デザートは、いかが?

白崎なな

甘い味がする


 今日は、珍しく残業もせずに帰れそうだ。首を回して腕をグッと伸ばして、身体の疲れを癒す。ピロンッとスマホ画面が通知を示した。この着信音は、ひとりしか居ない。


『食事に行こう』


 私の斜め後ろの席に、椅子を回転してちらっと視線を送った。彼は、黒のジャケットに青色のネクタイを締めてシンプルさが彼を惹きたたせている。

 スマホに手を伸ばして、サクッと返信をする。チラリと見ると、私の返信に満足気な笑みで私と視線が合う。


 就業の合図が鳴り響く。机の上に大量の資料が乗る人は嫌な音だと顔を顰め、帰り支度を始める人は嬉々とした表情をしている。


(さぁ、今日は何を食べに行くのかな)


 少しワクワクした気持ちを、心の奥に押し留める。表情が緩みそうになるのを、誤魔化すようにまとめていた書類にホッチキスを留めた。今日は、ノー残業デーという働き方改革の日だ。早く帰れと電気も半分消されて、薄暗くなる。正直でも、形だけな気もしなくはないが。



「今日は、ノー残業デーだぞ。お前ら早く帰れよ〜」




 

 部長は、私から書類を受けて直ぐに立ち上がって手をヒラヒラさせて帰っていった。その言葉に、残業をしようとしてた人たちも席を立って帰っていく。

 私は部長の背中を見送り、自分の席に戻ろうとした。後ろから近づいてきた彼に腰に手を回される。


茉里まり、予約してあるから」


 耳に唇を寄せて、優しく囁く。低く身体に響く声に、くすぐったさを感じる。腰の指も骨盤を撫でるように、動かされた。


「もっ、終わったよ。優羽ゆうここ職場……」


 私は、回された腕に手を添えて離れるように促した。ゆっくり離れていき、私に優しく微笑んだ。ふわりと香るシトラスの香りに、私は頬に熱が集まる。

 恥ずかしさを隠すように、プイッと顔を背けて自分の鞄に手をする。


 仕事の気合いを入れるために、履くハイヒールを鳴り響かせて明るいホールに出た。高いヒールを履いているのに、優羽の顎下にしかならない。


 グレーのジャケットに、可愛いフリルのブラウスをきた私がエレベーターに映り込む。その絵も直ぐに変わり、エレベーターの扉が開いた。

 エレベーターに乗り込み、優羽が予約したというお店に向かった。


 エスコートをするように私を気を遣いながら、タクシーから手を引いてお店の中に入る。


(いつもと違いすぎて……)


 普段は、身体を重ねるだけの関係性なのに。今日は、何故だかこんな洒落たお店でふわつく雰囲気を醸し出している。足元が柔らかい地面の上を歩いているようだ。


 予約をされていた席に案内をされ、席についた。ハーフコースなのか、前菜、メインのステーキが順番に出てきた。


 トプトプと注がれた赤のワインに、真っ赤なルージュの唇をつけた。ブドウの芳醇な香りが鼻腔をくすぐり、胸いっぱいに広がった。

 アルコールが口から身体に浸透していく。


(やられてばかりじゃ、つまらないよね?)

 

 私は、ハイヒールから右足をするりと抜いた。するりと彼のスラックスの裾の間に滑り込ませる。


 長く伸びたテーブルクロスによって、私のこれは誰にもわからない。テーブル上では、優雅にステーキをソースに絡めて最後の一口を頂いた。



 足元では、ストッキングの滑りによってするすると彼の足首あたりを撫でている。


「茉里? まだ、食事中……」


 私は美しい所作で、口元をナフキンで拭いた。そして、テーブルに両肘をついて合わせた両手の甲にあごを乗せる。まつ毛をくるりと上に向けて、大きく瞳を魅せる。


「うん? 食欲、その次は?」


 私は手の甲に乗せている顔を少し傾げて、艶を帯びる笑みを浮かべた。

 優羽はそんな私を見て、スッと目を逸らし残っている白ワインを煽った。



「それに、先に職場で手を出してきたのは誰?」


 私は、右足をハイヒールに入れて足を組んだ。

 優羽を真似て、私もグラスに手をかけた。薄暗い店内を照らすライトに、透明に澄んだグラスかざす。

 

 光を浴びた赤ワインは、濁りを帯びた赤紫色を輝かせる。グラスを傾け、赤紫色の水面が波を打ちちゃぷんっと音を立てた。


 手首で一周ぐるりとさせて、私も残った赤ワインを瞳を閉じて煽った。飲み終わったグラスをゆっくりと頬に寄せて、彼の顔を見る。

 ずっと私の所作に魅入った優羽の瞳に、私の視線が飛び込んだ。



「そろそろ、デザート食べたくない?」


 お店の照明は、暖かいオレンジ色でやさしく照らされる。優羽の肌で跳ねて、表情をうつしだす。



「ここで食べるより、別の場所で頂こうかな」


 優羽が、席を立ちサクッとカードで会計を済ませて外に出た。

 ふわりと香るシトラスが、私の顔を覆う。瞳を落とし、お互いの柔らかさを堪能していく。


「んっ……」


「うん。やっぱり、茉里は甘い味がする」


 

 夜風が頬を撫でる。登った熱が冷めないままに、私たちは夜の光のグラデーションに身体を沈めていく。

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