曲家・一谷絢人として売り出されてほしいわけ。今日届いた楽譜でもう上もうなずくしかないわけ。今や、丁寧にリボン付きでラッピングしてやれるんだから。』

 央歌には伝えていない。自らを売り込むまでもなく、とっくのとう、作曲の才能を見込まれ、しつこく食い下がられているのだった。

「ぼく、バンドがやりたいだけなんですよ。興味ないとかじゃなくて、作曲家の一谷絢人なんてどこにもいなくて、糸原さんの願望の産物でしかなくて、どれだけ口説いても不毛の極致ですよね。」ああ、馬鹿だなあこの子、と、電話の向こう側で糸原が呆れていた。『だって、一谷クンはバンドなんて無理だよ。根っこからしてだめなんだよ。一谷クンって、バンドという集合体の中ではただの異物だよ。混入物で排除される運命サダメのタイプだよ。ああ、一谷クンって不幸だよね。』

 世間話の声風こわぶり、まさか脅してなびくとは思っていまい、糸原による率直な一谷絢人の人物評。

「泉井宇月のプロジェクト、いつまで続ける気ですか。」電話の向こうで、ライターを擦る音が聞こえた。ぼくの耳じゃなくてもはっきり聞こえるだろうに、迂闊なのか省みないのか、デスクは昨秋に禁煙になったはずだ。『さあね、そう遠くない未来には、ってみんな言ってるよ。だからって自分がギロチン降ろす役はやりたくないよな。俺だってごめんだし、第一、一谷クンを据え置いたのは俺なわけ、言えたことじゃないわけ。早急に後釜を育てたいのはホントさ。そりゃあね。そんで、どうせなら手抜きして儲けたい。駄々っ子になるくらい、安いものだろ。』まったく道理だと思うほかはなくて、ある意味では、糸原ほどに誠実な人物をぼくは知らないのであるから。

 そんな人を前に、年相応の愚痴も口をつくというものなのだ。

「結局ぼくも食わなきゃ死ぬんですよね。非常に厄介なことに。」

 聴音シゴトで耳を摩耗させている糸原のための、大仰でわざとらしいぼくのため息。

 咥え煙草の模糊もことした声で、いかにも面倒だというふうで、それでいて糸原の返す言葉であれば、きっと、ビジネスにるものではなかったのだろう。

『強慾って大罪なんだけど、高潔にくたばっちまうよりはよっぽど正義だって話だなあ。罪のひとつも被らずに生きていけるものかよ。きみは曲を書かなきゃだめだぜ。』

 まったく正しいな。反論ひとつ、しようもない。

 さとい糸原のこと、ぼくが正しい筋道を選べないということも、すっかりわかっているはずで、まったく、糸原の言うところの手抜きには程遠い迂路うろ、ぼくのための。無駄と知ることをわざわざ。

「泉井サンの替え玉ゴーストというぎりぎりの言い訳でぼくは曲を売っているのであって、ぼくの曲はぼくのバンドのためにあるので、高潔にくたばるコンマ三秒前くらいにならないと、きっと悔い改めないと思いますよ。」

 それでも奇跡が起きうる可能性を示唆したあたり、糸原の勝ちだろうか。電話の先の声は、ふと、煙草を咥えていないものとなった。

『じゃあさ、またバンドを解散させちゃった一谷クンのために、耳寄りな情報を提供してあげるよ。下北沢シモキタを拠点に活動してる〈イノリの爪痕〉っていうバンドの凄腕ベーシストが抜けたがってる。勧誘したらいいんじゃない。〈イノリの爪痕〉は目を付けてたバンドなものでね、メンバー直通の番号TELも知ってる。後でメールで送るからさ。』容易には呑み込めなかった。「目を付けてたバンドの楽器の要を引き抜け? それ話して、何か糸原さんにいいことあるんですか。」糸原は電話の向こうで呆れていたのだと思う。『馬鹿。情で商売を忘れるような人間じゃねえよ俺は。作曲家としての一谷絢人がイエスと言わないならさ、一谷クンのバンドを売るしかないじゃない。そこには当然、一谷絢人の曲があるんだろ。あるいは一谷クンがバンドというものに愛想を尽かすルートでもこちらとしてはいいけどさ、まあ俺なんていう強慾という大罪で音楽を食い物にしてる人間でもだよ、恩義を何もかも切り捨てるなんてほうがむしろ難しくてね、いつもイイ仕事してくれてる返礼と思ってくれてもよくて、そのほうが理解しやすいってなら、俺もたまには善人になってみてもいいな。』

 そう言って、糸原は密やかに笑うのだ。

 ぼくにもはや、過程でなく帰結しかこだわるつもりがないことを知っている。

 もし、そこにのぞむ音があるというのなら。

 ぼくは罪をすのだから。

『俺は間違ったって、一谷クンの世界オンガクを好きだとは言わないんだろうな。でもさ、でもだよ、もし一谷クンのバンドが聴衆オーディエンスを端から殺していく様なんか見たら、ぶるぶる震えがくると思うな。最高だろ、そんなのはさ。理屈じゃない、四十を過ぎたオトナにとっても、キミはそうなんだよ。さっさとメンバー揃えな。』

 言い捨てるようにして電話は切られ、間を置かずにPHSに届いたメールには、〈芦崎章帆 アシザキアキホ〉というフリガナ付きの名前と、携帯の電話番号が書かれていた。




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